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8ー2

「わがまま、じゃあないんじゃない?」


 と、デスクから私たちを眺めていたくーちゃんが口をを挟んだ。頬杖をついた彼女はデスクの上に置かれていたマグカップへと手を伸ばす。


「だけど、難しいことでもある」


 言って、くーちゃんはコーヒーを一口だけ飲む。小さな音を立てて、マグカップがデスクの上へと戻された。


「当事者やそれに近い人とそうじゃない人たちの間にある溝って、そうじゃない人たちが思ってるよりもずっと深いんでしょうね。当事者同士やそれに近い人たちだって、その立場や考え方なんかに溝がある。それなのにそうじゃない人たちがいきなり当事者たちの立場に立つとか同じ視点を持つとか、当事者たちが望む形の寄り添い方をするとか、そんな簡単にできることじゃないでしょう? ま、そもそもそれをすることに肯定的じゃない人たちもいる。なんで受け入れてやらなきゃいけないんだー、ってね」


 くーちゃんの手が再びマグカップへと伸びた。その手はマグカップを優しく包み込む。伏せられた目は中のコーヒーへと向けられているようだった。


「結局ね、みんな他人事なのよ、極寂の言う通り。自分とは違う人間の話。もしかしたら自分にも関係があるのかもしれないけれど、具体的には想像することのできない話。きっと誰もすぐには正解なんて出せない。当然よね。だって誰もが納得する正しい答えなんてそこにはないんだから。……だけどそんなの、どんな人が相手でも変わらない。性的少数者でもそうじゃない人でも、誰でも」


 違う? と、くーちゃんが小さく首を傾げて私たちに投げかける。答えられないまま漆黒の瞳と見つめ合って、私はまた、感想シートに目を落とした。

 同性愛者。異性愛者。その分類だけじゃない。自分と他人は、同じところはあるけど、結局どこまでいっても違いは出てきてしまう。

 何もかもが同じ人間なんて存在しない。そもそも自分とは全く違う他人の視点を取り込むこと自体、一人の人間にとっては難しいことなんだとは思う。

 だってそれは、自分の中に別の人間を住ませるようなものなんじゃないか。別の誰かと常に同居し続けるみたいなものなんじゃないんだろうか。

 ……もしもその通りならば、そんなことができる人間は一体どのくらい居るのだろうか。そう考えれば、自分のこと以外が他人事になるのは当たり前なのかもしれない。仕方のないことなのかもしれない。

 ……けど、だけど。


「でもさ、くーちゃん」


 だけど、みんなは。


「たとえみんながお互いにお互いの望む関係を作るのが難しくても、それでもみんなはなあなあで上手くやれるんだよ。だって、みんなが立っている場所は同じだから。みんなが同じ当たり前を共有できているから。絶対的な共通点、みたいなの、そういうのってあるじゃんか」


 そう。みんなには、根本的には同じ部分がある。細かく違いがあろうとも、そもそもの前提が同じならば何も問題はない。そういう人たちはこの世界で生きていける。

 そんなの──ずるい。


「それが、そのみんなにとっての根本的な当たり前が私たちには欠けてる。男の人を好きになれることも、それを当たり前だと受け入れることも、結婚するのが当たり前だとか、子供を可愛いと思えることとか、子供を産みたいって思えるかどうかとか。……言葉にすればたったそれだけのことだけどさ、でも常識の中でそれが占める割合って結構大きくない? それが当たり前って声が大きすぎるじゃんか。私たちはその大きすぎる当たり前に馴染めないから、孤独感とか疎外感とか、そういうのを無駄に感じすぎちゃうんだと思う。多分いくらみんなが理解を示すような言葉をかけてくれてもそれって変わらないんだよ。だってその下にあるのは理解してあげなきゃとか認めてあげなきゃって気持ちじゃん。みんなが作った当たり前の中に入れてあげますよ、みたいな」


 それが迷惑だとかおせっかいだとか、そんな風には思ってない。おまけにこんなのは、私一人が勝手に感じていることでしかないんだ。

 私と同じように思っている人が他にもいるかどうかなんて私にはわからない。みんながみんなこんなことを思ってるわけじゃない。

 ……結局みんなの声を拒絶しているんだ、私は。自分の声が誰にも届かないと言っておきながら、私は誰の声も受け取ろうとしていない。

 だったら──本当にずるいのは、私の方なんじゃないの。


「……ま、そんな簡単な話じゃないか」


 くーちゃんの呟きには落胆も怒りも感じられなかった。自然にこぼされたその声に首を傾げれば、だってさ、とくーちゃんは続ける。


「そんなに簡単な話なんだったら講演会とかする必要ないでしょ。問題が取り上げられることもネット上で言い争いが起きることもない。色々と難しいことだから、なかなかみんなが思うようには事が運ばない。全員が納得できる答えなんてないしね」


 うんうんと頷きながら、くーちゃんはマグカップから手を離す。そのままぐっと伸びをして、彼女はいつも通りの笑顔を私たちへと向けた。


「だからまあ、焦らない焦らない。物事は少しずつ進んでいくものなんだから。二人の人生だってまだまだこれからなんだし、その間にちょっとくらいは変わってくれるでしょ」


 それは、本当に私たちに向けての言葉だったのだろうか。そうだねと言葉を返せば、くーちゃんはどこか安心したような様子でパソコンに顔を向けた。

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