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6ー7

「ほら、二人とも早く作業に戻って。終わるまで帰れないんだからね」


 冗談めかしてそう口にしたくーちゃんの顔には、普段とそう変わらない笑顔が浮かべられていた。でもその笑顔は普段より少しだけ不自然で不恰好。それに気がついていないふりをして、私は再び紙を手に取る。ハサミを入れようとして、ごめん、なんて声にその動きを止めた。


「ごめん、その、二人とも悪気があったわけじゃないんだけどさ」


 ──そうだろうね。

 吐き出された自分の声はひどく冷たいものだった。


「許してあげてほしいとかそういうのはないけど、でも」


 ──いいってば。別に。気にしてないよ。

 なんか、別の人が喋ってるみたいだ。誰かが私の口を使って喋ってる、みたいな。


「……ごめん」


 ──でもさ、蝶は何も言わないんでしょ。

 言うな。言っちゃだめだ。それは言っちゃだめってわかってるのに。


「へ?」


 とぼけた声に唇を噛み締めたのは無意識。多分、自分への些細な抵抗だったんだと思う。だけどその抵抗は無意味に終わる。


「だからさ、あとで二人に怒ったりとかしないでしょ。だって蝶は──」


 言うな、言うな馬鹿!

 叫んでる。誰かが叫んでる。でもそんなの何にもならない。私の唇は私の意思とは無関係に言葉を紡ぐ……ううん、本当は、ずっとそう思ってたんだ。


「私と違って、上手に隠せてるんだもんね?」


 息を吸い込む音が耳に届く。それは蝶のものだったのかもしれないし、くーちゃんのものだったのかもしれない。

 からん、と。音がした。


「──あ」


 見た。蝶の顔を。病的に白かった肌はきっともうこれ以上にはならないって思ってた。だけどそこには、これ以上が存在していた。


「そ、ちが、わた、私──私、は──」


 蝶の視線は定まらない。漆黒の瞳が消えそうな炎のように揺らめいている。あちらこちらへと動かされるその瞳が、どこかへと、ほんの一瞬、一際強く向けられた。


「──っ、ごめん、帰る」


 通学鞄が床を離れていく。ぱんぱんに膨れ上がったそれを抱きしめて彼女は駆け出す。声をかける暇なんてない。いや、声をかけようにも、言葉が何も見つからなかった。足音が遠ざかっていく。身体からは力が抜けていく。もう足音が聞こえない。立っていられない。固い床に、膝がぶつかった。

 ああ──やって、しまった。

 わかってる。自分が何をしたのか。わかってる。私はまた、蝶を傷つけた。自分勝手な理由で、ただ彼女が羨ましいなんてそんな理由で──私は、ただ一人のお仲間を失くしてしまったんだ。


「……っ」


 顔を両手で覆う。何も見えなくする。そうすれば無かったことになるんじゃないかって。そうしたらもう何も考えないで済むんじゃないかって。

 軋む椅子の音が闇の中で聞こえた。だけど顔なんて上げられない。目なんて開けたくない。お願いだから放っておいて。そう言おうと口を開きかけたところで、唐突に与えられたのは頭への衝撃だった。

「ったぁ!?」


 声が出たのは単なる反射。痛みは感じなかった。叩かれたのであろう箇所を撫でながら顔を上げれば、分厚いファイルを手にしたくーちゃんの姿が目に入った。


「馬鹿。馬鹿極寂」

「な、馬鹿って」

「馬鹿は馬鹿でしょ。今の見てたら馬鹿って言う以外にないじゃない、馬鹿」


 そうでしょと投げかけられた言葉に、頷くしかなかった。くーちゃんはため息を吐いてしゃがみ込む。私の顔を覗き込む彼女の表情は、怒っているのがわかるのに、どうしようもなく優しくて。


「さっきのが何の話なのか、わたしは知らない。でも極寂は丹吉瀬さんを傷つけた。違う?」

「……違わない」

「ならどうするの?」

「どう、って」


 じっ、と。私を見つめるその目は決して責めるようなものではない。


「謝る、しか、ない、けど」

「けど?」

「けど、蝶、許してくれないかもしれない。話、もうしたくないかもしれないし……」


 吐き出されたため息には呆れの色が含まれていた。滲む視界を悟られたくなくて、視線を床へ。そんな私の頭に、ぽんと手が置かれた。


「そうだとして、それは謝らない理由にはならないでしょう。傷つけたってわかってるんだったらきちんと謝らなきゃ駄目。それに、極寂はもう丹吉瀬さんと話したくないの?」


 それは、嫌だ。嫌だった。私がひとりぼっちになってしまうからじゃない。ただ純粋に、蝶と二度と話せなくなるのは嫌だと思った。


「友達なんでしょ」

「……友達、なのかな」


 自信のない私の呟きにくーちゃんは笑みをこぼす。


「友達じゃなかったら何なのよ、あなたたち。ね、極寂。せっかくできた友達なんだから、大事にしなきゃ駄目よ。いつか離れることはあるかもしれないけどね、でもそれはきっと、今じゃないんだから」


 鼻をすすりつつ頷けば、頭に置かれた手がゆるゆると動かされた。一度だけ瞼を強く閉じて顔を上げる。くーちゃんは、穏やかな笑みを私に向けてくれていた。


「泣くほど嫌われたくないんなら、ちゃんとしなさいな」


 くーちゃんは私の頭を軽く叩くと、自分のデスクへと戻って行った。


「早くしないと丹吉瀬さん、帰っちゃうわよー」


 呑気な声を出して、くーちゃんはパソコンへと向かう。その声に力強く頷いて駆け出した。

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