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黒うさぎくんはちょっと抱き締めてみたいそうです。

作者: 朱 華




 それは、いつもと変わらない日常の中で、突然起こった非日常。職場からの帰宅途中。家まで後もう少しってトコで急に目眩がして「は?」って思ったら異世界だった。こんな事ある?

 なんで異世界って分かったかって?明らかに人間じゃねーやつらが服着て二足歩行してたからだよ!当たり前に初めて見たけど多分獣人ってやつ。とりあえず混乱したまま、目の前にいた金髪赤目な美青年の頭から生えてる白い兎耳(うさみみ)を引っ張ったら取れなかったどころか、痛いって言われて〝ああ、コレ頭から直に生えてるもんなんだ〟って気付いた。

「~~~~っ痛いです!耳を引っ張らないで下さいませんかっ!?」

 逢っていきなりそんな蛮行とも奇行とも呼べる暴挙に出た女を自分の店で雇ってくれてる白い兎耳の美青年、こと、リヒト店長はきっと良い獣人(ひと)だ。まぁ、そのお店っていうのがいかがわしいサービスメインの出張マッサージ店だったんだけども。

 頭から兎耳生やした男がいる世界とかもう絶対日本じゃないじゃん!ってゆーか地球じゃねぇ!と混乱が加速する私の話を、リヒト店長は親身になって聞いてくれた。やっぱ良い獣人(ひと)だわ。話しながらなんで日本語に聞こえるし通じんの?って思わんでもなかったが、都合が良いからまぁいいかって考える事を放棄した。

 この世界は獣人と人間の比率が八:二くらいで、人族と呼ばれている人間達は獣人達にとってちょっと珍しい存在らしい。その珍しさから迫害の対象に、なんて事もないから、異世界転移がガチャみたいなもんならまぁまぁ当たりを引いたほうだと思う。

 リヒト店長は兎族の獣人だそうで、獣人は自身の種族の特徴が外見に反映されるのだそうだ。故に、職場には犬やら猫やら鼠やらの耳や尻尾を生やした子や、鹿や羊の角が生えてる子とかもいる。いやー街中であれバビルサじゃね!?って牙したお兄さん見掛けた時はぎょっとして思わず二度見したわ。おでこに刺さりそうじゃが!?って言っちゃったもん。


 ガチャに例えて当たり判定したとはいえ、突然放り出された異世界。行く当ての無かった私に、リヒト店長は衣食住も職も与えてくれた。まぁ、職はちょいとアレだが。仕事内容に関してはだいぶ融通してもらってるし、路頭に迷わずに済んでほんと良かった。お陰で私はなんとか今日もこの異世界で生きている。


『上等だぁ~!やってやんよォ~!』


 持っていたソヒルが着信した。この世界……というか国にはスマホみたいな端末〝ソヒル〟ってのがあって、必ず一人一台持つ事が義務付けられている。このソヒルがその持ち主の身分証であり財布であり連絡手段であり、その他にも色々な機能が……あれ?コレ元の世界より文明進んじゃってね?

 画面を確認すると音声通信ではなく文面が送信されてきていて、仕事が入ったのだと分かった。この着信音、耳で聞くと「ピロピロピロ~」って可愛い鳥の鳴き声なのに、ソヒルの翻訳機能の所為で自動翻訳されちゃう。なんかヤンキーがこれから喧嘩始めます宣言みたいだ。いやヤンキーの喧嘩宣言とか聞いた事無いけど。でも音変えるのメンドイからそのままにしてる。この音声で逆に仕事にも気合いが入るってもんよ。上等だぁ~!やってやんよォ~!

 えーと、出張先は……ホテルか、意外と近いな。通常マッサージ一時間コースでオプションは無し、と。うん、いつも通りですね!

 内容を確認して、私は指定されたホテルへと向かった。







 ソヒルを開き、いつものように操作して、マッサージ店に予約を入れる。仕事上肩こりが酷く、時には吐き気すら催す程だったが、同僚から紹介されたこの出張マッサージ店を利用するようになってからはだいぶマシになった。本当はいかがわしいサービスがメインらしいが、そっちは一切利用していない。

 キャスト指名はいつものように、無し。ただし性別は、必ず異性愛者の男性を選ぶ。理由は以前来た女性キャストに言い寄られた上、肉体関係のオプションを強請られた事があるからだ。そういうサービスがメインのオプションを売りにしてる店のキャストがそのオプションをお薦めする事は当然なのだが、正直不快だった。

 自身の容姿が整っているという事は、嫌と言う程自覚している。頬を興奮で上気させた女性達にそういう誘いを受ける事が何度もあれば、どんなに愚鈍でも自覚するだろう。

 しかし、自宅やホテルといった客の希望する場所までキャストを派遣し、健全なマッサージを施してくれる店舗等この地域では他にない。いくら不快だったからとは言え、利用を止めるつもりはなかった。そういうサービスをメインにしている事を承知の上で利用するのだから、此方が予防線を張れば良いだけだ。

 出張先は今拠点にしているホテル。通常マッサージ一時間コースを選択しオプションは無しにチェックを付けて予約表を送信すれば、即座に店舗側から予約確認の返信があった。当日予約だから、少し待てば店舗からキャストが派遣されてくる筈だ。

 仕事をしながら待っていれば、扉が叩かれる。思っていたより早い到着に扉を開ければ、立っていたのは小柄な人族の女性。

「――ご予約ありがとうございます。《空飛ぶうさぎのしっぽ》です」

「……は?」







 いや間抜け面でも美少年とかずるくね?

 扉を開けた格好のままで固まってしまった美少年は、顔も良けりゃ声も良かった。

 サラッサラの金髪に、ルビーみたいな赤い瞳は色彩の所為かリヒト店長を髣髴とさせるが、美少年の頭部から生えているのは黒い兎の垂れ耳だ。リヒト店長のピンッてしてる白い兎耳とは真逆な感じ。ちなみに《空飛ぶうさぎのしっぽ》は店名。こんなファンシー溢れる店名なのにメインはいかがわしい出張マッサージって……。

 にしてもなんで固まってんの?アレか?想像してたお姉さんよりちんまいのが来てガッカリか?残念だったな、美少年!コレに懲りたら次からはちゃんと画像見て、好みのお姉さん指名しな。

「……なんで……、男性キャストは……?」

 部屋入れてくれよと思っていたら、美少年から洩れた小さな呟き。え?この子まさかそっちの趣味なの?じゃあちゃんと好みの男性(おとこ)を選べよ!……あ、待って、もしかして……。

「……予約内容ご確認されますか?」

 ソヒルを開いて、添付送信されてきた予約表を見せてみる。目の前で慌てて自分のソヒルを操作していた美少年の顔が驚きから〝しまった!〟みたいに顰められた。やっぱり。この顔はアレだわ。予約事項入力時にミスったんだわ。

 予約入力画面では、まず【指名】か【指名無し】かを選ぶ。【指名】を選ぶと店に所属するキャストの画像一覧と共に、キャストの性別、異性愛者か同性愛者かの簡単な説明が表示される。お客がその中から自分好みのキャストの画像を選ぶと、そのキャストのランクと、追加オプションがどこまで OKかが改めて表示される仕組み。このオプションは健全なのから不健全かつヤッベエ部類まであって、特にヤッベエ部類は種類が豊富で店の売りになっている。ちなみにお客様に大人気なのは 〝キャスト()マッサージ♡〟だ。♡がうざい。

 キャストのランクはSからDまで。マッサージの専門知識と技術、オプションのNGが少ない程キャストのランクは上になる。そんで指名にはきちんと指名料が発生する。で、【指名無し】を選ぶと、お店側……てかリヒト店長がお客様の希望に添ったキャストを選んで派遣する。この場合お客はキャストの性別と、異性愛者か同性愛者かの選択、して欲しいオプションがあれば選択出来きるから当て嵌まる項目にチェックする……んだけど、この画面ちょいと見ずらいんだよね。たまにこうやってミスするお客様いるし。まぁ、指名しない方が少数派だし、店側はお客に確認の返信をするから間違っていたらその時に再度訂正出来る。その確認をこの子は怠ってしまったのだろう。

「……えーと、如何致しましょう?キャンセルならばキャンセル料金が発生しますが……」

 ちなみにこのキャンセル料、アホみたいに高い。理由は店側と派遣されたキャストの両方に相応の金額を支払うからだ。

 それまでずっとしかめっ面だった美少年が、ふと何かに気付いたように首を傾げた。

「……貴女、僕を見て何とも思わないんですか?」

 どういう意味?







 失態だ。画面の見ずらさは重々承知していたが、今日は連日の疲れもあってか見落とした。自分の送った予約表にも、店からの返信画面にも、派遣人員は女性の異性愛者にチェックが入っていた。完全にこちらのミスである。

 どうしよう。この女性も言い寄ってきたり、肉体関係のオプションを強請ってきたりするのだろうか。そんな思いが浮上して、どんどん渋面になっていくのが解る。無駄な出費だがキャンセルしようか……と考えた時、面前の女性の方からキャンセルを提案されて正直面食らった。

 首を傾げて女性を見る。こちらを見る眼差しは全く熱を帯びておらず、頬も紅潮していない。今までにない女性の反応に、飾らない言葉が自身の口を衝いて出る。

「……貴女、僕を見て何とも思わないんですか?」

 今度は女性が首を傾げた。質問の意図が全く理解出来ていないだろう彼女に、直接的な言葉を投げ掛ける。

「ですから、僕に欲情しないんですか?」







「は?」

 あ、やべ。素が出た。いや、欲情て。何言ってんだこの子。と、思ったがまぁ、察しは悪い方じゃない。あくまでいかがわしいマッサージがメインではあるが、極稀に健全なマッサージのみを頼むお客様もいるにはいる。この美少年もその少数派なのだろう。で、前に女性のキャストとなんかあった……、と。

 この世界って割と性に奔放だからなぁ。同僚の女性キャストとか軒並み肉食系だし、綺麗な顔した美少年がお客様だったらあわよくばって思うの簡単に想像つくわ。いかがわしいオプションを売りにしてる店のキャストがそのオプションをお客にオススメするワケだから苦情案件には入らないし、オプション追加された方が稼げるしね。多分前にお金と肉欲目当てのキャストと何らかのトラブルになった、もしくはトラブルになり掛けたんじゃないかな。でも家とかホテルまで出張してきて健全なマッサージしてくれるお店ってここら辺では他にないから、異性愛者の男性キャストを選んだつもりだったがミスった、的な。表情からの憶測だけど、あながち外れてはないと思う。

「……あの……」

 おお、しかめっ面が困惑に変わった。ええと、何だっけ?ああ、そうだ。欲情しないの?みたいな事訊かれてたんだわ。んー確かに綺麗な顔だなぁとは思うけど……。

「綺麗な花を見て綺麗だなとは思っても、それで性的に興奮したりはしないので」

 寧ろ綺麗な花見て性的に興奮したら異常者だと思う。







「綺麗な花を見て綺麗だなとは思っても、それで性的に興奮したりはしないので」

 態度も眼差しも、表情ですら変える事なくそう言った彼女は、嘘を言っているとは思えなかった。この顔は彼女にとって綺麗な部類には入るが、性的な欲求は湧いてこないのだという。彼女の言を借りるなら、花と同じという事だ。

 そういう誘いを掛けてこない上に、まさか花に例えられるとは思わなかった。強張っていた精神が落ち着きを取り戻し、なんだか余分な力も抜けた気がする。

「……マッサージ、お願いします」

 この女性(ひと)なら大丈夫だと、本能が認めた。きょとんとした顔の彼女に好感をもって、無意識の内に頬が緩んだ。







 え?いいの?って思ったけどまぁ、お客がいいと言うのなら。元々こちらには選択の余地もないしね。

「では、失礼致します」

 入室と同時にソヒルを操作してタイマーを設定。では、通常マッサージ一時間コース、これより開始致します。

 とは言っても私には専門的な知識も技術もないから、寝台でうつ伏せに寝てもらった美少年(お客様)の背中――主に首から肩や腰までを普通に揉むだけだ。

 オプションは健全なヤツのみOKで、メインのいかがわしいヤツは一切NGにしてもらっている上に、こんな子供でも出来るくらいのマッサージしか出来ないから、当然ながら私のランクは最底辺のDランク。まぁ、そんな私でも一人だけ指名してくれるお客様いるけど。

 揉み始めてまだ少しなのにもう指が痛い。いや、ちょ、この子肩こり過ぎじゃない?どんだけこってんだよ!岩石かってくらい固いんじゃが!?

 指の痛みと格闘しながらも根気強く揉んでいる内に、やっとほぐれて柔らかくなってきた。多分この子私レベルの肩揉みじゃ駄目な気がする。もっとちゃんとした人にきちんと正しく揉んでもらった方がいいと思う。いや、余計なお世話かもしれないけど。

 だが相手は私のお子ちゃまレベルの肩揉みでもいいらしい。目を閉じて完全にリラックス出来てるみたいだし、眉間に皺も寄ってない。

「……お姉さん、この仕事長いんですか?」

 え?寝てる?って思ってたら急に話し掛けられてちょっとびっくりした。小声で「うわっ」って言っちゃったし。聞こえてないといいな。

「いえ、最近入ったばかりです」

 長いやつはこんなお子ちゃまレベルのマッサージとかしねぇ。ペーペーですよ!男女キャスト併せても、私が一番新米ですね。

 そういえば日本人が幼く見えるのは異世界でも同じらしい。同僚達との顔合わせで年齢言ったらめっちゃ驚かれた。若く見られて嬉しい半面、年齢(とし)相応にも見られたい。そんな贅沢な悩みもあったりして。

 当たり障りも生産性もない会話をぽつぽつ交わしながら美少年の背中をほぐしていれば、ソヒルから甲高い電子音が鳴り響き一時間経過を知らせてくる。終了の合図だ。

 手を止めてソヒルの電子音を解除していると、視界の端で美少年が寝台から身を起こしていた。後は彼がソヒルを操作してコース料金の決済をすれば、私のお仕事は完了である。

「あの……、」

「はい?」

「延長、お願い出来ますか?」







 うつ伏せた背中から伝わる心地好さに目を閉じる。

 客を相手にするサービス業である以上、キャストは無口で無表情、無愛想である訳にいかない事は承知している。だから、マッサージの最中にキャストから振られる会話に対して、これまでは煩わしいという感情を抱きつつも応対してきた。

 しかし今回派遣されてきた人族の女性には、いい意味で裏切られっぱなしだ。こちらを誘惑の眼差しで見るでもなく、花と同じだと宣い、会話を切り出す事もせず、黙々と手を動かしている。

 その事を、何故か酷く残念に思う。まさか自分が、今まで煩わしいと思っていた筈の会話がない事に落胆する、なんて。

 だから初めて、自分から会話を切り出した。急にこちらが話し掛けた事に驚いたのか、彼女の口からは小さな声が洩らされたが。

 そのまま会話を続けていれば、彼女のソヒルが無機質な音を奏でた。こちらの指定した一時間が経過した事を示す、無情な音。同時に彼女の手も止まる。

 後は客である此方が決済をすれば、彼女の仕事は終了する。そう思いながら緩慢な動作で身体を起こし、ソヒルを手に取った。決済の画面に進まなければならないと解っているのに、開いたのは店舗のキャスト一覧。

 表示される顔ぶれの中に彼女の顔を見つける。ランクは最底辺のD。手の動きで彼女に専門の知識や技術がない事は判っていたが、Dランク(最底辺)の理由は、オプション不可の多さが故なのだろう。

 メインであろう追加オプションの項目が悉くNG。選択可能なオプションは数える程しかない上にマッサージの技術もなければ、最底辺にもなる訳だが……、これは指名がとれているのだろうか?いや、余計なお世話かもしれないが。

 彼女のオプションで選択可能になっている項目の中にあった、〝キャストとお喋り〟。

 もう少し、彼女と話をしたいと思った。







 延長?延長とな?

 延長とは、お客が最初に指定したコース時間では足りなくなった時の為のシステムである。〝盛り上がっちゃった時にオススメ♡〟だそうだ。♡がうざい。

 キャストに次の予約が入ってない、もしくは入っていても時間に余裕がある時にキャスト側が了承すれば代金を支払って延長出来る。キャストの予約は店側もきちんと把握しているから、お客が選んだ延長時間がもし他の予約と重なっていたらお断りの返信が入るけどね。

 ただしマッサージ自体の延長は出来ないから、必然的にオプションを追加する必要がある。ちなみにコース料金と延長代は後払いだけど、オプション代金は追加する度に先払い。で、決済された追加オプションに対しては返金やお断りが出来ないという店舗ルールがある。〝そのオプション選択可能にしてあんだろ。金払ったんだから嫌がらずにヤれよ♡〟って事なんだって。♡がうざい。

 この後の予約は入ってない。だから延長に応える事自体はやぶさかじゃない。だがしかし、自分で言うのもなんだが私のオプションは本当に少ない。まぁ、健全なオプションだけだしね。さて、目の前の美少年くんは数少ないオプションからいったいどれを選ぶやら。

 私から了承の返事を聞いた目の前の美少年は、ソヒルを操作してオプションの決済を完了させたらしい。ソヒルが震えて通知した内容を確認中する。えーと、延長は一時間、オプションはキャストとお喋り。と。

「決済ありがとうございます」

 ソヒルに付いた財布機能の残高が今の少年の支払いで増した事を確認して、私は決められた言葉を口にした。さて、プラス一時間、この少年と何を話そう。







 もう少し話をしていたいという身の裡に湧き上がる衝動に素直に従って、ソヒルを操作し決済を完了させた。

 だがしかし、自身の衝動を些か甘く見過ぎていたらしい。あっと言う間に彼女のソヒルが音を鳴らして愕然した。いつの間に一時間経過したのか判らない程、彼女との話に没頭していた、なんて。再びソヒルに手が伸びたのは、無意識だった。

「……、今日はありがとうございました」

「え?あ、はい……」

 次は彼女を指名しよう。その決意で何とか自制して、手にしたソヒルは今度こそ料金支払いの画面を開く。

 楽しかった。このサービスを利用するようになって、こんな事は初めてだった。肩こり対策の為に利用していた筈なのに、マッサージではなく彼女と逢う目的の為に利用したいと思ってしまう。

 ソヒルのタイマーが鳴った時に、自身の瞳が見開かれた事は自覚した。次いで宿った感情に、寂寥が混じった事も。

「本日はご利用ありがとうございます。またのご予約をお待ちしております」

「……あの、僕はナハトと言います」

「は?あ、えーと……申し訳御座いませんが、当方は名乗りを控えさせていただきます」

 帰り支度を終えて扉の前で一礼した彼女に告げたのは、自身の名前。思えば派遣されてきたキャストに名乗る事も初めてだ。彼女には知って欲しいと思って名乗ったが、彼女は困惑したらしい。なんで今このタイミングで名乗ったの?と顔に書いてあった。

「……次はお姉さんを指名しますね……」

 去って行く背中に小さく呟く。見送る自身の相貌が緩んでいる事は、もうとっくに自覚していた。







 なんで今このタイミングで名乗ったの?と口に出しそうになったけど堪えた。でも顔には出てたかもしれん。ナハトくん、かぁ……なんか本名っぽいなぁ。こーゆー商売のキャストにあんま本名とか名乗んないほうがいいのでは。

「……申し訳御座いませんが、当方は名乗りを控えさせていただきます」

 店舗の規定に従って名前は名乗らず決められた言葉と共に一礼し、ホテルを出る。

 帰り際にナハトと名乗った美少年に、内心で盛大に疑問符が飛ぶ。なんの面白みもないあの会話の中で、何が琴線に触れたのか。しかも聞き間違いでなければ、次は指名しますと言っていたような。

 その言葉が聞き間違いではなかった事は、それから三日後に証明された。


「ご予約ありがとうございます。《空飛ぶうさぎのしっぽ》です」

 着信したソヒルの画面に添付された出張先は、三日前に訪れたホテル。指名有り、通常マッサージ一時間コース、オプションには〝キャストとお食事〟が付いていた。

「こんにちは、お姉さん」

 同じ部屋だったし、指名だったからまさか……と思っていたら、顔良し声良し金髪赤目の黒兎(くろうさ)垂耳(たれみみ)美少年、ナハトくんがいた。形容詞多いな。

「ご指名ありがとうございます」

 いつものようにソヒルでタイマーをセット。岩石アゲインかと戦々恐々としていたが、今回は意外とそうでもなかった。良かった、あの後暫く指と腕が痛くて大変だったんだよね。いや、仕事だから仕方ないけど。

 一時間のマッサージを終えて、今は注文したルームサービスでオプションの食事中。

 今日ナハトくんが付けたオプション、キャストとお食事は、文字通りお客とキャストが一緒に食事をする健全な方のサービスである。え?不健全な方?〝キャスト()お食事♡〟ですね。♡がうざい。例の大人気オプション〝キャストをマッサージ♡〟との違いが分からん。知りたくもねーがな!

 キャストとお食事はホテルとかのルームサービスでも、レストランとかでもOKだが、キャストの食事代はお客が負担する。

 オプション代は兎に角、食事代もお客様ってちょいとぼったくりの匂いがしなくもなくもない。でも御飯代が浮くから正直助かる。いや、申し訳なさを感じないでもないが。

「え?ナハトくん十九歳な、んですか?……あ、失礼しましたお客様」

 しまった、驚きのあまりお客様をくん付けで呼んでしまった。

 お客様からのご希望により、お互い合意の上で口調や接し方を変える場合もあるが、今のはダメだろ完全に。うぅ、絶対年下だよなぁって、心の中で勝手にナハトくんって呼んでたからつい。咄嗟の敬語もなんか取って付けた感が半端ない。いや、若いだろうなとは思ってたけどまさか十代だったとは。大人びてるなぁ。

「あはは、〝ナハトくん〟でいいですよ」

 良かった。笑って許してくれた。初対面での渋面からは考えられない優しい笑顔に、やっぱり何故かリヒト店長の面影を見る。なんでだろ?同じ兎の獣人だからとか?そんな思いを心の片隅に抱きつつ、食事の時間は穏やかに過ぎていく。







「本日はご利用ありがとうございます。またのご予約をお待ちしております」

「此方こそ、また指名しますね」

 退室時の定型文と共に、彼女が一礼して帰路につく。最早彼女を指名する事は当たり前になり、肩こり解消の為に利用しているサービスは完全に彼女と逢う目的へと掏り替わっていた。

 自身の手違いで彼女が派遣されてきて、あれから何度彼女を指名しただろう。恐らく両手の指の数以上だと思い至り、随分執心しているな、と、苦笑する。

 彼女がキャストである以上、指名を受ければ自分以外にもサービスであるマッサージを施し、オプションを追加されればお喋りや食事に興じるという事に自身の裡で仄暗い感情が理性を取り巻いていくのが判る。醜く荒ぶるこの感情の名称(なまえ)を、自身は嫉妬だと知っていた。

 彼女と逢う事を心待ちにしている自分。仕事を終えた彼女が退室する事に寂しさを感じる自分。

 妬心と歓喜、そして寂寥。こんな想いは初めてだけれど、この気持ちが何であるのか解らない程子供ではない。しかし、だからこそ悩んでしまう。今の自分達の関係性はサービスを利用する客と、サービスを提供するキャストでしかないのだと。


――……さっき、逢ったばかりなのに……――


 もう、彼女に逢いたくなっている。否、本当は、もう逢うだけでは足りないのだ。

 彼女に触れてみたい。欲を言う事が許されるなら、あの華奢な身体を自身の腕の中に招きたい。小柄な身体を抱き締めた時、彼女はどんな反応をするのだろうか。

 もっと特別な関係になりたいと、本能が訴えて。けれど本能(それ)に従って、もし困らせてしまったら?否、困らせるだけでなく拒絶されてしまったら……。

 仕事である以上、此方が指名すれば彼女に拒否する(すべ)はない。だが自身の客という立場で強権を振るう等、絶対にしたくない。

「……は?」

 自分以外、彼女を指名しなければいいのに。そんな危うい思考に支配されたままソヒルを手に取れば、見慣れた指名画面のオプションに、見慣れぬものが増えていた。その見慣れぬ新たなオプションは、どれもNGになっていない。

 獰猛な本能が、理性に対して宣戦を布告し、そのまま侵略を開始した。







 今日のナハトくんはなんか始終笑顔だったなぁ、なんて思いながら扉の前で一礼して退室。「また」と言ってくれたナハトくんに仄かな嬉しさ感じつつ、最早通い慣れた道を歩く。夕焼けが綺麗だね!

 ナハトくんの操作ミスで私が派遣される、という出逢いから、もう何度目の派遣になるだろう。ナハトくんは何故か私を気にいってくれたらしく、毎回指名をしてくれる。オプションも時間によって〝お食事〟か〝お喋り〟を付けてくれるし。

 あれから何度指名を受けたっけ?と、ソヒルの決済履歴を確認してみれば、十回越えてんな、って分かってちょっと笑ってしまった。嬉しいけど、なんでこんな私なんか指名してくれてるんだろ?もう一人のお客様といい、物好きな人もいるんだなぁ……なんて考えていれば、あっと言う間に店舗に帰り着く。

「ただいま戻りました~」

 もう夕方だから、今日はもう私への予約は入らない。同僚達は寧ろこれからが本番だけどね。

 此処、《空飛ぶうさぎのしっぽ》は店舗と社宅……いや、 寮?が一緒になっている。デリバリーみたくキャストがお客のところに派遣されるから、店舗って呼ぶのか分かんないけど。ついでに社宅と寮の違いもよく分からん。

 一応一階にキャスト達の待機室と、リヒト店長の仕事部屋と自宅的な部屋があって、二、三階がキャスト各自の部屋。二階が男性部屋で、三階が女性部屋ね。うん、社宅って感じじゃないな。やっぱ寮かも。

「――ああ、お帰りなさい……そうだ、少しいいですか?」

  今日も今日とて仕事を終えて、自分の部屋に戻ろうとしたところで、リヒト店長から声を掛けられた。 なんぞ?と思っていたら、オプションについての話だった。 どうやらいかがわしいオプションに比べて健全なオプションが少な過ぎる、と。まぁ、端的に言えば何人かのお客様からクレー……ご意見を頂いたらしい。

「……それで、本日から新しいオプションが幾つか追加になっているんですが……」

 要はその新しく追加になったオプションがOKかNGかの確認をしておいて欲しい、という事だった。現段階では全キャストに全てOKが付いているらしい。

「ちゃんと確認しておいてね。NGがあったら早目に言うんだよ」

 リヒト店長普段敬語なのにこういう時だけ子供に言い聞かせる、みたいな口調やめてくんないかな。子供じゃないんですよ、こっちは。いや、いかがわしいサービス専門の仕事でいかがわしいヤツー切NGにしてる時点で子供みたいなもんか。

「早く見といたほうがいいわよん♡」

 仕事に向かう同僚からも声が掛かった。なんでニヤニヤ?♡がうざい。 とりあえず「はーい」と適当に返事をして、今度こそ部屋に戻った。


 で、翌日である今日。私はナハトくんのいるホテルにいた。昨日の今日って連続指名は初めてだ。いつもなら三日から七日くらい間が空くのにな。

「あの、今から追加オプション付けてもいいですか?」

「え?はい、どうぞ」

 いつもの一時間マッサージを終えて、今日のオプションである〝お食事〟をホテルのルームサービスで済ませた後。ナハトくんからそう声を掛けられた。

 珍しいな、と思いつつ了承する。なんだろ?食事はもう済ませたから、お喋りかな。

 ありがとうございます、という弾んだ声と共に、ソヒルに決済完了の通知が入る。

「決済ありがとうござい……え?!」

 目を見開いて、画面を二度見。眼前のナハトくんは楽しそうに自身のソヒルを振っていた。

「〝一緒にお風呂〟入りましょ♡」

 ♡がうざい。


 くっそ~!油断した!うぅっ、決済済みの追加オプションに対しては返金やお断りが出来ないという店舗ルールをこんなに恨めしく思う日がこようとは……!

 ナハトくんが追加したオプションは、この世界ではギリギリ健全レベル、自分基準だと完全に不健全(いかがわしい)レベルの〝一緒にお風呂〟だった。説明によればお客とキャストで一緒に入浴するというサービスだそうだ。どのへんが健全!?※注意事項。あくまでキャストと一緒に入浴するだけです。お触り♡は一切厳禁です。ってところか!?♡がうざい!

 ちなみにこの世界での不健全レベルになると〝一緒にお風呂で色々♡〟になる。♡がうざい。

 リヒト店長を脳内に召喚して文句を言ったが、ちゃんと確認しておいてね。って言ったよ?と首を傾げられた。脳内で作り出した存在に正論で言い負かされるとは……。適当な返事をした過去の自分に説教したい。いや、張っ倒したい。

 ああ、追加オプションの確認なんてすっかり忘れてた。ちゃんと確認しておけばNG出したのに!っていうかあのニヤニヤそういう事かよ!言えよ!

 向かい合うとか絶対に無理だと背中合わせをお願いしたら、ナハトくんは了承してくれた。振り向かない、という約束も交わした。いや、ほんとなんでナハトくんこのオプション追加したの!?

「お姉さん、このオプションはOKなんですね」

 ホテルの一室の浴槽は、当然ながらプールのように広くはない。お互い背中とはいえ肌同士が時折触れ合う慣れない感触に、すぐにでもNGを出すよ!と叫んでしまった。うわー声が響くね!

 でも、本心だ。心からの雄叫びである。この仕事が終わって帰ったら、すぐにリヒト店長にNGを出そう。勿論、他のオプションもちゃんと確認しなくては……!

 羞恥と緊張から浴槽で小さく丸まっていたら、背後で軽やかな笑い声。

「ふふっ……緊張してるんですか?大丈夫ですよ、何もしません」

「当たり前だよ?!」

 思わず敬語もすっ飛んだ。

 〝一緒にお風呂〟はあくまでお客とキャストが一緒にお風呂に入るだけだって書いてあるから!なんかしようもんならその耳引っこ抜いてやるかんな!

「今はまだ、ですけどね♡」

「おい!」

 ♡がうざい。







「おい!」

「あははっ!冗談です」

 浴室に響いた自身の声は、存外楽し気に震えていた。緊張しているらしい彼女は、先程から口調が崩れまくっている。恐らくはこちらが素なのだろう。緊張からの混乱故だと理解しているが、気を許してくれているようで嬉しい、なんて思ってしまう。

 同時に、少しは自分の事を意識してくれているのだろうか、と考える。だって最初に話していたように花だと思っているのなら、共に入浴……というよりも肌を晒す事に対してこんなに緊張はしない筈だ。ならば少なくとも異性として認識されているのだろう。いずれは物足りなくなるのだとしても、今はそれが分かっただけでも充分だ。

 彼女曰く、OKになっている新オプションは昨日から追加されたものらしい。確認を怠っていただけで、この仕事の後には店長に話してNGに変更してもらうそうだ。そして、この(あと)彼女に仕事は入らないという。

 つまり、これは今日限り。僕だけの特別なのだという事。


「――……ねぇ、お姉さん……」


 背中合わせの約束を、今だけ破って耳許で囁く。……この優越感からつい行動に移してしまったほんの少しの戯れの代償は……、両耳の激痛だった。







バシャッ、という水音と共に、耳許に届く小さな囁き。


「……ちょっと抱き締めてみてもいいですか……?」


「いいワケあるかーっ!!」

 お客とキャストという立場を完全に放り出し、とりあえず両耳を引っ張った。約束破りに人権等無いのだよ!

 ふさふさの兎耳を引っ張る為に振り向いた拍子に、何を、とは言わないがガッツリ見られた腹いせに、これはもう引っこ抜くしかないな!と更に強く引っ張ってやった。自業自得?ちょっと知らない言葉ですね。




  【黒うさぎくんはちょっと抱き締めてみたいそうです。】


「~~~~っ痛いです!耳を引っ張らないで下さいませんかっ!?」

 ん?どこかで聞いた台詞だな。


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