#6これからよろしく共犯者(3)
待たせてごめんね
街路灯の単調な光が、ベンチに腰掛ける俺たちを照らしている。
泣き声は、とっくに止んでいた。
夜の春というのは存外に閑散としていて、虫の音一つも聞こえない。
コップに注がれた水が波打つような、微妙な静謐が辺りを支配している。
闇に沈めて俯いていた彼女の頭は、いつの間にか、前を向いていた。
缶コーヒーを、いつのまにか彼女は飲み終えていて、ベンチの脇にそれを置いて、俺に訊いた。
「浅葱くんは、私を助けてくれるんですね?」
「うん」
「じゃあ。明日、私に残された唯一のアテの下に行くんですが、ついてきてください」
「分かった」
「そして、連絡先を交換しましょう」
「うん。……ん? ──マジ?」
「え、はい。集合場所とか、送らないと面倒ですし」
彼女はまるで当然のことのように首を傾げる。
彼女にとっては大したことのないことなのかもしれない。
しかし俺にとっては歓迎すべき事態だ。
なんせ、俺が持つ連絡先で異性の数は一人。──お母さんだけである。
「……ありがとうココンさん。──……ほんっとに」
「いや、そんな感涙されても困るっていうか。あぁ、もう早く交換しますよ!」
「……うん!」
俺が過去一元気のいい返事をして、彼女が勢いよく制服のポケットから携帯を取り出そうとしたところで。
──ソレは起きた。
「え?」
「──ッ!?」
紺色の王冠が、ココンさんの頭に載っている。
戻ってきた。それだけならよかった。明らかに異常なのは、その瞳だ。
平常時の黒い瞳ではなく、赤く、染まっている。
赤い瞳が、睨む。俺を、あるいはココンさんを。
「浅葱くんッ! 今すぐ逃げ──」
言葉は途中で止まった。
彼女の挙動が、不自然に全て止まった。
「ココンさ──」
俺が彼女にかけた言葉も、途中で止まった。
まるで、期待が翻るような。
「え」
赤く、まばゆく、光り輝く。
その王冠の目が赤に染まったその瞬間から、腹部に、鈍い痛みが響いて。
痛みに遅れて、視界に状況が飛び込んでくる。
彼女の足が、俺の腹にめり込んで、蹴られて──、
「い……、ッた──!」
体が宙を舞う。空を勢い良く滑る。地面に身体が落ちる。
混乱する頭より、今も続く痛みが、状況を理解させてくる。
「ココン、さ──」
俺が名前を呼ぶより先に、動いた彼女の拳が俺を穿った。
「あ、ッ──ぐッ」
痛い。──怖い。
俺が経てずに蹲るのは、たったそれだけが原因だ。
表情と、足音と、輝き。
絶対的な王の佇まい。赤く輝く、光がまばゆく。
王の威光に、君が瞬く。
夢を抱いた。痴れ者に、現実を教えるその輝き。
赤く染まる瞳が、俺を見る。
──“王”が目覚めた。
その現実は、痛みが教えてくれた。
◆
『危機的状況において、僕を助けてくれる人が現れる確率は?』
──答え。0%。
助けてもらえるはずがない。
助けてくれるわけがない。
首を締めあげられている、今だって。
死ぬ。死、ぬ──? 本当に?
嫌だ。死にたく、ない。
訳も分からず、王冠が現れて、瞳が赤に染まっただけで。
どういう訳か、俺は殺されようとしている。
(──かみ、さま)
こういう時、それを考えてしまうのは人間の性なのだろうか。
神様。どこぞに居るとも知れない神様。ついぞ祈ったことのない神様。
俺は貴方に祈る言葉は腐るほど知っていますが、祈ることはありません。
理由としては単純で、幾ら祈っても、貴方が俺を救うことが無いからです。
何もしてくれない人に、何かをするほど俺は優しくあれません。
期待していたんです。俺は、ずっと。
見て見ぬフリが出来なかったわけじゃありません。
自分を好きになりたいのはそうだけど、きっと本当の理由じゃありません。
救いたいなんて根拠もない、薄っぺらい気味が悪い理由で君を助けようと思ったんじゃないんです。
──友達になりたかったんです、君と。
本当に、それだけなんです。
君に話しかけられた時、退屈が裏返る予感がして。
君を見つけた時、君は困っているだろうに、俺は期待してしまったんです。
何かが変わる、その予感がしたから。
理由は、本当の理由は、友達になれるような、そんな気がしたから。
だから、助けたいと思ったんです。俺は善人じゃない。とても利己的な人間だ。
助けると誓った言葉も、もう逃げ出したいくらい。
自己保身に走り出してしまいそうな、浅ましい人間だ。
ジタバタと。ただ足を動かして。
グルグル、酸素の足りない頭が回っている。
ガタガタ、震える足がみっともない。
「──ツ、はッ」
不意に、首を離された。
理由は知らない。
逃げられたと思う。
後ろを振り向けば道があった。
逃げるべきだと思う。
理屈は一つの結論にたどり着いている。
ここで逃げたって、きっと誰にもとがめられない。
逃げて、逃げ出した先で、これからも頑張ればいい。
誓った約束なんて、すぐに忘れてしまえばいい。
友達なんて、ほかに作りようがあるだろ。
訳も分からず、命を狙われている。逃げない道理がどこにもないだろうが。
なのに、自然と足は逃げ出さない。
怖い。
逃げ出したい。
逃げるからいつもダメなんだろうが。
今、もし逃げたら。
俺には一生、友達が出来ない気がする。
死ぬ。
死の気配が迫ってきている。
分かっている。
俺だって、死にたくない。
死にたくないけど、逃げたくない。
「ココンさん」
──聞こえてるよ。
自覚的に出現させたヘッドホンから、聞こえる。
『逃げて』
──逃げないよ。
友達に立候補しようとする奴が、友達のピンチに逃げ出すようなヘタレだったら嫌だろ。
君を、助けたいんだ。
それで実は、友達になりたいんだ。
「だから──」
自分のダサい影を踏んだ。
渾身の力を込めて、王冠めがけて拳を振りかぶる。
『逃げ──』
「逃げねぇって、言ってんだろうが」
拳は哀れなことに避けられて、順当に、王冠の反撃が始まった。
胸を蹴られた。脇に近いあたりにめり込んだ靴底が、焼けた鉄の塊のように熱かった。
腕を折られた。強烈な肘鉄を受けた左腕が、使い物にならないことを悟った。
脚を掴まれた。がむしゃらに繰り出した右足を掴まれ、地面に身体を組み伏せられる。
嫌な予感がした。
こちらを見下す赤い瞳が、やけに印象的だった。
──王冠が目を細める。
その病に効く特効薬を、俺は持ち合わせていない。
読み終える頃には時わも投稿している筈。