#3放課後と秘密
予約投稿たぶんできた。ヨシ!!
声を聞いて、ようやく視界に取り戻した。
彼女は、いつのまにやらいつも通りの、どこか悠々とした笑みを浮かべている。
「あ、ごめんなさい。泣くつもりじゃなかったんですよ」
孤紺糖財。世界から、抜け落ちてしまったような少女。
確かな根拠があったわけではなく、半ば衝動で、ヘッドホンを付けた。
そして、見つけて。
見つけた彼女は、泣いていた。
教卓に座って、しゃくりあげる声を我慢して、泣き出しかけるのを我慢して──。
先ほどまで、泣いていた、そのはずなのに。
──唐突に、『ぱんっ』と音がした。
手のひらを叩く音だ。
それが変化の合図だった。
彼女は、いつも通りの表情を張り付けていた。
柔和な笑みを浮かべている。
実際そう見える。
泣き出す寸前だった彼女の面影はもう、とっくになくて。
「透明人間になっちゃったんです、私。ふふ、変でしょう?」
むしろ、さっきまでのが幻想と言わんばかりに。
現実として、彼女は笑っている。
不意にこぼれた涙と、こみ上げる衝動が、初めからなかったみたいに捨てられて。
──何も聞こえなかったら、きっと俺も騙されていたに違いない。
彼女の本当の表情は見えなくても、表情の見えない心が聞こえていた。
ヘッドホンを付けているせいで、言葉になれなかった感情たちが、俺の耳に届くから。
(だから、嫌なんだよ、コレ)
人が隠そうとしているものを暴くことは、最低な行為だ。
感情にだって、プライバシーはある。
俺はそっとヘッドホンを耳から外して、意識しないように努めれば、いつの間にやらヘッドホンは消えている。
声は聴かない、聞こえない。
人が隠そうとしているものを、安易に暴いてはいけない。
俺の耳には何も届いていない。
──だって、もしその感情を聞いていたら。
「浅葱くん?」
まだどこか、心配そうに笑う彼女が。
「ああ、ごめん。ちゃんと見えてるよ」
良かった、と安堵のため息を漏らす彼女が。
「あ、よかったです。また見えなくなっちゃったのかと」
困らせないようにと、本当の表情を隠した彼女が。
──俺のために捨てられた感情が、あまりにも報われないだろうが。
「ごめんね、ココンさん。なんか、見つけられた喜びと驚きとでよくわかんなくなっちゃって」
「ふふ、こっちも見つけられた衝撃で何が何やらですよ」
彼女は困ったように眉を下げながら、それでも笑みは崩さなかった。
「ねぇ、浅葱くん。これから暇ですか?」
「俺に予定があるとでも?」
「愚問でしたね」
口元に手をあてて、少しおかしそうに笑った後。
所在なさげにフラフラと揺れていた脚から、教室の床に降り立った。
「ちょっとご飯食べに行きません? 奢りますよ?」
「え、奢り? マジで?」
「えぇ。大マジです。奢りです。もちろん、付いてきてくれますよね?」
制服姿のどこに財布を隠しているのか、俺は疑問に思ったが、そんなことは本当に些末な問題だ。
女の子に食事に誘われて、応じない男はいない。
それも、俺以外に認識されない、ひとりぼっちの女の子なら、尚更だろう。
教室の扉が勢いよく開かれて、こちらに振り返る彼女が居るなら。
机の脇に抱えられたスクールバックを肩に提げて、俺の足は自然に動いていた。
「契約成立ですね!」
嬉しそうに声が弾んだ彼女に、どんな利点があるのか。
理屈を考えるほど、俺は賢い男じゃなかった。
◆
「──忘れてくださいね」
その言葉の意味を推測するより先に、対面に座る彼女は、大きく口を開けてハンバーガーを頬張った。
世界最大手のジャンクフード店にて、クラスメイト(美少女)と二人きりでご飯とは、なんともまぁ青春っぽいことをやっている。
ただ惜しむらくは、そのクラスメイトは俺以外に認識されていなくて、傍から見れば男子高校生がぼっちで飯を食っている図になることだろうか。
「忘れるって、何を?」
ポテトを口に運びながら、俺は問いかけた。
それから彼女は、ハンバーガーで汚れた口元を紙ナプキンで拭いてから、伏し目がちに呟く。
「私が──」
ちょっと言葉にためらって、そして続いた。
「──私が財布持ってる気満々でここに来たら、財布を忘れていた事実ですよ!」
「あぁ……」
『奢ると豪語していた彼女は、やっぱり財布を忘れていました。僕はどうするべきでしょうか?』
答え。
──普通に自分の財布から金を出します。
「奢るつもりが奢られるとは……ごめんなさい本当に」
「いや別にいいよ気にしなくて」
「うぅ……ありがとうございます。ハンバーガー美味しかったです……」
彼女は意気消沈した様子で、それにしてはハンバーガーを食べ終える速度が異常だった。
手持無沙汰になった彼女は、ポテトへと指を進め、それすらなくなっていたことに絶句した。
「……俺の食べる?」
「いただきます」
俺の気づかいに彼女は即答した。
トレイの上にある俺のポテトを容器ごと彼女に向けると、彼女の指は自然な流れでポテトを口に運んだ。
「昨日今日と何も食べてなかったんですよ。普段はこんな食い意地の張った女じゃないんです信じてください本当です」
早口でそう言うココンさん。尚、ポテトを口に運ぶ速度は相変わらず早かった。
「いやもちろん信じるけど……何も食べてなかったの?」
「はい。何も食べる気力が浮かばなくて」
「いままで──、ああ、聞いていいのかな。何してた?」
「……意味もなくぶらぶらと歩きまわったり。見つけてくれそうな人の近くに、なんとなくいました」
思い出せば、どこか悲痛の表情を浮かべて彼女は続けた。
「多分、この状態になって二日目で見つけられるのは相当早い方です。ありがとうございます。──……私を、見つけてくれて。貴方の近くに居て、貴方が見つけてくれて。良かったです」
「──ああ、うん」
今、問題にすべきことは、世界から認識されなくなった、ココンさんのことである。
「それで。どうしてそうなったのか、心当たりはある?」
その言葉に、ココンさんは一瞬だけポテトを運ぶ指を止めて、少し考えて、その一本だけを口に運んで。
ようやく彼女は、ポテトを口に運ぶのを止めた。
「私がアルバイトしてるって、言いましたよね?」
「ああ、聞いたね」
「関係者じゃないけど。私の緊急時ですし、まぁ、いいでしょう」
その言葉で、一旦、会話を一区切りにして。
「私、『病気』なんです」
「風邪とか、そういう──?」
「浅葱くんも使ってたじゃないですか」
彼女は頬杖をついて、どこか見定めるように俺を見て。
「あ、もしかしてピンときてないです?」
「だって俺は健康そのものだし──」
続く言葉は失われて。
俺の視線は彼女の頭に出現した、ソレに向けられた。
王冠だ。
彼女の頭に乗っていたのは、紫がかった、紺色の王冠。
おかしいのは、まず間違いなく直前までそこに存在していなかったのと──。
──目。
王冠には、どういう訳か、目があった。
一つ目だ。眼球じゃなくて、ただの目。
のっぺりとした目が、王冠にただ、張り付いているのだ。
それはギョロギョロと、あたりを探るように視線を動かして、俺を見た。
目が合った。
「自覚のあるなしはあれど、症例に差はあれど、これは人類全てが患っている。私で言うとそれは王冠。貴方で言うとヘッドホンです」
淡々と言葉が紡がれて、俺の頭は理解を求める。
「ココンさんは、知ってるの? その、正体」
俺の問いに対して、彼女は力強く頷いた。
「これは『病』です。浅葱くん。世界の秘密を一つ、教えてあげましょう」
放課後。
ジャンクフード店にて語られる、世界の秘密。
「──世界は健やかに病んでいて、私は『病』を殺す闇のアルバイトをしています」
現実味のない秘密を共有された後、どんな表情をすればいいか俺は分からなくて。
多分、驚いたのだろう。その表情を見て、彼女は楽しそうに笑っていたから。
「『自分の病』を使って『病を殺す』。そういうバイトが世にありましてね? しかし力には代償がある。私は『病』を使いすぎました」
「使いすぎると、どうなるの?」
「その副作用は『病』によって様々ですが、私の場合は存在が消えてしまうようです。これが初めてなので、初めて知りました」
さて、と前置きを終えたように彼女は咳払いをした。
「と、いう訳で。浅葱くん」
彼女は王冠を指で示して、それから言った。
「──……私をぶん殴って貰えますか?」
「――は?」
──思考に空白が生まれたのは、言うまでもないだろう。
次話は明日の22時です(2回目)。