#16臆病者の明日は
投稿が遅いのはもう申し訳ない。
「教えて、って──」
『“浅葱虎徹”を教えて?』と五鈴先輩が出した問いに、僕は盛大に硬直した。
自分が一番、それについてよく知っているはずなのに、言葉にうまく形容できない。
思考をしているつもりの脳は、片手間に辞書を引くような手軽さで自分について模索しているけど、言葉は結局見つからない。
自分って何だろう。額に手を当てて考えても首筋に汗が伝うばかりで、先輩が求める回答が出来そうにない。
適当な言葉は許されず、焦燥感に駆られる姿を、見るに見かねたのか、僕の思考を絞るための言葉が付け足された。
「……正確には、君が何であんな行動をしたか、かな」
「なんで、あんなことをしたか──」
冷静に自分を振りかえるとすぐに、とってもダサく格好の付かない理屈が見つかった。
それを言うための決心をして、思考のために俯いていた顔を上げて、五鈴先輩の顔を見るけど、その瞳の真摯さに打ちひしがれそうになった。その瞳はまるで鏡で、自らのダサい姿かたちを映していて。
一切の陰りのないその鏡は、誰よりも僕を見ていたから。
こんなに真剣な鏡は見たことがなくて、まるで自分自身に叱咤された気持ちになった。
ダサい自分を、本気で怒って、正面から見てくれる人がいる。
その事実だけで訳の分からない涙がこぼれそうになったけれど、こらえた。
唇の味を噛みしめて、あのときの感情を口にした。
「逃げたくなかったんです」
「なんで?」
「僕、ビビりなんです」
「矛盾してるよ」
「ビビりだからッ、一度手に入れたものを、失うのも、怖いんです。一緒に食べたご飯とか、何気ない会話とか。五鈴先輩たちがいる風景に価値を見出してしまったんです。逃げたら、その思い出を裏切るような気がして」
五鈴先輩の指摘の通りだ。こんなのは、矛盾している。
ビビりだと自称する割に、あのとき逃げなかったなんてのは、おかしな話だと、自分でも思う。
「怖いんです。あの時、本当は、逃げ出したかったんです。でも逃げて、裏切るのも怖かった。僕は。ただ、逃げることも戦うことも怖いけど、これ以上、自分に失望したくなかったんです」
逃げるべきだと、心臓はいつだって警鐘を鳴らしていた。
だけど逃げたら、あの思い出を裏切るみたいで、怖かった。
「あそこで逃げた先の自分に期待を持てなかった。馬鹿な真似をしました。分かっています。でも──。裏切りたく、なかったんです」
裏切ったら、自分も裏切られても文句は言えない。
裏切りたくなかったし、裏切られたくなかったから、逃げることが怖かった。
「一歩目は、いつだって怖いんです。でも踏み込んだ先の景色に価値を見出してしまったんです。これからも、その景色をまだ見続けたくて、ここで一歩、退くような行為は出来なかった。──だから僕は、得体のしれない液体を注射しました」
客観視してみれば、頭のおかしい異常者と捉えられてもおかしくない。
正体も分からない液体を、注射できるか、フツー。
今の僕でもそう思うのだから、あの時の僕は高揚感と使命感と臆病風に吹かれて、頭が沸騰しそうなくらい熱くなって、暴走を起こしていたのだ。
「……すみません、本当に」
「だから、謝らなくていいんだって、もぉ」
五鈴先輩は実に緩慢な動作で耳を掻く。それから思いっきり嘆息した。
困ったように、呆れたように、子供の可愛い駄々を見た母親のような表情を五鈴先輩は浮かべる。
「……君は丁寧で繊細な臆病者なんだね」
そう言ってから、彼女は続ける。
「私はそれを、否定することも、肯定することもできないよ。先輩として、強く叱るべきなんだけど。君の叱り方が分からない」
五鈴先輩は頬を掻いてから、困ったように眉を下げて、苦笑するように笑ってみせた。
「誰もが矛盾を抱えてる。思春期の、子供なら尚更ね。怖いけど逃げ出したくない。その気持ちをわからないとはいわないけれど、君が危険なことをしたってことは覚えておいてよ」
「……はい」
五鈴先輩の納得と忠告の両方を孕んだ言葉は、僕に危機感を備えさせるには十分で、その言葉に理解を持って頷いた。
「とかいって、何かやらかす未来は見えてるけど。君はまだまだ青いからなぁ」
それを否定できるはずもなく、僕は申し訳なさそうな笑みを浮かべることしかできなかった。
「……ココンさんは、無事ですか?」
彼女は無事なのか、とふとした不安が稲妻のように頭に過って、尋ねた。
「無事だよー。きみがあの『病原体』を一瞬でぶっ殺したからねー。身体に一切の異常ナシ! 結果論かもしれないけどね、確かに彼女は君が救ったわけだ」
「あ、それはよかったです」
「昨日は彼女が付きっきりで看病してたんだよー。今日は私で、残念だった?」
「いやッ、そんなことはッ!? 看病してくれるだけでもありがたいというか──!?」
いたずらっぽい笑みを浮かべた五鈴先輩に、僕は口早にそう否定して、その姿を面白そうに見る表情は喜色に溢れている。まるで後輩の色恋沙汰を揶揄する先輩のようで、それが無性に気恥ずかしかった。
慌てて弁明をする僕の様子をひとしきり見て満足したらしい。彼女は僕の容態を、頭のてっぺんからつま先まで観察するようにして続ける。
「それで、身体の調子は大丈夫?」
「はい。別に何の以上もないです」
掌を握ったり開いたりして調子を確かめて、一切の不調を感じられないところが、むしろ体中に活力が満ちているのが分かる。悪いどころか、調子はむしろ良い。顔を上げると、不思議そうな瞳と目が合った。
「『副作用』を覚悟して使う薬品なんだけどなー? なんともないの? 本当に? えぇ~?」
心底困惑した声を上げながら、ぺたぺたと僕の腕を触って検診をする五鈴先輩。
ひとしきり触って、一切の異常がないことを確認したのか、安堵のため息を彼女は漏らす。
「免疫が相当強いんだろうね。その体に感謝しなよ? ほんとに、君は死んでも文句を言えなかったんだからね?」
「はい。肝に免じます」
『本当かなぁ』とどこか訝しげな視線が刺さった後、こちらを慮るような優しい声色で彼女は尋ねる。
「それで、一切の異常が見つからないわけだけど、どうする? もうちょいここに居ても文句は言わせないけど」
「多分大丈夫だと思うので、帰ります」
「オッケー。じゃあ勝手に洗っといた服返すね~」
今更ながら、僕は白色の病院着。
一体誰が僕を着替えさせたのか、気になるけど気にしてはいけない気がした。
そもそも、それよりも気にするべきことがあった。
「ココンさんの、『副作用』って、完治してませんよね」
「うん。『病原体』が突然現れて心の状態が不安定になったせいでね。──だから、次の一発は、確実に決めないと」
憂いと覚悟の両方を感じられるその声色で呟いて。
「正直、私としても不本意にも程があるんだけど。仕方ないよなぁ」
「……先輩?」
その言葉の真意が読み取れず、首を傾げる僕に、先輩は眉を下げて困ったような表情をして続けた。
「ま、明日学校に行けば分かるよ」
そういえば、明日は月曜日だっけ。
なんて感慨もほどほどに、僕は病院着からパーカー姿へと装いを変えて、学生寮までの帰路を辿る。
病み上がりだからと、渡辺さんから車で送っていくことを提案されたが、せいぜい徒歩十分の距離を惜しむつもりにもなれなくて遠慮した。
帰り道、都会の喧騒から少し離れた位置を歩く。
匂いに鼻を鳴らすと、嗅ぎ慣れない柔軟剤の匂い。
そういえば、このパーカーはココンさんから借りたものだった。
「返さないとだなぁ」
でも、それ以前に。
明日はいったい何が起こるのか。
心が躍るわけではないけど、興味は僕の帰路を短くさせた。
次話でようやく一章終わるよ。
実は0章的立ち位置なわけだけど。




