059. 偽りの仮面(2)
翌日は朝の九時から牧野が合流する午後までずっと菜希は練習に費やした。昨日とは比べ物にならないくらい、自我を開放する。
紅林の言葉は正しかった。一度、枷を外したらその感覚の虜になってしまうだろう。
(だけど、いいんだろうか……)
菜希は誰かを傷つけることをもうしたくないと思っていた。誰かを傷つけてしまうとまた自分は独りになってしまう。
ずっとそう考えていて、殻に籠ろうとしていたのは事実だ。
だが、結局その殻に籠って残っているのは愛想笑いを浮かべながら周りに合わせる何もない空っぽな自分だけだった。
菜希が初めてプレイしたFPSは「THE WORLD」というゲームだ。硬派なFPSと言われるこのゲームはスピーディーかつ、緊迫した戦闘が売りでそのゲーム性に当時の菜希は圧倒された。今までプレイしてきたゲームとはまるで違う、自分の全てを曝け出して闘うそのスタイルにあっという間に魅了された。
一緒に始めた友達とデュオを組んでいるうちに菜希の実力は大きく伸びていったが、それに伴い友達との実力には乖離が生まれ始めた。
菜希はもっと上に行きたいと思っていた。だが、友達を思ってその思いを口にすることはできなかった。だから、菜希は友達をもっと上達させたいと思った……、思っていた。
この界隈の悪いところは初心者から上級者まで同じに戦えてしまう場があることだった。菜希が実力を伸ばせば伸ばすほど、相手となるプレイヤーもレベルが高くなる。
全てのFPSプレイヤーが暴言を吐き、性格がねじ曲がってるとは言わない。
ただ、その確率は普段生活しているより多い。そんな暴言が飛び交う中で菜希も同じように口が悪くなった。「雑魚乙」や「弱い」などの暴言を自然と吐いてしまう。
そんな環境に対して誰も指摘しない。「それが普通でしょ」と言わんばかりに平然と暴言を吐いてプレイするような日常。
実力が上がれば上がるほどそんな奴らに出会う率が高くなった。
そして、ある日、菜希は相手の攻撃の読みが甘かったせいで被弾してしまいワンゲーム取られた際にこんなことを野良に言われた。
「雑魚が……、FPSやめれば?」
そんな暴言からゲーム中に喧嘩が始まる。
友達が一緒にいるVCの中で暴言を吐いたプレイヤーがいる。見も知らずの人間との言い合い。今まで経験したことのない言葉の殴り合いだった。
喧嘩はヒートアップしていき、暴言を吐き続ける様を見た友人がVCを切断した。友達は喧嘩中、何も口出しをしてこなかった。
これはお互いの問題だと割り切ったのか、それともそのプレイヤーの暴言に呆れたのか……、もしくは菜希のことを思ってのことなのかはわからないがただ沈黙を貫いた。
そんな出来事があってから菜希はゲームを続けるのが苦しくなった。もう、あの世界には戻れない……、そんなことを思いながら毎日を過ごしていた。
そして、仲の良かった友達と学校であった時、不意にその子はぽつりと言った。
「菜希ってさ、変わっちゃったよね」
その一言は菜希の心を深く抉った。いや、事実なのかもしれない。だから、菜希は彼女が言った「変わったよね」という言葉に何も言い返せなかった。
本当は自分にも言いたいことがたくさんあった。だけど、そこからその子はあからさまに菜希のことを避けるようになった。
だから、菜希は中学入学と同時に菜希はゲームが趣味ということを隠すようにした。
ゲームをやめることはなかったが、対人のゲームはあまり触らなくなった。
そして、愛想笑いをしながら周囲に合わせて生きていくことを良しとした。周りの目を気にするようになった、そして嫌われたくないという恐怖心が芽生え始めた。
だから、ゲームに対しても他を気にしてプレイするような癖がついた。
そんな自分が嫌で仕方なかった……、だけど変われない自分にも腹が立って仕方なかった。そんな自分を変えたいと菜希はずっと思っていた。
だけど、変わる方法なんて知らないし、そんな勇気もない。
(嫌われたくない……)
だから、ずっと殻に籠っていたかったのに……、そう思った。
「もう、いいよね……」
朝の早い時間のeスポーツカフェは誰もいない。そんな静寂のなか震える手でマウスを握りしめる。今まで溜めてきた思いをここに捧げる。
そして、菜希はスイッチを入れるようにマウスを振った。
「だって、楽しくなかったら意味ないからさ」
菜希はマウスを持った手とキーボードに集中する。合わせることを考えるのではなく、味方に"自分の動きを見せて合わろ!"というような圧をかける。
これが篠宮菜希という人間が心の中で抑えつけていた本当の自分。
(なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう)
菜希はそんなことを思いながらマウスとキーボードを操作する。頭の中はもう真っ白だ、ただ自分をさらけ出して思うがままにFPSの世界を駆け抜ける。
いつもは野良の動きに合わせていたが積極的に前へ進む……、そうブロック代表決定戦の決勝ブロックでアイツが見せたみたいに……。
菜希は今まで溜めてきた思いを全て吐き出すように一心不乱にキーボードを叩く。
そして、午後になり、牧野が紅林を連れ菜希のプレイを見た時、牧野はそのプレイ内容の変貌に思わず言葉を失ってしまった。
「紅林……、お前なんかしたか?」
紅林はタバコを吹かしながらそんな様子を見ている。パンドラの箱をこじ開けたかもしれない、紅林はそんな感覚に陥っていた。
「ただ、助言しただけですよ」
そう言ってタバコの火を消すと牧野が怪訝な顔をしてこちらを見る。
「助言?」
「窮屈そうだったんで……。もっと自由にやればいいって、ただそれだけ言いました」
「それだけ? 本当にか?」
「えぇ、本当にそれだけですよ」
紅林はそう言って彼女の本当のプレイを見る。うん、そうだな。やっぱり君はそっちの方がいいよ。そんなことを思いながら紅林はタバコの煙を吐き出す。
「ゲームっていうのは消極的な奴ほど良さが消えますよね。菜希ちゃんは今までその良さを自ら消していた」
紅林がそんなことを呟くと牧野もなるほどと頷く。
「そうだとしたら、きっと彼女は化けるだろうね」
「そうですね……、ただ……」
「ただ?」
紅林はそこで言葉を区切った。その後の言葉を言うべきか迷った。
「いや、なんでもないです」
そう言って紅林は誤魔化すようにタバコに火をつけた。彼の頭の中では別の不安が渦巻いていた。
(彼女はきっと化ける……、そしてもっと強くなるだろう)
もし、龍馬ゲーミングとやらが牧野が話すようなチームなのだとしたらIGLにかかる負担は増大する。化け物二人を抱え込んで操縦することができるような才覚をそのゲームリーダーが持ち合わせているのか……、紅林にはそれが不安だった。
だが、それと同時に楽しみでもあった。
菜希がどんな成長を遂げるのか紅林には興味があった。そして、彼女の中でまだ眠っている才能の開花を見たいと思っていた。だから……、牧野に言った。
「楽しみにしてますよ。牧野さんがどんなチームにしてくか……」
「あぁ、まだお前にも手伝ってもらうからな」
そう言って紅林はタバコの火を消した。牧野の表情は自分と同じく行く末を見守る身としては心配が半分、期待が半分といったところだろうか……。




