ぬいぐるみのリュウくん
真っ白な空間だ。
眠っていたのかな、それとも起きているのかな。
ずっとぼんやりとしているから夢の中にいたのか起きていたのか分からない。
一緒に遊んでくれた男の子の事を考えていた。
優しくて僕を見ていつも笑顔だった君のことを想っている。
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ここは色々な魂が集まる場所だよ。
人や動物、植物や物の魂もある。
植物や物も強い思いがあると魂が宿るんだよ。
私には物の魂を管理する役目がある。
たまに迷子になっている魂がある。
未練がある子は迷いやすい。
今回迷子になっているのは、青緑色のぬいぐるみだ。
驚かさないように意識しながら背後から声をかけた。
「こんにちは、迷子くん」
金色のクリっとした大きなビーズの目が顔の毛で少し覆われてまるで寝起きのような顔がこちらを向く。
「…君は誰?」
恐る恐るといった様子で聞いてきた。
「私は貴方のような魂を管理する人間だよ、名前はサトって言うんだよろしくね」
「魂…魂って事は、僕は死んだって事なの」
「そうだね、此処に来ているならば貴方の肉体…ぬいぐるみだから肉体ではないから、器はもう現世からは無くなっているね」
「そんな、僕はオトくんの側にいなきゃいけないのに。オトくんは僕がいないと泣いちゃうんだ、戻らなきゃ」
「もう、貴方のもどる器は無いから戻ったら消えてしまうよ」
「でも、戻らなきゃ。僕がいなきゃオトくんは眠れないよ。寝る時はずっと抱きしめているんだよ。たくさん抱きしめたからボロボロになっていたけど、ずっと手放さなかった」
(手放さなかったなら貴方は此処に居ないよ)
そう口にしようとしたけど、この子がその言葉に耐えられるとは思えなかった。
私はこの子を泣かしたい訳ではない。
この子の魂をあるべき場所に導き、休ませてまた違う命に還せる様にしたいだけだ。
現世に未練があるなら忘れさせてしまえばいい。
だけど、忘れる事は悲しいよね。
それにこの子にとってオトくんという持ち主が全ての記憶だろうから、忘れたら魂として保てないかもしれない。
仕方ないなぁ、これは私の我儘だ。
「貴方はオトくんに会いたいんだよね。会わせてあげようか」
「えっ!オトくんに会いたい!」
ビーズの目が光の加減もあるんだろうけどキラキラ輝きこちらを見てくる。
さてさて、またあのラスボスみたいな力と権力のあるマオ様に現世と此処の往復をお願いしなきゃなぁ。
「じゃあ、これからオトくんの所に行く為にお願いしに行こうね。でもね、お願いすると対価を要求されるからね」
「対価ってどんなものを要求されるの」
「それは私も分からない。対価は要求する人や物によって変わるんだって。そしてそれは第三者には教えてはいけないものなんだって」
少し怖気付いたように顔を下に向けたが、すぐに顔をあげ私をじっと見た。
「オトくんに会いたい」
物に魂が宿るのは、人が物を大事にしたからとか長い時を過ごして付喪神になる他に物が人を慈しむ気持ちが生まれた時だ。
迷子くんを抱き上げて真っ白な道を歩く。
時の感覚が曖昧な場所だからどれくらい歩いたかはハッキリ分からないけど、迷子をリュウくん、リュウくんが私の事をサトちゃんと躊躇なく呼びあえるくらいになった頃にはマオ様の元に辿り着いた。
「マオ様お久しぶりです。そして早々に申し訳ないのですが、お願いがあります」
水色の瞳がこちら見て、エルフの様な長い耳がピンっとした。
「サトはお願いがある時しか来ないよな」
ため息混じりにマオ様は呟く。
「そのトカゲのぬいぐるみの要望ならば断る」
「僕はトカゲじゃなくて竜だよ!って、それよりどうして断るの?」
「お前一匹の用だけで現世への道を開くのが非効率だからだ」
マオ様はいつも最初に断る。
それは簡単に許したら規律を違反する者が多くなるからだ。
でも、マオ様は結局のところ甘い。
暫く交渉して相手が真剣であると伝わればいつもの流れかな。
「仕方ない、対価を払えば行かせてやろう」
ほらね。とても甘くて優しい人だ。
こうしてリュウくんは対価を払った。
「サト、お前が連れてきたのだからこのトカゲを案内してこい。そして、必ず私のところに報告に戻ってこい」
「いつもお願いした時は報告に戻ってきていますが」
「お前は風船のようにふわふわと何処かに飛んでいきそうだから信用ならない。トカゲも見張っていろ」
「トカゲじゃないってば。それに、僕はオトくんの所に戻るから帰りの見張りは出来ないよ」
「器がないままで現世にいればすぐに消えてしまうぞ」
「それでも、オトくんの側に居たい」
「すぐに消えるならば側に居ても意味が無いではないか。理解できん」
やれやれと大袈裟に手を挙げマオ様は目を瞑る。
そして、マオ様が目を開けたと同時に眩い光が溢れた。
光が収まるとそこは誰かの部屋の中だった。
ベッドに机、パソコンや本棚がある。
「リュウくん、もしかしてオトくんの部屋じゃないかな」
もしかしてとは言ったけど、マオ様はこういう時は目的地にすぐ送ってくれるから確信を持っていた。
「オトくんの部屋じゃないよ。オトくんの部屋はもっと小さいし、タオルケットがあって僕のお友達もたくさんいるよ。積み木とかクレヨンとかあって」
リュウくんの中のオトくんは寂しがりやで泣き虫な小さい子なんだろうな。
でもね、そんな小さな子も大きくなる。
ぬいぐるみが魂になるのは器が現世から無くなってからだ。
リュウくんはずっと倉庫とかにいて、最近処分されたとかで大きいオトくんを知らないのかもしれない。
そんな事を考えていると、足音がこの部屋に近づいてくる。
リュウくんがビクッとした。
「大丈夫、私達は見えないよ」
そう話すと落ち着いたのかドアを見つめる。
カチャッとドアが開くと少年とも青年とも言えそうな、ちょうど境目くらいの子が入ってきた。
リュウくんはふわふわの毛が逆立ち、目を見開いていた。
「オトくん…?」
オトくんは部屋に入り鞄を下ろすとベッドに横になる。
「疲れた」
そう呟き暫くスマホを取り出し何かしている。
リュウくんは興味津々でオトくんの周りをウロウロしている。
私達が見えないとはいっても何か感じるものがあるのかオトくんが不思議そうな顔をしている。
1日オトくんの生活を見守っていると、竜くんはしょんぼりしている。
「どうしたの」
「オトくんは僕が居ないことに気づいてないのかな。僕が居なくても寂しくないみたい」
「オトくんは大きくなったんだよ。ぬいぐるみが無くても泣かないし眠れる。寂しい時もあるかもだけどぬいぐるみに頼らないでも大丈夫になったんだよ」
「オトくんは僕の事忘れちゃったのかな」
「それは分からないよ。でも、確かめたいならオトくんの夢の中に貴方を映すことは出来るよ」
「…映してみて」
私はオトくんの夢にリュウくんを映してみた。
オトくんはリュウくんのことを覚えてないみたいだった。
小さい頃大事にしていたぬいぐるみの事を覚えてくれている人もたくさんいるよ。
けど、たくさんあった中の一つのぬいぐるみは忘れちゃうのもあるかもね。
大事にしていたのは貴方じゃなかったんだよ。
君はね竜じゃなくてトカゲのぬいぐるみだったから。
大事にされていたのは竜のぬいぐるみで、本当に「竜くん」と呼ばれていたのは、今も大事に本棚に飾られているあの子だ。
柔らかい青緑の生地の肌に、赤色のビーズの目、トサカもある。
たくさん抱きしめられて、たくさん遊んだから汚れてその度に洗われたのかクタクタになっている。
何度も縫われていて、でも、丁寧に縫われている。
年季が入っていて古いのに今もとても大事にされているのが分かる。
トカゲのリュウくんは青緑の毛皮でふわふわして今も綺麗なままでいる。
金色のビーズの目でトサカはない。
似ているんだけど、似てない。
ちょっとした違い何だろうか。
たくさんあるぬいぐるみの中で選ばれるのはどういう違いだったのだろう。
「オトくんは今も竜くんの事大事にしているんだね。あの子になりたかったな。」
この部屋に来た時にはリュウくんは自分が竜のぬいぐるみでない事を思い出していたと思う。
ずっとオトくんに愛されたくて自分が竜くんだと思い込んでいたんだ。
「帰ろうね」
私はトカゲのリュウくんを抱きしめた。
いつもの様にマオ様の元に戻り報告した。
リュウくんはぼんやりしている。
「僕はこれからどうしたらいいのかな?」
忘れさせてあげた方が良かったのかもしれない。
けど、リュウくんは『愛されたい、愛したい、守ってあげたい、友達になりたい』そんな気持ちを宿したから魂になった子だって、管理する私には分かってしまうから。
そんな子がこのまま消えてしまうのは嫌だと思ってしまった。
こういう事がある度に同じ事を繰り返し、自分のエゴを押しつけている事に罪悪感が湧き起こり自己嫌悪になる。
マオ様が私の隣に来て少し屈み、こっそり私に耳打ちしてきた。
「極秘事項だが、トカゲの対価は輪廻転生するのを延期する事だ。あいつを延期する事により他の奴らに順番を廻す」
マオ様は普段はぶっきらぼうな話し方なのに、私がへこんでいる時はとても優しい口調になる。
「サトはトカゲが気に入っているようだから、暫く一緒に行動すれば良い」
確かにリュウくんの事は健気で可愛いと思っている。
ただ、私が簡単に手を伸ばしても良いのかは分からない。
分からないけど、
「リュウくん私と一緒にいてくれない」
リュウくんがこちらを向いてそのまま胸まで飛んできた。
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夢を見た。
夢から醒めるとどんな夢かは覚えてない。
ただ、懐かしくてあたたかい夢だった気がする。
ふと本棚に飾っている竜のぬいぐるみに手を取る。
いつも安心するはずなのに、何故か寂しくなった。