3.書庫の中 2
「なるほど、そういうことだったのか。ありがとう、ローゼ」
「どういたしまして。アーヴィンのところには、こういうのなかった?」
「……なかったよ」
ほんのわずかな間をおき、アーヴィンはいつものように穏やかな笑みを浮かべて答える。
「ふうん。じゃあ、お話はあった? 町や村には独自の話が伝わってることが多いんでしょ? 前の神官様が言ってらしたもの」
「伝わっている話も特にないな」
「……そっか」
もしあるのなら聞いてみたかったが残念だ、と思いつつローゼはアーヴィンに笑ってみせる。
「まあ、伝わってないところだってあるわよね」
言って、ローゼは首をかしげた。
「そういえば聞いたことなかったけど、アーヴィンってどこの――」
「話が伝わるには、皆がその話を大切にしなくてはならない。『石になった嘘つき少年』も、グラス村でずっと大切にされてきた話なんだろうね」
「そう! そうなの!」
言われた内容が嬉しくて、ローゼは顔を輝かせる。
「グラス村ではね、最初に読んでもらう話が『石になった嘘つき少年』だ、って言ってもいいくらい、みんな大切にしてる話なの! 当たり前だけど、うちの村でこの話を知らない人はいないわね!」
「――そうか」
誇らしい気持ちを籠めてローゼが言うと、答えるアーヴィンは灰青色の瞳を細め、どこか懐かしそうな表情になる。彼はローゼを見ているようで、実は遠くを見ているようでもあった。
しかしそんな気がしたのもほんの一瞬のこと。
「そうだ、ローゼ」
アーヴィンはすぐ、いつもの調子で口を開く。
「ローゼは朗読をしたことがあるかな?」
「朗読?」
思いがけず嫌な言葉を耳にして、ローゼは顔をしかめた。
「……弟や妹に本を読んであげたことはあるわ。でもあたし、あんまり朗読は上手くないみたいなの。妹はともかく、弟たちには『姉ちゃんが読むと面白い本もつまんなくなる』なんて言われてね。それ以来、もう読んでないわ」
「そうか、やはり」
「え?」
「ローゼ」
先には何も言わなかったかのような態度でさらりと名を呼び、アーヴィンは続ける。
「今度、皆の前で朗読をしてもらえないだろうか。そうだな、勉強の日の最後にでも」
「えええ!?」
書庫の中に甲高い叫び声が響き渡った。
思わず肩をすくめ、ローゼは上目遣いに神官を見る。
「……う、うるさくしてごめん。でも、アーヴィンが悪いのよ、急に冗談を言うから! ……あははは!」
何とか流そうとローゼは乾いた笑い声を上げるが、アーヴィンの瞳は真剣だ。
「冗談ではないよ」
言って、優雅な身のこなしで彼はその場に片膝をつく。
唖然とするローゼを見上げ、アーヴィンは穏やかな声で繰り返した。
「ローゼ。今度皆の前で、朗読をお願いできないかな」
どうやら冗談ではないようだと悟ったローゼの顔からは血の気が引いた。
「ちょ、ちょっと待ってよ! なんで? あたし、あんまり上手くないって言ったよね!」
「でも、ローゼは溌剌とした良い声をしているんだ。うまく朗読できさえすれば、きっと人々を引き込むことができる」
皆の前で朗読と聞いて少々冷静さを失っているローゼだったが、かけられたのが褒め言葉であることは理解できた。
「え、えぇ……? そう……?」
思わず頬が緩むが、すぐにはっとする。
「だめだめだめ! 朗読なんて無理!」
勢いよく首を左右に振りながら本を抱えて後退るが、一方でローゼは葛藤もしていた。
(……でも……アーヴィンの頼みだしなあ……)
ローゼはアーヴィンとの初対面の際に思い切り失敗して以降、しばらくの間は彼を避けていた。そのことが原因でアーヴィンには迷惑をかけていたこともあったと聞き、実は彼に対して負い目を感じている。
(どうしよう……)
しかしローゼは朗読に全く自信がない。
(もっとあたしが得意なことなら、絶対引き受けたのに……)
片膝をついたままのアーヴィンを見ながら悩み、やがてローゼはおずおずと口を開いた。
「あのね。声を褒めてくれたのは嬉しいんだけど、あたし、本当に下手なんだと思うの」
「練習すればきっと上手くなれるはずだよ。私もできる範囲で協力する」
「うーん……」
ローゼは小さくうなった。
確かに今までは、ただ漫然と読んでいた。
本腰を入れて練習したのなら、実は上手に朗読ができるのかもしれない。
(アーヴィンが聖典を読む時って、悔しいけどすっごく引き込まれるのよね。もしかしたら何かコツを知ってるのかも。ってことは、アーヴィンが助けてくれたら、あたしもあんな風に読めるようになるのかな)
隠された才能を見せた時に弟や妹から向けられる尊敬のまなざし、それに周囲からかけられる称賛の声を想像したところで、アーヴィンが口を開く。
「私もぜひ聞いてみたいな。ローゼの声で読まれる物語は、どんなに素晴らしいだろうね」
彼の声に後押しされ、ローゼは力強くうなずいた。
「分かったわ。じゃあ、あたし、頑張ってみる!」
ローゼの宣言にアーヴィンは破顔する。
彼の様子を見たローゼもまた、嬉しくなって顔をほころばせた。




