奏
登場する人物、楽曲、その他諸々はフィクションであり、現実のものとは何の関係もありません。そこら辺はわきまえていてくださいね
「奏」
俺と香奈は駅の改札前にいた。
今日は香奈が地元に帰る日。地元は北陸にある小さな町らしい。何県だったかは忘れてしまった。
改札前は人であふれかえっている。今日は平日で、時刻は8時ちょうど。出勤しようとするスーツ姿の男女が多い。
俺の格好はジーンズにTシャツ。少し肌寒いが我慢できないほどではない。香奈は珍しくスカートを着ている。長い付き合いだがスカートは初めて見た気がする。
「………寒いね」
「ああ………」
「………………」
「………………」
さっきから、いや、今日迎えに行ったときからずっとこんな感じだ。会話がまったく続かない。正確には俺がまともな反応をしないからだ。
ふと、香奈を見つめる。
香奈は電光掲示板をぼうっと見ていた。細い輪郭に白い肌。大きな、くりくりっとした目。すっと通った鼻筋。薄い唇。毛先だけをパーマさせてある茶色の髪。十分美人といえるだろう。
自分に向けられている視線に気付いたのだろう。香奈がこちらを向く。俺は思わず顔をそらしてしまう。俺の悪い癖だ。
「どうしたの?」
「………何でもない」
「そう………」
「………寒いか?」
「………うん」
「手…繋ぐか?」
「………うん」
自分でもどうしてそんな言葉が出てきたのか分からなかった。
俺が不器用に手を伸ばすと、香奈は迷い無く俺の手を握った。
その手はとても細く、暖かかった。
香奈の顔を見る。香奈も俺の顔を見つめていた。今度は顔を逸らさない。
香奈が笑う。何度も見てきた笑顔だった。
俺も笑って別れようと、いつものように笑いたかった。
だが、出来は自分でも分かるほど悪かった。
笑うことなんて出来なかった。
香奈と知り合ったのは二年前。俺は大学二年。香奈が大学一年の頃だ。
当時の俺は、今もだが、しがないバンドのボーカルをしていた。
知り合う、ちょうど半年前、同郷の先輩から声をかけられたのだ。
なんでも、ボーカルの人が地元に帰ってしまい、ボーカルがいない。そこで、俺に白羽の矢が立ったらしい。高校時代に友人たちと一緒にやっていたのを聞いたらしい。
当時から俺のいるバンドは中々有名だった。ライブハウスに行けば大体の人が知っている程度だ。
だが、所詮アマチュアだ。
インディーズといえば聞こえはいいが、早い話が素人だ。
どこかのレコード会社と契約しているわけでもない。少し有名なだけで、他のバンドと何の代わりもない。俺や他のメンバーも他に打ち込めるものが無いから、バンドをやっているだけで、誰もプロになろうとか、メジャーデビューをしようとかは考えていなかった。
それでも、まわりの人間はこちらに寄ってきた。彼らにしても、俺たちが全国的に有名になるとは思ってもいなかっただろうが、可能性はある。そう思って寄ってきているのだろう。
香奈との出会いは、ようやく新しいボーカル、俺と皆の息が合いはじめ、ライブでの評判がよくなった頃だった。
その日も、ライブを終え皆で食事に行くことになった。皆というのは、バンドのメンバーに加え、いつも付いてくる、追っかけの連中だ。大体が若い女性。中には、十代前半という奴もいた。
その中に香奈がいた。
初めて見たとき、どこかで見た顔だと思った。よくよく考えてみるとライブの時には大体いた気がした。最も、それは特別なことではない。いまいる、追っかけの面子は大体が同じようなものだ。
第一印象は、しっかりした女の子だと思った。人と話すときは相手の目を見据え、食事中は携帯電話を決していじらない。どこか垢抜けない感じはあったが、俺はそんなところに惹かれていた。
しかし、当時はお互いに相手がいて、決して、男女の仲にはならなかった。
一年も経つと、最初はお互い敬語だったのが、ため口で喋るようになり、お互いフリーになっていた。何度か食事に行ったりもしたが、俺たちはあくまで友人だった。どちらもそういう話は一度もせずに来た。当然手を握ったこともなかった。
だが、俺は間違いなく香奈に好意を抱いている。そして、おそらくあいつ自身も。
そういう話はしたことは無かったが、そういう雰囲気になったことは何度となくあった。
しかし、そんなときは必ずどちらかが話を代え、そういう雰囲気をとっぱらっていた。そうしないと、積み上げてきたものがばらばらになる。そんな恐怖感があった。
そんな風に年月を過ごしてきた。
別れを告げられたのは一昨日だ。
突然、実家に帰ることになったといわれた。その時の俺は自分でも驚くほど動揺しなかった。『その時』が来たのだと納得していたのだろう。
車が無いから、送ってほしい。香奈の用件はそれだけ。俺は短く答えると、電話を切った。
それから俺は何も変わらない毎日を過ごした。
受講していた講義を聞きに大学に行き、友人たちと談笑し、帰って、眠る。
二日に一度ある、バンドの練習にも行き、バイトもした。
何も変わらない生活をして、俺は今日を迎えた。
駅のホームで、俺と香奈は手を握っていた。
俺たちは手を握ったまま、何も話そうとはしない。
何かを言うべきなのだと。それぐらいは理解している。
「さよなら」とか「元気で」とか「また、会おう」とか、別れの言葉は頭に浮かんではいる。
だが、それを口にできない。したくない。そう思う自分がいる。
「ねえ…」
「何だ?」
「デビュー。しないの?」
「………ああ、しない」
「なんで?」
「……さあな。なんでだろうな」
「話――来てるんでしょ」
「ああ」
「すればいいのに……」
俺は昔から、『功名心』やら『向上心』というものへの気持ちが薄かった。
有名になること。誰かの話題に上ること。何かの賞を受賞すること。
そんな類のものに興味が湧かなかった。
当然、誰かに誉められれば嬉しい。誰かに認められれば幸せだ。
でも、それを自分から求めたことは一度も無い。
今やっているバンドも自分が歌いたいから所属している。歌えるのならばどこでもいい。それなりの場であれば問題は無い。観客がいればさらに上等だ。
だから、デビューの話を持ってこられても、答えはいつも同じ。
その答えに後悔したことは無い。
一度たりとも無い。
香奈が、ぽつりと言う。
「向こうに行ったら、歌、聞けなくなっちゃうな………」
「香奈………」
突然ベルが鳴る。
新しく来た電車。香奈の乗る電車がやってきたことを告げる音だ。
「………行くね」
香奈が手を解き改札に向け、歩き出す。
俺は動けずにいた。
別れの挨拶すらしないまま、今、香奈とのつながりが絶たれようとしている。
「………香奈!」
俺は知らず知らずのうちに名前を呼んでいた。
香奈の足が止まる。
こちらを振り向こうとはしない。
俺は、その背中に向け、何も考えずに、自分の心に浮かんだことを言う。
いや、叫ぶ。
「俺は―いや、俺たちはデビューする!
今までずっと断ってきたのは理由が無かったからだ。理由も無く何かをするなんて意味が無い。俺はそう思う!
でも今!理由が出来た!」
俺の声が知らない間に涙声になる。
「お前に歌を届ける!お前がどこにいたって聞けるほど有名になっていつでも、俺の声をお前に届ける!」
涙が頬を伝う。
「だから、待っていてくれ。どれだけ時間がかかっても、必ず、俺たちの声をお前に伝えるから!あきらめずに歌い続けるから!」
香奈の腕をつかんでこちらを向かせる。
香奈も俺と同じように泣いていた。
そしてそのまま、強引に抱きしめる。
「俺の声が……お前を守るから。どこにいようと、必ず、絶対守り続けるから……」
「………馬鹿………………遅いよ」
『今日のゲストはこの方々です、どうぞ!』
夜中の八時。
いわゆる、ゴールデンの時間帯。
テレビに映っているのは人気の歌番組。
司会者の容赦の無い質問が人気の番組だ。
『現在、人気絶頂、……の皆さんです』
テレビに映る彼は、別れた時とあまり変わらない。
そこで、彼のバンドの紹介映像が流れる。
『一昨年のデビューシングルがいきなりのスマッシュヒット。現在までに七十万枚を超える売り上げを記録し、続くファーストアルバムはミリオンを獲得。その年の最優秀新人賞も獲得。その後も様々な楽曲を製作し、ヒットを連発。去年の暮れに発売したサードアルバム『空の香り』もミリオンを獲得。現在は全国ツアーの真っ最中。今、日本で最も脂の乗ったバンドといえるでしょう』
いささか言いすぎな感じもするが、あながち間違ってはいない。
番組は滞りなく進む。
プライベートの話が多い。
そんななか彼は、よどみなく司会者の質問に答えていく。
最初のころとは大違いだ。テレビカメラの前に立つだけで緊張していたころが懐かしい。
『デビューまでの経緯を教えていただけますか?』
『経緯ですか?』
『最初はライブハウスを中心に活動していたとか……』
『ええ、あの頃が今となっては懐かしいです』
私にとっても、あの頃は懐かしい記憶になってしまった。
『そのときから何度となく、スカウトが来ていたとか。噂では、何十社もの人間が訪れていたとか』
『それは少し多すぎですよ』
彼は笑う。
昔見ていたのと同じように。
『まあ、確かに話は何度か来てましたよ』
『ですが、皆さんはそれを断り続けた』
『ええ、まあ』
『それはどうして?条件の問題ですか』
『いえ、そうじゃありません。あの時は、デビューする理由がありませんでした。だから……』
『断り続けたと。ですが、今も多くの若者がデビューを目指して歌い続けています。それをあなたがたは理由が無いから、断っていたと』
司会者の言葉がどこか非難めいたものになる。
それも当然といえば当然か。
『あの頃の僕には、デビューする理由も、デビューするという目的も無かった。ただ、歌っていられればそれで良かった。それで十分でした』
『ですが貴方はこうしてデビューを果たし、売れっ子となっている。となると、デビューする理由が見つかったということですか?』
『ええ。ある友人と約束をしたんです』
にこやかな表情のままさらりと言う。
指を組む癖も変わっていない。
『その友人というのは……』
『大学の後輩です』
『女性の方ですか?』
『そうですね………想像にお任せします』
彼らは司会者と一緒になって笑っている。
場面は変わって、ステージの上。
彼らは全ての準備を終えた状態で合図を待っている。
ギターの音で曲が始まる。
彼らのデビュー曲。
もう、何度も繰り返し聴いた曲。
私は彼に合わせて歌っていた。
出来るだけ彼の声に合わせるようにして歌う。
そうすることで離れた距離が短くなる気がした。
気付けば、歌は終わっていた。
彼がスタンドマイクを手にして何かを言いはじめる。
『えっと、次のは新曲です。これは僕が勝手に書いた曲で、多分、シングルカットもアルバムに入るって事もないと思います。今、この番組を見ている皆さんにだけ届ける歌です」
そこで、彼は言葉を一度切り、カメラに目をやる。
彼はカメラを、カメラの奥をじっと見る。
私のことを見つめている。
そんな確信が私にはあった。
思い出が噴出してくる。
楽しかったことばかりが思い出される。
と、いう訳には行かず、どうしてもあの日のことばかり思い出される。初めて彼の涙を見た日。
彼もそうなのだろう。
時間にして、せいぜい三秒か、それ以下だろうが、私にはそれの十倍は長く感じた。
また彼が口を開く。
『曲名は―――「奏」』
五分ほどの曲だった。
彼らにしては珍しい、バラード。
聞き終わった後、私は泣いていた。号泣していた。
泣いたのはあの日以来。
奏はあの日のことを歌ったもので、彼の想いがそのまま歌われていた。
言った言葉までそのままだ。
エンディングも良く見れなかった。
携帯の着信音。彼の声がまた聞こえる。
メールが一通届いていた。
差出人は一昨年から見ていない名前。
それを開く。
内容は簡潔だった。どこまでも簡潔で、涙があふれて止まらなかった。
「届いたか?」
「うん………届いたよ、あなたの想い………」
私は、天を仰ぐ。
同じ空の下で、今でも歌い続けている、彼のことを想って。