『俺』の『夢』
ジャックル・マロワの戦いは、圧倒的な戦力差を跳ね退けたランヴェルス軍の勝利で幕を閉じ、ランヴェルス軍はリリーエを先頭にオリエンへの帰路についていた。
黄昏時、遠く山波へ飛ぶ烏の群れとひぐらしの合奏が晩夏に差しかかり、肌寒い秋の季節に移ろいでいくかのような哀愁を漂わせている。昨日は雨で濡れていた畦道も今ではすっかり乾き、出陣時に比べて幾分か歩きやすい道になっていた。
「はぁ~、今まで何も感じてなかったけど、急に疲れが来たわね」
「緊張が解けたんだな、俺ももうクタクタだよ」
「弓を使いすぎて全身が痛いのです、帰ったらすぐに寝るのです。とても眠いので……」
「ダメよヨイチ、帰ったらまずご飯! それとお風呂に入らなきゃ!」
「そうですね、お風呂に入ったまま寝てしまうかもですが」
小さな手のひらで口を覆って長いあくびをしたヨイチを、リリーエが縫いぐるみのようにぎゅっと抱き寄せる。
「うんうん、お風呂の中で寝たら危ないからね~、そうならない為にも私と一緒に入ろ~! ネ? ヨイチ?」
「うぅ……あんまり抱きつかないでください、身体中が痛いので」
「うぅ……気持ち悪い……お腹が痛い……」
「大丈夫かウィスタリア? さっきからそれしか言ってないけど」
二人が馬上でイチャコラしてる真下で、お腹を押さえて気持ち悪そうに足を引きずるウィスタリアに俺は腕を貸しながら背中を擦る。
シャルルードから受けた腹パンが強烈だったらしく、戦いが終わってからもずっとこの調子だ。
「うぅ……お、お手をわずらわせてしまい申し訳ありません……ハルト殿」
「これくらい何てこと無いよ。それより、まだお腹の調子は悪いのか?」
「み、見ての通りです、我ながら情けないですよね……」
「そんな事ないわよウィスタリア、あの場面で何よりも私を護ろうとしてくれたんだから。むしろ、とても格好良かったわ」
「ひ、姫様を護るのは侍女として当然の責務です! か、かかか格好よくなんて……っ! うぅっぐ……!」
「あーよしよし、あんまり興奮するなよー、また皆の前で吐く羽目になるぞー」
「耳まで紅くしちゃって、やっぱりウィスタリアは可愛いなぁ! もうっ!!」
「はいそこー、ウィスタリアをからかわないでくださいねー。本人は結構真面目に辛いんですからねー」
「り、リリーエ様! だ、抱き締めないでください、身体が痛いのでぇ……!」
身体を締め付けられて顔を歪ませるヨイチ。
お腹を押さえて辛そうなウィスタリアに介抱する俺。
「ごめんごめん」と悪気の無い笑顔で謝るリリーエ。
国の興廃を賭けた一戦を終えてもなお、皆の雰囲気は普段と何も変わらない賑やかなものだ。
しばらく畦道を進んでいると紅く色付いたオリエンの城壁が見え、リリーエが思い出したように俺に話しかけた。
「ラムセス達はもうオリエンを出た頃かしら? 昨日の今日で戻ってきたのに大変よね」
「いつまでもラシュムールを留守にするわけにはいかないからな。ホント、急なのによく間に合ってくれたよ」
戦後、ラムセス将軍は逃げるドミナシオン軍を即座に追撃、撤退する敵を見届けると俺達とは一言も喋らずにそのままラシュムール城に帰ってしまった。
カイドウさんの話では「リャヌーラ軍が攻めてくる可能性があるから休んでる暇はないのです!」との事だが、あの距離を一日で行ったり来たりするラムセス兵達を想うと同情を禁じ得ない。
「改めて考えてみると、ラシュムールからオリエンまでよく一日で駆けつけたわよね、ラムセスはどんな魔法を使ったのかしら?」
確かに、本来往復に一日、軍ならば三日は掛かる道程のはず。それを夕方にオリエンを出て翌朝には数千の兵士を連れて戦場に駆けつけた驚嘆すべき大強行軍。最初からこうなると判っていて前々から兵を準備させてたとしか……あ、なるほど、そういう事か。
「多分だけど、ラムセス将軍はラシュムールに帰ってないんじゃないか?」
「え? それってどういうこと?」
首を傾げるリリーエに将軍の使ったであろう魔法の種について語り始めた。
「リリーエはラムセス将軍がオリエンを出る前に「俺は夏候淵を真似る」って言ってたのを覚えてるか?」
「えぇ、あと六日でなんたらって言ってたような?」
「六日で千里だよ、リリーエ」
「あーそれそれ、で、それがどうしたの?」
「その夏候淵ってのはとある書物に出てくる将軍の名前なんだけど、その人は三日で五百里、六日で千里を駆けることが出来ると称えられた電撃戦の達人だったんだよ」
「で、でんげきせん?」
「要するに物凄い速い行軍。で、その夏候淵は各地の拠点を利用して兵を整えつつ進軍するのが得意な将軍だった」
「各地の拠点を利用した進軍……まさかそれって」
リリーエがハッとしたように俺の顔を見詰める。
「あくまでも俺の仮説だが、ラムセス将軍はラシュムールには帰らず、オリエン周辺に大量に作らせた七十余りの城の兵士を集めて回ったんだと思う。それならラシュムールよりオリエンに近いし、城同士の道も整備されてるし距離も短いから移動も楽。常駐する兵士も少ないので戦支度もすぐに終わる」
今度は納得したように「なるほど!」とリリーエが頷いた。
別に将軍が直接赴かなくても各城に伝令を飛ばせば良いわけで、集合場所を指定すれば日が上る前に大軍を編成するのも可能。本来は西のリャヌーラ対策で造った城だそうだが、これだけ迅速に戦仕度を整えられる防衛システムを構築したラムセス将軍は流石としか言いようがない。
「普段は煙臭い酔っぱらいなのに、やっぱりラムセス凄いわね。ヨイチもそう思わない?」
「うぐぐぐぐ! わ、分かりましたから強く抱き締めないでください……! せ、背中が痛いので……っ!」
根を上げるヨイチに対してリリーエがニンマリと笑う。
「ゴメンゴメン、ラムセスも凄いけどヨイチも凄かったわ。だ・か・ら! 帰ったらいっぱい抱き締めてあげるからね?」
「わ、わたしの話を聞いてますかリリーエ様……!? そ、それに、別に凄くなんてありません、わたしはまだまだ未熟なので」
「そんなことないわよ! あの鏃の無い普通の矢でも騎士の鎧を貫いたっていうし、もうヨイチが射抜けないものなんて無いんじゃない?」
「いえ、的が遠いと威力も下がってしまいました、まだ鍛練が足りないのです。最後の矢だって、敵の背中に当たっただけで討ち取れなかったみたいなので……」
そう、ヨイチは悔しいげに八人張りの弓を握り締めた。
あんな規格外な弓を扱えるのに鍛練が足りないとか、この先どれだけ成長するのだろう、つくづく末恐ろしい娘だ。
「ま、反省するのは城に帰ったらにしよう、もう腹が減って死にそうだからな」
ヨイチが口を尖らせる傍ら、俺はオリエンに視線を向けた。
うっすらと洩れ出る街明かりが俺達の帰還を祝福しているかのようで、あと少しでオリエンに到着すると思うと、心なしか皆の足取りが速くなる。
そして、段々と街に近づくにつれて良い匂いが漂ってきた。
「涎が出そうになるのです、良い匂いがするので」
「こんなところまで料理の匂いって届くのね~、夕飯には少し早い気がするけど」
「俺達の帰城に合わせて、フローラさんが前もって準備してくれてるからな」
「準備? 何の?」
「それは着いてからのお楽しみだ」
リリーエの問いかけに俺は不敵に笑って答えた。
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山際に太陽が沈み、青黒い空に三日月が浮かび上がった頃、俺達はオリエンに到着した。
そこで、俺以外の全員が街の有り様に驚きで声を失った。
「いや~待ちかねたよ~! 戦いに勝利した戦士達の御出座しだ~」
「フローラ先生! これは一体!?」
城門前で手をならして俺達を出迎えたフローラさんに、リリーエが町の状況について茫然としながら尋ねる。
オリエンの城門を潜ると、そこには様々な料理を出している屋台が立ち並び、きらびやかに飾り付けされた街の外観と楽器の音色に合わせて愉快に歌う人々の姿、まるでお祭りのような光景が広がっていたのだ。
「これも軍師君の要望でね、この短期間でこの場を造るのには苦労したよ~」
「すごいです、見たことの無い料理がたくさんあるのです」
「戦いに出た兵士達は全員、店の食べ物は全て食べ放題だ。好なだけお食べなさいな~!」
「ほ、本当ですか……っ!?」
フローラさんの一言でランヴェルス兵士から割れんばかりの歓声が沸き起こった。
ヨイチは無論、傭兵達も城兵も民兵も関係なく、皆がフローラさんが用意した屋台や出店に駆け出していく。
その場に残されたリリーエとウィスタリアは、狐につままれたように俺を見つめた。
「軍師の要望って、どういう事なの?」
「やっぱり戦が終わったらお腹が減るじゃん? 必死で戦って勝った後は美味しいご飯が食べたくなるからな。俺が無理言って兵士全員分の料理を作っておくよう、フローラさんに頼んでおいたんだ」
「な、なるほど。しかし、それがどうしてこんな騒ぎになったのでしょうか?」
「数千もの兵士を満足に飲み食いさせられる料理を作るのは手間だからね、屋台や出店を商人達に勝手に作らせて、町全体でお祭りを開いた方が楽だったんだよ」
フローラさんが肩を竦めてにこりと笑う。
まさかここまで盛大な祭りが開かれるとは思ってもみなかったが、やっぱりフローラさんに任せて正解だった。
「ま、リリーエ君もウィスタリア君もお腹が減ってるだろう? 速く行かないと、屋台の食材が無くなってしまうかもよ?」
見れば、ランヴェルス兵達が屋台の料理をイナゴのように誰彼構わず頬張り散らしていた。リリーエは慌てて馬から降りる。
「そ、それは大変ね! ウィスタリア! 軍師! 速く屋台に向かうわよ! 料理が無くなる前に!」
「わ、私はお腹が痛いのであんまり食べれないですが……?」
「何言ってるの? 今日は戦いに勝ったんだから朝まで飲んで食べて騒ぎまくるわよ! 最後まで付き合ってよね!」
「えっ!? あ! ちょっと姫様! 引っ張らないでくださ……うぅ!」
リリーエはウィスタリアを引きずりながら、ヨイチのいる屋台に駆け出した。
二人が去った後、俺は改めてフローラさんに頭を下げる。
「本当にありがとうございますフローラさん。この短期間でここまで準備をしてくださって」
「これくらい何てこと無いよ、むしろ、お礼を言うのは私達の方さ」
フローラさんが小さくなったリリーエ達の背を見据える。
どうやら、屋台の前でラシュムールに向かったはずのラムセス将軍と出会い、何やら話し込んでいるみたいだ。
「敢えて籠城せず、君達が遠い場所でドミナシオン軍を迎え撃ってくれたおかげでオリエンは戦火に巻き込まずに済んだ、これも軍師君の配慮のおかげさ」
「別に配慮なんて無いですよ、ただ籠城戦より野戦のほうが自分の軍略を発揮できると思っただけで……」
「ほむ、惚ける必要はないんだけどね、まぁそういうことにしておこう」
クスリと笑ったフローラさんが胸の谷間からおもむろに本を一冊取り出し、片眼鏡に息を吹き掛けた。胸から本を出す人なんて実在するのか、ある意味で衝撃だ。
「軍師~! あっちの屋台に焼きトウモロコシがあるんだって! みんなで食べよー!」
すると、リリーエが屋台の方から大手を振って呼び掛けてきた。
「では私は図書館に戻るとするよ、軍師君は早く彼女のところに行ってあげなさい」
「は、はい、ありがとうございました、フローラさん」
「ふふ、またね、軍師君」
微笑むフローラさんに送られて俺は屋台に歩き出した。
「さて、フローラさんは食べ放題って言ってたけど、何を食べようか……な」
みんなの所へ向かう矢先、ふと、俺は流れ星に惹かれて空を眺めた。
幾万もの星が流れる夜空に今日もまた、俺は息を呑む。
「何度見ても凄い夜空だよな、ホント」
街明かりに掻き消されることなく、燦然とした星々を見ながら思い出す。
忘れもしない小学六年の授業参観で語った俺の夢。
『僕の将来の夢は、誰にも考え付かないような作戦で敵を倒し、時には城を攻め落としたり、ありとあらゆる策略で軍を勝利に導く、大軍師になることです!!』
思い出す度に鳥肌が立つ。
叶うはずの無いと諦めかけていた夢がこんな形で、こんな短期間に全部叶ってしまうなんて思ってもみなかった。
まだ大軍師には程遠く、元の世界に帰る方法は解らないが、それでも、己の軍略を発揮出来て俺は十分すぎるくらい満足している。
(長年の夢が叶った今、新しい夢というか目標は何にしようかな……)
なんて少しだけ悩んでみたが、俺の新しい夢や目標はもう既に決まっていた。
「何してるの軍師~!? 早く早くぅ~!」
「あぁ、今行くよ!」
無邪気な声に引き寄せられるように、俺はリリーエの下へ駆け出した。
「──俺の新しい夢は、軍師として、リリーエの国を全て取り戻す事にしようかな」
なんて、誰に言い聞かせる訳でもなく、走りながらにそう囁いたのだった。
完結というには微妙な『俺達の戦いはこれからだ!』エンドですが、これ以上書き続けたら何処で完結するのか、完結出来るのかわからないので、某賞に送ったところで終わらせました。
結局、書きたいことをまったく書けなかったですが、次回作の糧にして、面白い作品を投稿出来るように励んでいきたいと思います。
それでは読者の皆様、『ランヴェルス中興戦記』を最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました!




