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『逆撃』と『逆転』


「あれは、ランヴェルスの姫君か?」


 ドミナシオン軍の弓隊に突撃し、彼らを蹂躙する見目麗しき姫の雄姿に、シャルルードは驚嘆した。

 彼女が被る王冠と、真っ白な芦毛(あしげ)馬は異様なまでに存在感を放ち、不安定な馬上にて巧みな槍捌きで兵士を蹴散らすその武勇と、味方を率い、鼓舞しながら突き進む戦振りはさながら歴戦の名将のようだ。


「なんとも美しい姫君だ、産まれるのが十年早ければ、彼女の名は天下に轟いていただろうに……」


 世が世なら、彼女も全国に名を轟かせる名将になれることだろう。惜しいかな、今ここで彼女を討たねばならぬ。


 シャルルードは笛を吹くよう伝令に命じ、深く眼を閉じた。


 ランヴェルス軍の強引な敵中突破は、弓隊が矢を射つ前に潰そうとした結果だろう。だが、その強引な突撃についてこれた兵士は千人にも満たず、端から見れば、リリーエ達はドミナシオン軍の中で孤立する形となった。


「儂を討つつもりだろうが強引が過ぎたな、逆に絡め取ってくれようぞ、ランヴェルスの姫よ……!」


 まもなく、甲高い笛の音が一定の拍子で小麦畑に鳴り響いた。

意味は『ドミナシオン全軍、後方に集結せよ』そして『敵を包囲せよ』だ。




 一方、取り乱す弓隊に電光石火の一撃を加えたリリーエ達は、勢いそのままに敵を捩じ伏せ前に進むんでいた。

 だが、敵方から笛の音が鳴るとドミナシオン軍の兵士が一斉にリリーエから距離を取った。


「この笛の音と兵士の動き、何か仕掛けてくる気ね……! 軍師! これからどうするの!?」

「作戦は変えない、このまま突き進む! そうすればあとは……」

「待ってください! この敵の動きは──っ!」


 ウィスタリアが敵の異変に気がつき、馬を止めて辺りを眺めた。

俺の目線からだと、敵はリリーエ達の戦い振りに恐れをなし、逃げ惑うように距離を取っている風に見えたが、(かち)で戦う俺とは違って馬に乗るウィスタリアには敵全軍の行動がありありと見渡せた。


「ハルト殿! 敵は私達の左右に回り込んでいます!」

「なるほど、敵も手を打つのが速いな」


 俺はもう一度、戦場全体を見つめ直す。

 敵の予備兵力であった歩兵が、弓兵と合わさりランヴェルス軍を包み込むように展開し、俺達を逃さないよう分厚い包囲網を作り始めていた。後ろの上流騎士は混乱したままだが、それでも三万弱の騎兵が大きな壁となり、下手に背後には逃げられない。


「姫様! この兵力で包囲されたら成す術がありません、如何致しますか!?」

「わかってるわよ! 包囲網が出来上がる前にここから抜け出る! 私にちゃんと付いてきなさい──って」


 突然、俺達の目の前に長槍(パイク)を構えたドミナシオン兵が現れ、リリーエの芦毛馬が穂先に怯み暴れだした。


「──痛っ!」

「姫様!!」


 暴れる馬を御しきれず、泥の中に放り出されたリリーエの下へウィスタリアが馬を捨て駆け寄る。


「お怪我はありませんか!? 姫様!」

「大丈夫、心配しないでウィスタリア、これくらいなんてこと無いから。それよりもこれって……」


 ウィスタリアの腕を借りながらリリーエが立ち上がる、彼女の眼前には長槍によって針山のような壁が形成されていた。


槍衾(やりぶすま)、これが最後の砦って訳か……」


 俺は目の前の針山から後続の味方に目を向ける。

遅れてやってきた味方が段々と追い付き、足の止まった先行勢と合流、ランヴェルス軍が一塊に凝縮して後ろに下がることが出来ない。先程のドミナシオン上流騎士と下流騎兵同様の現象がランヴェルス軍にも起こっていた。


「後退が無理なら前進あるのみ、なんだけど……」


 再び前を見ると、リリーエが槍を片手に突破を試みようとしていた。


「姫様! 御一人では危険です!!」

「くっ、前の槍が邪魔で進めない、早くここを抜け出さないとなのに……っ!」


 リリーエが無闇やたらに槍を振り回すが、槍衾に近づくことすらままならない。

 前にも進めず後ろにも下がれず、左右は敵の弓兵によって塞がれている。

 孤立無援、シャルルードの一手は強襲に対応しただけでなく、逆にランヴェルス軍を窮地に追い込んのだ。


「思った以上にやり手だな、敵の大将は」


 開戦前にラムセス将軍から敵の総大将・シャルルードの話は聞いてはいたが、やはり一筋縄ではいかない相手のようだ。


「感心してる場合ではないですよハルト殿! この状況を打破しないと我々は全滅ですっ!」

「そう焦るなよウィスタリア、焦ったら敵の思う壺だ」

「茶化さないでください! それとも、ハルト殿にはこの状況を覆せる策があるのですか!?」

「策って、最初に言った作戦しか考えてないよ。そして今までもそれしか実行してない」

「くっ……それはつまり、万策尽きたってことですか?」


 俺の言葉をもう打つ手はないと解釈してか、ウィスタリアが歯を食い縛り俯いた。

 そうこうするうちに態勢を整えたドミナシオン軍がジリジリと俺達との差を詰めてきた。槍衾が左右に連なり、穂先の刃が日を反照して眩い光を放つ。まさに、絶対絶命の窮地に追い込まれた。


「あれ、いや、でもこれって──まさか! 軍師!?」


 リリーエは敵と味方、双方の配置を確認して何かを感じ取り、俺をまじまじと見つめた。

 そう、俺は『最初に言った策しか考えてなかった』し『最初に言った策以外実行していない』のだ。


「あぁ、何も問題ない」


 だからこそ、この戦況を作り出せた時点で『俺達』の策は成った。


「これだけ敵の注意を惹き付けたんだからそろそろ来てもらわないと、そうですよね、ラムセス将軍?」


 その時、北の森から戦場全体を震わせる程の雄叫が戦場を包み込んだ。

 両軍共々、その声が新手の兵士によるものだと感じ取り、どちらの軍勢なのか北の森を注視する。


 木々を縫って打ち立てられた旗は紅地に龍の旗印。


 数多の戦を勝ち抜いてきた歴戦の(つわもの)、一糸乱れぬ赤揃え。

 北の森と小麦畑の間にある小高い丘の上より、甲冑の上に赤マントを羽織らせた男が後続の騎兵と共に勢いよく丘を下り始めた。


「この戦、俺達の勝ちだ」


 砂塵を上げつつ丘を下る騎馬の群れを、俺は笑みを浮かべながら黙って見守っていた。



───────────────────────




 戦場の北側は平坦な森が続いているが、一部だけ、小麦畑と森を区切るように切り立った崖がある。その崖の上からひょこっと顔を出し、両軍の戦闘を静かに見守るヨイチの姿があった。


「思った通り、戦場全体が丸見えなのです、遮るものが何もないので」


 この場所こそ、ヨイチが朝の偵察に発見した絶好の射撃場所だ。

 ここからなら、ドミナシオン軍の陣形や様子を上から一望出来るうえに、いざとなれば一気に崖を駆け降り奇襲を仕掛けることも容易(たやす)く、ヨイチの弓ならば敵全体に矢を射掛けることも可能だろう。


 朝方は霧が濃く遠くまで見通せなかったが、霧が晴れた今なら敵軍中央を突破し泥を跳ねながら暴れまわるランヴェルス軍の姿も、それに対処する為に包囲を計るドミナシオン兵士の顔色も、戦場全てがまさに一目瞭然であった。


「さてと、私はここで矢を射ちますが、将軍様はどうするのですか?」


 崖から顔を引っ込めたヨイチは、ここまで案内してきた男・ラムセスにこれからの行動について尋ねた。


「この崖を下って敵の本陣に斬り込むつもりだ 案内してくれてありがとうな、小娘」

「小娘ではないです、ヨイチです」


 ラムセスは丘下で激戦を繰り広げる両軍を見下ろすと、大矛を前にニヤリと笑った。


「三日で五百里には程遠いが、中々速く来れたんじゃねーか? なぁ、カイドウ?」

「まったくもってその通りですな! 殿!」

「ふ、逆落としに奇襲なんてどちらかと言えば老黄忠(ろうこうちゅう)の方だが、まぁ良いか」


 一通り戦局を見終えると、ラムセスは引き連れてきた兵士達に鬨の声を出させ、ヨイチに目線を移した。


「まだ森に敵が潜んでるかもだからな、ここに残るならせいぜい気を付けることだ」

「言われなくとも、わかっているのです」

「んじゃ、さっさとこの戦を終わらせるぞっ! カイドウっ!!」

「承知しております! 殿っ!!」


 気合いを入れたラムセスは一切の迷い無く馬ごと断崖を飛び降りた。引き連れてきた騎馬兵もラムセスに続く。 


「俺はこのままシャルルードのところに行く、カイドウはリリーエ達の援護に行け」

「畏まった!!」


 崖を先頭で駆け降りるラムセスは、後続の騎馬隊、約八千騎を二手に分け、カイドウが率いる騎馬隊をランヴェルス軍の援護にまわし、ラムセスはシャルルードの本陣へ真一文字に突き進んだ。


「では、わたしも弓で援護するのです、ここからなら狙いやすいので」


 真横を過ぎていく騎馬達を横目に、ヨイチは予定通り丘下で戦う敵に狙いを定め、八人張りの弓を引いた。


「将軍の援軍……なんとか間に合ったみたいですね」


 ラムセス軍の登場にウィスタリアは安堵と共に額の汗を拭う。


 ──形勢逆転。


 先陣の上流騎士を撃ち破られ、十二神将と讃えられるラムセス軍の到来でドミナシオン軍は浮き足立ち、戦意を完全に失った。こうなればランヴェルス軍だけでも敵を駆逐出来る。


「オリエンで軍師が語った作戦通りね、これが二人の言ってた『正』やら『奇』って単語の意味?」

「そう、正とはつまり俺達が真正面から戦って敵の注意を惹くこと、そして奇とは、将軍が敵の不意を突いて奇襲すること。孫子の兵法における奇正の戦術だ」


 俺はしたり顔で笑み、腕を組んだ。


『戦いは正を以て合い、奇を以て勝つ』


 相手の予想通りの行動で油断させ、相手の予想外の攻撃で撃ち破る。この場合の正とは俺達ランヴェルス軍で、奇とはラムセス将軍が連れてきた援軍による奇襲だ。


 正の役割は奇の行動を読まれないように動くこと。ボドキンの矢やヨイチの弓を使って派手に敵を食い止めたのも、わざわざ強引な突撃を敢行したのも、敵の意識を俺達に向けさせる為の布石。

 そして、ドミナシオン軍の注意を惹き付けたところに将軍が新手の兵士を率いて奇襲を掛ければ、戦局を覆す必殺の一撃となる。


 俺とラムセス将軍はオリエンで別れてからずっと、作戦に合わせて行動していたのだ。


「無謀に思える突撃も将軍の奇襲を悟らせないための陽動でしたか。しかし、将軍が戻る前提で作戦を実行するなんて博打が過ぎます。将軍が朝に戻ってこれるなんて確証は何処にも無かったのに……」


 そうウィスタリアは顔をしかめた。


 この短期間でラムセス将軍がラシュムールより兵士を引き連れ、敵に覚られずに奇襲を成功させるのは至難の技。ラシュムールからの援軍が決戦に間に合い、尚且つ、援軍が到着するまで俺達が敵の攻撃を耐えきれるのかどうかが作戦の要であり、この兵力差で行う策にしては無謀に等しい選択だ。だけど……。


「大軍を小勢で倒すなんて、大博打を打たなきゃ出来っこないだろ?」


 そう、俺が悪びれずニンマリ笑うと、ウィスタリアが手を額に当て、おもむろに溜め息をついた。


「まったく、ハルト殿の策は命が幾つあっても足りませんね……第一に──」

「ねぇ二人とも! そんなことよりあれを見て!」


 俺達の会話を遮って、リリーエが包囲の一角を粉砕しながら此方に押し寄せる軍勢に指を差す。その軍の先頭には大剣を振り回して爆進する、ラムセス軍きっての猛将・カイドウの姿があった。


「臆する奴は前を退けぇ!! 死にたい奴だけ前に出やがれっ!!!」


 大剣一降りで敵が宙を舞い、彼の怒号で道を開ける。敵の真ん中を突っ走るカイドウはまさに鬼と呼ぶに相応しい暴れっぷりだ。


「おーい! カイドウ!!」

「む? おぉ! そこにおられたか!!」


 リリーエが右手を大きく振ると、カイドウが俺達の存在に気がつき駆け寄ってきた。

「姫様! この大軍相手によくぞ持ち堪えましたな!!」

「危うく全滅するところだったけどね、ホント、カイドウ達は良い時に来てくれたわ」

「全滅もなにも普通あの兵力差ならば初撃で戦は決しております! それに姫様達の奮戦のお陰で敵に悟られずに奇襲が出来ましたからな! いやはや見事な采配ですぞ!」


 ドトウは大剣を肩に置き、壊乱したドミナシオン軍にほくそ笑む。


「助かりましたカイドウ。ラシュムール城からよく間に合いましたね」

「なんの! 姫様やお嬢の為ならば一晩寝ずに駆けるなど造作もありませぬ!」


「ガハハハ!」と豪快に笑いながら、カイドウは針山のような槍衾をその大剣でひとまとめに蹴散らしてみせた。


「では、私は先に敵本陣に切り込んでまいります! 姫様もお気をつけくだされ!」


 言い終えるや、カイドウは敵本陣目指して突撃を再開した。付近の敵兵はカイドウの軍によって一蹴され、リリーエが感心したように微笑む。


「私達が近づくことすら出来なかった敵の槍兵をものともしないなんてね、やっぱりカイドウは強いわ」


 リリーエは遠くなったカイドウから自分に付き従った兵士達に視線を移し、声を張った。


「それじゃあこの期を逃さず一気にドミナシオンの敵本陣に突入よ! ウィスタリアも遅れないでね!」

「先走りは危険です! お待ちください姫様!!」


 もはや行く手を阻む敵はなく、リリーエ達はカイドウの切り開いた道に沿ってドミナシオン本陣へとひた走る。そんな中、俺はリリーエのあとを追走する兵士達を他所に立ち止まり、新たな策を巡らせていた。


「さて、敵を逃がさないようにする次の一手はどうしようか……」


 ラムセス将軍の登場により勝敗は決した。

 主力を撃ち破られ、自分達を包囲しようとした予備兵力も崩壊した今、ドミナシオン軍の敗北は目に見えている。後はもう完膚なきまでに敵軍を追い詰めるより他はない。


「お! やっと追い付いたぜっ! おーい! 軍師殿~!!」

「え? あ、貴方達は……?」


 次の手を思案していると背後から野太い声で呼び掛けられ、振り向くとヨイチと一緒に弓を射っていた傭兵達が泥だらけになりながら俺の元にぞろぞろと集まってきた。


「ここに辿り着けた仲間はこれだけで矢も無くなっちまったが、契約を受けた以上勝たないと金は貰えないからな! 接近戦でも何でも俺達を使ってくれ! 軍師殿!」


 そう言って、五百人余りの傭兵達がマッスルポーズを決めた。これは願ってもない援軍、ついでに策も思い付いたし、これだけ兵士がいれば実行できそうだ。


「ありがとう、なら俺に一つ作戦があるんだけど頼めるか?」

「おうっ! なんなりと命じてくれ!」


 元気良く頷いてくれた傭兵達に感謝しつつ、俺は新たな策を告げる。


「まずはここにいる人達を二つに分ける、一方は俺と一緒にリリーエを追い、もう一方は敵本陣の背後に回り込んで奇襲をしてほしい」


 敵本陣の背後を脅かせば、敵は伏兵を疑い背後へ退却出来なくなる、上手く行けば奇襲に驚いた敵総大将・シャルルードを本陣から釣り出せるかもしれない。

 そして、シャルルードが本陣から出てきたところを残りの傭兵達で囲んで討ち取る。

 第四次川中島の戦いで武田軍の軍師・山本勘助が考案したとされる戦術『啄木鳥戦法』だ。


「それくらい余裕だ! 敵本陣に一番に着いてやるぜ!」


 俺の命令に誰一人として文句は言わず、朝飯前だと胸を張った。

流石戦いを生業にしているだけあってみんな肝が据わってる。


「よっし! 半分は敵を背後から奇襲、残りの半分は俺に付いてこい! 良いな!?」

「「「応っ!!!」」」


 急遽、傭兵達を従えることになった俺は奇襲役となった傭兵達と別れ、先に行ったリリーエのあとを追った。


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