『魔女』と『教え子』
「……うっ!? なんだか急に寒気が」
図書館前の階段を登ろうとした矢先、リリーエが両手で肩を抑えて小刻みに震え出した。
「そんな格好だから風邪でも引いたんじゃないか?」
「いいえ、これは恐らく、この図書館で受けた嫌な思い出が『この先には行っちゃダメっ!』と危険信号を送ってるんだと思うわ」
「お前の過去に何があったんだよ」
幼い頃に勉学の為にここに足を運んだらしいが、こんなに震えるくらい恐ろしい事をさせられたのだろうか、図書館で?
「ただ大きな図書館じゃないか、何を怖がる必要がある?」
「図書館が怖いんじゃないのよ、ここには──」
「ここには怖~い魔女が居るらしいからねぇ、そうだろ? リリー君」
「そうそう、怖い魔女が……て、その声は!?」
突然、背後から声を掛けられたリリーエが文字通り飛び上がった。そして素早く俺を盾にして隠れた。
「ハッハッハー、そんなに驚くことはないよ、リリー君」
口許を細く綺麗な指で覆い『ハ』を強調した独特の笑い方でリリーエを呼んだのは、寝癖なのか癖っ毛なのか、ちょんと跳ねた茶色い髪の毛が特徴的で、知的そうな片眼鏡を着けたお姉さんだった。
「いや~久し振りだね、まさか君が訪ねてくるなんて思わなかったよ~、元気そうで何よりだなぁ~」
妙にねっとりとした喋り方をする人だ、それに分厚い本を片手に科学者みたいな白衣を着ているが、この人は文系なのか理系なのかどちらなのだろうか。
「お、お久し振りです、フローラ先生も変わらず御元気そうで……」
「先生はやめたまえリリー君、私と君の仲だろう?」
「それなんですが、私はリリーではなくリリー『エ』です、母ではなく娘の方なんです」
「あぁ~リリーエ君か、いやはや失敬失敬、あまりにもお母さんに似ていたので勘違いしてしまったよ~、すまんな~、ハッハッハッー」
親しみ易い感じで接してくれるお姉さんを俺越しに、今まで見たこともないくらい畏まって話すリリーエ。
図書館には嫌な思い出があると言ってたけど、彼女の態度から察するにこの人が関係しているんだろうな。
「ところで、君は誰かな~?」
お姉さんが俺の顔をマジマジと見つめる。
見れば見るほど整った顔立ちと大人の魅力が詰まった身体。髪さえ揃えれば完璧なのに、残念なお姉さんである。
「俺はリリーエに仕える者で、晴人と言います、貴女は?」
「ほむ、私はフローラ。元教師で幼い頃のリリーエ君に色々な学問を教えていた者だ、よろしくユウジ君」
「ユウジ? 誰の事ですか??」
「おっとすまぬー、私の知り合いに君と似た人がいたので間違えてしまったよー」
ハッハッハーと、またも独特の笑い声を上げたフローラさん。
明らかにわざと間違えたなこの人。
「それはそうと、毎日引きずられながここに来ていたリリーエ君が今日はちゃんと歩いてくるなんて奇跡だね~、明日は雷雨かな?」
「奇跡とかじゃないですから! 私は用はないんですけど、彼がどうしてもここに来たいと言うので連れてきたんです!!」
「リリーエの言った通り、ここの図書館はすべての書物が借りられると聞いたので足を運んでみました」
「なるほど、図書館好きとは良いことだ」とフローラさんが腕を組んで笑みを浮かべた。
「私はここの館長を任されていてね、ちょうど退屈だったから図書館を案内してあげようか?」
「館長さんが良いのなら、是非とも案内をお願いします」
「あ、それなら私は遠慮してくわ……」
リリーエが俺とフローラさんから距離をとる。
そんなにフローラさんと一緒になるのが嫌なのか、リリーエはどこかひきつった笑顔で俺を見る。
「ならばリリーエ君、入り口前の柱に子猫がいるから、彼女が何処にも行かないように見張っておいてくれるかな?」
「はい!! 先生の命令通りにっ!!」
ピシッとリリーエがフローラさんに敬礼すると、物凄い勢いで階段を駆け上がって行ってしまった。リリーエがこんなに聞き分けが良くなるなんて、このフローラって人、只者じゃない。
「それでは、いきなり案内してやろう~、まずはこの階段なんだが……」
唐突に図書館の案内を始めたフローラさん。
だがちょっと待て欲しい、図書館の案内をするのに階段から説明するのか? 普通本とか建物内の紹介するんじゃないのか??
いや、もしかしたらこの何の変哲もない階段にまつわる面白い話があるのかもしれない。
ここは黙って話を聞いておこう、うん。
「この階段はステイ山脈の奥地でしか取れない珍しい貴金属が埋め込まれていてね、私が長い旅路の末に見つけた物だから思い出深い代物なんだよ。ちなみになんだが、その埋め込んだ金属はほんの少しだけで残りは腕の良い金細工師に頼んで船の模型に加工してもらったから、私の部屋に飾っているんだよ」
「へぇ~、そうなんですかぁ~」
「さて、この階段の説明は終わりだから次に進むとしようか」
「…………え、終わり!?」
何事も無く階段を登るフローラさんに思わずズッコケそうになった。図書館にまったく関係ない! それに図書館抜きにしてもどうでもいい話だ!!
「次に、この手すりなんだが……」
ヤバい、さっきの階段みたいな話を続けられたら玄関にたどり着く前に日が暮れそうだ。ここは早めに話を切っておくに越したことはないだろう!
「あの! それよりも図書館内の話、特に蔵書されている本の話を聞きたいんですが!?」
「ほむ、そうか、君はそんなに本が好きか?」
「はい!! 大好きです!!!」
「ならば説明してあげよう、この図書館にある本は全部で三七三四万六四九七冊あるが、各分野の本が選り好み無く置かれ、全て貸し借りが可能なんだよ」
よかった、比較的図書館らしい普通な内容っぽい。フローラさんが階段の説明を始めた時はどうなるかと思ったけど、これなら普通に案内してくれる筈……。
「それら全ての本の内容について一冊づつ簡単に解説するとして、最初に、これは図書館内の窓口から見て左から三番目の棚、上から二列目、右から七冊目にある本で……」
あー、これはあれだ、関わったら絶対ダメなタイプの説明魔だ。
リリーエが恐れるのも無理ない。まだ案内が始まってないのに俺も今すぐ逃げ出したい。というか、これは案内なのだろうか。
当のリリーエはというとフローラさんが言っていた猫と戯れていて幸せそうだ。いいなぁ、俺もあっちの世界にまざりたいなぁ。
「次に三つ目の本だが……聞いているのかい?」
「は、はい! 聞いてますともっ!!」
「ならば良し、この本は二百年前に書かれた物で……」
本気で館内にある全ての本を解説するつもりだ、いつ終わるんだろう、これ……。
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オリエン図書館の白壁が鮮やかな橙色で染められた酉の刻。俺は分厚い本を数冊抱え、それを落とさぬように目の前の説明魔……もといフローラさんにお辞儀した。
結局図書館内には入れなかったが、リリーエが俺の欲しかった本を代わりに借りてくれたので良しとする、ナイスだリリーエ。
「今日は色々とありがとうございました、フローラ先生」
「ほむ、もう帰るのかい?」
「もう日が暮れてきたし、目的だった本は借りれたので」
「それは残念だ、もう少し君達と話がしたかったのだが……」
残念そうに肩をすくめるフローラさん。散々一人で話し続けてまだ足りないのか、なんとも恐ろしい先生だ。
「続きはまた今度という事で……ほら! 行くわよ軍師!!」
これ以上話を引き伸ばすとフローラさんの会話が止まらなくなる可能性があると判断したのか、リリーエが俺の襟を引っ張って帰るよう促した。
「では、また近い内に会いましょう、フローラ先生」
「あぁ、いつでも来るがいいよ、リリー君」
「私はリリーエですっ!!」
「ハッハッハー、冗談さ」
プルプル震えるリリーエの肩にポンと手を置き、先程からの不真面目な態度から一変、
「また何かあれば来なさい、私に出来ることなら力を貸すよ、リリーエ君」
と最後は先生らしく微笑む。これにはリリーエも黙って頷くしかなかった。




