『湯煙』と『星空』
ラシュムール城から程近く、北西の森林にその温泉はあった。
とはいえ、ちゃんと整備された立派な代物ではなく、涌き出たお湯がそのまま泉になったような、文字通り天然の温泉だ。
「ふぁ~生き返るわぁ~」
「そうですねぇ~」
「今までずっと水浴びだけだったから、落ち着いて温泉につかれるのはありがたいわぁ~」
「そうですねぇ~」
リリーエが和んだ声と水音を立てながら背筋を伸ばし、ウィスタリアが湯を肩にかける。
「こ、このお湯の中に裸で入るのですか? とても熱そうです、湯気が出てるので……」
そんな二人を他所に、ヨイチは屈みながら恐る恐る湯の中を覗き込んでいた。
「ヨイチも早く入りなよ~、とっても気持ちいい、良いお湯だよ~」
「お湯に良し悪しがあるのですか? 意味が分かりません。水浴びならしたことありますが、ちゃんとしたお風呂とか温泉とか入ったことが無いので」
「初めてのお湯が怖いのね~、まぁ~、気持ちは分からなくも無いわね~」
「では、私が入る手助けをしてあげましょう」
ウィスタリアがお湯から出て、ヨイチの幼い身体をひょいと
持ち上げる。
「な、何をするのですか!?」
「一人で入るのが怖いなら、一緒に入れば怖くありませんよね?」
「怖いとかそういう事では……ひゃっ!」
ウィスタリアはヨイチをつま先から順にお湯に浸からせ、ゆっくりと肩まで沈める。
最初はバシャバシャと暴れていたヨイチだったが、お湯が肩に浸かる頃には二人と同様、心地よさげに目を細めた。
「これが『良いお湯』ですか、何となく分かった気がします」
「良いわよねぇ、毎日入りたいわぁ~」
「ですね~」
三人が今までの疲れを溜め息ともに吐き出した。
「それにしても、やはりお二人とも胸が大きいです……」
ヨイチは二人の胸と自分の胸を見比べる。自分の貧相で慎ましやかな胸と違って二人の豊かな膨らみと身体の曲線美がヨイチを悲観させた。
「羨ましいです、わたしは胸が小さいので」
「そんな事ないですよ、ヨイチさんもまだ若いですし、いつか大きくなります」
「そう、なんですか?」
「うんうん、私もヨイチくらいの歳の頃はまだ大きくなかったから! ウィスタリアはもう既に大きかったけど……」
「そ、そんなことはありませんでしたよ? 私も大きくなりだしたのはヨイチさんくらいですから」
「なるほど、つまり、わたしも成長の余地は有るわけですね」
「まぁ、ヨイチは小さくても可愛いから問題ないと思うけどね」
「いいえ、絶対に大きくなってやるのです。大人の女性になりたいので」
蒼い猫目に闘志を宿し、ヨイチはやる気をみなぎらせた。
とりあえず巷で聞いた『胸を揉むと大きくなる』理論を実践しようと、密かに心に決めたヨイチであった。
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リリーエ達がお風呂に行っている間、俺はラムセス将軍と元の世界の話で盛り上がり、二時間程話をして将軍が酒で酔い潰れてしまったので部屋を出た。俺もベッド付きの部屋で寝て良いと将軍から許可をもらったから、その部屋に行くつもりだ。
「ん、あれは……?」
初夏を感じさせる生暖かい風が流れる廊下から鈴虫が鳴く中庭に目を向けると、リリーエとウィスタリアが庭の腰掛けに座って何かを話しているのが見えた。
「あ、おーい軍師ー」
すると、リリーエも俺に気が付ついて手を振ってきた。俺は彼女達の元に歩み寄る。
「こんな所で何やってるんだ? それと、ヨイチは一緒じゃなかったのか?」
「ヨイチさんならそこで寝てますよ」
よく見れば、ヨイチは二人の隣で涎を垂らして気持ち良さそうな寝顔を浮かべていた。
「で、私達は温泉で火照った身体を冷やそうとそこに座ってたの、それはそれは良い湯だったわよ」
「ふむ、温泉ねぇ……」
「軍師も入ってくる? 温泉の場所まで案内してあげるわよ。なんなら一緒に入ってあげてもいいけど?」
「は、はぁっっ!?」
「ひ、姫様っっ!?」
リリーエが艶っぽく俺を誘惑し、ウィスタリアが狼狽して剣に手をかける。
「待て待て! 剣を抜こうとするな! それと、リリーエは人を誘惑するんじゃない!!」
「別にいいじゃん、減るもんじゃ無いし」
「は、ハルト殿! これ以上姫様をたぶらかすなら容赦しませんよ!!」
おっかしいなー、たぶらかされてるのは俺の方だと思うんだが、なぜ俺が悪いみたいになってんだ?
「──あっ!」
自分で作ったただならぬ雰囲気を掻き消すように、突如、リリーエが天空を指差した。
「ど、どうなさいました?」
「流れ星!」
顔を上げれば、無数の星々がまるで滝のように駆け巡り、澄み切った夜空に流れ落ちていた。
「凄いな、これ……」
俺は息を呑んだ。この前の蛍火同様、向こうの世界では見ることの出来ないであろう絶景が広がっている。
「流星ですか、ここまで星が流れるのは珍しいですね」
「星に願い事をすると叶うってラムセスが言ってたわ、どういう原理かわからないけど」
「流れ星はいきなり現れて一瞬で消える、だから、その一瞬で願い事が出来るなら、それは常に考えている本物の願いだから叶うって意味らしい」
他にも、天空にいる神様が地上を覗くと流れ星が光るから、神様が覗いてる間に願えを言えば聞き入れてくれるとか色々あるとか。まぁ俺は神様は信じてないけど。
「なら、こんなにたくさん流れ星があるなら絶対叶うわね」
「そうかもな」
リリーエは空に顔をむけながら目を瞑り、何かを口ずさんだ。
「何を願ったんだ?」
ふと、リリーエが人差し指を口許に当てて、
「うーん、教えなーい」
「……っ!」
悪戯っぽくウィンクしてきた。俺は思わず彼女から眼を反らしてしまう。
「冗談よ。私の夢はランヴェルスの領土を全て取り戻すこと、それ以外に無いわ」
リリーエの髪が爽やかな風に任せて靡く。夢を語った時の彼女の表情は険しく、横顔は彼方まで広がるランヴェルスの大地を見ているようだった。絶対に夢では終わらせないと、覚悟を決めた横顔に思えた。
「それじゃそろそろ部屋に戻りましょうか。ウィスタリアはヨイチを部屋まで運んであげてね」
「承知いたしました、姫様」
「てなわけでまた明日、お休みなさい、軍師」
「お、おぅ、おやすみ、リリーエ」
ふふん、と鼻歌混じりの上機嫌で部屋に向かうリリーエに、ヨイチを抱えたウィスタリアが静かに付き従う。
俺は二人の背中を暫く見つめ、頬を思いっきり叩いた。
「くそっ、普通に可愛かったじゃねーか、リリーエめ!」
リリーエのウィンクが眼に焼き付いて離れない。暗いから彼女には見えなかったろうが、俺の顔は絶対赤くなってた。
「ダメダメ! 軍師が主に惑わされるな! しっかりしろ俺っ!!」
腫れ上がるくらい何度も頬を叩く。
そう易々と誰かに魅了されるなんて軍師失格だ、軍師ならばいつだって冷静沈着でないと。
「たく、まだまだな、俺は……」
俺は絶え間なく流れる星を見上げ、小さく息を吐いた。
「綺麗だな、この世界の夜空は」
程よく吹いている風に当たりながら、俺は満点の星空に心を奪われていた。




