焼けるぞ
生徒たちの間に膾炙する怪談の一つに、「理科準備室に収められている、畸形生物のホルマリン漬け標本」という話がある。準備室の棚に陳列された生物標本が、夜中になると瓶から這い出してくる、という内容だ。
ある初夏の昼下がり、俺は七十を過ぎた先輩用務員の沼峰さんと一緒に、体育祭で使ったデコレーションの処分に追われていた。山ほどある残材を分別し、廃材処理業者に引き取ってもらうための下準備だ。とは言え、ほとんどが木材や紙材なので、作業自体はそれほど大変ではなかった。
一段落つき、用務員室で沼峰さんと一服していると、
「家庭科室が焼けるぞ!」
金属質の甲高い声が、校庭から上がった。
「家庭科室が焼けるぞ!」
声は、教員用駐車場のほうから聞こえる。現場へ駆けつけてくまなく探すと、ハイエースのタイヤの陰に小さな生物が横たわっていた。
まだ毛も生えていない犬の赤ん坊だった。ピンク色の小さな身体をぷるぷると震わせている。胴体は犬だが、頭部は干し柿の如き皺だらけの人間だった。
「家庭科室が焼けるぞ!」
犬の赤ん坊が三度叫ぶ。背後に気配を感じて振り向くと、沼峰さんが角スコを振り上げていた。慌てて飛び退くと、角スコの先端が犬の赤ん坊の胴体を両断した。ぎゃ、と短い悲鳴を残して、犬の赤ん坊はぴくりとも動かなくなった。
「たまに出んだよ、こんなのがよ。そのたんびにこうして殺してんだわ」
沼峰さんは角スコで子犬の死骸を掬い取り、廃材の山へ放り込んだ。
「胸糞悪い予言を残す、妖怪みてえなもんだな。まだ焼却炉があった頃はそこで焼いてたんだけどなあ。今日は業者が持っていってくれっから、ちょうど良かったわ」
沼峰さんはからから笑った。
家庭科室から小火が出たのは、その三日後の事だ。