優しい毬谷さん
僕の学校では、春になると一年生とニ年生合同の林間学校が開かれる。異年齢交流を通じて社会性を学ばせる目的らしい。初日は「いじめられたらどうしよう」という不安が胸にあったが、屋外キャンプやオリエンテーションを通じるうちに雲散霧消した。二年生からは様々な事を教えてもらい、最終日の前日ともなるとすっかり打ち解けていた。
「今夜は毎年恒例の肝試し。俺たち二年生とペアになって森の奥にある祠に行ってさ、証拠として御札を取ってくるんだ」
暗い場所が苦手なので、できる事なら参加したくはなかったのが、臆病者と笑われたくなくて「楽しそうですね」と、僕は精一杯の虚勢を張った。
とはいえ、いざ肝試しの時間がやってくると、恐怖が頭をもたげてくる。
「あれ、もしかして怖がってる?」
パートナーの毬谷さんという女子生徒が、僕の顔を覗きこんでからかう。「怖くないですよ、平気です」と強がった僕に、毬谷さんは柔らかい笑顔を返してくれた。
いよいよ僕らの番になった。懐中電灯を片手に、深い闇が横たわる林道へ踏み入る。時折通り抜ける春の夜風が冷たい。おっかなびっくり林道を歩く僕の手を、毬谷さんがそっと握ってくれた。大丈夫だよ、私がついているから。そう優しく囁きながら。
それから三十分ほど歩いただろうか。行けども行けども祠は見えてこない。懐中電灯の光を巡らせても、鬱蒼と茂る雑木を照らすだけだ。おかしい。前の組は、二十分足らずで御札を手にして戻ってきたのに。夜気とは違う寒さが身体に這い上がってくる。
「ねえ、まだ先に進む?」
毬谷さんが訊ねてきた。僕はまたぞろ出掛かった虚勢を呑み込み、引き返しましょうと提案した。毬谷さんは「そうしよっか」と少し残念そうな口振りながらも同意してくれた。
森を出ると、生徒も先生たちがずらりと居並んで僕を待ち構えていた。引率の先生が雷を落とす。僕は制止も聞かずに独りで森に入ったのだという。
事情が呑み込めないまま、隣を見たが、毬谷さんの姿はどこにも無かった。
「たまにあるんだよな、こういう事が」と、先生の呟きが聞こえた。