トマト
断末魔というものを生まれて初めて耳にしたのは、中学一年の秋だ。
その日俺は、窓際の席で頬杖をつきながら、退屈な数学の授業を受けていた。
押し寄せる睡魔に抗いながら、欠伸を噛み殺した時だった。
「死にたくないよおおおおおおおおおおおっ! いやああああああっ!」
血も凍りつくような喚き声が、窓の上から下へ一瞬のうちに落ちていった。
教室が俄にざわつきだす。物見高い級友数名が窓際に駆け寄り、「何だ今の?」「誰か落ちた?」などと口にしながら、窓の下を覗きこんだ。
俺もつられてサッシから身を乗り出すが、地面には誰の姿も無い。
「ほらほら、騒ぐな騒ぐな。いいから授業を続けるぞ」
教科書を掌で叩き、数学教師が騒ぎを収めにかかっていた。狼狽など少しも見せず、落ち着き払ったその素振りが、妙に心に引っかかった。
休み時間、先刻の喚声で持ちきりになった教室に、担任の川村先生がやって来た。
「今日は部活は全休。居残りも禁止だ。放課後になったらさっさと帰るように!」
それだけ告げて教室を去りかけた川村先生を捕まえ、俺は理由を求めた。最初はけんもほろろにあしらわれたが、なおもしつこくせがむと、観念したように話してくれた。
まだ屋上が昼休み限定で生徒に開放されていた時代、向山さんという女子生徒が屋上から墜落した。詳しい理由は分からない。向山さんは地面と激しいディープキスを交わし、一瞬のうちに命を失った。遺書は発見されず、彼女の死は事故として処理された。
以来、彼女の命日になると、件の断末魔が響き渡るようになった。
「あの叫び声が聞こえるとな、夕方に出るんだよ」
放課後に生徒が居残るのを禁じるのは、顔面の上半分完全に潰れた凄絶な姿で校舎内を徘徊する向山さんの姿を、生徒に見せない配慮なのだという。
川村先生に、向山さんを目撃したことがあるかと問うと、「ある」と返ってきた。
「あれから食えなくなっちまったんだよなあ、トマト。好きだったのに」
苦々しげに川村先生は、そう付け加えた。