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ojczyzna  作者: 一条 灯夜
1/2

戦争の始まった日

「動くな!」

 ライフルの照準を敵の胸の中心に合わせる。


 敵兵とこうして対峙したのは初めてだった。開戦して一年。配属されたレーダー基地では、機器の調整しかしていない。いや、こうして敵とまみえる事なんて無いと、心のどこかで思っていた。

 しかし、動揺は出さない。教本の基本に確か書いてあった。


 山際の針葉樹の林だった。

 周囲の木はどれも育ち切っていた。

 適度に疎らに生えた木が、中途半端な視界を確保していた。

 梢のせいで、辺りは少し薄暗かった。


 目の前の敵兵は、手を挙げたままゆっくりと僕の方に身体を向け――右足を動かさない奇妙な姿勢だ――、か細い声で訴えかけてきた。

「Help ME」

 意味は分かるが、発音がおかしい。いや、それは多分僕だってそうなのだ。僕の国も、相手の国も英語圏ではない。だがしかし、意思疎通の出来る可能性のある言語がこれしかないのだ。

「Speak SloWly And SimPle WorDs」

「OK.OK」

 手を挙げたまま、敵兵は疲れた顔で首を上下に振っている。ライフルは持っていなかった。とはいえ、腰には拳銃、胸には手榴弾がある。

 それらに視線を向け、顎でしゃくると、敵兵は身につけていた武器を――僕が発見していなかったナイフまで投げ捨て、もう一度同じことを言った。

「Help me」

 声にはさっきよりも力が無かった。

 右手を上げたまま、左手で足元を指差している。

 地雷? いや、しかし、普通地雷は踏んだ瞬間に爆発する。足を離さなければ、なんてのはフィクションの世界にしかない。不発の地雷の上に居座っているならとんだ間抜けだ。


 …………?

 いや、違うな……足首が埋没している。

 さては、落とし穴と併用した括り罠に掛かったのか。


 非常に、奇妙な状況だと思う。

 額の汗が目尻を通って頬に流れた。

 戦況は敵が有利なのに、この場所を支配しているのは僕だった。

 それが、どこか信じられなかった。


 そう、我々の部隊は完全に孤立していた。

 空爆により鉄道網が遮断されたのは一週間前。軍用道路はとっくの昔に瓦礫の山になっている。海岸線が遠いという安心感が油断につながり、物資の備蓄は多くなかった。

 水際防衛に失敗した味方の防衛線は、一気に押し下げられている。

 着任していたレーダー基地は――そもそものレーダーは破壊されているので、ただの小規模陣地と言った方が正しいかもしれないが――、押し下げられた味方防衛線の奇妙な出っ張りになっている。

 背後の大河を渡れる橋は、もうどこにもない。

 壊れたレーダーを死守する意味もないのに。


 我々守備兵百名は、基地指令の指示に従い山中に分散、ゲリラ戦を展開する。

 ――その、予定だった。


 山際に敷設した地雷やブービートラップを発見されたのがケチの付き始め。

 敵は完全に我々を無視して進軍している。

 とはいえ、隙をついてこちらから攻撃することは出来なかった。兵力差があまりに多く、重砲もこちらには無かったのだから。

 降伏か、突撃か。

 士官は連日軍議を重ねているようだが、しかし、全くその議論に進展が見られず、兵糧は悪戯に減っていった。


 今日は、そんなありふれた日だった。

 休憩時間に、なにか食えそうな動物でもいないかと散策に出て、この場に到着するまでは――。

 抵抗する手段をなくした彼に、油断無く銃を突きつけながら近寄る。周囲に、彼の仲間は潜んでいなそうだった。

 待ち伏せというわけではないらしい。

 となれば――。

 僕が取れる手段は大きく別ければ三つ。

 第一。 敵を撃つ。最もシンプルで、確実な案だ。敵兵を一名減らした名誉、敵が所持している物資を得られる。しかも、急所を撃ち損じても、身動き出来ない彼は少なからぬ負傷をするので、反撃の危険は極めて少ない。

 第二。 罠を解除して捕虜とする。括り罠の構造は、設置を手伝ったので知っているが、付近には地雷もばら撒かれているので、危険は多い。それに、救助後にこの敵が態度を翻さない保証はない。

 第三。 無視する。しかし、これにはリスクしかない。餓死するまでこの罠に掛かり続けるくらいなら、足を切ってでも逃げ出すだろう。もしこちらの部隊が降伏を決めた時に、この敵に再び会う可能性がある。その時、僕は捕虜とされずに殺されるだろう。


 最もリスクが少なく、リターンが大きいものを選ぶとするならば……第一の案を採用すべきだ。

 それは、分かっている。

 分かっている、けど……。


 どうしても、引き金が引けなかった。

 上着が背中に張り付く。尋常じゃない量の汗が噴出していた。

 喉がカラカラだ。


 唾液を飲み込むのが、やけに重く――そして痛かった。


 ……溜息を吐き、銃口を外す。

 甘いのかもしれないけど、無抵抗の人間はどうしても撃てなかった。

「thank you」

 聞こえて来たか細い声に、苦笑いが浮かんでしまう。


 ライフルを背中に背負って、しゃがんで目の前の敵兵の足元を確かめる。

 このブービートラップは、本来は猪なんかを狩るための括り罠と同じで、足一本だけが入る程度の落とし穴の中程に、ワイヤーを仕込んで、嵌った足をきつく締め上げ、身動きを奪う。

 罠を固定する杭が目立たないように地面に深く埋めてあり、足を引っ張り出すのは容易ではない。

 ただ――。

 奇妙なことに、彼の足の周りには抵抗の後が見られなかった。周囲を掘り返したり、無理に足を引っ張ったりした後がほとんどない。

 ナイフを持っていたのに、だ。

 足を怪我するのが怖かったのか?


 ……まあ、いい。

 助けると決めた以上、さっさと済ますに限る。

 背嚢から折りたたみ型の携帯シャベルを取り出し、探り当てた杭の近くを掘る。杭の天辺を見ると、ハンマーで打ち込んだのか、つぶれていた。

 杭を抜くのは現実的じゃなさそうだ。

 杭の――彼の足と反対側を掘る。

 自分は一体なにをしているんだろう、と、疑問に思いながら。割り当てられる食料は、日に日に少なくなっている。こうして使う体力の余裕もないのに。

 林の中の土は、固くはなかった。

 三十分ほどで、罠の仕掛けの心臓部――バネを内蔵したパイプが見えてきた。後は、止め具を緩めれば、終わる。

 武装解除している彼を、本陣へと連れて行けば全てが僕の責任を離れ――。


 そんな、僅かに気の緩んだ瞬間だった。

 止め具を緩めたその瞬間を待っていたかのように、地を揺るがす爆音が響いてきたのは。


 背後を振り返る。

 そう遠くない陣地が、煙にまかれていた。

 遠く低く重く、キャタピラの音もする。それも、一台や二台じゃない。

 いつもは遠巻きに見ていた機甲師団!?

 たった……百名の部隊なんて、三十分も持たない――。

 いつのまにか、本格的な進攻が始まっていた。

 緊張していて、小競り合いの音を聞き逃していたのかも。


 慌てて銃を握りなおし、駆け出そうとすると――!

「Wait」

 背後から掛けられた声に――しまった、敵はここにもいるんだ――、肩が強張った。

 だが、しかし、僕は撃たれなかった。

 ゆっくりと振り返る。

「No.No」

 Noの後に続けた彼の言葉は理解できなかったが、彼は武器を持たずに必死で僕に向かって……行くなといっているのか?

 走る姿勢を止め、完全に立ち止まると彼は安心したような顔で頷き、また分からない言葉をいくつか口にした。

 おそらく、表情から察するに、無駄死にするなと言っているようだ。

 それを察した瞬間。

 言い知れない怒りだけに僕の心は支配されていた。

 噛み締めた奥歯が軋む音がする。

 ……舐めるな!


 僕は彼を殺せる。ほんの少し指先に力を込めるだけで。

 造作もなく。おそらく一発の弾丸で、彼は死ぬ。


 だけど……。

 その後になにが残る?

 そう、確かに僕は彼を殺せる。少なくとも、彼だけは。

 だけど、ここを突破することなんて出来ない。敵の包囲を単身突破するなんて、フィクションだけの世界だ。

 彼を殺したら、この山が僕の墓標になる。

 そこに意味はあるのか? 自分の命と引き換えに――、奪うだけの価値のある命を持っているのか、目の前の敵は?

 覚悟を決めようとした瞬間、思考はこれまでにないくらい早く正確に物事を判断し――。


 僕はゆっくりと身体の力を抜き、彼にライフルを差し出した。

 彼は僕のライフルを受け取ると――しかし、僕が更に差し出そうとした拳銃やナイフは受け取らずに、笑顔で語りかけてきた。

「OK.OK.No ProBlem.NO Problem」

 それに……、答えられるだけのなにものも……、僕の中には残っていなかった。

「I escort you! You Help me! SpEcial Guest!」

 励まそうとしている彼に――、これ以上耳障りな声を出され続けたくなかったので、返事をする。

「Ok.……ok」

 自分の声なのに、どこか他人の声のように感じた。

 弱く、卑屈な声だった。

 パンパン、と、彼は僕の肩を慰めるように叩き、胸からなにかの小瓶を取り出して、目の前で自慢するように振って見せる。

 アンプルのような形をしている茶色の小瓶だ。

 彼は、そのアンプルの先端を折って、まず、自分で飲んで見せてから僕に手渡してきた。

「Drink it」

 促されるままに口をつけてみる。

 酒だった。

 僕の国のものとはまるで違う、本当にアルコールだけを詰めたみたいな、無味無臭で舌に刺激だけが残る強い酒だった。


 戦闘音は、もう完全に消えていた。たなびく硝煙の匂いだけが、風に混じっている。

 僕が飲むのを見届けてから、彼はおもむろに大声を出した。

 すぐに返事は返ってこなかった。

 木々に彼の声が木霊する。 四度目の呼び掛けで、ようやく声が返ってきた。

 それは、やっぱり僕の知らない言葉だった。

 油断なく僕に銃口を向け近付く四人の男は、しかし、彼が大声で何事かを話し、両手を大きく振ると、まず意外そうな顔をして、それから緊張のかなりの部分を解いた。

 戦闘の意思がないことを、両手をあげてアピールする。

 すると、彼が振り返り、身振り手振りで楽にしていて大丈夫だと伝えてきた。

 腕を下ろす。

 もう一度腕を上げる気力は多分残っていない。

 彼は小走りに彼の仲間の方へと行き、明るい顔で話しはじめた。


 彼等が話している間にも、人は更に増えている。――だが、敵の軍服しか見当たらない。僕以外に捕虜はいないのか? 少なからぬ後悔が胸に去来した。

 だが、それなら尚の事、僕が成し遂げなければならないのだ。短絡的になりそうになる自分を戒め、深く息をする。


 しばらくすると、彼の上官らしき人が、笑顔を向けながら近付いてきて――僕に握手を求めた。

 求められるがままに手を差し出す。

 偉そうな敵兵は、うんうん、と、もっともらしく頷き、従兵に煙草を持ってこさせ、僕に一本を選んで渡してきた。

 手も唇も震えてしまい、軽く銜えるだけで精一杯だった。

 罠から助けた彼が近寄り、火を点けてくれた。

 煙を肺まで吸い込む。

 慣れない辛い味の煙草に、むせた。

 どっと笑い声が上がり――。

 僕が顔を上げて苦笑いを返すと、遠巻きにしていた敵兵も、まるで昔から見知っていたかのように親しげな様子で近寄ってきた。

 その内に、通訳の出来る人も現れ、僕に捕虜としては格段の待遇を約束してくれた。亡命も勧めてくれた。


 僕は、曖昧な笑みを返す。


 命が、惜しくなかったといったら嘘になる。

 だが、死にたくないだけで捕虜になったわけではない。

 より手痛いダメージを敵に与えるため――、今は生き延びると決めたんだ。

 かならず、こいつ等全員に地獄を見せてやる。


 国同士の戦争は、とっくの昔に始まっていた。

 宣戦布告は済んでいる。

 だけど――。


 僕の戦争は、今この瞬間に始まった。

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