無言の恋
「ちょっと、昨日貸してた数学の教科書、まだ返してもらって無いんだけど」
私は友だちのヒナゲシに言う。
「ごめーん、忘れてたー」
ヒナゲシは笑いながら机の中の私の教科書を探す。ヒナゲシに貸したら当然しばらくは返ってこないので、何か貸したときは自分で取りに行かなくてはならない。ヒナゲシはそういうやつだ。
さっきからヒナゲシ、ヒナゲシ、と言っているけれど、それは彼女の本名では無い。入学当初には聞いたような気がするが、もう二年間もヒナゲシで通っていれば、忘れてしまう。私だって自分の名前すら時おり忘れそうなのだ。この前、レンタルビデオ屋さんで会員登録しようとして、本名じゃなくツキミソウと書きそうになった。
私の通うこの高校では、生徒にふさわしい花の名を送る。この学校の生徒は皆何かしらの力があって、それに合った花の名前なんだそうだ。私は、秘密を守らせる力。ヒナゲシは自分、他人問わず記憶を無くす力。そういう力を持った人が人類の3パーセントほどいるらしい。そういう人たちを集めているんだ。
「ねえ、今度の実習、どこに行くか決めた?」
ヒナゲシがやっと見つけた教科書を渡しながら聞いてくる。正直まだ決めていなかったので、しばらく考えてから。
「私はあんまりそういうのの役に立ちにくいからな。また内地で生産課に行ってるかな」
「そっか。まあ、適材適所だよね。私はツキミソウと同じところが良いんだけど」
「駄目だよ、ヒナゲシは期待されてるんだから」
何も、この学校は力を持った私たちを集めて仲良しごっこさせたい訳じゃない。力を持った人類が生まれるようになったのは25年ほど前の話。この力をどう使うか。どの国も一斉に能力者を集めて、国のために使役させようとした。日本も例に漏れず、私たちを集めて教育している。国のために使役する。国は私たちを。私たちは命を。とはいえ、特に戦争が頻発するようになったとかいう訳では無いので、急に死んでしまうことは無い。ただ、私がいるこの学校は、日本でも数少ない戦闘員を教育する、戦闘院である。
「ツキミソウ、実は私、今度実戦に向かうかもしれないの」
その言葉は私に疑問を持たせた。現在日本が参加している戦いは無いはずだけれど。
「戦うのは国だけじゃない。先生が言ってた、学校の利益のために今までもいくつか戦いに参加してきたって。どこかの戦争に参加してたって。今回は私がどこかに行っちゃうの」
その言葉は私に衝撃を与えた。別に学校がそういうことをしていようが構わない。でもヒナゲシが居なくなる、そんな悲しいこと考えたくもない。私には友だちは多くいるけど、ヒナゲシはそれなりに仲の良い友だちなのだ。
「ツキミソウには言っておこうと思って」
「何でよ、勝手に行ってくれた方が悲しまずに済んだわよ」
「私が忘れ物多くてあなたに借りに行ってたの、本当はわざとなんだ」
ヒナゲシが何か語り始める。
「力が忘却だからって、忘れっぽいことないの。だけど、あなたと話がしたくて。別のクラスのツキミソウと話をするのには自然な良い訳だと思ったの」
確かに、同じクラスだったころはそんなに忘れ物してなかった気がするな。てか、なんじゃそりゃ。もっと普通に話しかければよかったのに。
「できなかったんだよ。恥ずかしくて。好きな人に話しかけるのって、すごく緊張するんだから」
今、私のこと好きって言ったな。はあ、やっぱりか。だろうなとは思ってたんだよ。でも、できたらこういう戦地に行く前みたいなのはやめてほしかったな。死亡フラグだし、断りにくいし、何より何とかしたくなっちゃう。
「ちょっとだけ返事は待ってて。帰ってきたらすぐ答えるから」
私はヒナゲシを置いて教室を出る。放課後も遅くなっており、もう夕日も沈みかかっている。まだ大丈夫だよな。いるはずだよね。私の姉さん、いや、生徒会長さん。私は生徒会室に急ぐ。生徒会室の扉の隙間からは蛍光灯の光が漏れている。まだいる。
「姉さん」
「あら、ツキミソウじゃない。学校ではベイビーローズと呼ぶように言ってるでしょう」
「……ノバラさん」
「そっちはあんまり好きじゃないんだけどなあ。まあ、いいや、どうしたの」
「ヒナゲシの実習で、実戦に行かせるのはやめてくれ」
ノバラ生徒会長、姉さんは微笑んで私を見る。まるで夢を語る子供を見る大人のように。
「やっぱり来るわよね」
やっぱり?
「もう、297回目なんじゃないかしら」
どういうことだ、私は初めてこのことを言いに来たはずなのに。
「えっと、ヒナゲシさんだっけ、あなたに恋をしてしまった子は。その子も戦地に向かって297回よ」
意味が分からない。
「そんな戦争、とっくの昔に終わってるのよ。だけどね、世界の上層に住む人たちは娯楽に飢えているの。その方々の一つの娯楽なのよ。彼女たちの戦いは。
「私や、その他の天才が、あなたたちの記憶を変えて、何度も戦わせているの。そして、その過程で、ヒナゲシさんは毎回あなた、ツキミソウに告白をして、いつもあなたは私にお願いに来る。
「この説明も297回目なのよ」
私は気が遠くなりそうだった。姉さんのことを信頼してた訳じゃない。だけど、そんなことをしていたなんて。私は生徒会室を抜けて、駆け出す。きっと、これも297回目なんだろう。
私は教室について、待っていたヒナゲシに向かって叫ぶ。
「さっきの話、オッケーよ。いつでも抱きしめてあげる。だから、絶対に悲しい別れなんて言わないで」
ヒナゲシの花にはできない注文だ。