279話 悪意の襲撃
せめて少しくらいは歩きやすいようにと、木こりたちが頑張って地面に積もっていた落ち葉や枯れ葉、雑草などを取り払ってくれたおかげで、それなりにまともな道が出来ている。
泥の混じる剥き出しの土は、踏みしめると少し沈んで頃合いのクッション性を発揮する。
木の根が張り巡らせているようなこともなく、これなら小一時間歩いていても疲れないだろう。
もっとも、どこから魔獣が飛び出してくるか分からないという恐怖は過度のストレスとなり、胃と毛根に多大なダメージを負わせてくるが。
「もう随分歩いたのにまだ着かないのか?」
「そうは言うですけど、お兄ちゃん」
ロレッタに背を突かれて振り返ると、すぐそこに門があった。
「門、近っ!?」
全っ然進んでなかった。
「仕方ないさね。お偉いさんが大勢いるし、万が一があっちゃ事だからねぇ」
「ウチの連中も、いつにも増して慎重になっているようだねぇ。相手が誰であれ、緊張はし過ぎるなと言い聞かせちゃいるんだが……まだまだ尻が青いね」
メドラが嘆息するが、『BU』と外周区ほぼすべての領主が一堂に会しているのだ。緊張するなという方が無茶だ。
緊張しているというより、慎重になってるって感じか。
先行し安全を確認するチーム。
団体の先頭に陣取り前方を警戒するチーム。
左右に展開し、領主たちを囲むように警護するチーム。
先行チームと先頭チームの間を往復して、逐一情報をやり取りするチーム。
そして、団体の中にいて、何が起こっても即対応できるように常に神経を研ぎ澄ましているチーム。――こいつらが主戦力なんだろうな。
将棋なら、金や飛車、角あたりか。
もう十五分ほど歩いている。
が、おそらく進んだ距離は200メートルくらいだろう。
牛歩だな。
蝸牛の歩みだ。
「もしかして、領主の中に死にかけのジジイがいて、歩幅を合わせてるなんてことは……」
「怒られるさよ」
ノーマに煙管でこめかみを突っつかれた。
誰が怒るんだよ。
一番年長のドニスか?
怖かねぇよ。
「なんかねぇ、一歩進むごとに何か話をしてるみたいだよ?」
マーシャが前方の団体を指差して言う。
確かに、エステラの周りには無数の領主が群がり、あれやこれやと話しかけている。
「みんな、四十二区と懇意になりたいみたいだよ~☆」
耳のいいマーシャがそんな情報を教えてくれる。
すげぇな。こんだけ離れていると、さすがに聞き取れねぇよ、俺は。
「ルシア姉に、どーしたら四十二区と仲良くなれるのかって聞いてる人もいるみたい☆」
くすくすと肩を揺らすマーシャ。
エステラにルシア。懇意にしている領主二人が対応に追われている様が面白いらしい。……ドSか。
「あ、ヤシロさん。エステラさんたちが曲がりましたよ」
ジネットが前方を指差す。
領主たちの一団が西側へと角度を変える。
領主グループに一般人たる俺たちが近付くとろくなことがないと、相応に距離を取っていたのだが、視界から消えるのは避けた方がいい。
「じゃあ、俺たちも行くか」
「はい」
「それじゃあ、全員アタシについておいで。アタシが魔獣から守ってやるからさ」
頼もしいメドラの言葉に、多くの者が笑みを浮かべる。
メドラに水槽を押してもらっているマーシャも、後方のメドラを見上げてにこにこしている。
メドラはその視線を感じているはずだが、頑なに視線を合わせようとしない。
どうやら、一方的にメドラがマーシャをライバル視しているようだ。
……ガキみたいなことすんなよなぁ。
「それじゃあ、そこの木を曲がるからもっと近くに寄りな。アタシの視界から消えると危険だよ」
メドラが大木を曲がって目が届かなくなった瞬間、待ってましたとばかりに魔獣が襲いかかってきては大変だ。
そんな感じで、多くの者がメドラの周りへと詰め寄る。
危機感というより、この非日常を楽しんでいるようだ。
危険な森の中に足を踏み入れているこの状況と、オールブルーム最強の狩人メドラ・ロッセルに護衛してもらえるという今だけの贅沢な時間を。
押し合いへし合い、ひしめき合わない程度に人々が密集していく。
オシャレをしている俺たち以外にも一般参加者はいる。
俺たちはウクリネスの強い要望でめかし込んでいるので後ろ姿でも、遠目でもはっきり分かる。
逆に言えば、めかし込んでいないごく平凡な一般人が俺たちの中に紛れ込むと目を引いてしまうわけで――
「オイ」
俺は、必要以上に輪の中へと割り込んでいく不審なその男にすぐ気付くことが出来た。
「……チッ!」
俺が声をかけると、その男は手に持っていた何かを乱暴に放り投げた。
マーシャのいる方向へ。
視線が一瞬、投げられた小瓶へ向かった隙に男は踵を返して街門の方向へ駆け出した。
「門番! そいつを通すな!」
「必要ないさね!」
俺が叫ぶのと同時に、俺の両サイドを突風が吹き抜けていった。
ノーマとデリアがトップスピードで駆け出し――
「ぅわっ!?」
――デリアが広がったスカートの裾に足を取られてすっ転んだ。
……うわぁ、顔面から落ちた。痛そう。
「くそっ! 動きにくいなぁ!」
デリアは普段短パンとチューブトップだもんな。
袖とか裾に慣れていないのだ。
ひらひらしたドレスを着ていつもと同じ動きをしようとすればそうなるよな。
一方のノーマはドレスアップにも慣れているようで、どんな服を着ていても普段通りの動きが出来るようだ。
ノーマは普段から着物の亜種みたいな、裾や袖の長い服を着ているからな。
「捕らえたさよ!」
街門に届く前に、暴漢はノーマによって取り押さえられた。
「マーシャは?」
「平気だよ~☆ みんなありがとうね~☆」
マーシャに怪我はないようだ。
だが。
「メドラ……大丈夫か?」
「なぁに、これくらい大したことじゃないさ」
メドラの腕が焼け爛れていた。
あの小瓶に入っていた液体のせいか。
「それより、マグダは平気かい?」
痛々しい自身の腕の傷を気にも留めず、マグダの様子を窺うメドラ。
どうやら、マーシャに向かって投げられた小瓶を受け止めたのはマグダのようだ。
「……平気」
空になった小瓶を手に持ったマグダがこちらを向く。
「……口が開いていたため、少し指に付いただけ」
ジネットの目が見開かれる。
マグダの人差し指の第二関節付近が赤く爛れている。
「マグダ、すぐにその瓶を離すんだ。液が垂れてくるかもしれん」
上着を脱ぎ、それで小瓶を包んでマグダから取り上げる。
中身が何か分からない以上、そこら辺に捨てるのも危険だ。
もし、魔草を急成長させる成分でも含まれていれば、この場所が危険地帯になってしまう。
「ジネット、水筒は持ってるか?」
「は、はい!」
「マグダの火傷にかけてやってくれ。ゆっくりと、たっぷりと」
「はい」
薬品が皮膚に付いた時は、すぐさま大量の水で洗い流すのが鉄則だ。
「ロレッタ」
「はいです! レジーナさんを呼んでくるです! あと、弟妹総動員で綺麗なお水を大量に持ってくるです! メドラさん、ちょっとだけ待っててです!」
「アタシは平気だから、慌てるんじゃ――」
「メドラさんが平気でも、メドラさんに何かあればお兄ちゃんが平気じゃなくなるです! 超特急です!」
凄まじい速度でロレッタが駆け抜けていく。
まずは水だ。
街門のそばの川に向かう方がいいか?
「イメルダ。ナタリアに報告を頼めるか」
「かしこまりましたわ」
「ただし、『騒動が起こった』とだけ伝えて、詳細は伏せてくれ。俺の指示だと言えば、ナタリアはそれ以上聞いてこないだろう」
「そのように伝えますわ」
優雅さを損なわないように、それでもかなりの早足でイメルダが駆けていく。
「メドラ」
こいつは約束を守ってくれた。
俺が、マーシャを守ってやってほしいと言ったから。
メドラは、体を張って守ってくれた。
「ありがとう。恩に着る」
深く頭を下げる。
メドラの心意気に、全身全霊の敬意を表して。
「や、やめとくれよ、ダーリン。これが、アタシの仕事なんだよ」
だとしても、だ。
「メドラがいてくれて、本当によかった」
顔を上げると、微かに世界が歪んでいた。
大丈夫だ。メドラはこんなことでは死なない。殺したって死にゃしない。
メドラを殺せる生物なんて、この世界にもどこの異世界にも存在しない。
けれど、顔を上げた時にそこにちょっと困ったような顔があって、すげぇほっとした。
命にかかわるような大事にならなくて、本当によかった。
「だ、だーりん……」
らしくもなく、呆けたような表情をさらすメドラ。
どんな時も油断なく研ぎ澄まされている狩人の鋭い視線は見る影もなく、寝起きの子猫のような無防備な瞳がこちらを見ている。
「だ、大丈夫だからね? だから、そんな、ほら……泣かないで……」
「泣いてねぇよ」
これは、ちょっといろいろ思い出しちまっただけだ。
だが……
「お前に何かあれば泣くかもしれんから、無理と我慢はするなよ」
レジーナに頼んで、俺が責任を持って手当てをしてやる。
火傷の痕一つ残さず、綺麗な腕に戻してやる。
と、そんな意気込みをおのれの中で確かめていると、メドラがぺたんと地べたに女の子座りして、デカい両手で顔を覆い隠した。
「あぁ……もぅ………………好き過ぎる……っ」
太い指の間から漏れ出てきた吐息と声は、覚えたての恋に戸惑う少女のようで……ギャップが、えぐいよね。
「これは、うん。しょ~がないよ、ヤシロ君☆」
少女になったメドラを見下ろす俺の肩を、マーシャがぽすっと叩く。
まぁ、今は……それもしょうがないさ。
今は、メドラへの感謝の方が強いからな。
ロレッタの指示を受け、弟妹が入れ替わり立ち替わり、バケツリレーの要領で大量の水を運んできてくれた。
「メドラさん、お水かけるよ。痛かったら言ってね」
「あぁ、悪いねぇ、パウラ」
「なに言ってんのよ。一緒のベッドで眠った仲でしょ」
「あははっ。あれは楽しかったね。またお邪魔させてもらうよ」
「え…………う~ん、それは、どうかなぁ……」
樽から桶で水を掬い、メドラの火傷へ水をかけてやるパウラ。
ネフェリーと交代で、途切れることなく水をかけ続けて薬品を洗い流す。
「マグダさん、痛みはありませんか?」
「……平気」
「隠すな」
「………………ちょっと、ひりひりする」
耳が寝ているので痛いのだろうと思ったが、やっぱり無理してたか。
「マグダさん。具合が悪いことを隠すのはダメですよ。わたし、泣いてしまいますから」
「……ごめんなさい。もう、隠さない」
「隠すより、甘えられる方が喜ぶからな、ジネットは」
「はい。たっぷり甘やかしちゃいます」
「……では、後ほど」
マグダの尻尾がさわりと、ジネットの足を撫でる。
現在、トラブルが起こった旨をエステラに報告し、俺たちは街門のそばまで引き返して応急処置を施している。
いくら他に狩人がいるといえど、メドラとマグダがこんな状態で魔獣に遭遇するのは危険だからな。
街の中へ引き返してもよかったのだが、街の中――街門の向こうには人が大勢待っている。
式典を終え戻ってきた領主たちを出迎えるために、だ。
その中に、暴漢の仲間がいないとも限らない。
件の暴漢は、ノーマに捕らえられた後、四十二区の牢屋へと連れて行かれた。今日の式典が終わり次第取り調べが始まる。
あっさり話してくれるかどうかは分からんが……
連れて行かれるまで、ヤツは一切口を開かなかった。
だから、ヤツが単独犯なのかはたまた仲間がいるのか、現状分からずじまいなのだ。
そんなわけで、今のところ一番安全なのは街門のすぐ外。ここなのだ。
「ヤシロさん」
ナタリアへ報告に行っていたイメルダが戻ってくる。
何度も往復させて悪いな。
「とりあえず、領主のみなさんは港建設予定地で待機してもらうようですわ」
ナタリアには「危機が完全に払拭されるまでは安心できないので、領主たちは一般客とは離れて待機していてもらうように」と伝えてある。
この場にいる者の身体検査はさっさと終わらせたが、まだ合流の合図は出さない。
こちらの処置が終わって万全になるまでは待たせるつもりだ。
領主たちは先行していた。
事件が起こったのは領主たちが俺たちと完全に離れた後だ。
だから、領主たちにはこちらで何が起こったのかは分からない。
どのような事件が起こり、どのような危険が排除できていないのか。
それが分からないのだから、待機に不満を漏らす者はいないはずだ。
「こんな危険な場所にいつまでもいられるか! 俺は帰らせてもらうぞ!」なんて、ミステリーでお約束の犠牲者フラグを立てるヤツもいないだろう。
メドラが負傷したということも伝えてもらった。
それだけの危機的状況だということは領主連中にも伝わっている。
癇癪を起こした結果被害に遭って死にました――そんな最期を迎えたいヤツはあの領主たちの中にはいないだろう。
もし、この状況で不満を口に出来る者がいるとすれば、自身に危害が及ぶことはないと確信していて、誰がどこでどんな事件を起こすのかを事前に知っていた黒幕くらいだ。
「メドラママ、本当にありがとうね。このお礼は、必ずするからね☆」
「やめとくれ! 今アタシはダーリンからの感謝を心で反芻して浸っているんだよ! あんたの軽薄な感謝で汚さないでくれるかい!? ……あぁ、ダーリンの感謝…………尊い……」
「メドラママ、ちょ~さんきゅ~Pi☆」
「なんだい、そのイラッてする感謝は!? 『Pi☆』ってなんだい!? 意味が分かんないよ!」
「可愛いんだよ~☆ やってみたら?」
などと、マーシャが恐ろしいパスを魔神に渡したものだから――
「ダーリン、泣いちゃイヤだっPi☆」
「ごふっ!」
――心に、痛恨の一撃を喰らった。
くそ……近くにハビエルもウーマロもベッコもいないなんて。
俺のバリアー……どこ、だ…………がくっ。
「ほ~ら、おもろいことしとらんと、ちゃっちゃと患者さん診せてんか」
地面に四肢を突きうな垂れる俺の頭上から、カラッとした関西弁が降ってきた。
「よぅ、来てくれたか」
「まさか、街門の外に呼び出されるとは思わへんかったけどなぁ」
いつものお出かけ往診セットを肩に掛け、それはもう大層立派なパイスラを惜しげもなく日の下に晒して、レジーナが駆けつけてくれた。
「ありがとう、レジーナ!」
「ほなら、早急に荷物降ろそ」
あぁっ!? パイスラ様が!?
「で、成分は分かったか?」
「まぁな。ちょっと時間かかってもぅて申し訳なかったけどな」
「なぁに、慌てて中途半端な処置をするより、お前に任せた方が確実だからな」
「……自分の期待は、ホンマ重いなぁ」
「にししっ」っと歯を見せて笑い、「失敗できへんやんか」と楽しげに言う。
失敗なんかされちゃ困るんだけどな。
レジーナには俺の上着で包んだ空瓶を渡し、中に入っていた液体の成分を分析してもらっていた。
中身が何か分かれば、正しい処置が出来るからな。
「うん。応急処置はばっちりやね。さすがやな、自分」
「まぁ、劇物が付着した時の基本だしな」
「その基本を知っててくれて助かったわ。放置しとったり、下手に薬塗っとったら悪化しとったやろうしな」
硫酸などが皮膚について炎症を起こしている時、アルカリ性の強い薬を使用すると中和熱というものが発生して火傷が酷くなる時がある。
このレベルの炎症ともなると、俺では完全にお手上げだ。専門家に縋るしかなくなる。
「ほな、患部を見せてくれはりますか?」
「あぁ。よろしく頼むよ」
「トラの娘はんも」
「……マグダはあとでいい。メドラママを、早く」
傷の大小はあれど、マグダだって痛いはずだ。
なのに、メドラの大怪我を見ていられないのだろう。
「ありがとうよ、マグダ。あんたは優しい子だね」
「……マグダは、甘やかしてもらっている最中だから……それだけ」
ジネットにぎゅっと抱きつき顔を大きな胸に埋める。
照れくさかったらしい。
………………いいなぁ。
「自分、視線と表情が正直過ぎるさかい、気ぃ付けや?」
「……いいなぁ」
「口まで正直になってもぅたな。ちょっと黙っててんか、真面目にやるさかい」
レジーナに叱られ、俺は口を閉じる。
マグダはジネットに任せて、俺も何か手伝うとしよう。今後のためにも、知識が欲しいしな。
「ほなら、まずこの液体を患部にかけるで。ちょっとヒリッとするかもしれへんけど、体に悪いもんやないから、辛抱してな」
「それは薬なのかい?」
「薬っちゅうか……この劇物のライバルみたいなもんやね」
劇物のライバルってことは、中和するための薬品なのだろう。
……大丈夫か?
レジーナが中和熱のことを知らないことはないと思うが……
「ちょっと、匂いを嗅いでもいいか?」
「え、ウチの? ギルド長はんの?」
「その液体のだ!」
なんでこの場面で急に匂いフェチが目覚めてんだよ、俺!? ねぇーわ!
「匂い、せぇへんで?」
薬品が入った小瓶を俺へと差し出すレジーナ。
俺が心配していることを悟って、要望に応えてくれているのだろう。
手で扇いで匂いを鼻へと送る。
……無臭。
ってことは。
「炭酸水素ナトリウムか?」
「よぅ無臭で当てたもんやな、自分。びっくりするわ」
レジーナが持っているのは炭酸水素ナトリウム水溶液だ。
硫酸などで酷い火傷を負った際、酸をアルカリで中和させる前にこの炭酸水素ナトリウム水溶液で患部を洗ってやるのだ。
そうすることで、アルカリでの中和の際に中和熱を起こさなくなる。
濃度は3%か5%……8%だっけ?
まぁ、そこはレジーナに任せておけばいいだろう。
「なんなんですか、その炭酸……なんとかというのは?」
胸の中で小さくなっているマグダを抱えて、ジネットが不安げな顔をこちらへ向ける。
この後、マグダも治療をするので気になるのだろう。
「お前もよく知ってるものだよ」
安心させるように笑って言ってやる。
炭酸水素ナトリウムってのはな――
「重曹だ」
「そうなんですか。では、体に害はありませんね」
「ただ、皮膚に付着した酸と化学反応を起こすさかい、若干ヒリつく可能性があるんや。けど、ウチを信じてくれたら、ちゃ~んと治してあげるさかいな」
「はい。レジーナさんを信用します」
にこっと笑ってマグダの頭を撫でるジネット。
レジーナも安心したように笑って、メドラへと向き直る。
「ほなら、治療を始めるで」
見る者を――特に、酷い傷を負って不安を抱える患者を安心させるような頼もしい笑みを浮かべて、レジーナは治療を開始した。
炭酸水素ナトリウム水溶液で傷口を洗い、再度しっかりと流水で傷口を洗い、その後カラシ色のねっとりとした薬を患部に塗って処置は終わった。
「大したもんだね。痛みが嘘みたいに引いちまったよ」
メドラに続き、マグダの指先の治療を始めたレジーナがカラカラと笑って応える。
「せやろ? あと五分ほどしたらその薬乾いてかちかちになるさかい、それをペリッと剥がしたら終わりやで」
そんなことを言いながら、マグダの指先にもカラシ色の薬を塗布する。
「よく頑張ったな、マグダ」
「……平気。大した痛みはなかった」
中和の際、少しだけ耳が寝ていたが、今はもう大丈夫なようだ。
「それで、結局あの劇薬はなんだったのでしょうか?」
メドラとマグダに怪我を負わせ、マーシャを危機にさらした暴漢の劇薬。
症状とレジーナの処置を見るに、濃硫酸か何かだと思うのだが。
「あれは、大昔の戦争で生み出された忌むべき悪魔の薬なんや」
大昔の戦争。
四十二区には平和ボケが咲き乱れているが、そういった暗い過去も確かに存在するのだ。
人間は、人狼や人龍、人魚と争っていたらしいからな。
「龍のウロコを溶かすために開発された劇物やね。今では取り扱いを禁止されとるはずなんやけど……悲しいかな、威力の高い兵器は需要が多ぅてなぁ」
禁止されようが売れるなら作られる。
禁止されているからこそ高値で取引される。
……業というヤツだな。
この街にも、こんな危険な物が出回っているのか。
「ほんで、さらにタチの悪いことに――」
レジーナの瞳が鋭くなる。
これまで、一度とて見たことがないほど鋭く尖った視線は、その劇物に対する怒りがはっきりと見て取れた。
「――海水を固める薬が混ぜられとった」
レジーナが言うには、それ自体は害のない薬なのだそうだ。
海上に漏れ出してしまった油などを迅速に回収するために開発された薬で、散布した付近の海水を固めて油ごとごっそりと取り除ける便利な薬なのだとか。
海水に触れると薬は即座に固まり、近くにある油やゴミを巻き込んでかちかちになる。
そうすることで、海難事故による二次被害を最小限に抑えるのだそうだ。
「この小瓶一杯の量があれば、人魚はんの水槽くらいの海水やったらがっちがちに固められてまう。もし、そうなっとったら……」
触れるだけで肌が焼け爛れる劇薬の入った水槽の中に、マーシャが閉じ込められていたかもしれないのか……
逃げようにも海水が固まって抜け出すことも出来ず……
人魚にとっては、最悪の兵器だ。
「……あの野郎が今ここにいなくてよかった」
知らず漏れた言葉に、その場にいた者たちが俺を見て、その瞬間に肩を跳ねさせた。
「たぶん、殴るだけじゃ済まなかったところだ」
自分が他人にしようとしたことは、他人が自分にしてくる可能性があるってこと、その身をもってじっくりと知らしめてやらないとな。
「だ、大丈夫だよ、ヤシロ君。ほら、私は平気だし、メドラママが守ってくれたし! ね☆」
瓶の中身を聞いた時、恐怖で身をすくめたマーシャが、俺の怒りを鎮めようと無理やり笑みを浮かべている。
……ダメだな。
マーシャにそんな顔をさせたいわけじゃない。
俺の怒りは、俺自身で対処しておくよ。
「マーシャのFカップは、この街の宝だからな。みんなで守らないと」
「むぅ。おっぱいだけなの? ぷんだ! ヤシロ君なんて知らないっ」
そんな風に怒ってみせて、戯けてみせて、心にこびりついた恐怖をひた隠そうとする。
本当は怖いくせに、弱みを見せまいと素知らぬ顔を貫き通す。
マーシャにこんな顔をさせたこと……俺は忘れないからな?
「まぁ、ウチがおればそんな危険なもんも無効化したるけどな」
「出来るのかよ?」
「当たり前やん。ウチを誰やと思ぅてんの? ウチやで?」
いや、一切心に響かねぇよ。
「ウチな、この世に大っ嫌いなもんが二つあんねん」
魔女のような大きなとんがり帽子を深く被り、レジーナが低い声で呟く。
「目の前で苦しんどる人を助けられへん自分の無力さと――」
短く息を飲んで、清涼な声で言う。
「――『好きな人と二人組作って』っちゅう、公開処刑や!」
「そっちはどうでもいいな!?」
つか、お前はどこでそれを言われたんだ?
学校にでも通ってたのか!?
この世界に『体育』とかないよな?
運動会もなかったんだしよぉ!
相変わらずのしょーもなさを発揮するレジーナ。
ふと見れば、マーシャもジネットもくすくすと肩を揺らしていた。
張り詰めていた重苦しい空気が色を変えた。
さすがだな、レジーナ。
自分の身を切って人の心を救うなんて、そうそう出来ることじゃない。
「お前のボッチは人を救うな」
「せやろ? 下には下がおる思ぅたら、人は強ぅ生きれるもんや」
それはそれでどうなんだって気もするけどな。
「おっ、もう乾いたみたいだね」
メドラが腕に塗られた薬を指で突く。
カラシ色だった薬は、白っぽい水色に変化していた。
「せやね、もうえぇやろ。思いっきり『べりぃ~!』引っぺがしてんか」
「思いっきりだね。……ふんっ!」
メドラが気合いと共に、腕を覆っていた薬を引き剥がす。
スパイ映画で、別人に変装していたヤツがマスクを剥がすシーンに似ている。あの質感、あの音。
「おぉ……っ!」
そして、固まった薬を剥がした下から出てきたのは、シミ一つないつるつるつやつやの綺麗な肌だった。
「痕が一切残ってないよ!?」
「いや、さすがにそれは効き過ぎじゃね!?」
火傷を負ってたよな!?
痕が消えるにしても、もうちょっと時間かかるだろう、普通!?
「あの火傷みたいな痕はな、実は細菌やねん」
火傷じゃなかったの!?
「放置しとくと、体に根ぇ張ってホンマの火傷になってまうんやけど、根ぇ張る前に対処したら綺麗に剥がれ落ちてまうんや」
いやもう、よく分かんねぇ!
細菌だけど、体に根を張ると火傷になる?
なにそれ?
どんな原理だよ!?
まぁ、人体に寄生して記憶を喰らう魔草とかいるんだし、そういうのもいるのか……
けどまぁ、なんにせよ――
「よかったな、メドラ。痕が残らなくて」
メドラといえど、一応は女性だ。
肌に醜い痕が残るのは、やっぱいろいろと悲しかったりするだろう。
綺麗になったならよかった。
「うん! これで、ウェディングドレスも着られるね!」
それはどうか知らないけどな。
あ、すみません、こっち見ないでくれますか?
管轄外ですので。
「マグダさんも、綺麗になりましたね」
「……元通り」
マグダの指先についていた火傷の痕も綺麗になくなっていた。
「痛みはもうないのか?」
「……まったくない」
「そうか」
よかった。
本当によかった。
「自分が、流水であの細菌の活性化を防いでくれたおかげやで。もうちょっと根ぇが深くなっとったら、多少は痕が残ってもぅとった思うわ」
「そっか。効果があったならよかった」
俺が水をかけようと思った理由とは随分と異なるが。
……結局、あの小瓶の中身はなんだったんだよ。まぁ、聞いても分からないんだろうけど。
「それでは、エステラさんに伝えて参りますわ」
「悪いな、イメルダ」
「いいえ。スチュアート・ハビエルの娘だからこそ、領主たちが話しかけてきにくいのですわ。他の方でしたら、取り囲まれて状況の説明を求められましてよ?」
確かに、イメルダを囲んで「どうなっているんだ、教えろ!」なんて出来ないよな。
背後にムッキムキの怖ぁ~いお父さんがいるんだから。
「あぁ、そうだ。イメルダ」
狩人と木こりにがっちりとガードされながらエステラのもとへ向かおうとしていたイメルダを呼び止める。
「エステラに伝えといてくれるか」
ついでの伝言を頼む。
ちゃんと伝えてくれよ。
「『しばらく泳がせる』ってな」
こんなことを仕出かしたヤツと、こんなことをさせたヤツを、許すつもりは毛頭ねぇからな。
あとがき
どうも!
やることなすこと初級編、ファイナ○ファンタジーの赤魔導士のような宮地です。
(ゲームを知らない方のために:赤魔導士って、黒魔導士が使う初級攻撃魔法と白魔導士が使う初級回復魔法と戦士よりやや低めの攻撃力という、オールマイティだけど、全体的に本職より劣る器用貧乏タイプなジョブなんです)
ちょっとだけ絵を描いて、ちょっとだけ作曲とかして、ちょっとだけおっぱいに詳しい。
そんな人間なんです、私というのは。
……はいすみません、おっぱいはちょっとではないです。
そんな赤魔導士な私は、ちょっとだけ中国語が話せます。
宮地「うぉーしぇんちー、ぺーちんかおや」
どーです!?
思わず「あいやー!」って声が出ちゃったでしょう!?
え、意味ですか?
宮地「北京ダックが食べたいです!」
はい!
これしか知りません!
もし中国で迷子になったらこのセリフだけでなんとか乗り切ってやろうと思っています!
あと、英語もちょこっとだけ出来ますよ☆
宮地「あいうぃっしゅ、あいわー、あ、おっぱい!」
もし、私がおっぱいだったら……いいよね。
……このCM、きっと最近の若人たちには伝わらない……まぁ、それでもいいさ!
私の英語力は、これくらいが限界ですし~――せーの!
お寿司!(*´▽`*)ノ
……ふぅ。
会場との一体感、素晴らしい。病みつきになりそうです。
いつか、このあとがきが書籍化され、やがて映像化された暁には
私、あとがきで武道館ライブを敢行したいと思います!
さぁ、お誘いの声、カモン!
(・_・ ) …………
( ・_・) …………
(。_。 ) しょぼ~ん
どうやらお声はかからなかったようです。
残念です。
さて、そんな私なのですが、
小学生の頃に手話を教わりまして、
これまたほんのちょこ~っとだけ手話が分かるんです。
とはいえ、小学生のお勉強レベルです。
「ありがと」とか「好き」とか「大丈夫?」とか「おっぱい」とか
そういう、日常でよく使う簡単なものだけですけれど。
ちなみに、手話の「おっぱい」は――
みなさんの想像通りの仕草です!(*´▽`*)
私が知っているだけで四種類あります。
おそらく一番分かりやすいのが、両手を開いて指を揃え、胸の上に水平に持ってきて大きく弧を描くように胸の下へ手を移動させる。
「ぽぃ~ん」のジェスチャー。
これで「おっぱい」だと伝わります。
あぁ、そうそう。
手話をする時は、はっきり分かりやすく口を動かしてあげましょう。その方が伝わりやすいですので。
ではみなさんご一緒に。
右手を開いて指を揃えて、胸の上へ水平に。そして「ぽぃ~ん」と大きく弧を描いて手を下へ移動させながら、口は大きくはっきり動かして、
「おっぱい!」
はい、よくできました☆
そして、「おっぱい」その2ですが、
胸の下へ両手を持ってきて、おっぱいを下から支えるように、包み込むように手を丸くして、そう、卵を乗せているように優しい手つきで、その手を左右に揺らします。「ぷるぷるん」と。
これも、「おっぱい」の手話です。
本当です!
もし間違っていたら、
私に教えた先生が間違っていたということですので、
苦情は私の母校へお願いします。
「ぽぃ~ん」に続いて「ぷるぷるん」も「おっぱい」なのです。
続いてその3。
両手の指を大きく開いて、自分の胸を鷲掴みにして「もみもみ」。
これも「おっぱい」を表す手話です!
本当です!
嘘じゃないもん!
「ぽぃ~ん」「ぷるぷるん」「もみもみ」みんな「おっぱい」です!
そしてその4!
「え、まだあるの?」とか言わない!
ここ、テストに出しますよ!
ちゃんと聞いてください!
「おっぱい」その4は、
右手のひらを開いて、指を揃えて、右胸の前に手のひらをそっと添えて、左胸を通るくらい大きく、ゆっくり円を描きます。
これで「胸」を表す手話になります。
なだらか~に、する~んと、すと~んっと、すっかすか~っと、なんの障害物もない感じで円を描くので、きっとこれで「エステr……」――サクー!
「ぽぃ~ん」「ぷるぷるん」「もみもみ」「すっかすか~」、すべて「おっぱい」を表しますし、だいたい伝わります。
手話って、学んでみると面白くて、
結構ユニークなジェスチャーだったりするんですよ。
たとえば、「明治」は、仙人のように長いアゴ髭を撫でるような仕草で表現したり、
「大正」は立派な口ひげをなぞるような仕草だったりするんです。
そういうイメージなんでしょうね。
なので「おっぱい」は「おっぱい」と分かれば、それはもうすべて「おっぱい」なのです!
「おっぱい」は「おっぱい」故に「おっぱい」たり得るのです。
というわけで、皆様も是非、手話を使う機会があれば、四種類の「おっぱい」を使い分けてみてください。
……えっと、もうちょっと使いやすい手話もお教えしておきましょうかね。
いや、なんか、「ふざけてるのか!?」ってお叱り受けそうなので……
私は真面目に「おっぱい」を広めたいだけです!
でも、一応「おっぱい」以外もお伝えしておきましょう。
とても優しい言葉を。
皆様にぜひ使っていただきたい、そして、こういう言葉が自然と出てくる皆様であっていただきたいという願いも込めまして。
「大丈夫」
という手話をお教えいたしましょう。
その前に、
手話では、疑問形にする時は首を右へ傾けます。
とても可愛らしい仕草なので、私は大好きなのですが、
「大丈夫」の仕草をした後、首をこてんと傾けることで
「大丈夫?」になるのです。
どの単語も、すべてこれで疑問形になります。
それを頭の片隅に置いておいていただいて――
「大丈夫」
まず、右手を開いて指を揃えます。
その右手で、左胸、右胸の順番で軽く叩きます。
「ぽん、ぽん」とテンポよく。
これは、自分が「大丈夫です」という意思を表示する場合と、
不安げな人に「大丈夫だよ」と安心させてあげる意味合いになります。
そして、手を開いて指を揃えた右手で、左胸右胸と順番に叩いた後で首をこてんと傾げると、「大丈夫?」になります。
もし、つらそうな方や、悲しそうな方がいたら、是非「大丈夫?」と声をかけてあげてください。
それはきっと、美しい光景になるでしょう。
もしそれが、巨乳美女同士なら……
巨乳美女「ぽょんぽょ~ん、こてん」(大丈夫?)
巨乳美少女「ぽょんぽょん」(大丈夫です)
美しいっ!
んぬぁぁあ!? 抗議の電話が!? お怒りの投書が山のように!?
でも、「大丈夫」の仕草は本当ですからね!
是非覚えて帰ってくださいね☆
あと、決してそーゆー目では見ないように、ね☆
次回もよろしくお願いいたします。
宮地拓海




