42. 因果律
ちょっと流血表現あり。
「……っ!」
ユリシーズは打ちかかって来た異形の男の長剣を正面から受けた。
「ユーリ!」
トゥーリの声に咄嗟に剣を引いて後ろに飛んだ。右足を熱い塊が掠める。少し離れた所に衝撃音が轟いた。精霊魔術だ。
「ははは!」
「くそっ!」
ユリシーズは黒剣で拳大の火の弾を切り裂いた。打ち洩らしたものはトゥーリの風の術が包み込んで消していく。同時に発生させた真空の刃が異形の男を刻む。相手が体勢と整える前に再度斬りかかった。もろに肩に入ったはずの斬撃はまるで鋼鉄を叩いたかのような手ごたえがあった。じんと痺れが手先から肘へ抜けていく。
「切れない!」
「無策で挑むほど愚かではないぞ」
「……」
「何も知らないようだな。お前にその剣を手にする資格はないらしい」
ユリシーズは挑発に乗らないように必死で自分を律した。言われなくてもそんなことはわかっている。手には馴染んでも何となく”借り物”という気がして仕方ない。
「焼き討ちにした『熾き火の里』から、それだけ持ち出したのだろうな」
相手が突きの型に変えたのを見て、ユリシーズも同じように剣を構えた。突き技なら祖父にも負けない自信がある。
「それってどこだよ?」
「ここから西だ」
こちらに突進してくる長剣の軌道を読みながら腕を捻って急所を狙う。喉元の衣服を切り裂き、切っ先が掠めた。
「ちっ、浅かった」
ざざっと砂と小石を蹴散らしながら後退すると、追い打ちに再び真空の刃が幾つも異形の男に襲い掛かった。
「らしくないね」
「悪い……」
「あいつはただの化け物だ。本人がそう言ってただろ?」
「わかってるよ」
「僕が隙を作る。見逃さずに一気に決めろ」
トゥーリは剣を抜いて軽く印を切ると精霊を召喚した。蛍のように淡く光る梟、空色の瞳をした大きな黒豹が複雑な文様を描く陣から姿を現わした。
「奴の息の根を止めろ」
『心得た』
掠れた老人の声で梟が答えると、豹が空気の渦をいくつも纏って異形の男に襲い掛かった。髪が彼らの戦う渦に引かれて舞った。気圧がどんどん下がって息が少し苦しい。
「あれが精霊魔術? すげえもんだな」
敵を全部倒したヘクターが小剣から血を払いながら戻って来た。
「精霊を呼ぶのは俺も初めて見た。とんでもねー光景だな……」
ユリシーズはトゥーリの作ってくれる隙を見逃さないように身構えた。精霊達と以心伝心の連携攻撃をしながら、激しく剣を打ち合う。その合間合間にパッと火が燃えあがっては一瞬で消えていく。精霊魔術を相殺し合いながらトゥーリが相手の剣を捉えた。異形の男は目を剥いて息が詰まったようにえづいた。
そこを逃さず、ユリシーズは数歩の距離を駆け、間合いを一気に詰めて『銘なし』を突き込んだ。
「ちくしょう!」
黒剣の切っ先が左胸に浅くめり込んだ。確実に心臓を狙ったのに躱されて歯噛みした。何かに気づいたトゥーリが「下がれ!」と焦ったように叫んで全員が距離をとった。
「味な真似をするではないか……!」
がはっと血を大量に吐いた異形の男は地面に両手をついた。ズズッと地面に足が沈み込む。
「やべえ、外に出ろ!」
ヘクターの焦った声にユリシーズとトゥーリは咄嗟に近くの窓から外に飛び出した。古城は城郭から崩れ落ちる様に瓦礫になっていく。地面に手をついて転がって受け身を取るとすぐ立ち上がり、城の崩壊に巻き込まれない様に離れた。
「さっき何したんだ?」
「風を操って息の根を止めた。生き物なら空気がなきゃ死ぬだろ」
「マジか。えげつない」
「それにしてもユーリが外すなんて」
「俺も絶対いけたと思った」
息苦しさに襟を緩めながら油断なく辺りに気を配る。背後のセラ達は無事のようだ。前に向き直った瞬間、しゃらりと襟元から音を立てて翡翠の石がこぼれ出て、その石が風に吹かれるようにふわりと浮いた。
「トゥーリ!」
咄嗟に思い切りトゥーリの肩を突き飛ばしてユリシーズは後ろに跳躍した。足元の土砂が勢いよく噴き上がった。
「よく躱したな」
「あんた、火の術だけじゃないのかよ……!」
「奥の手は隠しておくものだ。さあ、続きをしよう」
血塗れの口をにいいと開いて、再び長剣を翳して踊りかかって来た。『銘なし』で斬撃を受ける。返す刃で白い肌が露出した首を狙った。少し切り裂いて止まり、黒剣を引き抜こうと身体を捻った時に腹部に熱く重たい衝撃を食らった。
「ユーリ!」
セラとリオンが同時に悲鳴を上げた。ユリシーズは吹き飛ばされて木に叩きつけられ、地面に倒れ込んだ。手から『銘なし』がカランと乾いた音を立てて転がり落ちる。
「ダメだ! 危ない!」
「いやぁ! ユーリ! ユーリ!」
飛び出して行こうとしたところをアルノーに羽交い絞めにされて、セラはジタバタと暴れた。
「おししょーさま、何とかしてぇ!」
ハンナの悲鳴にリオンはそちらをみた。とてもじゃないが手が回らない。フーゴとアキムも明らかに普通と違う兵を相手に苦戦していた。何度斬っても倒れない。生きているのに死人兵のようだ。マルセルが援護している砲兵達も防戦一方だ。だが、ここを突破されるとセラ達が危ない。皆必死だった。
「二度も俺の故郷を焼きやがって、このクソ野郎が」
ヘクターは「借りるぞ」とユリシーズに断って地面に転がった『銘なし』を拾い上げた。こめかみを流れ落ちる血を親指で擦ると、それを柄の石に塗りつける。刀身全体に赤黒く細かな文様が浮き出し、柄の石が一瞬だけ光って静まった。
「え……」
ユリシーズと全く同じ反応を示した『銘なし』にセラはぴたりと動きを止めた。そういえばヘクターはどこの出身だったか。混乱した頭の中に答えは見つかりそうになかった。
「はははは! 何が、何が四英雄を根絶やしに、だ! どうあっても囚われた輪からは抜け出せぬ! 傑作だ!」
「黙れ」
ヒュッと黒剣で空を裂いてヘクターが斬りかかった。体勢を整えたトゥーリも援護に回る。
「お前が本当の剣聖なんだろう? 魔剣士までこの場に揃っていては笑うしかないな! はははは!」
「知るかそんなもん。てめえは八つ裂きにしても気が済まねえ……」
ユリシーズは揺れる頭を抑えながら顔を上げた。ヘクターが『銘なし』をまるで自分の手のように自在に振っている光景を見て、すとんと何かが腑に落ちた。
身を起こすと胸に激痛がはしる。せっかく治った肋骨がまた折れたらしい。息を吸うたびにひどい痛みがして吐きそうだ。必死に痛みを堪えながら、彼らの邪魔にならぬようゆっくりと下がった。
「あ、よかった。ユリシーズ様、立ち上がってます」
「やばいな、顔が真っ青だ。また胸をやったかも。セラちゃんを頼むね」
侍女達の答えを聞く前にハルバードを投げ捨てて、アルノーはユリシーズの元に駆け出した。セラは祈るような気持ちでその様子を見守る。
すっと目線を動かして、白髪を振り乱して戦う臙脂色の軍服姿の男を見た。片目が赤い亜生物の色をしていたが、もう片方は鮮やかな翡翠色。それは自分とよく似ていたが、完全に正気を失っていた。
「いー加減、くたばれ!」
リオンは最後の爆弾に火をつけると、鋼線で絡めとった異形化しつつある帝国兵の口に押し込んでやった。思い切り回し蹴りを食らわせて、アキムと戦っている帝国兵の所に吹き飛ばす。
「フーゴ、下がれ!」
アキムの声にフーゴは跳躍して大きく距離を取った。先ほどまでいた辺りがざあっと音を立てて砂になる。爆弾を咥えた帝国兵が激突して、もんどりうって転がる彼らを砂が埋めた。数秒後に派手な砂煙と共に何かがばらばらと散らばり落ちた。
「お見事」
パチパチと拍手をしながらリオンが寄って来た。アキムは土まみれの手を叩いて相棒をキッと睨み付けた。
「こんのドアホ! 俺達が臓物まみれになるところだろ!」
「そんなの見たらデイムが卒倒しちゃうよ……」
フーゴの悲痛な声にアキムはもう一度地面に手をつけて、さらに彼らを砂で深く埋めた。むごたらしい姿を晒す他の帝国兵も、この地の精霊に「埋めてやってくれ」と頼む。さらさらと音を立ててできた砂の穴へ埋まっていった。懐から鋼線付の短剣を取り出すと、激しく打ち合うヘクターと異形の男の援護に向かった。
ガキン! と大きな音を立てて剣が火花を立ててぶつかる。激しいつばぜり合いに異形の男は愉快そうに笑い声を上げた。
「楽しいなあ! ははは!」
「くそ、早く倒れろ、ってんだ!」
前蹴りを放って距離を取る。だいぶ削れたはずだが、まだ倒れない。ヘクターは血の混じった唾を吐き捨てて黒剣を正眼に構えた。
「死人兵と同じだ。身体を完全に破壊するか首を刎ねるまで俺は戦い続けるぞ」
「なるほどね。ユリシーズ様はそれで真っ先に狙ったわけね……」
無茶をする、と思ったが一番確実で手っ取り早い方法だったらしい。空気を裂く音と共に異形の男の腕に変わった形の手裏剣がめり込み、続けて飛んできた鋼線付の短剣がそこに絡みつく。その先にいるのはアキムだった。暗器で足止めをしてくれている、今が好機だ。
「く……」
トゥーリも真空の刃を打ち出し足止めする。ヘクターは烈風が渦を巻く最中に突進して心臓を一突きした。ごぽりと血の塊を吐きだして、胸元に埋まる黒い刀身を見つめてから口元がゆるゆると笑みの形になり、ゆっくりと崩れ落ちて行った。
「やった」
アルノーに肩を借りて立っていたユリシーズは、黒剣を手にしたヘクターの元へと歩き出した。セラはぎょっとしてその腕に縋りついた。
「ちょっとユーリ、動いたらダメ! まだ手当してないのに」
「セラ様、お待ちになって!」
「危ないですよ!」
ユリシーズとアルノー、それについて行ったセラを追って侍女達も駆け出した。トゥーリとヘクターの足元では血に塗れ、いまにもこと切れそうな異形の男が倒れていた。
「ふ、ははは。お前達が亜生物を斬ったように、俺も解放軍の兵士達を切り刻んできた……因果応報、ということか……」
「精霊殿と女神官長シビルの名において、あなたを拘束する」
「死体でよければ、好きにするがいい。そこの翡翠色の目の娘……何者だ」
「わ、私は、第九皇子ジュストの娘、セラフィナです」
「娘……か……。ふん、俺達を根絶やしにすると言っておきながら……」
「あなたは?」
「……人であった頃の、名など、とうに忘れた……」
苦しそうに笑ってから、ごほっと咳き込んで一度目を閉じた。あちこちがどす黒く染まった臙脂色の軍服は見覚えがある。父と同じ階級章はすっかり擦り切れていた。見た目は若者なのに白髪で、顔の半分は爬虫類のような鱗に覆われている。再び開いた翡翠の瞳は焦点の合わなくなったままセラを見て、瞳から光が消えて行った。
トゥーリが自分のマントを広げて遺骸を覆い、その周りに剣で方陣を描き始める。悪い精霊に魂を持って行かれないようにする呪いだ。人として送ってあげるのが手向けになるのだろうか。セラはユリシーズの腕に縋りついたまま呆然とそれを見続けた。
「気になるのが森の奥ですけど……異様な気配がします。生き物や精霊の気配がないのはそっちのせいかも」
「行ってみるか……?」
「ユーリはダメ! 早く手当てしよう?」
「いて……」
セラはユリシーズの手を引いて、安全地帯まで連れてくると座らせた。アルノーが身体に障らないよう上着を脱がしていく。胸から腹にかけて痛そうな黒い痣があった。
「い、痛そう……」
「とりあえず、打ち身の膏薬だけ貼ってさらしで巻くよ。あとは戻ってからだね」
手慣れた様子でアルノーがテキパキ手当てしていく。膏薬を当てユリシーズにさらし布の端を押えさせて力を入れて巻き始めた。
「い、いてぇ……、アルノーこれきついよ……」
「折れてるんだから固定しとくしかないだろ。我慢しろよ」
「そういえば、さっきはセラのくれた守り石のおかげで助かった……。こいつが下から来る風圧で浮かなかったら、俺もトゥーリもあの爆風に巻き込まれてた」
「本当? よかった……」
「愛の力だね」
「アルノー……お前は恋愛小説の読みすぎだよ……いてて」
「そうだ、精霊騎士達の様子が気になるなら俺達で見てこようか?」
リオンがふと思いついたように言うとトゥーリが横に首を振った。
「迷子になるからやめておいたほうがいいよ。あそこ、人が再び入れない様にちょっと細工してるから」
「錬金術師はどうなるの?」
セラがトゥーリに尋ねると、肩を竦めて答えた。
「また身体を乗り換えられちゃたまらないから、生け捕りにして棺桶にでも詰めて行く。西方大陸の皆さんに迷惑をかけない様に、南部地帯沿岸から船で帰るよ」
「もう、帰っちゃうの……?」
「うん。精霊殿はごたついてるって言っただろ? 心配せずとも君達の結婚式にはオルガとファンニを連れてくるから」
クオーンと甲高い竜の声がして頭上に影が差した。ふり仰ぐと竜が舞い降りてくるところだった。そういえばずっと森の上を旋回していたが竜の卵はどうなったのだろう。セラはゆっくりと翼を休める群青色の竜に近づいていった。




