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乙女は獅子に恋をする  作者: 龍田環
北方大陸編
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9. 大事なお荷物

 アキムの姿が湾曲した入り江に沿って走る道の向こうに消えて、少ししてからユリシーズが、さばさばとした顔で振り返った。


「さてと。俺達もここを発つ準備しないとな。セラとオルガは朝飯まだだろ?」


「まだよ。もう食べたの?」


「アキムが朝早く出立するから、先にな」


「慌てなくていいからね。俺達も荷物積んだり、色々やってるから」


 明るい笑顔でそう言うと、リオンは裏庭の方へと歩いていった。それを何とはなしに見送った三人も、屋敷に戻る。正面玄関前で「領主と話があるから」と言うユリシーズと別れて、セラとオルガは昨日行きそびれた一階の食堂に足を向けた。ちょうどパルヴィが食卓についたところだったので、お互いに笑顔で「おはよう」と挨拶を交わし、案内された席に掛けた。気さくに笑う若い侍女が、濃い目に淹れた紅茶を注いでくれたので、礼を言って口をつける。ほんのり柑橘で香りをつけたお茶は、目覚ましにぴったりだ。セラはミルクをいれてまろやかにするのが好きなので、食卓の中央に置いてあるミルクピッチャーから、たっぷりと注いだ。


「オルガ様、お加減はいかがですか? 昨日は具合が悪くなられたと聞いて心配しておりました」


 パルヴィの心配そうな声に、オルガはカップをソーサーに置いて柔らかく微笑んだ。


「ありがとうございます、パルヴィ姫。もうすっかり良くなりました」


「それは何よりでございますね!」


 頬を染めて可憐な笑顔を浮かべるパルヴィに、セラもオルガも親しげな笑みを浮かべた。本来は明るい性格の少女なのだろう。一昨日は青い顔をして泣いてばかりいた姿ばかりを見ていただけに、セラはその様子に胸を撫で下ろした。


 運ばれてきた朝食は、南部地帯特産の滋味豊かな卵のオムレツ、葉野菜のサラダ、丁寧に漉された白芋のポタージュが供された。ふっかりと焼かれた白い小麦のパンには、艶やかな木苺のジャムと、白くふわふわに練られたバターが添えられていて、セラは大いに喜んだ。昨夜はほとんど食事に手をつけられなかったオルガも、今朝は食欲が戻ったのか食が進んでいた。

 木苺はセラの大好物だ。ほどよく粒が残ったジャムをたっぷりとパンに乗せて、口に運ぶ。木苺独特の甘酸っぱい酸味と、とろけるような甘さがたまらない。美味しいものを食べると元気になってくる。セラは好物を食べたり、大好きな本を読んだりしているうちに、だんだん気分が浮上してくる。お手軽な方法で気分転換をはかるのも、対人中心の侍女や女官の仕事のうちだ。明るくて精神的に頑丈だった母の口癖「落ち込んでいても始まらない」を聞きながら育ったおかげで、落ち込んでもすぐに立ち直れるところが、セラの長所でもあった。


 食後の珈琲が運ばれてくると、パルヴィは目に見えてしゅん、と落ち込んだ。飲み終えたら出発だ。別れが近づいて、自然としんみりとした雰囲気になった。


「もう、これから発たれるのでしょう? 折角セラとも仲良くなれたのに寂しいわ」


「私も一緒よ。お別れは寂しいけど、パルヴィのことは忘れないわ。髪結いがとっても上手なお姫様、どうか、お元気で」


「ありがとう、セラ。お二人とも、お勤め頑張ってくださいね。私も良い領主になれるように、頑張ります」


「素晴らしい志しだと思います。パルヴィ姫も、どうかお元気で」


 そっと佇んでいた年老いた執事と年かさの侍女に、セラは女官の、オルガは精霊騎士の略式礼で暇を告げた。従僕が持ってきてくれていた鞄を、玄関前で受け取った。ルズベリー卿に世話になった礼を伝えたいと執事に申し出ると「旦那様は表でお待ちです」とにっこりと笑って言った。すでに外で見送るために、待っていてくれているのだろう。


 パルヴィと執事に先導されて裏庭に行くと、そこではユリシーズとリオンが、手合わせと言うには、あまりにも激しい打ち合いをしていた。左右から素早く繰り出される双剣を、体捌きと短剣一本でいなし合間合間に肱打ちや蹴りを見舞う。金属同士がぶつかる連続音と、鈍い打撃音がここまで聞こえてくる。唖然とした表情でそれを見守っていたルズベリー卿が、セラ達に気がついてやや引きつった笑みを浮かべた。


「おはようございます、領主様」


「おはよう。よく眠れましたか? 昨夜は一騒ぎあったようですが」


「はい。オルガ様とユリシーズ様に、助けて頂きました」


「ああ……それは、さぞ心強かったでしょう」


 ルズベリー卿は鍔迫り合いをしている二人を見て、然りと頷いた。


「あの、彼らは何を?」


 オルガの呆れたような声に、ルズベリー卿も苦笑した。


「私がお二人の腕前を見てみたいと申しましたら、朝の鍛錬を見学させてくれると言われまして」


「鍛錬? あれが?」


 一般的な鍛錬は、寸止めか浅く打ち込むのが基本だ。実戦さながらに確実に当てにいっている彼らは普通じゃなかった。腕に薄く赤い線を走らせているユリシーズを見て、セラは完全に引いている。オルガもルズベリー卿も「もうそのくらいに」という言葉が、喉元まで出掛かった。


 ガン! と鋭い音が響いて、二人がザッと砂を蹴立てて離れた。


「また右に振れてる。重心の取り方が甘いって、何度言えばわかるの?」


 あれだけ動いたのに、まったく息を乱していないリオンが、木目のような紋様が浮かぶ変わった形の短剣でビッとユリシーズを指した。爽やかな朝の光にギラリと輝く切っ先が凶悪だ。

 薄皮一枚切られた右腕をちらりと見てから、ユリシーズは「くそ……」と悔しそうに呟いて、左右の腰につけた剣帯に二振りの剣をおさめた。


「癖ってなかなか直らないもんだね。さ、そろそろ行こうか」


 憧れの眼差しでリオンを見ている若い私兵から「どーも」と笑顔で手綱を受け取って、ひょいと身軽に馬の背に乗った。ユリシーズもルズベリー卿に一礼してから、同年代の青年私兵のひいてきた馬の手綱を取る。鐙に足を掛けてから、ふと思いついたようにセラのほうを振り返った。目が合って、セラもどうしよう、とすぐ隣にいるオルガを見た。ここに来るときは、ユリシーズに乗せてもらったけれど、今度はどうすればいいのだろう。オルガはユリシーズに目顔で頷いてから「とりあえず、セラは私の後ろに乗って」と優しく言った。

 馬丁の老人が引いてきた葦毛の馬は、オルガの愛馬ノルンだ。セラは嬉しそうに「ノルン、久しぶりね!」と声をかけながら、そっと手を差し出した。セラの手に鼻を寄せ、おっとりとした黒い目を細めて嬉しそうに鼻を鳴らすノルンに、セラも自然と笑顔になる。彼女にはオルガと一緒に何度も乗っているので、乗り方も心得ている。オルガはセラよりも拳一つほど背が高いだけなので、鐙に足をかけても自力で鞍の上に乗ることができた。オルガが薄灰のマントを軽やかに翻して騎乗すると、パルヴィがポーッとした顔でオルガを見上げた。


「何だろう、この倒錯的な感じは……」


 表情と言うものが欠落した顔で、リオンは目の前の光景をみて呟いた。


「何で、そんな穿った見方しかできねーんだよ」


 ユリシーズは朝から何を言ってるんだと言いたげな半目で、黒髪の後ろ頭を見ながら呟いた。そんな二人の呟きを綺麗に無視して、オルガは馬上からこちらを見つめるルズベリー卿とパルヴィ姫を見た。


「すぐに精霊騎士と治安部隊が来ますから、昨夜のことも含めてお話ください。けして悪いようにはいたしませんから」


「心得ております。皆様、道中お気をつけて。ご無事をお祈り申し上げます」


 親子揃って深々と頭を下げ、まわりにいる私兵たちも主に倣い、右手を胸に置く略式礼を取った。


「では、俺達はこれで失礼する」


 けして居丈高ではない力強いユリシーズのよく通る声を合図に、三頭の馬は駆け始めた。先頭がリオンの鹿毛、真ん中をセラとオルガの乗るノルンが走り、殿にユリシーズの黒鹿毛がついた。ルズベリーの人々は、恩人をひっそりとした裏門から送り出すことを申し訳なく思いながら、三つの馬影が見えなくなるまでずっと見送った。



「これからどこに行くのかしら」


 馬を駆るオルガの細腰にしっかりとしがみつきながら、馬蹄の音に負けないように、セラは大きく声を張り上げた。


「山沿いを通って行くから、スミスターの街じゃないかな」


「通れるの?」


「海側からまわって、検問を避けていくから大丈夫」


 張りのある声で答えて、オルガは軽く愛馬の腹をくっと膝で押した。けっこう飛ばしているようだけど、何をそんなに急いでいるのだろう。前を行くリオンの背を見ながら、不思議に思った。


「二人とも、大丈夫か?」


 徐々に上がる速度についていけているのか心配して、横に馬を並べてユリシーズが声を掛けてきた。


「ずいぶん急いでいるみたいだけど、何かあるのか?」


「単にせっかちなんだ。今日中にスミスターに着きたいしな。野宿とかイヤだろ? 森の中は変な虫もいるし」


「変な虫? いたの? いつ、どこで?」


「廃屋で窓の外にいたとき。見たことない、わさわさしたやつが、すごい速さで俺の足の上を……!」


 心底嫌そうに顔を顰めながらそう話すユリシーズに、セラも怖気がはしったような顔をして、ぶんぶんと頭を振った。


「や、やめて! 詳しい描写はいらないから」


「あの時はセラがなかなか開けてくれなくて、ちょっと泣きそうだった」


「今は私のほうが泣きそうよ」


 二人のやり取りにおかしそうにフッと頬を緩めて、オルガは背後を肩ごしに振り返った。


「たった三日で、ずいぶん親しくなったのね。前から知ってる友達みたい」


「言われてみればそうかも」


「そういえば、初めて会った気がしないな」


 セラは、すぐ横を馬で駆けるユリシーズの綺麗な蒼い瞳を見た。時々人を寄せ付けない冷たい感じにはなるけれど、セラに対しては同年代の親しい友達のように接してくれる。初対面から不思議と馬が合うので、会って数日ですっかり馴染んだように思えた。


 ユリシーズはセラの翡翠のような鮮やかな緑の瞳をじっと見た。この瞳をどこかで見た気がする。心当たりはあるにはあるが、今は確定するには情報が少ない。ユリシーズにじっと見つめられて、だんだん面映そうな顔になってきたセラに「前見ないと危ないわよ」と言われて、少しだけ手綱を緩め駈ける速度を落とした。


 しばらく行くと、前方から荷馬車を引いた商人らしき一行がやってくるのが見えた。そのどこか気落ちしたような雰囲気が気にはなったが、四人はそのまま駆け続けて、ようやく山沿いの街道入り口に到着した。ルズベリーとスミスターを分断するように川が流れている。橋の手前でリオンが手綱を引いて止まり、後に続いていたオルガとユリシーズも馬を止めた。なぜ渡らないのだろう、とセラは不思議に思ったが、近くに行って理由がわかった。


「橋が、落ちてる……」


 木でできた橋は経年劣化ですっかり腐り、橋の中ほどが無残に崩れていた。川幅は馬を十頭分、縦に並べたくらいの幅だった。川面は鈍色の深そうな色をしているし、川の途中にある岩にぶつかる水しぶきを見る限り、馬で渡河することはどう考えても無理そうだ。


「まぁ想定の範囲内だな。使ってないって話だったし」


「だね。川下に狭まっている箇所があったから、そっちに行こう」


 オルガとセラも顔を不安そうに見合わせて、二人の馬についていった。


 数十分ほどでたどり着いた所は、大人の男が四人ほど腕を広げたほどの川幅になっていた。


「ここならいけるんじゃない?」


「そうだな」


 そう言い交わしてリオンが馬を川に対して垂直に向きを変え、そのまま後方へと軽く走らせる。川幅と同じくらいの距離を開けてから、馬の背に身を伏せるようにして駆け出した。全速力でセラ達の前を駆け抜けて、川の少し手前で駆けて来た勢いのまま、馬が跳躍した。軽く川を跳び越して、向こう岸へ見事に着地する。


「すごーい」


「……」


 セラは賞賛の目でそれを見ていたのだが、前にいるオルガが微妙な表情を浮かべていることに気づいた。馬を寄せたユリシーズが「行けそうか?」と尋ねると、慎重そうな声で答えた。


「私一人なら大丈夫だと思うけど、二人乗りでやったことがないから、ちょっと自信がない」


「そうか。それなら、セラは俺と行こう」


 とん、と軽い音をさせて馬から降りると、ユリシーズは馬上のセラの腰を掴んで荷物のようにひょいと肩に担いだ。


「ちょっと、人を荷物みたいに持たないでよ」


「お荷物だろ」


「ひどい! 聞いたオルガ、私のこと”お荷物”って言ったわよ、この人!」


 愉快そうに笑うユリシーズに鞍に乗せられながら、気色ばんだようにオルガを振り返った。


「大きい声出さないの。私はそんな風に思ってないから」


「オルガにまで言われたら立ち直れないわよ。ところで大丈夫?」


「大丈夫。このくらいの幅なら、ノルンと跳んだことがあるから」


 オルガはふわりと微笑して、先ほどリオンがいた位置まで行くと、優しく愛馬の鬣を撫でて「ノルンなら行けるよ」と声をかける。子馬の頃から世話をしてきたノルンは、絶対にオルガを裏切らない。馬を信じていれば大丈夫だ。馬の背に沿うように身を低くして、手綱を短く持って、思い切り馬の腹を蹴った。


 薄灰のマントを靡かせ、セラの目の前を放たれた矢のように、人馬が一体となって駆け抜けていった。風に乗るようにふわりと跳躍して、砂を蹴立ててノルンが着地した。その様子に、セラは大きく息を吐いた。


「いい腕だな」


 背後から聞こえた感嘆の声に、セラは満面の笑みを浮かべた。大切な幼馴染を褒められて、自分のことよりも嬉しくなる。


「そうでしょ、オルガはすごいんだから」


 自慢げな様子に、背後が笑っている気配がしたので、ぱっと振り返ると蒼い目を細めてユリシーズが笑っていた。皮肉っぽい笑い方よりも、この笑い方のほうがユリシーズらしいような気がする。

 そんな風に考えて、ハッとなった。これではまるで彼のことが好きみたいではないか。出会って三日でそんなこと、と、心のなかで葛藤するセラの気持ちなど露知らずのユリシーズは、腕の間にいるセラの頭をポンポンと小さな子どもにするように撫でた。


「俺が後ろから支えるけど、絶対暴れるなよ」


「わかったわ」


「よし、お前も男を見せろよ」


 笑ってポンと馬首を叩くと、馬が短く嘶いて応えた。その様子に満足そうに笑って、ユリシーズは先に跳んだ二人より少しだけ長く、助走距離を取った。


「鞍に伏せて、なるべく動かないでいてくれ」


 言われたようにすると、セラに覆いかぶさるようにユリシーズが寄り添った。日なたのような暖かさに包まれて、あまりのことに一気に顔に血が昇る。暴れたくても、そんな気力はまったく沸いてこなかった。


「頑張ったら、後で菓子を買ってやるよ」


 だから、何で菓子?! と聞く間もなく、二人の乗る馬が全力で駆け出した。常足とは比べものにならない速さと、地面から伝わる衝撃に、セラは声を出すこともできなかった。ユリシーズの身体で鞍に押し付けられるように支えられているから、落馬する心配はないものの、彼との距離の近さに心臓がばくばくと音を立てる。蹄鉄が地面を蹴る音が一瞬止んで、目の前に川が迫ってきたその瞬間、ふうっと身体が宙に浮いた気がした。「あ、空を飛んでる」と思ったのもつかの間、着地の衝撃に息が詰まる。


「セラ、大丈夫か?」


 トントンと肩を叩かれてセラが瞳を開けると、心配そうな顔で覗きこむユリシーズの顔が見えた。


「大丈夫、だと思う」


「ならいいけど。約束どおり、次の街で菓子を買ってやるよ」


 リオンが「おつかれさん」と言いながら、何やらしまりのない顔をしてユリシーズに馬を寄せた。


「何で笑ってんだよ」


 ユリシーズに文句を言われても堪える様子も見せずに、何やら一人で合点がいったように頷いて、離れていった。わけがわからない、という顔のセラとユリシーズに、オルガが声をかけた。


「ユリシーズ、ありがとう」


「うん。大事なお荷物をそっちに移すから、ちょっと待っててくれ」


「また、私のことお荷物って言った!」


 先ほどと同じように肩に担ぐようにして運んで、オルガの後ろに乗せなおすと、半目で不服そうにこちらを見ている翡翠の瞳と視線が合った。ユリシーズは皮肉っぽい笑みをわざと浮かべて、セラを見た。


「大事な、って形容詞をつけたろ」


「でもお荷物なんでしょ」


「しょうもないこと言ってないで早く行こう。リオンさんに置いていかれる」


 繊細そうな白い指が差す先には、小柄な黒髪の背が見えた。ずんずん遠くなっていく。


「ゆっくりついてこい」


 二人にそう言い置いて、ユリシーズが馬をまわして駆け出した。


 ユリシーズが追いつくと、リオンは足だけで馬を御しながら、腕組をしながらブツブツと何やら呟いていた。


「あの雰囲気。実にいい傾向だ」


「はぁ? 何言ってんだ。おい、リオン?」


 顔を上げたリオンは、すぐ横に馬を進めたユリシーズをニヤニヤしながら見つめた。一昨日、頭を打ったのが良くなかったのだろうか。ときどきこんな顔をして自分を見ることがあるので、ユリシーズは少しだけ心配になった。次の街で医者に見せたほうが良いかもしれない。


「俺の聞き間違いかな? ”初めて会った気がしない”って、さっき口説いてなかった?」


「そんなんじゃねーよ。本当にそう思ったんだよ」


「またまた。満更でもないくせに。ちっちゃい頃からユーリのことを見てきた俺が間違うわけがない」


「やめろって。リオンの悪いところだぞ、すぐ茶化すの」


「俺は、いつだって大真面目だよ」


 優しい薄茶の瞳をきりりとさせて、生真面目な顔で答えるリオンに、ユリシーズは露骨に顔を顰めて言った。


「なおさら悪いわ! とにかく、そういうんじゃないから。セラには変なこと言うなよ」


 釘を刺されてしまった。リオンは馬を止めセラとオルガが追いつくのを待つことにして、すぐ隣にいる弟分の様子を窺ったが、怒っている様子は見られなかった。何だかんだ言っても気持ちの優しい男だから、守るべき立場の者がいれば勝手に身体が動いてしまう性質たちだ。長年の身に染み付いた習性で動いているように本人は思っているのだろうが、じきに違うことに気がつくに違いない。こういう勘は外したことがない。そのときが今から楽しみだ。


 追いついてきたセラとオルガが揃ったところで、今度はゆっくりとした常足で進み始めた。景色を楽しむ余裕すらあるような、のんびりとした行程だったのだが、黙々と移動するだけなので、セラは段々眠たくなってきた。

 セラがウトウトする様子を後ろから見ていたユリシーズは、肩を震わせて笑いを堪えていた。落馬するんじゃないかとはじめはヒヤヒヤしたが、落ちそうで落ちない絶妙の平衡感覚は脱帽ものだった。

 四人は小一時間ほど進み、小さな泉の湧いている場所で休憩をとることにした。リオンが持たされていた昼食の包みを開けると、香草入りのパン粉をまぶした白身魚のフライと、葉野菜がたっぷり挟まった黒麦のパンと、そのまま食べられる水梨、木苺が入っていた。


「港町だけあって、魚のパンかー」


「俺、けっこう好きかも」


 珍しそうに頬張るリオンと、黙々と口に運ぶユリシーズは、セラ達が手を洗ったり飲み物を用意している間に綺麗に食べ終わっていた。リオンは「一時間したら起きる」と言うがいなや、ばたりと倒れこんで寝入り、ユリシーズは水梨を一個手にもって「馬の世話をしてくる」と言い置いて、小さな泉のほとりで食事中の馬達のほうへと歩いていってしまった。セラとオルガは顔を見合わせて苦笑した。


「何でもっとゆっくり食べないの?」


 セラは呆れた顔でパンにかぶりついた。ほのかに口に広がる香草の爽やかな風味と、さっくりとした衣に包まれた白身魚はしっかり下味がつけられていて、冷めていてもとても美味しかった。


「美味しいね」


 食が細くて好みの煩いオルガが、さくさくと音を立てて食べる様子に、セラは思わずにっこり笑った。オルガは昔から華奢な体型なので、いつか倒れるのではないかと密かに心配していたのだ。騎士になって任務であちこち行くうちに、食べられるものが増えたのかもしれない。


「そうね。これ、北部でも食べられたらいいのに。塩漬けばっかりじゃ飽きるわ」


「そんなこと言ったら料理長が泣くよ。苦心して美味しいものをいつも作ってくれてるのに」


「わかってるわよぉ。でもこれなら作れそうだし、厨房貸してって頼んでみる」


 衣に入っている香草は、北方大陸でならどこでも手に入るものだから、魚さえ何とかなったら作れるかもしれない。騎士団領に戻ったらさっそく作ってみよう。そうと決まればと、より味わえるように、ちまちまと食べ始めた。


「そのあくなき食への探究心は、どこからくるの?」


「美味しいものを食べたい欲求から!」


「ホント、相変わらずだね」


 水筒に淹れてもらっていたお茶を飲みながら、オルガは木漏れ日に瞳を細めた。任務とはいえ、一ヶ月近く一人で旅をしていたから、こんなに穏やかな時間は久しぶりだ。無二の友は、横で木苺と水梨どっちを食べるか真剣に悩んでいる。その平和で笑える時間が、大切なもののように思えた。ユリシーズにセラの首飾りのことを聞かれたらどうしようと思っていたが、色々あったおかげで有耶無耶になっている。このまま何食わぬ顔でルガランドまで行ければいい。オルガはそう強く願った。


 馬の世話を終えて戻ってきたユリシーズは、寝こけるリオンの横に胡坐をかいて座ると、布巾にのっていた木苺をつまんだ。


「木苺って美味いよな」


「さっき、水梨もっていったじゃない」


 自分の分をとうに食べ終え、後片付けをしていたセラは唇を尖らせた。両方食べるのはズルイ。そう思っていたのが伝わったのか、苦笑したユリシーズが最後の一個をセラにくれた。


「あれは馬のおやつ。頑張ったから、褒美をやらねーとな」


「もしかして、ノルンにもあげてくれたの?」


 ユリシーズの言葉に、水梨を小さな短剣でむいていたオルガは顔を上げた。


「ほしそうに前足で地面をガンガン掘ってたから、半分あげたよ」


「ありがとう。世話をかけた」


「いいよ。俺、馬好きだしな」


「馬にマメでどうするっ」


 むくりと突然リオンが起き上がって、ユリシーズに食って掛かった。うっとおしそうな顔で押し返すと、ユリシーズはその口に水梨を突っ込んだ。


「そろそろ行こう。日が暮れる前に着かないと、宿がなくなるぞ」


 出発する前にはぐれた場合を考慮して道順の確認を行った。ルズベリーからスミスターまでは、旧街道を使えばおよそ九時間。朝の八の鐘が鳴った頃に出発して、夜の六の鐘が鳴る頃に到着することができる。行程としては、約半分が過ぎたところだった。リオンが手書きで書き入れた地図の縮尺では、到着まで約四時間かかる計算になる。その話を初めて聞いて、セラは驚いた。精度がものすごく高い縮尺だったからだ。騎士団の斥候でも、ここまで精密な地図は書けない。


「リオンさんって、ただの怪しいお兄さんじゃなかったのね」


「セラちゃんの言い方、何かひっかかるけど、それ、褒めてくれてるんだよね?」


「もちろん!」


「そう……ありがとう」


 リオンは力なく笑うと、地図をセラに手渡した。


「俺はもう覚えたからあげるよ。迷子になったら、それを見るんだよ」


「迷子っていわないでください。でもありがとう。これを見て勉強するわ」


 二人のやりとりに笑いを堪えきれず、口を押さえて「ブフッ」と横を向いて変な声をあげるユリシーズに、セラは憤然と振り返った。ユリシーズの隣にいるオルガも、何ともいえない複雑な顔でセラを見ていた。そんな難しい地図、セラには読めないでしょ。そう言っている気がしたので、セラは釈然としない思いでいっぱいになった。

 オルガに促されて再びノルンの背に乗ると、リオンにもらった地図を綺麗に折りたたんでスカートのポケットに仕舞いこんだ。あと少し頑張ればスミスターだ。どんな街なんだろう、と少しだけ期待に胸が躍る。自分が招いた事態とはいえ、こんなに長い旅が出来ると思っていなかった。

 色々な偶然が重なって、彼らとも出会えたのかと思うと、何だか不思議な気持ちがする。前を行くユリシーズの黒い外套姿を見ながら、そんなことを思った。

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