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乙女は獅子に恋をする  作者: 龍田環
四英雄編
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14. 桃花の眠れる歌姫

 ふぁ、と小さく欠伸をしてユリシーズが長い足を投げ出した。セラと頭一つと少しの身長差は、ほとんど彼の足の長さの差分のような気がする。お腹がいっぱいになって眠くなるなんて小さな子どもみたいで可愛らしかった。


「お昼寝したいの?」


「ちょっとだけ。寝てたらもったいないだろ、せっかくセラが隣にいるのに」


 ニッと悪戯を思いついたように笑って、セラの手の中にあった薄桃クッションが抜き取られて反対側の座席にぽんと投げられた。ただでさえ近いユリシーズとの距離がますます近くなる。


「ち、近くない?」


「揺れるからだろ」


 さりげなくセラの腰に手が回り、優しく抱き寄せられる。明るい昼日中の馬車で何を考えているのかとセラは内心焦りまくりだったが、その手を振り払うのも何だか勿体なくてそのまま大人しく座り続けた。


「あの、その、手がですね腰にですね」


「何かいい匂いがする……さっきの薔薇かな?」


 聞いちゃいないユリシーズは首筋あたりに顔を寄せてきた。セラの腰に腕を回したまま抱き枕よろしく抱え込まれ首筋に軽くキスをされて、セラは真っ赤な顔でびしりと固まった。


「しまった、やりすぎた。もしもーし、セラちゃーん?」


「わ、ワタシコッチスワル」


「やべぇ、片言になっちゃった。あ、こら、動いてる馬車で立ったらあぶな」


 ガタン! と片輪が何かに乗り上げて、よろけたセラはユリシーズを座席に思いっきり押し倒した。


「言わんこっちゃねー。マルセルの奴、御し方がヘタクソだな」


 耳元で低い声が笑って、セラを抱きかかえたまま起き上がった。クッションの効いた座席に降ろされて、少しずつバクバクと早鐘を打つ心臓が収まっていった。さすがにお膝に抱っこはやりすぎだという自覚があったようでホッとした。


「公園の外れに馬車が留められる所があるんだ。そこからセラのお父さんが住んでた所まで歩いて行こう」


「う、うん」


 馬車は公園の中を進んで、ある一角まで来ると緩やかに停車した。アルノーとエーリヒが下馬して、何やら誰かと話している様子が窓から見える。ユリシーズはさっさと扉を開けて先に降りると、セラに手を差し伸べてくれた。降り立ったそこは石畳の敷かれた広場で、おそらく芝を傷めないための停車場、乗合馬車の停留所になっているのだろう。


「わぁ……」


「花壇とかポーチの花は摘んだらダメだけど、そこらへんに咲いている花は好きにして良いって。墓守りが配ってる供花も公園で咲いているやつらしいよ」


 戻って来たアルノーの言葉に辺りを見回すと、広い公園のそこここで秋の草花が優しい色合いで咲き誇っていた。秋桜やエリカの優しい桃色、白、薄黄色。名も知れない小花達まで、どれも目に優しい色彩ばかりだ。眺めていると穏やかな気持ちになってくる。


「ジュスト様がお住まいになられていたのはもっと南の区画だそうだ。墓守りのご老人が昔、ジュスト様と何度かお会いしたことがあるらしい」


 エーリヒの話を聞いて、セラはどうしてもその墓守りのご老人に会いたくなった。もしかしたら小さい頃の父の話が聞けるかも知れない。そう思うと居ても立っても居られなくて、ギュッとつないだ手に力が入った。


「お話が聞きたいわ」


「行こう」


 さっきまでアルノー達と話しをしていた小さな小屋の前に座って、煙管をくゆらせている老人のもとへとやってきた。ユリシーズ達の格好を見て驚いたように立ち上がり、杖をついて深々と頭を下げる。背が高くてがっちりした黒騎士達は、第三者からすると威圧感があるようだ。ユリシーズ達に「ちょっと待ってて」と小声で伝えて、セラだけで墓守りと思しきおじいさんの所へやってきた。


「こんにちは、墓守りのおじいさん」


「その瞳の色……。もしや……バハルト様のおっしゃっていた……」


「はい。ジュスト・ファレルの娘です。セラフィナと申します」


「おお……おぉ……。まさか、娘様にお会いできるとは思いもしませんでした……ずいぶん昔に、亡くなったのだとばかり……」


「私も昔の父を知る方にお会いできて嬉しいです。どうかお掛けになってくださいませ」


「ほほ……では、遠慮なく。わしが知っているのは十六になる年までのジュスト、という少年の話でございます。小さな頃から病に伏せがちだった母親の世話をしながら、学校に通い、このあたりの子ども達を引き連れて遊びまわる、それはそれはやんちゃな少年でした。生来の兄貴分、と申しましょうか……ケンカも滅法強くて、このあたり一帯のガキ大将でしたな。明るくて、元気で……とても優しい少年でした」


「ふふっ。父を知る人はみんな同じことを言います。とっても優しくて、楽しいことが大好きだったって」


「ええ、ええ。ギターを片手によく弾き語りを公園や孤児院でされていましたよ。母が楽師だから音楽は得意なんだと笑って、本当に楽しそうに……。長じても町では相変わらずケンカに明け暮れ、酒場の賭けチェスで大人を負かしてはよくバハルト様にこっぴどく怒られていましたなぁ。逃げ足も滅法速くて、城下町から城外中を追いかけっこをされる二人をよく見ました」


「お父さんったら……やだなぁもう……」


 背後で三人が笑いを堪える気配を感じつつ、セラは墓守りの老人の話の先を促した。


「そうして、十六になる年。突然国を出て行かねばならなくなったと、わしを訪ねてきて……。母の好きだった花が咲いたら墓前に供えてほしいと、頭を下げて頼んで行きました。それっきり、二度とフィア・シリスには戻りませなんだ……」


「そうだったのですね……。あの、祖母が好きだった花をご存知ですか? あと、父の遺灰を持って来ているんです。できれば祖母と同じお墓に納めてあげたいのですが、できますか?」


「おお……ジュディスも、城外の皆も喜びましょう。すぐ倅を呼んで……」


「まずお尋ねしてからにしようと思っていたので、今日はまだいいんです。明後日またここに来ますから」


「わかりました、準備してお待ちしております。それと、ジュディスの好きだった花は、この白いリネアリスの花です。昔、ジュストの家があったあたりに今も咲いておりましてな……場所は公園の南端になります。冬になると枯れますが、また春になると咲き始めて冬まで咲き続ける、強い花です……」


 老人が差し出してくれた花は、ほっそりした八枚の花弁の可愛らしい小花だった。素朴な感じが祖母と父の気取らない人柄を表しているような気がする。セラは墓守りの老人に深々と頭を下げ、礼を言ってユリシーズ達の所に戻った。


「明後日ここ来る時間言ってないけど平気か?」


「ご、ごめんなさい。勝手に明後日って決めちゃって……」


「いいよ、後は帰るだけだし。バハルトのじいさんに預けるより、娘のセラが納めてあげた方がジュスト様も喜ぶだろ」


「お弔いに立ち会えそうなら、そうしたほうがいいよ。身内がしてあげるのが故人への一番の手向けになるからね」


「西方の英雄のお弔いだから、他の皆も立ち会いたがると思う。それは構わないですか、デイム?」


 エーリヒの遠慮がちな言葉にセラは力いっぱい頷いた。随行してくれている黒騎士達も竜になった父と一緒に戦場を駆けた仲間だから、立ち会ってくれるのならそうして欲しい。


「もちろんよ」


「式典終わってからなら十一の鐘がなる頃がいいかもな。帰りにさっきのご老人に伝えておかなきゃ」


 蒼い瞳が柔らかく細められて、セラの手を引いてゆっくり歩き出した。


「戻ったら儀仗のおさらいだね。城外の人も来るならカッコよく決めたいし」


「そうだな。二か月後は婚礼の儀仗もあるし、復習のいい機会だ」


 真面目な二人は儀仗を捧げる相談をしている。その心遣いが本当に嬉しくて瞳がじわりと滲んだ。




 南端は緑の広がる緑地になっていた。木陰で昼寝をする町の人や玉蹴りをして遊ぶ子ども達の姿があって、なんともゆったりした空気が漂っている。まるで生け垣のように広場を横切るように続く灌木と等間隔で立つ木は、かつて家々が並んでいた区画の名残なのかもしれない。その一角にセラが持っている一輪の花と同じものが群生して咲いていた。午後の温い風に揺られて、その様が「ここだよ」とまるで呼んでいるように見えた。


「ここか……」


「すごいね。いっぱい咲いてる……」


「この広場、家があった感じが何となく残ってるね。この辺が玄関だったんじゃない?」


 アルノーが言うように、彼の足元は何故か丸く花が避けて咲いている。周りを見渡すと同じように不自然な部分を残し色々な花が植わっている。区画整理で家を無くしても、人が住まなくなっても、根を残し種を飛ばし、三十年近く経ってもこうして咲き続けている。野草や名もなき花達はこれからも咲きたいように咲いて、散って、また花を咲かすのだろう。まるで人の営みと同じように。


「これ使え」


 ユリシーズが渡してくれた細い短剣を使って、お花に「ごめんね」と心の中で謝りながら二十本程を摘み取った。待っていてくれたユリシーズ達に礼を言って、今度は墓地のある孤児院側へと歩き出した。


 そうして祖母が眠る墓地に近づくにつれ、つくづく家族の縁が薄いことを実感する。元から母娘二人きりの家族だったのに、十二の頃にセラを守るために母は従者を一人だけつれて南方大陸へ行ってしまった。その母も母で「色々あったから」肉親とは生き別れ状態だし、父も同じようなもので肉親との縁が非常に薄かった。

 

一人ぼっちは怖いし寂しい。

また大切な人が突然いなくなってしまったら。

また置いていかれて一人ぼっちになったら。

そう思うと怖くて怖くて堪らなかった。


 だから、相手に自分の想いと心を丸ごと預ける恋愛なんて無理だと思っていた。どんなに大好きでも信じていても何れ別れが来るのなら、と。色んな理由をつけて踏み出そうとしなかった、意気地なしだったセラの心に真っ直ぐな想いを伝えてくれたのはユリシーズだ。出会った時から昔からの友人のような不思議な縁を感じていたけれど、彼の人となりを知れば知るほど惹かれていく自分がいた。そして今も惹かれ続けているのは、いつも全開で「好きだ」を伝えてくれるユリシーズがいてくれるから。それがとても幸せなことのように思えた。




「うわ、黒騎士だ!」


「本物?!」


「すげー!」


 墓地に行くには孤児院の前を通るのだが、そこで遊んでいた子供たちが一斉に集まって来た。口々に「本物か」を繰り返し、目をキラキラさせて木の柵に鈴なりになってこちらを見ている。その様子にユリシーズが吹き出した。


「本物だよ。黒い有翼獅子のエンブレムつけてるだろ?」


「金髪で青い目のにーちゃんは黒騎士で一人しかいないって聞いた。もしかして、にーちゃんが団長のユリシーズか?!」


「そーだよ。様をつけろ、ちびすけ」


 わぁっと子ども達が歓声をあげて群がって来た。


「すげー、ホンモノだ! かっこいー!」


「隣のおねーちゃん誰?! カノジョ?!」


「俺のお嫁さんになる人だよ。悪いな、ちょっと用があるからまた後でな」


「後でっていつ!?」


「後でつったらあとでなの。帰りにまた寄ってやるから」


 あいた手で一番元気のいい黒髪の少年の頭をぐしゃぐしゃ撫でて、子ども達の間を「悪いな」と言いながらすり抜けていく。邪魔をしてはいけないとサッと避けてくれるのはいいのだが、目は好奇心でいっぱいだ。ずいぶん懐っこい子ども達だなと思ったが、孤児という身の上を思うとそれもわかる気がした。


「そっちのひょろっちいにーちゃんは誰っ」


「俺はアルノーだよ。ひょろっちいって言わないで」


「えーっうそだあ、黒い大きな鎧武者が一番隊のアルノーだよ、甲冑はどうしたんだよー」


「それたぶんゲオルクさん。ってこらー! 剣に触るんじゃありません! 危ないでしょ!」


「俺達が残って引きつけておくから。ゆっくりお墓参りしてきてください」


「うん、ありがとうエーリヒ」


 セラは子どもたちに絡まれまくっているアルノーの姿に吹き出しながら子ども達の歓声を背に歩き出した。ユリシーズがあんなに人気のある騎士だとは知らなかったので、子ども達の反応に正直なところ驚いた。


「ユーリって大人気ね」


「俺も知らなかった。一時期悪の親玉みたく言われてたのに」


「フィア・シリス王国では違ったんじゃない? 女王陛下が目をかけている騎士様だもの、きっと素敵な感じに言われてるんだわ」


「そうかもな」


 数分歩いた所、ちょうど精霊殿の分祀の裏手にあたるところに広大な墓地があった。


「こんなに広いなんて思わなかった……。さっきのおじいさんに場所を聞いておけばよかったわ」


「四十年前ぐらいに亡くなった人達のあたりで、その花が供えてある墓を探せばいいだろ」


「あ、そっか」


「こっちの方かな。墓石が風化してるから」


 手を引かれて進む先にある墓石は、確かに風雨にさらされ続けて苔むしたり、色が灰色になってしまったりとかなり劣化していた。昔のお墓よりも新しめのお墓の数が圧倒的に多い。とくに二、三十年前の辺りからぐっと増えている。理由はわかっている。解放戦争が始まったのが同じ頃だ。ふと顔を上げると大きな桃花の木が目に入った。両親の話を思い出して、何となくそちらに足を向けた。


「あ、これだ。ジュディス・ファレル。よくわかったな……」


 木の陰にぽつんと隠れる様に、一つの墓碑がひっそりと立っていた。きらきらした昼の日差しが大きな桃花の梢から降り注ぐ。秋も深まってだいぶ葉が色づき落ち始めているが、春にはきっと甘い香りを漂わせ、桃色の花弁が降り注ぐのだろう。桃花の下で眠る佳人のことを思い、跪いてそっと手向けの花を墓碑の前に置いた。



「……行くか」


 隣で同じように跪いてくれていたユリシーズが立ち上がって呟くと、セラも大きく頷いた。心の中で「また明後日来ますね、ジュディスさん」と付け足して、立ち上がってポンポンと膝を払った。

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