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乙女は獅子に恋をする  作者: 龍田環
北方大陸編
7/111

7. 手合わせ

 セラについて二階の廊下を歩いていくと、突き当たりに両開きの重厚な扉があった。目立たない黒のお仕着せを身にまとった侍従姿の年配の男性が、恭しくお辞儀をしてそっと扉を開く。一礼してセラが先に入り、扉の横に避けて、ユリシーズ達を通した。


「どうぞ、おかけになってください」


 ルズベリー卿が立ち上がって、上座にユリシーズを通した。その後ろにリオンとアキムが控えるように立った。ユリシーズの隣にオルガが掛けて、下座側にセラも掛けた。


「まずは、改めてお礼を言わせていただきたく。この度は娘を救っていただき、本当にありがとうございました。こうして無事な姿を見られたのも、皆様のおかげです」


「いや。こちらも益あってのこと。礼には及びません」


 軽く組んだ手をテーブルに置いた姿は、一介の傭兵には見えない。身なりこそ動きやすそうな旅装だが、立ち振る舞いは明らかにルズベリー卿よりも格上だった。ピリっとした厳しい雰囲気に、セラは気圧されたように黙り込む。屈託なく笑う顔と、今の冷徹な顔がまったくの別人に見えて、どちらが本当の彼の姿なのかわからなくなった。


「貴殿にとって、益などほとんどないではございませんか。本当に騎士の鑑のようなお方ですね。労を惜しまずに人を助ける、立派な志しだ」


 手放しの賞賛にフッと目元を和ませてから、ユリシーズはおっとりとした風貌のルズベリー卿と、彼の後ろに控えている、私兵を統率していたがっちりとした体型の初老の男を、冴え冴えとした瞳で見据えた。


「俺は回りくどい言い方が苦手だから、単刀直入に聞きますが、南部地帯が封鎖されたというのは本当のことですか? 封鎖したのは誰ですか?」


「昨日の早朝より、南部地帯全域が精霊騎士団によって封鎖されております。各所にある門や関所も、厳しく出入りが制限されており、商人や旅人も皆足止めされています。いつ解除されるのか、付近一帯の諸侯達も把握しておりません。解除の目処はたっていないのが現状かと」


 ユリシーズは背後に立つリオンとアキムに目配せをして、オルガの隣に座ったセラをチラっと見てから、腕を組みながら考え込んだ。思っていたよりも状況は芳しくなかった。


「南部地帯で、使用禁止になっている街道はありますか?」


 リオンの穏やかな声に、ルズベリー卿が顔を上げた。


「海沿いに古い街道があります。波による浸食で危険な箇所がありますが、使えないこともございません。山沿いのダラムやイプスター方面は、古い街道も厳しく制限されているので、足止めされる可能性があります。ルズベリーは鄙びているので騎士団の方々も手をまだ回しておりませんが、北西部に抜けるのなら、明日までが限度でしょう」


「わかりました。それでは、このあたり周辺の地図をもらえませんか?」


「用意させます」


「ありがとうございます」


 ルズベリー卿に軽くお辞儀をするその姿は、普段のちゃらけた様子とまったく違い、ウソのように真面目だった。隣にいる砂色の髪の麗人に、頭を鷲掴みにされていた人と同じ人には思えない。

 セラは笑いそうな口元を誤魔化すために、カップを口に運んだ。やや控えめな香りと、渋みの少ない丸い味のお茶は美味しかった。比較的温暖な南部でしか作られていない茶葉なのに、封鎖されている間は王都で流通しなくなるのだ。それはとても残念なことのように思えた。それが自分のせいかも知れないと思うと、おなかのあたりが重苦しくなる。


 セラは優雅に香茶を楽しんでいるオルガの右袖を、ツンツンと引いた。今回の南部一帯の封鎖はガルデニア王国軍ではなく、精霊騎士団が行っているらしい。副団長の側近のオルガなら、詳しいことを知っているはずだ。


「ねぇオルガ、どうして騎士団が南部を封鎖したの?」


 そっと俯きがちになって小声で尋ねると、透き通った淡い緑の瞳がセラを見た。


「私も任務中だったから、詳しいことは知らない。大方の予想はついてるけど」


 目線で「静かに」と示してから、オルガは正面に向き直った。


「ルズベリー卿、私は明日、こちらを発たせてもらいます。行方不明になっていた侍女も見つかりましたので」


「そんな、もう少しゆっくりされていっては? 今朝方に着かれたばかりではありませんか」


「お気遣いありがたく存じます。次の任務があります故、早々に失礼するご無礼をお許しください。姫の誘拐の件は、王国軍の治安部隊がきちんと手配しますので、ご安心を」


 涼やかに微笑む精霊騎士は言外に「構うな」と言っているようで、ルズベリー卿は二の句が告げなくなった。完全中立を謳う精霊騎士団は、他者の介入を非常に嫌がる。それが善意の申し出あっても、聞き入れることはほとんどないと聞いていたが、噂は本当だった。尊い存在を守護するための存在だから、それも致し方ないことなのだろう。


「お心遣い感謝いたします。もしやユリシーズ殿も、明日出立されるおつもりですか?」


「はい。予定がありますので」


 落ち着いた口調で答える亜麻色の髪の青年も、同様だった。こちらも一見友好的だったが、こちらに一切気を許していないのは明らかだ。静かにこちらを見据える蒼い瞳は、獲物をじっと狙う狼のようにも見える。懇意にしている大商人の紹介だから身元は確かだし、娘を助けてくれた恩人のはずなのに、深入りしないほうがいいという気がしてならない。ルズベリー卿は小さく息を吐くと、顔を上げて目の前にいる二人に笑顔で応じた。


「承知いたしました。必要な物資もご用意させていただきますので、どうぞおっしゃってください。いま、お部屋にご案内いたしましょう」


 ルズベリー卿がテーブルの上のベルを鳴らすと、軽いノックとともに先ほどの侍従と年かさの侍女が入室してきた。侍従がおっとりと穏やかそうな笑みを浮かべて「では、こちらへ」と会釈する。ユリシーズ達が目礼して、先に部屋を出て行った。それに続いて、セラとオルガも席を立つ。何だか疲れた様子のルズベリー卿にお辞儀をすると「ごゆっくりお休みください」と、パルヴィに良く似たおっとりとした微笑みを浮かべた。


 ユリシーズ達は奥の客室を、セラとオルガは階段傍の客室を使うことになった。部屋まで案内してくれた年かさの侍女は、パルヴィの乳母だった女性で、涙を浮かべて無事を喜んだ。一階にある浴室に湯を張ってくれたと聞いて、セラは飛び上がらんばかりに喜んだ。もう二日も入浴していなかったので、是非ともお借りすることにして、侍女に丁寧にお礼を言った。


「ねぇオルガ、さっきの話なんだけど」


 部屋の中ほどにある濃い臙脂色のソファにかけると、セラは窓側の衣装架けに薄灰色のマントをかけているオルガに、聞きたかったことを尋ねた。


「騎士団が南部を封鎖した理由? 決まってるじゃない。セラがいなくなったからだよ」


 セラの声に振り返ったオルガは、何でもないことのように言った。


「私のせい……?」


「今回の件は、セラがダラムで消息を絶ってからすぐだったし、時機としては合ってるでしょ。近々、王国軍が南部に潜伏している反王国派を一気に掃討する、とは聞いていたから、単にそちらの予定が早まったのかもしれないね」


 革帯から細身の長剣を外してソファにかけると、向かいにいる呆然としたセラに苦笑した。自分のことをとるに足りない存在だと思っているのが本人だけというのが、何とも言えずもどかしい。


「侍女一人が消えたくらいで、そこまでしないでしょ」


「先生にとって、セラは単なる侍女一人じゃないでしょう。団長に探してくださいってお願いしたんだと思う」


 団長に、と呟きながらセラは頭を抱えた。あのお方にまで迷惑をかけたのかと思うと申し訳なさで穴に埋まりたい気分だ。いくらなんでも大げさです先生。遠く離れた騎士団領にいる恩師に、そう叫びたくなった。


「そんな大事になってるの? とっても帰りづらいよ」


「まさか。セラが迷子になるのは、いつものことでしょ」


 涼風のように朗らかな声で笑うオルガを、セラは半目で睨みつけた。


「さりげなく私を落としたわね。ねぇ、みんな本当にそう思ってるの? また迷子になったって」


「ううん。表向きのセラは、お使いから帰ってきて、ミンプス風邪にかかって最低二週間は隔離される予定。感染るといけないから、先生の屋敷に篭ってることになってる」


「な、なんで、よりによってそんな、もっと、ほかにあるでしょ何か」


 ふらりと立ち上がって、座っているオルガの肩に両手を置くと、セラは悲痛な声をあげた。ミンプス風邪は、小さな子どもがかかる流行性感冒の一種で、耳の下がパンパンにはれて痛くなる病気だ。大人がかかると、顔が二目と見れないほどはれあがり、高熱で二週間ほど寝込んでしまう重篤な症状を引き起こす。死にはしないが、まわりの人に感染るので隔離するのが一般的だ。よりにもよって、そんな病気にされてしまうとは。罰だろうか。お使いが満足に出来なかった、セラへの罰だろうか。へなへなと力なくソファに倒れこんだ。


「ほかにって言われても。病気にならないと特例措置、受けれないじゃない。伝染病なら間違いなく特例措置になるでしょ」


 艶やかな薄桃色の綺麗な唇を皮肉げにゆがめると、花のかんばせが台無しだ。肩に当たる銀髪がさらりと流れて、それすらも妙に様になっている。美人は何をしても美人だなぁと、セラは死んだ河魚のような瞳でぼんやりと空を見た。

 そうだ。伝染病で寝込んでいることになっているなら、特例措置が取られる。セラだけ受けている試験が一時的に中断される。そう思い至り、ソファからむくりと起き上がった。


「じゃあ、私はまだ失格にはなっていないのね」


 きらめきを取り戻した瞳で笑って、セラは胸を撫で下ろした。戻った途端に「はい失格」なんて言われたら、絶対に立ち直れない。この三年間の努力が無に帰する。


「今のところはね。ただし、渾名がミンプスになるかも知れないけど」


「帰りたくなくなるからやめて。ところで、どうやって西北部経由で帰るの?」


「私に考えがある。とりあえずセラはお風呂に入っておいでよ。気分がすっきりするから」


「いいの? じゃお言葉に甘えて、そうさせてもらうね」


 いってらっしゃい、といつものように優しく笑うオルガに見送られて、セラはウキウキと一階に降りた。状況を考えれば喜んでいる場合ではないのだが、お風呂は嬉しい。二日も入っていないと気持ちが悪くなってくる。

 廊下で行き会った年かさの侍女に案内されて浴場にたどり着くと、ほわほわとした湯気で満たされていた。着替えを用意いたしますので、と着ていた深緑のお仕着せは回収されていった。洗濯物は、地熱を利用した乾燥室と火熨斗で、明日には乾くらしい。北方大陸南部の乾いた気候と、火山地帯の恩恵といったところだろうか。


 柔らかい花の香りのする石鹸を思い切り泡立てて、髪と身体を洗っていく。白く滑らかな陶器の浴槽には、甘く香る白い花の花弁が散らしてあって、セラは幸せな気持ちになった。たっぷりの湯を使わせてもらい、さっぱりとした気分になって浴室から出ると、勿忘草色のドレスが置いてあった。

 すっぽりと被る一人でも着られる型で、腰の後ろ側にリボンを結ぶかわいらしい意匠だった。手首に向かって広がる袖とすとんとした裾部分が軽やかに揺れる。湿った髪を軽く結って廊下に出ると、ニコニコ笑いながら待ち構えていたパルヴィに捕まった。


「セラ、私のお部屋にきて頂戴。髪を結わせて!」


「もちろんいいわよ。あの、このドレス、貸してくれてどうもありがとう」


「いいのよ、私にって下さった方がいたのだけど、着るのがね」


「どなたから、とお聞きしてもよろしいのかしら?」


「もちろん。隣のブリデリー領の次男坊からよ」


 もしかして、このドレスはパルヴィへの贈り物なのではないだろうか。おそらくお近づきになりたいがための。筋金入りの男嫌いなんだね、と少しだけ遠い目になりながら、ふわふわの蜂蜜色の髪を躍らせて前を歩く少女についていった。


 オルガはセラを風呂に追いやってから、長剣を片手に突き当たりの部屋へと向かった。セラ抜きで、彼らと話さねばならないことがあったからだ。ノックをする前に、あちら側から扉が開かれた。綺麗な顔立ちをした南方人が、笑顔で「どうぞ」と中へと促した。部屋の中央に置かれた重厚なテーブルの上には、北方大陸南部の地図が広げられている。一人がけのソファに亜麻色の髪の青年が足を組んで座り、その向かいに座る黒髪の青年が、黙々と定規を使って地図に線を引いていた。


「来る頃だと思った」


 亜麻色の髪の青年がニヤリと皮肉気に笑うと、先ほど見た冷たい印象が薄れていく。こちらが彼の素なのだろう。


「なら話は早い。私はオルガ・ローネ。精霊騎士団第四師団『風』所属の騎士です。貴方を護衛するようにとの指令が下りました。私もルガランドまで同行させてもらいます」


「俺を? 護衛は必要ないが、同行してもらえるのは助かるな。俺達、こちらの地理事情に疎いから」


「護衛というのは建前で、好き勝手なことをするな、というお目付けなんでしょ?」


 地図から顔を上げた黒髪の青年は、人好きのする笑顔を浮かべていたが、目は注意深くオルガを観察していた。椅子を勧められて掛けると、南方人の青年がお茶を淹れて渡してくれたので、礼を言って受け取った。

 どちらも凄腕の護衛役と聞いているが、彼らを護衛にしている本人も、相当な手練だと聞いている。静かに牙を隠す猛獣のような人達と、セラはよく一晩一緒にいたものだ。オルガは背中に薄く汗をかいた。


「そう思っていただいても構いません。貴方を無事に王都へお連れするのが私の仕事です」


「それじゃ、よろしく頼む。ところでセラも一緒に来るのか? 俺達が進む行程、普通の女の子にはちょっと厳しいと思うぞ」


「これ以上迷子にならないように、私が連れて帰れと言われています。すぐ根をあげる性格じゃないから心配はいりません。私が守るから、貴方に迷惑をかけることもないと思う」


「昨日会ったばかりだけど、そんな感じだよな。泣かれたらどうしようって思ったけど、けっこう頑張ってくれたんで助かった」


 快活そうに笑うユリシーズがそう言うと、オルガも少しだけ口元を緩めた。一日しか一緒にいなかったのに、セラのことをよく見ている。わかりやすい性格をしているといえばそれまでだが、好ましく思われているのなら、セラの無二の友としては嬉しい限りだ。


「ああ見えて、へこたれないのが長所のひとつですから」


「人は見かけによらないもんだな。ところで、俺達は改めて名乗ったほうがいい?」


「ユリシーズ殿のことは、上から少しだけ聞いています。南方系の方がアキム殿で、東方系の方がリオン殿でしょう。家名はあまり口外しないほうがいいと思う。なぜこんなことをしているのか、聞いてもいいでしょうか?」


「ちょっと野暮用。悪いけど、詳しくは言えない。ところでオルガは今ヒマか?」


「ヒマといえばヒマですが……」


「時間があるなら、ちょっと手合わせしてもらえないか?」


「ユーリ、相手、女の子だよ?」


「昼寝がしたいとか言ってませんでしたか? 徹夜続きで疲れてるんだから、大人しく寝てください」


 護衛役達は渋い顔をしてユリシーズを咎めた。初対面の人は、だいたいオルガを男性と勘違いする。オルガ自身も小娘扱いされたくないのと、動きやすい男装を好んでいるので、勘違いされても仕方がないと思っていた。会って数分で見抜かれたのは初めてだったので、純粋に驚いた。


「うるさい。俺は精霊騎士と手合わせがしたいんだ。精霊魔術も見てみたいし」


「私達は人相手に精霊魔術は使わないので、それはできません」


「前に組んだことがある魔剣士は、手合わせしたとき使ってくれたよ」


「……その人がどうかしているんです。一体誰ですか」


 オルガは呆れたような顔で、向かいに座る亜麻色の髪の青年を見た。いつどこで、そんな外道と組んでいたのか。どこの誰かは知らないが、普通の人相手に精霊魔術を使うなんて、精霊使いの風上にも置けない奴だ。危険人物の名簿に加えなければ。


「オルガちゃん、申し訳ないけど、ちょっとだけ付き合ってもらえるかな? 言い出すと聞かないんだ、この子。動かなくなるまで、思い切りぶちのめしてくれていいから」


「頭にガツンとやってもらえますか。よく眠れるように」


 申し訳なさそうにえげつないことを言うリオンと、優しい口調でさりげなくひどいことを頼むアキムを交互に見て、オルガは困惑した。真面目に言っているとしたら、この二人はどうかしている。護衛対象を自分達で戦闘不能にしてどうする。


「ひでーな。俺のこと何だと思ってるんだよ」


「駄々っ子」


 半目で声をそろえて答える異邦人達に、オルガは我慢できずに噴き出した。さっきまでの恐れが、どこか遠くに消えうせた気がした。


「精霊魔術なしで、少しだけなら構いません」


 オルガの言葉にユリシーズはニッと笑うと、傍らに置いていたファルシオンを持って立ち上がった。



「パルヴィ、もういいかしら。なんだか眠くなってきちゃったんだけど」


「もう少し! 私、こうして髪を結うの大好きなの。本当はね、私、髪結い屋さんになりたいの」


「私のお友達にも、パルヴィみたいに髪を結うのが得意な子がいるわよ。器用で羨ましいわ」


「フフ。来年にはお婿さんを探さなきゃいけないから、私は夢で終わりそうだけど。私は結婚なんて嫌だわ。したくない。ねぇセラ、セラもお嫁にいくの?」


「……もう十八になってだいぶたつけど、わからないわ。好きな人もなかなか見つからないし」


「好きな人? 殿方?」


「う、うん、殿方よ」


 セラはできれば、異性と恋に落ちたい。暗がりに連れ込まれるのは気が進まないが、素敵な恋がしてみたいと思うのは、至極まっとうな乙女の夢のひとつだから。


「あの方達はどうかしら?」


 櫛を持ったまま両手をパチンと叩いて、頬を紅潮させながらパルヴィは立ち上がった。


「あの方達? もしかしてユリシーズ達のこと?」


 この姫様のなかで、彼らはどういう位置づけなのだろう。色味だけは物語の王子様のようなユリシーズ。リオンは女装した怪しいお兄さん。アキムは古今東西探してもめったに見ない美形。おそらくパルヴィの理想の異性は、オルガだ。だけど、オルガは正真正銘の女の子。頭の中で、私を誰とくっつけるつもりなのだろう。キラキラとした瞳でどこかを見ているパルヴィを、セラはじっと無言で見つめた。


「囚われた女性を颯爽と救う騎士ナイト……! キャー素敵!」


「パ、パルヴィ? 姫様? 大丈夫?」


 真っ赤な顔でキャーキャーと櫛を持ったまま飛び跳ね始めたパルヴィは、完全にあちらの世界にいってしまったようだ。夢見がちなだけあって、セラと誰かを何かの物語に例えて、脳内で妄想が始まっているのだろう。よく友人がああなって戻ってこないことが多々あったので、セラはこれで失礼させてもらうことにした。


 立ち上がって髪に手をやると、細かい編みこみが頭頂部からうなじにかけて髪飾りのように丁寧につくられていた。よく梳られた赤茶の髪がふわりと背中に垂らされていて、今着ているドレスに雰囲気がぴったりだった。複雑で凝った結い方よりも、セラは今のような素朴な感じが好きだった。そっと卓上の小さなベルを鳴らすと、年かさの侍女がやってきた。パルヴィの狂喜乱舞を見て苦笑すると「夕食のお時間になりましたらお迎えに参ります」と笑って、セラを送り出してくれた。


 さっきパルヴィの言っていた「騎士」という言葉を聞いて、セラは真っ先にユリシーズのことが浮かんだ。領主との会話。立ち振る舞い。一介の傭兵とは思えぬ知識の量。何よりも驚いたのは、彼の剣の腕だ。ユリシーズは、亜生物になった元騎士の腹を、普通の剣で切り裂いた。致命傷に至らなかったが、剣士としても一流の腕を持っているのは確かだ。

 リオンは絶対にギルド盗賊のような特殊技術者だと思う。あの変わった縄の結い方、縄抜けや、人間離れした身のこなし、見たこともない小さな爆弾。どう考えても普通の人ではない。アキムはアキムで守護精霊がついている。どう考えても只者じゃない。

 三人ともそれぞれ魅力的な男性かもしれないが、セラにはそういう風に思えなかった。あくまでも、危ないところを助けてくれた人でしかない。それに、ここでお別れになるのだから、変に意識しないほうがいい。

 そんなことを考えながら廊下をぼんやり歩いていると、裏庭のから剣戟の音が聞こえてきた。何だろうと窓から外を見てみると、ユリシーズとオルガが数合打ち合って、離れたところだった。


「何してるの、二人とも」


 真剣な顔で本気で打ちあっているように見えて、焦ったセラは、思わず室内履きのまま裏庭に飛び出した。


「オルガ! ユリシーズ!」


 再度打ち込んで鍔迫り合いをしていた二人は、目線だけで声のしたほうを見た。セラの慌てた気配が近づいてくる。ユリシーズは、とんでもない力でぐいぐい押してくる剣を両手で全力で支えている最中で、オルガはオルガで、いつ剣が折られるかと警戒しながら地の精霊から借りた『力』を長剣に添わせて、長剣の耐久性をあげたところだった。

 剣術はユリシーズが上だったが、オルガに先読みされているかのように斬撃がかわされてしまうので、なかなか攻撃が当たらない。やっと捕えたと思ったら、今度は馬鹿力で押さえつけられてしまう。久しぶりに手ごたえのある相手に会えて、嬉しかった。一騎士がこれだけ強いのであれば、千にも満たない超少数精鋭の精霊騎士団の実力も知れるというものだ。


「参った」


 ユリシーズの笑い含みの声がして、二人はようやく離れた。軽く上がった息を整えていると、館の裏口から綺麗な青いドレスを着て、背の半ばまである赤茶の髪をふわふわ揺らして駆けてくるセラの姿が見えた。


「人に使わないって言ってたくせに、自分の剣に使うのはありなのか」


「人には使ってない。私の剣は厚刃を受けるように出来ていないから、これはありです」


 足に絡まる裾を持ち上げて駆けてきたセラが、はぁふぅしながらユリシーズとオルガを焦ったような顔で見上げた。慌てて走ったせいで、胸元にしまっていた首飾りが、ドレスの胸元から覗いている。小さな透かし彫りの金細工が、昼下がりの日差しに小さく煌いた。


「こ、こんなところで、何、してるのよ」


「ちょっと手合わせ」


 ユリシーズの目線が、セラの胸元で止まった。信じられないものを見たような表情で、じっとそこを見ている。鎖骨が綺麗に見えるように開いた襟ぐりから覗くミルクのように白い肌と、まろい曲線を描く胸元をしっかり見られているような気がして、セラは一気に顔に血が昇った。

 そんな二人の様子を見たオルガは、一瞬だけ目を見張り、そっとセラの腕を引いた。早く『それ』をしまえと促しているのに、肩を震わせるばかりで気がついてくれない。


「どこを、見ていらっしゃるのかしら」


「綺麗だなと思」


 パァン!!


「助平!」


 ユリシーズが何か言い終わる前に頬を張る小気味いい音がして、肩を怒らせたセラが、オルガの手を引いてその場から立ち去っていった。バルコニーから下の様子を見ていたリオンとアキムは、揃って「あちゃー」という仕草で顔を覆った。もっと誤魔化し様があったのに、どうしてそんな紛らわしいことを。不念すぎて言葉が見つからない。


「確かに綺麗な鎖骨だけど……」


「どこを見ているんだ、お前は……」


 アキムの力ないツッコミが、誰もいなくなった裏庭に落ちた。



「助平! サイテー!!」


「セラ……問題はそこじゃないから」


 階段をダンダンと力強く踏みしめながら前をいくセラに、オルガは疲れた声をあげた。首飾りを見たユリシーズは明らかに『それ』が何なのか、知っている様子だった。これ以上、詮索されるようなことは避けたほうがいい。しばらく一緒に旅をしなくてはならないのだから。


「いいことセラ、その首飾り、人前に出したらダメ」


「どうして?」


「何となく。人目に晒さないほうがいいと思う。その格好の間は、外して。ステイズにでも突っ込んでおけば落とさないでしょ」


「わかったわ。オルガの『何となく』は当てになるものね」


 セラは素直にオルガの助言にしたがって、首飾りを外して胸元に押し込んだ。肌に金細工が押されている感触が少し気になるけれど、これなら落としたら気がつく。


「もう私、部屋から出ないことにする。早く騎士団領に帰りましょ」


「そのことなんだけどね。彼らと行くことにしたから」


「そう、彼らとね。って、何で!」


「女二人じゃ、ちょっと心もとないでしょ。さっき手合わせしたけど、ユリシーズはトゥーリ様よりも強い。腕は信用できる」


「腕だけじゃない……私が暗がりに連れ込まれてもいいっていうの」


「何言ってるの? 意味がわからないんだけど」


「男が暗がりに連れ込んで、人は繁栄してきたって言ってた」


「……あぁ、そう。一晩一緒にいて何もなかったんだから、これからもないんじゃない」


 ドッと疲れが出てきた気がして、オルガは肩をがっくりと落とした。幸先が不安になってくるのは私だけなのだろうか。肝心のセラとユリシーズはこんなだし。あの護衛役二人は、まともかアレかの紙一重だし。無事に帰れるといいんだけど。そんなことを考えながら客室の扉を開いて、大事な幼馴染の背中をぐいぐい押しながら中に入った。


 用意されていた茶道具一式で、久しぶりにオルガにお茶を淹れてあげながら、セラは昨日あったことを順序良く話した。誘拐されたあたりから、ユリシーズが助けてくれて、三人と一緒に猟師小屋で一晩過ごし『精霊の貴石』で一騒動あったところで、オルガが驚いたように身を起こした。


「ちょっとまって、精霊の貴石がそんな反応をしたって聞いたことがない。アキムって、あの尋常じゃなく顔の綺麗な南方人でしょう?」


「そうよ。アキムさん、すごく良い人なの」


「守護精霊つきなら話を聞きたい。ちょっと行ってくる」


 私服の淡い藤色の長衣を羽織ったオルガにくっついて、セラも一緒に部屋を出た。


「私も行く」


「いいの? 助平男のこと、怒っていたんでしょ?」


 笑いを堪えるような妙な表情を端整な顔に浮かべて、オルガはセラのギモーブのような頬をつついた。


「う、もう、そんな怒ってないわよ」


 オルガの繊細そうな指先を避けると、セラは突き当たりの部屋に向かって歩きだした。後ろからクスクス笑う声が聞こえてきて、セラも自然と口元が笑みの形になる。ユリシーズ達としばらく一緒に旅をしなくてはならないのだから、これ以上気まずくなるのは得策ではない。よく考えてみれば恩人なのだから、さっきのことは水に流すことにした。オルガが彼らと行くと決めたのなら、それに従うまでだ。誰よりも信じられる人が、彼を信じるというのだから、セラも信じる。


 セラは軽く深呼吸してから、艶々と黒光りする樫の扉を三度ノックした。

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