12. 奥方様(仮)と歌姫
「た、大変! 私ったら話に夢中でうっかりしてた。ただいまお茶をお入れいたしますね」
ちゃっかりセラの隣に陣取ったバハルト将軍の前にカップを置いて、揺すらない様にポットを持ち上げた。
「おお、これはこれは。姫様手ずからお茶を淹れてくださると! じいめは望外の喜びで倒れそうですぞ」
ユリシーズと同じくらい背が高くて骨太のがっちりした体格のバハルト将軍がカップを持つとまるで大熊がおままごとをしているようだ。何だか微笑ましくて笑ってしまう。
「大げさな」
「ユリシーズ様は毎日姫様の淹れた茶が飲めるからありがたみがわからないのでしょうな。御祖父母はお元気ですかな?」
「元気だよ。セラが来たおかげで二人とも毎日楽しそうだ」
「ぬぅ。羨ましいことだ」
セラが注いだお茶を美味しそうに飲みほすと、ユリシーズを見てニヤリと笑った。
「式は三か月後でしたな。お父上の時のような大騒動にならぬよう祈っておりますぞ」
「わ、わかってるよ。バハルト将軍にも招待状を出すから楽しみに待っててくれ」
「おぉ、ありがたき幸せ。久々にテオドール殿と会えるのも楽しみですが、やはりお二人の幸せな姿が見られるのが何よりも楽しみです。これでようやく、ジュディスの墓前に良いご報告ができますな……」
「あの、私の祖母はどんな方だったのですか?」
「おっとりとした思慮深い方で、誰よりも歌が好きで。心から音楽を愛しておられました。帝国から戻られてジュスト様を十九でお産みになって。産後の肥立ちが悪かったのか病がちになられましてな。手を尽くしましたが二十七になる年にお亡くなりになられました……」
「そんな若くして亡くなったのか……。ジュスト様だってまだ八歳かそこらだろ。小さな子どもを残して逝くなんて、無念だったろうな」
「絵姿は残っていたりしますか? もし残っているのなら見せて頂きたいんです」
「宮殿の奥回廊に一枚だけございますぞ。初めて舞台に立った時の姿を描いたもので『若い歌姫の肖像』という名がついております」
「奥回廊ってどこかしら」
「フィア・シリスの王族の住まいに繋がる廊下だよ。後で見せてもらいに行こう」
「よければこれから見に行かれたらいかがです。儂が一緒なら入れましょう」
「はい! ぜひお願いいたします」
セラは勢い込んで頷いた。早速バハルト将軍の案内で長い王宮の廊下を歩く。フィア・シリス王国の宮殿は外も内もまるで美術品のようの荘厳で華麗だった。高い天井にある明り取りの天窓から光が降り注いでいる。ユリシーズの亜麻色の髪がきらきらと煌めくように光を弾く様が綺麗だった。
しばらく歩くと、濃紺の騎士服に白いマント姿の近衛兵が立っている廊下に差し掛かった。ここが先ほどバハルト将軍が言っていた「奥回廊」なのだろう、額装された立派な絵画がたくさん飾られている。美術鑑賞の本に必ず載っている有名な絵もあるが、どれも眺めていると心が温まるような優しい絵ばかりだ。
「こちらが『若い歌姫の肖像』です」
バハルト将軍が立ち止まり、一枚の絵をゆっくりと指し示した。真紅のドレスを纏った少女が胸の前で手を組んで、今にも歌いだそうという様子が柔らかく暖かな筆致で描かれていた。セラと同じ紅茶色の真っ直ぐな髪に赤い薔薇を簪代わりに飾り、優しい飴色の瞳が喜びを湛えて舞台から観客を見つめている。
「この人がジュディス・ファレルか。セラの髪の色は祖母君譲りなんだな」
「お父さんによく似てる……。舞台に立って歌うってどんな感じなんだろう」
「歌っていると空のずっと高い所まで飛べそうな気分だと良く言っておられましたな。艶やかで繊細な声をお持ちで歌に合わせて色々な歌い方をなさったが、一番得意だったのは皆が好きな気取らない音曲でした。弾む様な明るい声で、よくジュスト様とわらべ歌を歌われて……。姫様のお声はその時のジュディス殿とよく似ておいでだ」
「そうなのですか? 見た目は私と全然違うのに」
「セラの声は陽だまりみたいだよ。明るくてあったかい。騒ぐときは喧しいけどな」
「ユーリって一言多いわ」
「多くないよ」
「はっはっは! 本当にお二人は仲が宜しい! 良き哉良き哉」
「また宮殿に来た時に見せてもらおうな」
「うん。バハルト将軍、またここに連れてきていただいてもいいでしょうか?」
「お安い御用にございます。そうそう、昼の会食は新諸侯派が中心と聞いております故、気楽に楽しめると思いますぞ。それから王立公園側の城外へは裏門を抜けて南側へ回るのがよろしかろう。今や王都は人で溢れておりますからな」
「わかった。それじゃまた夜に」
バハルト将軍は太い笑みを浮かべると一礼して奥回廊のさらに奥へ去っていった。セラはユリシーズの腕にしっかり自分の腕を絡めながらゆっくりと歩き出した。会食はてっきりフィア・シリス王国の貴族達と食べるものだと思っていたので、新諸侯派中心と聞いて少しだけ安堵した。
「新諸侯派が中心だったのね。知ってた?」
「半々だと聞いてた。セブラン殿下の治世に一番長く関わるのはおそらく俺達若手の諸侯になる。今から親睦を深めて悪いことはない、ってとこだろうな」
「なるほど。式典に呼ばれている西方諸侯達ってこれからを見越して呼ばれているのね」
「そういうこと。クレヴァ様も式典は出るらしいから会えるだろ」
「本当? 忙しいから出られないかもってお手紙貰ってたの」
「ぶ、文通してんのか? すげぇな」
「当たり前じゃない。クレヴァ様は私の後見人よ? 毎月必ずお手紙出してるの。親戚のおじさんと思ってくれても構いませんよって」
「すげぇなマジで。あの方をそういう風に思えるのはセラだけだ」
初めて訪れた外国の宮殿を興味深げに眺め、飾られている由緒ある絵画に感嘆の声を上げる。後でマイラ達に手紙で教えてあげなければ。
「物語の中みたいね」
「言うと思った。宮殿のステンドグラスは建築当時のままらしいぞ」
「……」
思わず絶句しながら天井を眺めた。ステンドグラスを通り抜けた色とりどりの光は回廊中に降り注ぎ、まるで本の中の風景のようだ。クスッと低い声がからかう様に笑った。
「気に入ったんなら、うちの天井もステンドグラスにするか?」
「しなくっていいわよ。今のままでとっても気に入ってるもの」
温かみのある白い漆喰の天井と、こげ茶色の窓枠。よく磨き込まれた胡桃材の床もすっかりセラの中に馴染んでいる。こっそり自腹で購入した掃除道具で日々磨いていれば愛着が増すというものだ。
「日々の掃除に精が出てるもんな。見ればわかるよ」
「えっ、あっ、え??」
ばれていた。ユリシーズにばれないようにとあれこれ画策していたのに。なぜだろう。
「やたら本棚がピッカピカなのはセラが油脂まで塗って磨いたんだろ。いつもの掃除人はそこまでしない」
「いっ、いいでしょ別に。ユーリが好きにしていいって言ったんだからね」
「言ったけど、そういう意味じゃねーよ。ああそうだ。館を自由に掃除する許可と、西部地帯の調査に同行する許可、どっちがいい?」
「えーっ! さ、さっき連れてくみたいなこと言ったのに!?」
「約束できるかと聞いただけで、俺は連れて行くとは一言も言ってない」
「イジワル! 宿泊施設があること黙ってたくせに! 嘘つき嘘つき!」
「うーるせ。廊下ではお静かに。ほら選べよ。調査は一回ぽっきりだが掃除は一生だぞ?」
「ひどーい」
「もっとひどいこと思いついた。セラに一服盛って寝てる間に出発する」
「嘘でしょ!? かわいい恋人を置いてけぼりにしてかわいそうだと思わないの?」
「危ない目に合わせて俺の寿命が縮むよりはマシ」
「……じゃ、掃除にする……」
セラはすっかり意気消沈して掃除を選んだ。ユリシーズが頑なに首を縦に振らないのは、いまだに亜生物が出没する危険なところだから。フィア・シリス王国正規兵が守り、常時西方諸侯の軍が駐屯しているとはいえ、ユリシーズはセラのことを思って「ダメだ」と言ってくれているのだ。無理やりついて行けば迷惑以外の何物でもない。
「でもでも、途中まで一緒でもいいでしょ? ユーリのことだから大丈夫だと思うけど心配だもの」
拗ねた顔でユリシーズの左腕をゆっさゆっさ揺すぶっていると「ハイハイ」と苦笑混じりに止められた。
「トラウゼンまでの分岐点までならな」
途中まで一緒にいられる約束ができて良かったが、黒い竜との交流をどうするのかが気になった。少しでも黒い竜と接点があった自分なら、応えてくれる可能性があるかもしれないのに。何とも残念な気持ちだった。
元来た道をたどりながら歩いて行くと、控室に続く廊下の辺りでセラ達を案内してくれていた侍従が誰かを探しているのが見えた。こちらに気づいてホッとした表情を浮かべてやって来る。そういえばすぐ戻るつもりでいたから誰にも言付けをしていなかった。
「勝手に席を外したりしてごめんなさい。もうそろそろ昼食のお時間ですよね?」
「とんでもないことでございます。ではご案内いたします」
「頼む」
ユリシーズが首肯したのを見計らい、侍従の後をついて再び王宮の中を歩く。見知った諸侯が同伴者とともに広い食堂に案内されている様子が見え、セラは組んだ腕を解いた。本で読んだ知識によれば、他国の人は王族と同じ室内で帯剣できない慣習があったから、ここで剣を預けることになるはずだ。案の定、ユリシーズが腰の長剣に手をやった。
「悪い、ちょっとだけ待って」
ユリシーズが腰の革帯に吊った剣帯から長剣を外して入り口で侍従に預けているのを眺めつつ、五十人は座れる大きな食堂を見渡した。上座には女王陛下の席が、その隣にはセブラン王子の席が設えてあった。
セラとユリシーズが案内されたのはセブラン王子側の列の始めの位置だ。着席してふと顔を上げると、向かいに掛けるセラと同年代ぐらいの西方諸侯の同伴者と目が合った。お互いににっこり笑って会釈する。扇を持つ彼女の左手の薬指には蔦を模した金色の指輪があった。
「久しいな、レーヴェ卿。旧帝都では担架に乗せられて運ばれていったから心配していたぞ」
「そいつは忘れてくれ……。バルリエ卿も細君もお元気そうで何よりだ。彼女は俺の婚約者のセラフィナ・エイル嬢だ。よろしく頼む」
「初めまして。セラフィナ・エイルと申します。どうぞ良しなに」
「こちらこそ! あの会合でのお姿には感銘を受けました。私はシメオン・バルリエ。こちらは妻のルチアです」
「初めまして、ルチアと申します。レーヴェ卿がセラフィナ様をご同伴されていると聞いて、無理を言ってついてきてしまいましたの」
二人とも明るく朗らかで親しみやすかった。こそっと「俺の士官学校時代の友達」と耳打ちしてくれたので、ますます親しみがわいた。ふっくらとしたバルリエ卿の奥方の幸せそうな様子は見ているこちらも幸せな気持ちになってくる。
「皆の反応が見たくて手紙ではあえて伝えなかったが。実はな、俺は来年の春に父親になるのだ!」
「貴君は本当にそういう仕込みが相変わらず好きなのだな。だが目出度い。あとで祝いを届けさせてもらう」
「まぁ素敵! おめでとうございます、ルチア様」
セラは満面の笑みを浮かべて小さく拍手をして祝福した。幸せ全開なのも道理。彼女はもうすぐ母親になるのだ。優しい顔で少し膨らみ始めたお腹を撫でている様子がとても素敵だった。
「ありがとう存じます、セラフィナ様。ふふ、直接お会いしてお話をしたって皆に自慢できますわ。あの吟遊詩人の素敵な物語は私達の間で大流行りですのよ?」
「だそうだが? 光栄だな、セラ」
「そ、そうね。あの、その。ありがとう存じます……」
「ふふ、お顔が真っ赤。可愛らしいお方ですね」
セラは手放しの賞賛が面映ゆくてテーブルの下に隠れてしまいたくなった。どう反応していいかわからず、持っていた扇を膝の上で開いたり閉じたりして走り回りたい衝動を誤魔化した。
「皆の前で一生懸命自分の思いを伝えたろ? あれでセラのことを皆が認めてくれたんだ。頑張ったな」
膝の上に置いた手の上に大きな手がポンと置かれてから、もてあそんでいた扇を手の中からサッと抜いた。そのまま椅子に掛けたユリシーズの上着のポケットに仕舞われてしまった。
「女王陛下、並びにセブラン王子殿下のお成りにございます」
入り口に立つ侍従長らしき燕尾服の男性の声に合わせて、集まっていた全員が立ち上がる。先に立ち上がったユリシーズの手を借りてセラも立ち上がった。ドレスを捌くのにもだいぶ慣れてきたが、パニエが嵩張って仕方ない。両手で裾を持っていないと踏んでしまいそうになる。これを見越して扇を預かってくれたのかと思うと感謝しきりだ。
静々と衣擦れの音だけさせながら女王陛下が奥の扉から姿を現し、濃紺の上着と綺麗に折られた真っ白なクラバットを身に着けたセブラン王子が後に続いてやってきた。ついに生まれて初めての会食が始まるのだ。セラは垂れた首を微動だにさせず、軽く膝を折った姿勢のまま「どうかどうか、粗相をしませんように。間違ってユーリのカトラリーを使いませんように」と母なる精霊に祈った。
奥回廊の絵はルノワールやドガの絵画をイメージしていただければ。
ルノワールの絵は色合いが優しくて暖かくて大好きです。




