8. 奥方様(仮)のマリッジブルー
本来であれば颯爽と騎馬隊と馬車で館の前に乗り付けるのだろうが、あいにく騎馬隊は先行しているのでいない。馬車はアキムが手を回して宿の駐車場へ誘導済。なのでセラ達は徒歩で向かうことになった。
ユリシーズは愛馬アルタイルの轡を取り、アルノーとリオンも自分の馬を引いて歩いているのだが、見るからに軍馬っぽい立派な馬を引いているのでめちゃくちゃ目立っている。
宿の手前で馬車で留守番をしていた侍女のお仕着せ姿のハンナと合流し、宿の前に着くと、セラはあまりにも立派な佇まいに少しだけ気後れした。
「なんか、すごくないですか? ホントにここに泊まるんですか? この格好の私達が行ってシッシ! ってされません?」
「私も初めてでドキドキしちゃう。ばっちいから着替えて来いって言われたらどうしよう」
「そこの娘さん達、一流のお宿はそんなことしないからね」
リオンがセラ達の様子に苦笑する。エマも後輩に苦言を呈した。
「ハンナ、ちょっと落ち着きなさい」
「はいっ」
「ようこそお越しくださいました、レーヴェ卿。ご案内いたします、どうぞこちらへ」
入り口にいた誘導係が呼んだのか、黒い礼服を身に着けた初老の品の良い男性が姿を現した。お忍びではないので普通に家名を出したらしく、どうやら支配人がお出迎えにやってきたようだ。
後から揃いの黒い使用人服を身に着けた宿の人達が現れて、セラの持っていた鞄と侍女達が持っていた鞄類を預かると先に中へ促された。女性が先らしい。
「素敵……。中はこんな風になっているのね」
「お褒めに預かり光栄にございます」
古式ゆかしい佇まいの外見からは想像もできない異国情緒あふれる雰囲気だった。マホガニーで統一されたどっしりした調度類と南方大陸風の敷物が不思議と合っている。植物をモチーフにした幾何学文様が美しい。セラのため息交じりの賞賛にモノクルをつけた支配人が嬉しそうに答えた。
「当館は異国の王族の方々から遠い他大陸よりお越しくださったお客様、西方諸侯様方にご愛顧いただいております。心づくしのおもてなしをさせていただきます。どうぞごゆるりとおくつろぎください」
「どうもありがとう」
セラがにこっと笑って応じると、支配人は一瞬びっくりした顔になってから穏やかに微笑んだ。
「うわ、すごい」
セラと侍女たちは割り振られた部屋へ入って驚いた。大きな窓からはチェラータの町並みが一望できるうえに遠くにけぶる王城の影まで見えて展望抜群だった。
「最上階は貴人が宿泊する階ですもんね。豪勢だってこと、ハンナわかってました。ちょっと周りを見てきますね」
「お願いね。私は荷解きをしておくから」
エマは手際よく衣裳用鞄を開けて明日セラが着るドレスや装飾品類をクローゼットに並べていく。ブルーラベンダーの落ち着いた色合いのドレスはデコルテがはっきり出る意匠だったが、肩と二の腕をシフォンの袖が包み込む感じがかわいらしい。あまりにも仕立てを頼まないセラのために呼ばれた、やり手の若い女仕立て屋が張り切って作ってくれた力作だ。
「衣装選びはお任せしたけど、どんなものを持ってきたの?」
「青系を中心にしました。それと、舞踏会のドレスは女王陛下から贈らせて欲しいと御文がお館様宛に来ておりました」
「ええっ、心苦しいわ。お呼ばれして来たのに贈り物だなんて」
「婚約のお祝い、だそうです。ありがたく頂戴しておけとご伝言を賜っております」
「そ、そう。おじい様がそう言うなら。そういえばオルガが前に着ていた女王陛下が意匠を考えたドレス、とっても素敵だったなぁ。エマも覚えてるでしょ?」
「あの不思議な織の生地ですわよね。光に当たると水面のようにきらめいて。あれは深い森の湖面のようなオルガ様だからこその意匠ですよね」
「むぅ。それじゃ私は?」
「日輪花、ですわね。それも初夏の陽射しをいっぱい浴びた明るい色の。セラ様が笑うと周りがパッと明るくなりますから。賜るドレスがどんなものか楽しみですわね」
「エマのたとえは素敵だけど。一度もそんなこと言われたことないから照れるわ」
「まぁ。ユーリ様は山ほど本を読むくせに気の利いたことが言えないんですか」
「そ、そんなことないわよ」
「セラ様のお好きな本は私が床を転げまわりたくなるような、あまーいせりふ回しだらけじゃないですか。ああいうの言われたくないんですか? 君は月だ星だ、僕の太陽だ、とか」
「ユーリがそんなこと言い出したら頭を打ったのかと思うわ。普通でいいの。あれは本の中だからいいんであって現実で言われたら引くわ。ドン引きよ」
「畏まりました。普通でいい、とユーリ様にお伝えしておきますね」
「え? え?」
「ホッとされるでしょうね。俺には無理だと仰ってましたから」
「言うつもりだったの?! 私の方が床を転げまわりそうよ」
「まあ。床掃除の必要がなくなりますわね」
エマはころころ笑いながら自分達が休む付き人用の小部屋に行ってしまった。さっきの口ぶりからして、ユリシーズからセラの愛読書の名セリフを言った方がいいのか聞いてほしい、とでも言われていたのだろう。勇猛な将として名高いくせに妙な所で怖気づくのが不思議だった。
「お食事はぜーったい、皆で食べるの」
「ユーリ様と二人きりのほうがよろしいのでは? 明日から帰るまで会食の連続ですよ」
「だったら尚更よ。私はこうして遠くに旅して皆でお食事、なんてめったに出来ないのよ?」
町並み見物に出る前に夕食についてどうするかを話し合ったが、どうにも意見が割れる。二人きりでと勧めるエマと、せっかく旅先で皆がいるのに別々で食べるのはイヤと譲らないセラ。ハンナは主君に丸投げしようと思い立ち折衷案を提示した。
「エマさん、ひとまずユリシーズ様のご意向を聞いてきましょうよ。セラ様のしたいようにって言いそうですけど」
「そうね……。それじゃ、私が聞いてまいりますから。御仕度を整えてお待ちくださいね」
「よろしくね」
「困った時はとりあえず主君頼みです。セラ様はこのワンピースに着替えて頂けます? さっき見た感じだと宿泊客が正装ばっかりで私以外悪目立ちしてましたから」
「わかったわ。ハンナは足、大丈夫? なるべく早めに切り上げるからね」
「大丈夫ですって! おししょーに筋力が落ちるから痛くても動かせって言われてるんです」
「リオンって結構厳しいね」
「そりゃそうですよぅ。容赦ないのは私達教え子が死なないためですから」
「師匠の愛ね」
「ただいま戻りました。お夕食は全員で、だそうです。これからのことを打ち合わせるからって」
「ふふふ」
「セラ様の勝ちですわね。ユーリ様のお部屋は広い居室がありますからそこに運んでもらうそうです。夜六時に集合とのことでしたので、あと二時間ほどお時間がありますね」
「それじゃさっそく行きましょ。二人ともその服装でいいの? 折角だし私服で」
「いえいえ。私は帯剣したままですから護衛、ハンナは侍女という体でいきましょう」
エマは動き易そうな焦げ茶色の上着と共布の膝丈スカート、膝までの編み上げブーツに小剣を腰帯から吊っている。ハンナはいつものお仕着せにケープを羽織った姿なので『お嬢様と侍女、護衛の女従者』という設定に変更だ。三人で仲良く宿の玄関までやってくると、セラは旅の間で考えていた義祖父母のためのお土産を見に行くことにした。
「ちょっと大通りまで行ってみたいの。無地レースの手巾と、おばあ様の眼鏡用の飾り鎖が見たいんだ。最近よく絡まるっておっしゃってたから」
「無地でよろしいんですの?」
「私が刺繍したのをお母さんに贈ろうかなって。おばあ様にもそろそろ成果を見て頂きたいし」
「えー、大丈夫ですか? お式用のベールの刺繍と同時進行で。あと二か月しかないですよ」
「む。こう見えても私、お裁縫得意なんだから。御針子だったお母さん直伝よ?」
「セラ様のお母様は御針子をされていたんですか?」
「知らなかったです。てっきり貴族なのかと」
「大昔は下級貴族だったみたいだけど私は良く知らないの。お母さんは御針子してた時にお父さんと知り合ったんだって。たぶんお父さんが皇子様ってこと知らないで付き合い始めて、結婚したんじゃないかしら」
「うわぁロマンティック。身分を隠して知り合うなんて。恋愛物語の王道ですね!」
「本当に物語のような出会いですわね。素敵じゃありませんか」
「でもね、両親の話にちょっと食い違いがあるのよ。お母さんが風体の良くない人達に絡まれたときに助けて、お母さんがお父さんに一目ぼれしたって話、どこからでてきたのか全然わからないの。お父さん、娘が何も知らないと思って話を作ったのかしら」
「お母様と再会した時にお尋ねすればいいのでは? もうすぐ会えるじゃありませんか」
「そうね。もう少しちゃんと聞いてみる」
おしゃべりしながら歩くうちに大通りが見えてきた。貴婦人もおかみさんも、紳士も商人も兵士も町人も混ぜこぜの人々でごった返している。大通りはいくつかの通りに別れていて、それぞれ食品や服飾などのお店が軒を連ねている。
「右から三番目の通りが服飾関係みたいですね。それにしてもすっごい人! 音楽まで聞こえるし」
「大道芸人かしら?! 王都での本番前に力試ししてるんじゃない?」
「セラ様、私達から離れないでくださいね。人が多いと性質の悪い連中が増えますから」
「はぁい。あ、レースの手巾が飾ってある。ここにしましょ」
軽やかなベルの音を鳴らして店の中に入ると、上品な水色のドレスをまとった三十代なかばぐらいの女性が穏やかに微笑んでお辞儀をした。
「いらっしゃいませ。用向きをお伺いいたします」
「あの、店頭に飾ってあったレースの手巾を見せて頂けますか?」
「まぁ、ありがとうございます。今日仕入れたばかりの新作ですのよ。お色はいかがいたしましょう?」
「白を二枚と、こちらの薄水色とクリーム色と、えっと薄桃色の手巾もください」
「畏まりました。お包み致しますか?」
「いいえ。簡単で結構です」
「お待ちくださいませ」
「あ、あの。不躾かもしれないですけど、お掛けになっている眼鏡の飾り鎖はどちらで買えますか?」
女主人はカウンターの奥で作業していた見習いの売り子を呼んで包装を頼むと、掛けていた細い銀縁眼鏡を外してセラに見せてくれた。眼鏡には銀の細い飾り鎖がついていて、きらきら光る小さな天然石が等間隔に嵌っていて素敵なつくりだ。
「こちらのような鎖でしたら、三軒左隣のお店『マーガレットの首飾り』がおすすめですわ。スノウのお店の紹介で、とこちらのカードを一緒にお見せ頂ければ少しお勉強いたしますよ」
「どうもありがとう」
セラは女主人から良い香りのする薄水色のカードを受け取った。ハンナが見習いの売り子から手巾の包みを受け取り、女主人と売り子に笑顔で見送られて店を後にした。
「ずいぶん買いましたね」
「うん。白はお母さんとおばあ様。薄水色とクリーム色は二人にね。私の薄桃色とお揃い!」
「えっ」
「あとで刺繍をいれて渡すね」
「そんな、私達の分はいいですよぅ」
「明日は謁見とお墓参りとおつかいだけで終わっちゃうと思うし。ゆっくり二人と見て回れるのって今日だけだもん。チェラータに来た記念にね」
「セラ様……嬉しいです。ありがとうございます」
「ありがとうございます! 私は薄水色がいいです」
「ふふっ、ハンナは薄水色ね。さ、三軒隣に参りましょ」
セラ達は『マーガレットの首飾り』までやってくると、そっと扉を開けた。オルゴールのような耳に優しいベルの音がして、先ほどの女主人とよく似た女性が奥から姿を現した。
「こんにちは。眼鏡の飾り鎖を見せて頂きたいのですが」
「いらっしゃいませ。ただいまご用意いたします。あら、お嬢様は妹のお店に行かれたんですね」
「はい。お店のカードを頂いてきました」
「ふふふ、ありがとうございます。お使いになられるのはお嬢様の御身内のお方ですか? お年をうかがっても?」
「あ、はい。祖母に贈ろうと思ってて。祖母の御髪は銀色で、瞳の色は水色で、お使いになっている眼鏡は縁が赤です」
「まぁ。必要なことをよくご存じですのねぇ。縁が赤でしたら、石は薄い桃色が合うかと思いますけれど。瞳と合わせるなら少しおしゃれに紫というのも」
「祖母の誕生石は確か紫水晶だったから、紫も一緒に見せてもらえますか」
「はい、かしこまりました」
「うーん。さすが元侍女ですね。私達が口をはさむ隙がありませんでしたよ」
「あっ、ご、ごめんなさい」
「いえ。奥方様への贈り物ですもの。差し出た真似は致しませんわ」
すぐに飾り鎖をいくつか持ってきた女主人が戻ってきて、セラはいろいろ見比べてみてどちらにするか非常に迷った。迷ったあげくお守り代わりにもなる誕生石の飾り鎖を選ぶことにした。
「よかった。おばあ様喜んでくださるといいんだけど」
「もちろん喜んでくださいますよ」
「あ、もう結構な時間になってますよ。そろそろ戻らないと捜索隊が出ます」
ハンナの声に顔を上げると町の中心に建つ時計塔がじきに五時半になるところだった。まだ日も高いし子どももそこらで遊んでいる。
「か、過保護すぎるわ」
「お忘れのようですけど、セラ様はわがトラウゼンの要人なんですよ。当然のことです」
「私、また自覚が足りなかったわね……。それじゃ帰りましょうか。皆が心配するものね」
セラは笑顔で歩き出したが内心反省しきりだった。ユリシーズと結婚するということは、トラウゼン領主の奥方として隣に立つということ。つい忘れがちだったが、あと二か月もすれば結婚して奥方としての仕事が始まるのだ。何だか突然、本当にそんな大役がつとまるのか不安になってきた。




