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乙女は獅子に恋をする  作者: 龍田環
西方大陸編
54/111

29. 確かな絆

 出陣を控えてトラウゼンは落ち着かない雰囲気に包まれていた。城下町からは兵糧や武器の運搬が毎日のように行われ、集結地点のエーラース領に向かう解放軍が通過していき、逆にエーラース領側から疎開してきた人達が通過していった。関所は連日混雑で領館の事務方は大忙しだ。

ユリシーズは団長としての仕事をしながら領主としての仕事にも追われて、ずっと領館に詰めっぱなしだった。セラはできるだけ邪魔にならないよう、ユリシーズの執務室で書類を整理したり、事務方の簡単な手伝いをして過ごしていた。食事の時しか話ができないのがひどく寂しかったが、口に出してもユリシーズを困らせるだけだから我慢するしかなかった。


「お父さん」


『なんだー』


「これ、やっと完成したの。どっちの腕がいい?」


『左に巻いてくれ。大変だったろ、この長さの鎖を用意するの』


「まぁね。留め具が思いつかなかったから、時間かかっちゃった」


『へぇ、こいつはいいな。錠前を改造したのか』


「うん。リオンが暇だからって作ってくれたの。器用だよね」


『あの童顔の側役か。礼を言っておいてくれ』


「うん」


 セラは竜の腕に巻いた合金製の鎖を撫でた。ナンナから預かった貴石は鎖を通して、竜の腕に巻けるようにしてみたのだが、留め具がなかなか見つからなかった。人用のものでは鎖が重すぎて留め具が曲がってしまう。色んな人にいい案はないかと聞いて回ると、アキムから「リオンなら錠前を改造して作れるかも」と教えてもらえたのだ。


『……いよいよ出陣か。心配だろうけど、お父さんが一緒に行ってユリシーズを守ってやるからな』


「お父さんも気を付けてね。帝国軍から追いかけ回されてたんでしょ? 私と最初に会った時偽名まで使ってたんだから」


『おう。最近は本名で呼ばれまくってんのに、追手が全然来なくなったんだよな。不思議なことに』


「うーん。思い当たるとしたら、火の精霊殿にあった変な仕掛けを壊したこと?」


『そうかもな。もう日が暮れてきた。セラもフラフラしてないで館に帰れよ。嫁入り前なんだから』


「うん……」


 セラはチラリと背後にある領館の方を振り返った。今日の領館は、まだまだ業務が続きそうな様子だ。この分だとユリシーズは帰ってこれるかどうか。小さくため息をつく。


『……さすがに今日は帰ってくるだろ。愛してやまないかわいい婚約者と大好きな祖父母のところにな。それじゃ、また明日な。ちゃんと寝て、しっかり見送ってやれ』


「うん。おやすみ、お父さん」


『おやすみ、セラ。良い夢を』


 無音の光る方陣が父の周りに浮かび上がる。瞬きひとつする間もなく、大きな竜の影が消え去った。セラはワンピースの裾を払って歩き出した。領館のすぐそばにある遊歩道を通って、森の館に着くと食堂から温かな光が漏れていた。もうすぐ夕食だから義祖父母は軽く晩酌を始めている頃だ。今日は夕食を取ったら、ユリシーズは領館に戻るのだろうか。それとも両親と暮らした丘の館に戻るのだろうか。もし、丘の館に戻るのなら。セラは一昨日から迷っていたことのどちらを選ぶか。それに賭けることにした。


「ただいまー」


「お帰りなさい!」


 セラは良く通る低い声が玄関ポーチからすると同時に居間から飛び出して、上着を脱いでいる最中のユリシーズに後ろから抱き着いた。


「っと。ただいま。もう夕食終わった?」


「ううん。ユーリが帰ってくるまで待ってたの」


「そっか。待たせた」


「お帰りなさいませ、ユーリ様。さ、上着をこちらに」


「ただいま、マリー。上着はいいよ。俺、自分の館に戻るから」


「かしこまりました。さ、セラ様も居間へ。先ほど廊下を走られましたね? 廊下を走ってはいけません」


「ごめんなさい。つい」


「ははは、怒られた」


「淑女なんですからね。それでは、すぐにお料理をお持ちいたしますわね。今日はユーリ様のお好きな献立ですから、葡萄酒は赤でよろしいですか?」


「うん。頼む。あんまり辛くないやつにして、セラが飲めるように」


「はい」


「い、いいのに、ユーリの好きなもので」


「俺がそうしたいから、いいの」


 ニヤリと笑ってセラの頭をポンポンと撫でる。その様子は普段通りで肩の力が抜けた。料理長が腕によりをかけた夕食を楽しみ、セラとユリシーズの結婚式のこと。秋の収穫祭のこと。誰もがあえて明日の出陣のことに触れず、楽しい話だけをした。時間はすぐに過ぎて、ユリシーズは「明日の準備があるから」と、夜の十時を過ぎて腰を上げた。玄関ポーチで祖父母と話し込んでいるのを確かめてから、セラは帰ろうとしていたエマを捕まえて、納戸に引っ張り込んだ。


「エマ、一生のお願い。私の部屋の鍵を閉めておいてもらえない? いなくてもわからないように」


「……そんなお願いは聞けません。私は侍女ですから。あら、私としたことが。主のお部屋の鍵を閉め忘れてしまったかも」


 驚いて顔を上げると、エマが片目を閉じて笑った。


「親愛なるわが主は、ユーリ様のご出陣に合わせて早くお起きになられるから、朝五時に起こし行かなくては。それでは、おやすみなさいませ、セラ様」


 ポンとセラの背中を優しく叩いて、エマはするりと納戸から音を立てずに出て行った。その背に「ありがとう、エマ」と呟いて、セラも急いで玄関ポーチへ向かった。上着を片手に持ったユリシーズはセラに気が付くと蒼い瞳を柔らかく細めた。


「おせーぞ。もう帰ろうと思ってた」


「おまたせ。途中までお見送りするね。マリー、門限には戻って部屋に帰ります。だから、いつもの時間に施錠してね」


「かしこまりました。締め出されたら裏口のベルを一度鳴らしてくださいませ。お説教がてら開けに参ります」


「はい。気を付けます」


「庭みたいなもんだけど、あんま女一人で出歩くなよ……。そこの小川までだからな」


「わかってるってば」


「それじゃ、じいちゃん、ばあちゃん。おやすみ」


「うむ。ゆっくり休め」


「お腹を出して寝るんじゃありませんよ。大将なんだから風邪などひかぬように」


「うん。子ども扱い、いい加減やめてくれ。俺もう二十過ぎの大人だから」


 祖父母とマリーに見送られて、二人は明るい月夜の道を歩き出した。すぐに「ん」と長い腕が伸ばされて、セラはそっと遠慮がちに腕を絡めた。


「何か俺に話したいことあるんだろ。あと十歩ぐらいで小川に着くから早く言った方がいいぞ」


「え、えっと、そのぅ」


「まさか、俺と一晩一緒にいたいとかじゃないだろうな。断っていいか」


「えっ、ダメなの?」


「出陣前で気が昂ぶってるから。貞操の終焉を迎えたいのか?」


「……それでもいいから、一緒にいたい」


「それでも、って……」


「お、乙女の覚悟を舐めないで」


「手、震えてるぞ」


「……!」


「俺も一緒にいたい。そばにいるって約束だもんな」


 ふわりと笑う最愛の人の顔は、セラが一番好きな表情で。指を絡めるように手をしっかりと繋ぎなおして、丘の館へと歩き出した。手のぬくもりが、寄り添う熱が、すべてが泣きたくなるほど愛しかった。







 翌朝、セラはユリシーズから借りた鍵で森の館に戻ると、急いで今日着るドレスを選んだ。今日は絶対に黒いレースのドレスにしようと決めていた。ドレスをクローゼットから取り出して丁寧にブラシをかけていると、昨夜約束した時間通り、朝五時を回った頃にエマが顔を出してくれた。


「おはようございます、セラ様。あ、よかった。私も今日はこちらをお勧めしようと思っていました」


「うん。黒騎士団のデイムとしては、皆と同じ黒を着てお見送りしたいじゃない。髪は簡単にまとめてもらってもいい? ユーリが幹部を集めて朝食をとるって言ってたから、急いで行かなきゃ」


「かしこまりました。あぁ、こういう時にハンナがいてくれたら」


「大騒ぎしながら靴! リボン! ってテキパキ用意してくれるのにね」


「似すぎですわ、セラ様ったら。こんな忙しい時に笑わせないでくださいまし」


 二人でクスクス笑いながら仕度を済ませると、セラはエマと一緒に領館へ向かった。騎士宿舎から甲冑の音をさせながら、黒騎士達が続々と集まって来ている。それらを横目に一階奥にある食堂につくと、多忙な幹部達が全員揃っていた。


「集まったか?」


「はい」


「集まってもらっておいてなんだけど、もう話すことないよな。一応聞くけど申し送り忘れとか、ないよな?」


 ユリシーズは席に着いた騎士団幹部達を見回した。ユリシーズの右隣にいたフレドリクが全員の顔を見て、異論のないことを確かめる。


「ありません。すべて手筈通りに」


 フレドリクの向かいに座るアキムが、ユリシーズの左隣にちょこんと座るセラを見てアーモンド形の綺麗な瞳を楽しそうに細めた。


「今日の出陣式は皆気合入りますね。デイムも黒いドレスで参加してくださるし」


「空気読んだんだねぇ」


「リオン、お前にだけは一番言われたくないぞ、そのセリフ」


「同感です」


「ゲオルクさんもアキムもひどくない? 俺いつも空気読んでるよ?」


「ふふっ」


「いいからさっさと朝飯を食ってくれ。幹部全員で遅刻する気かよ」


 ユリシーズは呆れた声を出して、珈琲のカップを置いた。これから大きな戦いへと赴くと言うのに、ユリシーズも黒騎士団の皆も、いつもと変わらない様子でセラはホッと息を吐いた。



朝食を終え、幹部達が慌ただしく食堂を出ていくのを見送り、セラ達も席を立った。


「早く帰って来てね」


「うん。セラはレース編み頑張れよ。っていうか本当にできるのか? 自分の背丈と同じ長さを半年でって」


「レース編みは職人さんにやってもらうから、刺繍だけするのよ。それでも今からやらないと間に合わないわ。収穫祭用の飾り帯もあるし」


「俺の飾り帯なんか別にいいよ」


「よくない! 縁起物なんだからね」


「はいはい。俺の奥方は凝り性だな」


「ユーリが無頓着すぎなの。まったくもう」


「ほら、手。さすがに指を絡めていちゃついてるところは見せられねーからな」


「そうね。冷やかされてユーリが拗ねちゃうと困るし」


「……一言多いのはセラもだろ」


「私の騎士様は細かいわ」


 エスコートされて領館の入り口から出ると、ざわついていた領館前の広場がシンと静まり返った。その様子にセラは目を瞠る。広場を埋め尽くす黒騎士達はマントも甲冑もすべてが黒。総勢約千の黒騎士団は圧巻だった。団旗が夏の風にバサバサと靡く音だけが聞こえる。目顔で「ここで待ってて」と言われて、そっとユリシーズの手を離した。


黒き有翼獅子の騎士団(グライフ・オルデン)よ! 四年前の雪辱を果たす時が、ついに来たぞ! 父を、兄弟を、友を。我らがあの時失ったものは取り戻せない。だが、我らには為すべきことがある! 愛する故郷を、愛する者達を己の剣にかけて守ることだ! 先の『大戦役』で我が父は言った、皆と生きて会えるのもこれが最後かも知れぬ、と! だが俺は、また皆と生きて会いたい! 騎士らしく存分に戦い、勝ってここに戻って来ると誓え!!」


 ユリシーズの良く通る声に応える様に、雄叫びのような騎士達の上げる鬨の声にセラは思わず肩がビクッとなった。士気が最高潮に高まっている様子に幹部達も満足そうに笑っている。真っ直ぐに伸びた広い背は、腰に佩いていた長剣を抜き放った。明けはじめた朝の光を眩しく弾く。


「我らは一つ、剣のもとに!」


「われらはひとつ!!! つるぎのもとに!!!」


 団長の『誓いの言葉』に被せる勢いで、全団員が大音声で唱和する。少し遠くの方から見送りに来ていた城下町の領民達が歓声を上げているのが聞こえてきた。騎士じゃなくても、皆の心はひとつなのだ。


黒き有翼獅子の騎士団(グライフ・オルデン)、出撃せよ!」


 ビュッと風切音とともに振り下ろしたユリシーズの剣を合図に、後方にいた騎兵隊が東側にある門から駆け出していくのが見える。もうすぐ、ユリシーズが行ってしまう。北方大陸で一時期離れ離れになった時は心が裂けるように悲しくて寂しかったが、お互いの心はどこにいても一緒だと、確かな絆を感じられる今は、落ち着いて見送ることができた。


「ユーリ、ご武運を」


「ああ。任せとけ。そう長くはかからないから」


「師団長、先導願います」


 カツカツと蹄鉄の音をさせながら騎乗したアルノーがやって来た。控えていた幹部達は従騎士達から預けていた手綱を受け取ると次々騎乗して、各師団の先頭へと駆けて行く。


「皆も、ご武運を! 皆で無事に帰ってくるの、待ってるからね!」


「了解! セラ様もデイムとして皆をお守りください!」


 アルノーが率いる一番隊の面々も、さっと右手をあげて略式の敬礼をすると馬首をかえして門へと駆け出して行く。そして少し離れた場所で様子を見ていたトゥーリ達も馬を寄せてきた。


「援軍として、君の旦那様が存分に戦えるように手助けしてくるよ」


「はい。トゥーリ様、オルガ。皆さんもどうかお気をつけて」


 たたっと軽い足音をさせて、館の人達の所にいたナンナが走り込んできた。セラのドレスの裾をそっと掴んで、不安そうな瞳で精霊騎士達を見回した。


「気をつけて。戻ってきた人達を輪に還してあげて」


「御心のままに。行くぞ!」


 切れ長の瞳を優しく笑みの形にして微笑むと、トゥーリは背後に並ぶ親衛隊の面々を引き連れて出発した。最後に、淡灰色のマントを羽織ったユリシーズが騎乗して、セラの目の前までやってきた。


「行ってくる!」


「行ってらっしゃい!」


 セラは不安な気持ちを心の奥に押し込めて、最愛の人を晴れやかな笑顔で見送った。生きて、戻って、そしてこれからはずっと一緒にいられるのだと信じて。




 ユリシーズ達が出陣して、四日。一日遅れでユリシーズから戦況が届くので、何度か帝国軍と交戦しつつ無事に帝都に着いたことはわかっている。そしてセラが手にしている進軍予定では、今日未明が帝都突入だ。朝から何も手につかず、セラは何度もレースの見本表を閉じたり開いたりしていた。花嫁の被るベールは、質素な花嫁衣装の中で唯一好きに出来る部分だから、一番楽しいはずなのに。夫になる人が先鋒部隊として、一番重要な任務を担ってると思うと落ち着かなかった。


「セラ様! た、大変です! ユーリ様が帝国側に囚われたと、いま、鷹が!!」


「何ですって……」


「お命はあるようですが、中央門に、は、磔のようにされていると」


「領館、領館に行ってくる!」


「はい!」


 セラは震える手をぎゅっと握りしめて、エマを連れて森の館を飛び出した。居間ではマリーや料理長が倒れたエステルを介抱しているのが見えて、そちらも心配で堪らなかったが、今はとにかくユリシーズの事だけが気がかりだった。領館につくと、すでに会議室にはテオドールとゲオルク、警邏隊の隊長、事務方の長が集まっていた。


「セラ……」


「おじい様、本当なんですか、ユーリが……ユーリが!」


「本当だ。突入は成功し、黒騎士団が手筈通り西の大門をとった。竜が堀を破壊してくれて、そこから精霊騎士達は宮殿の中に入って、クレヴァ達本隊を待ったのだろう。だが宮殿に入る寸前で中央の大門から移動した元中央軍とクレヴァ達の本隊がぶつかり、もぬけの殻になっていた中央門から解放軍は全軍一時撤退」


「そんな! ユーリ達が、まだ中にいたのに」


「そう思って、再び西の大門から抜けようとしたのだろうな。そこをキメラ部隊に奪還されて、仕方なく元中央軍が守る中央の大門に向かったところ」


「そこに、ユーリ様が、ってことか……。トゥーリ達、またあの雄叫びで無力化されたのかな」


 お腹の傷を抑える様に立つリオンが、暗い目で届けられた伝言を眺めながらつぶやいた。テオドールも腕を組み、帝国がある東側の窓を睨み付けながら答えた。


「だろうな。帝国軍もバカじゃない。強力な精霊魔術を使う精霊騎士をまず叩いたのだろう」


「お館様、援軍を送るにも、時間がかかりすぎます……!」

 

 ゲオルクの悲痛な声に、リオンはその大きな背中をポンポン叩いて、真剣な顔で全員を見回して言った。


「俺が行く。猟犬の道を使えば帝都まで二日とかからず行ける」


「な、お前、腹の傷が塞がっておらんだろうが! 怪我人が行ってどうする!」


「クレヴァ様達は元中央軍とは戦えないけど、俺は戦える。ユーリ様を取り戻さないと」


「待て、待たんかリオン! このバカ者め!!!」


「リオン!」


 小柄な姿が皆の制止の声を無視して、止める間もなく会議室から飛び出していった。両手で顔を覆う義理の祖父の姿、辛そうな顔で部下に指示を出すゲオルク。団長が囚われた事実に緘口令を敷いて、領館にいる使用人達を全員帰すように指示を出す顔面蒼白の事務方の長。セラはかくんと膝から力が抜けて、床に座り込んだ。こんなことをしている場合じゃないのに、足に力が入らない。でも、そのかわり頭は回っている。トゥーリは『魔人』と仇名されるほどの精霊魔術の使い手だ。天高く聳える「果てない壁」と同じくらい自尊心の高い人だから、同じ敵から同じ攻撃を受けたりしない。逆手にとって倍返しぐらいするはず。姿が見えないのなら、内部潜入して助ける機会をうかがっているに違いない。


「セラ様……」


 涙ぐみながらセラの背中に手を添えてくれているエマの腕をぎゅっと掴んで、セラはエマの耳に口を寄せた。


「エマ、私のお願い、ううん、主として命令するわ。私、帝都まで行ってくる。ユーリを助けにいく。これから言うものを持って、裏山に来て」


「……わ、わかりました」


「おじい様、ユーリは絶対に大丈夫です。私はユーリを信じてる」


「セラ……」


「セラ様」


 セラは深呼吸すると「館に戻ります」と無理やり笑顔を浮かべて、領館を飛び出した。そのまま丘の館へ一生懸命走った。鍵を開けて、ユリシーズの自室に駆け込む。クローゼットの一番奥にある、少年時代の服が入っている行李を引っ張り出すと、従騎士時代に着ていた黒い騎士服の内着とセラの背丈でも着れそうな外套があった。


「よかった。さすがに今の騎士服じゃ大きすぎるもんね」


 元通りに行李を戻して、セラは騎士服と外套を持って今度は自室に駆け込んだ。急いでワンピースを脱いでユリシーズの服を着込むと、クローゼットの奥から履きなれた膝までのブーツに履き替えた。髪を後ろで一つにまとめて結い上げると、ユリシーズから譲ってもらった短剣を傍机の引き出しから取り出した。落とさないように鞘の革ひもをベルトに結び付けながら、セラは領館の裏山に走った。そこにはエマが布鞄を持って、すでに待ってくれていた。


「ごめん、エマ。お待たせ」


「お薬一式と、二日分の食料とお水です。ここから帝都まで約二日はかかりますけど、本当に行かれるのですか?」


「うん。お父さんに乗せて行ってもらうから、そんなにかからないと思う」


「こんな時になんですけど。騎士服、結構似合いますね」


「ふふっ、ありがと。お父さん!!」


 一拍置いてから、光る方陣が浮かび上がる。光が収まると、体表に血を滲ませた黒い竜の姿が現れた。菱形の小さな傷は矢傷だろうか。竜の肌を傷つける威力があるのはファンニの持つ強弓ぐらいだと思っていた。


『……セラ』


「お父さん、私を乗せて、帝都まで行って!」


『お前が行ってどうする。できることはないぞ。ユリシーズを助けたくても、弩で撃ち落とされるし、中央軍が囲んでて近寄れない』


「リオンがさっき飛び出していったの。猟犬の道を使って行くって言ってたから、彼を途中で拾って、二人でユーリを助けに行く」


『……』


「それに空から見れば、どう攻め込むべきかクレヴァ様にお伝えできるでしょ。お願い」


『……わかった。休みなく飛ぶぞ。覚悟はいいな?』


「うん! エマ、離れてて。危ないから」


「は、はい! セラ様、どうかお気をつけて、無茶はしないで!!」


 セラが竜の翼に掴まると、翼側からするりと滑り落とされて背中におさまった。それを見届けて、エマも慌てて距離を取った。


「絶対に皆と一緒に、ユーリと一緒に帰ってくるから! おじい様とおばあ様に伝えて!」


 翼が空を切る様に羽ばたいて、一瞬のうちに浮き上がる。お腹の中がでんぐり返りそうになったが、ぐっと堪えた。


「お父さん、猟犬の道の出口って、知ってる?」


『知ってる。何度か俺も使ったからな。かっ飛ばして帝都まで今日中に行くぞ! お花を摘みたくなったら早めに言えよ!』


「わかった!」


 ぐるっと旋回して、東側へと進路を取ると竜は一気に加速した。セラは振り落されないように必死で竜の背中に身を伏せた。恐ろしい早さで景色が飛ぶように後ろへ流れていく。


「お、お父さんは、休憩しなくって平気?」


『平気。竜は一週間飲まず食わずで寝なくってもへっちゃらだ』


「一体何があったの?」


『俺が堀から突っ込んだ後、ユリシーズ達がキメラ部隊と戦闘になったんだ。まさかキメラになったリュシアンが出てくるとは』


「し、知ってるの?」


『あの子は実験体一号だよ。せっかく北方大陸に逃がしてやったのに、結局連れ戻されたんだな』


「北方大陸……それ、いつの話?」


『十年以上前だな。俺の姿を見て仲間を逃がそうとしてたから、この子はまだ人の心がある、助けなきゃいかんと思って』


「そうだったんだ……。キメラの子ども達、彼のことを本当のお兄さんみたいにすごく慕ってた……」


『あいつ内通者だったんだろ? 何とかして引き込めないもんかね。心根が腐ってなかったら協力してくれそうだが』


「どうだろう……。ユーリは私を攫った張本人だから、八つ裂きにしたいみたいだけど」


『あいつにしてみりゃな。今は協力、終わったら果し合いでも一騎打ちでもしてくれりゃいいのに』


「そ、そんなことさせないもん」


 陽が落ち始めた頃、廃村や廃墟だらけの街が見えてきた。帝国領へ入ったのだ。眼下には人の気配がまったくなかった。


「おとうさん、どこでリオンと合流したらいいと思う?」


『まあ待て。たぶんこの大戦役跡地を通るはずだ。ここを抜けてく道が一番早い』


 竜は翼を数度打って、ゆっくりと地面へと降り立った。辺りは荒涼とした焼け野原だ。少しすると、遠くから馬が駆けてくる音が聞こえて来た。見慣れたトラウゼンの黒馬ではなく、栗毛の馬だ。背中には小柄な黒い影が見えた。セラはぴょんぴょん跳ねて手を振って、こちらに気づくよう大声で叫んだ。


「リオン!」


 セラの目の前で馬を御して止まると、リオンは信じられないといった顔で叫んだ。


「なんで、セラちゃんがこんなとこに!!」


「よかった! 一緒に行こう!」


「ダメダメ! 戻って! 俺が行くから!」


「言い争ってる暇ないの! 馬から荷物持って、早く乗って!」


「え、ちょ、やめて! 降りる、降りるから、足から手を放して! 腹の傷が攣るぅ!」




『セラ、猟犬君は大丈夫かね? なんか、血の匂いしてるけど』


「リオン、お父さんが大丈夫かって。傷開いてない?」


「出る時にきつくさらしを巻いたから開いてないと思う……でもじんじんする」


「ご、ごめんね」


「この速さだと、明け方到着かな。ユーリ様が磔にされて二日目か。水を飲んでないだろうから、早く助けないと干からびちゃうね」


「やめてよ!」


『鍛えまくってるし体力があるから三日はもつだろ。怪我してるから早く助けてやらないと』


「怪我……」


「命はある、って言ってたでしょ。無事じゃないよ。生きてるってだけ」


「急がなきゃ! お父さん、もっとかっ飛ばして!」


『おし!』


 ぐん、と飛ぶ速度が速くなった。眼下の世界はすっかり陽が落ちて何も見えない。竜になった父は夜目が効くのか迷いなく進んでいく。セラはギュッと騎士服の膝を握りしめて、ユリシーズの無事だけを祈り続けた。

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