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乙女は獅子に恋をする  作者: 龍田環
西方大陸編
43/111

18. 対の指輪

 セラはユリシーズに抱き着いたまま、ふと思いついたことを口にした。


「ね、どうしてまた急に求婚してくれたの?」


「セブラン殿下に先を越されたからな」


「そういえばそうね」


「というのは冗談。左手出して」


「はい!」 


「そうじゃないだろ。今の話の流れで、どうして手の平を上にするんだ」


 くるりと手を返されて、スッと左手の薬指に鈍く金色に光るものが嵌められた。セラのすんなりした指に誂えたようにしっくりとおさまるそれは、ほんのりと温もりすら感じる。


「指輪だぁ……!」


「さっきティアナが持ってきた。懇意にしてる宝石商に頼んだら三日で出来たって」


「すっごく実感がわいてきちゃった。私、本当にユーリのお嫁さんになるのね。みんなの前で騎士の誓いをして貰った時もすっごく嬉しかったけど、今はじわじわ嬉しい!」


「そりゃよかった」


「これを見るたびに嬉しくなっちゃうわ。ユーリの指輪も貸して」


「ん」


 大きな手を取り、長く形のいい指に指輪を嵌めた。左手をユリシーズの左手の上に重ねると、翼を広げた有翼獅子の姿が見える気がした。セラの女物には翼の意匠が、ユリシーズの男物の指輪には横を向いた獅子の顔が鈍く光っている。レーヴェ家の紋章は『剣を咥えた有翼獅子』だから、指輪も家紋を意識した意匠だった。


「お揃いね」


「対だろ、つ、い」


「一緒じゃない」


「対になってるものはお互いに引きあうんだよ。二つで一つだから」


「素敵。守ってくれるうえに、私達を結びつけてくれるのね。この指輪は結婚式までしか付けられないんでしょ? 結婚式の後はどうするの?」


「俺達のためだけに作った結婚指輪があるだろ。どんな意匠がいいか考えておけよ」


「何言ってるの、ユーリも一緒に考えるのよ。結婚指輪に彫り込むなら蔦とか月桂樹が多いみたいよ。縁起がいいから」


「へー。勉強しとくよ。作るのにひと月くらいかかるみたいだから、早めに決めておかないとな」


「うん!」


 蒼い瞳がふっと優しい色を写す。セラは二人でいる時に見せてくれる笑った顔が本当に好きで、見るたびに幸せな気持ちになれた。同じようにユリシーズにも幸せをかえせているだろうか。指を絡めるように手をつないで歩き出しながら、二人で幸せになる方法を考える。成すべきことは山積みだったが、二人のこれからを考えると自然と口元が緩んだ。



「ただいま戻りました」


「腹減った」


 仲良く帰って来た二人は、まっすぐ居間へと歩いて行った。ひょい、と厨房の入り口から顔を出したマリーが可笑しそうに笑って「お帰りなさいませ」と出迎えてくれる。


「結局戻ってきちゃった。おじい様ったらすごい早さで領館を出てしまうんだもの。声をかけそびれたわ」


「七十近いじいさんとは思えねーよな、あの動き。マリー、何かある?」


「簡単なものならすぐご用意いたしますよ。召し上がられますか?」


「頼む」


 居間に入ると、祖母のエステルがのんびりと食後のお茶を楽しんでいるところだった。その向かいには、しょんぼりと肩を落とすこの館の主が座っている。


「おかえり、二人とも」


 小花模様のかわいらしいカップをゆったりとソーサーに置くと、エステルは優しい顔で微笑んだ。


「ただいま戻りました、おばあ様」


「お昼を食べ損ねたから戻ってくると思いましたよ。お腹空いたでしょう」


「はい、とっても」


「あなた達を置いてさっさと戻ってくるから、この人のお昼を抜こうと思っていたところですよ」


「ばあちゃん……勘弁してあげてよ」


「いいんだ、ユーリ。わしが悪いんだ。食事はいつも一緒に、という約束を守らなかったわしが。老い先短いわしらは、あと何度ともに食事がとれるかわからないというのに……」


「そ、そんな後ろ向きな反省はやめましょうよ、おじい様」


「聞いてる俺達が凹みそうだ」


「お待たせいたしました。さ、どうぞお召し上がりくださいまし」


 少し遅い昼食が運ばれてきて、セラとユリシーズは喜色を浮かべ「母なる精霊に感謝を」と省略した祈りの言葉を言うが否や、温かな湯気を上げるポトフに手を付けた。澄んだコンソメは野菜の旨みがたっぷりで、すきっ腹に優しい味が染み渡る。添えられたバケットも皮がパリッとしていて、スープにひたして食べるのもよさそうだ。セラがちまちまとバケットをちぎりスープに浸して食べているのを横目に、ユリシーズは手際よく野菜や骨からするりと解ける豚肉を片付けていく。ポトフとバケット。それから季節の果物という簡素な食事を済ませると、セラはもう何年も一緒に過ごしているような感覚になった。


「ユーリは汁物だけで足りるのか?」


「うん。中途半端な時間にがっつり食ったら夜が入らなくなる」


「また領館に戻るんでしょ? 私も戻ろうかしら。オルガ達もいるし」


「私もいるぞ!」


「えっ、セブラン様?! お一人で来られたのですか? アイラさんはどうしたんですか?」


「また護衛を撒いたのか。いい加減にしないと、本気で尻を打つぞ」


「こ、怖い顔をしても無駄だ! ユリシーズは地顔が怖いだけだからな」


「そんなことありませんってば。ユーリはちょっとつり目がちなだけです。それよりもセブラン様のお召し物、よくお似合いですね」


 生成り色の縦襟のシャツに、淡い草色のベスト。濃い青の膝丈のズボンを身に着けたセブランは、年相応の子どもらしく見えた。サラサラとした茶髪を揺らして「うむ!」と得意げに笑う顔に、セラもユリシーズもつられて笑顔になった。


「忘れるところであった。私はエステル殿に礼を言いに来たのだ。エステル殿、服を貸してくれてありがとう」


「まぁ殿下。わざわざお礼を言いに来てくださったのですか。嬉しゅうございますわ」


「ユーリにもこんな時期があったのだな……。すぐ大きくなって、もう嫁を取る年になるとは。わしも年をとるわけだ」


「セディの時も同じようなことを言っていたわね。進歩のない人だこと」


「見覚えあるなと思ったら、俺の子どもの頃の服か。俺って意外と背が小さかったんだなー」


 セブランの横に屈みこみ、ユリシーズは小さな頭をよしよしと撫でた。自分にもこんな小さな頃があったのかと思うと、くすぐったい感じがする。一緒に座り込んで襟やズボンの裾を整えているセラがこちらを見て「かわいい頃もあったのね」と聞き捨てならないことを言いながらニコッと笑った。


「頭をなでるでない! お子様かも知れぬがこれでも私は王族だぞ。そうだユリシーズ、そなたの主君とは誰なのだ? 唯一様づけしているクレヴァか?」


「父上の親友で、尊敬するお師匠様だから様をつけてお呼びしているだけ。俺の主君はセラだよ」


「姫君だからか」


「いいや。騎士の誓いを捧げた俺の伴侶だから」


「ユリシーズは……主君も伴侶も自分で選ぶことができるのだな」


「セブラン様? どうかされました?」


「大事ない。護衛をしてくれていた騎士に謝ってくる」


 来た時と真逆の様子で戻っていくセブランに、セラはユリシーズに「追いかけるね」と声をかけ、慌てて館を飛び出した。小さな男の子がお供も連れずに、一人でトラウゼンにやってきたのは何か理由があるように思えた。とぼとぼと小道を歩く小さな背中に追いつくと、そっと声をかけた。


「セブラン様、セラがお供をいたしますね。領館に戻られるのですか?」


「うむ……」


「セブラン様、何かお悩みなのですか? 言いたいことを我慢されておりませんか?」


「私は王子だ。我慢せねばならぬこともある」


「今はセラだけしかおりませんよ。私は侍女でしたから、高貴なお方に内緒にしていてほしい、と頼まれたら絶対に他の人には話しません。小石に話すようなお気持ちで、お悩みをお聞かせくださいませんか? 少しは気が晴れるかも知れませんよ?」


「……本当に、誰にも言わぬか?」


「はい!」


「私は王子であることから、ほんの少しだけ逃げ出したくなったのだ。どうして私は、ユリシーズやクレヴァのように強くなれないのだろう。ユリシーズに直接会えば何かわかるかも知れぬと思ったのだが。ユリシーズは前に会った時と違って、少し近寄りがたい感じがした。それもそのはず、今は戦いの最中なのだから。歩哨が大勢おるのも戦いに備えてのことであろう……。私は自分のことしか考えていなかった」


「でも、ユーリに会うためにクレヴァ様の馬車に乗り込んで、おひとりでいらしたのでしょう? すごい大冒険じゃありませんか」


「そうか?」


「そうですよ。私の唯一の大冒険は、セブラン様ぐらいの時に裏山で迷子になったあげく穴に落ちて、通りがかった子に助けてもらったことですよ。カッコ悪いでしょう」


「セラが迷子に?」


「私、ちょっとドンくさいから、よく道に迷っちゃうんです。大事なお使いの途中でも迷子になったし」


「それはダメであろう。ちゃんと地図を見ればいいのだ」


「本当ですよね。セブラン様の仰る通りだわ。って、私はセブラン様のお話を聞こうと思っていたんでした。ねぇセブラン様。セブラン様は何をするのがお好きなのですか? 王子だからとかじゃなくて、本当にやってみたいことってございますか?」


「私はな。楽師の家系に生まれたから、楽器を演奏したり歌ったりするのが好きなのだ。吟遊詩人として世界中を旅して回ってみたいと思ったこともある。我がフィア・シリスは芸事がさかんで、とても美しい国だぞ。セラも来ればいいのに」


「お話だけ聞いたことがあります。光り輝く音楽と水の都で、噴水からも素敵な音色がするとか」


「水琴のことか? 確かに美しい音を奏でるぞ。ちゃんと音階になるように組まれておってな、時告げの塔の代わりに水琴が時を奏でるのだ」


「素敵! いつになるかわからないけれど、必ず行きますね」


「約束だぞ、セラ。そうだ! 話を聞いてくれた礼に一曲そなたに捧げよう。領館のホールに立派なチェンバロが置いてあった! 行こう!」


 途端に元気になったセブラン王子に手を引かれて駆けだすと、肩越しに後ろをチラリと振り返った。やれやれと言わんばかりのユリシーズが木の陰から顔を出す。人の気配はなかったけれど、何となく見守ってくれている気がしていたから案の定だ。領館の入り口にいた歩哨の騎士が笑顔で敬礼して、セラとセブラン王子を通してくれた。


「何がいい? 有名どころの曲であればだいたい弾けるぞ」


「それでは、セブラン様の一番お好きな曲をお願いします」


「あいわかった。では”月の光”を」


 ポンポン、と軽く鍵盤を叩いて調律と音の出具合を確かめると、セブラン王子は小さな手で軽やかに弾きはじめた。優しい月の光のような、疲れた心がほぐされていくような柔らかい音色が人気のないホールに満ちていく。黒い瞳をきらきらさせた顔は本当に楽しそうで、音楽が心から好きな様子がよくわかる。セラはその調べに思わずじっと聞き入った。


「セブラン様、素敵な演奏、ありがとうございます。とても優しい音ですね。私、感動いたしました……!」


「セラに喜んでもらえると私も嬉しいぞ」


 セラからパチパチと拍手をもらって、照れた顔を見せるのがかわいらしい。


「セラは歌えないのか? そなたの祖母君は歌姫として名の知れた方だったと聞いておるぞ」


「ええっ、そうなんですか?」


「うむ。ジュスト殿も音曲が大層御上手だったとじいから聞いた。よくギターで弾き語りをしていたそうだぞ。下町は娯楽が少ないから喜ばれたとか」


「音楽が好きな人だったと私も母から聞いています。私の父は多芸な人だったのですね」


「うむ。母君を病で亡くされてから、一人で頑張るために色々身につけたのだろうな。セラの父君はすごい方だ」


「殿下、見つけましたよ。護衛の騎士と侍女に謝っていらっしゃい」


「わ、クレヴァ。もちろんそうする。ではな、セラ。戻ってきたらまた弾いてやろう! ここで待っておれ」


「はい、セブラン様」


「仕様のない子だ。聞き分けがいいのか悪いのか、よくわかりませんね」


セブランが出て行った扉からユリシーズが苦笑しながらやって来た。


「俺に会いに来たって言ってたな。フィア・シリス王家って殿下と同じくらいの子どもがいないから、寂しいんじゃありませんか?」


「ユリシーズにはアルノー達がいましたからね。あのくらいの年の頃は、朝から晩まで木剣片手に野山を駆けずり回っていたでしょう。授業を何度もすっぽかして」


「そ、それは申し訳なかったと思ってます。カッコいい角虫とか鋏虫とか男の浪漫を感じませんか」


「どうして男の子ってみんなあの虫を躍起になって捕ろうとするの? 暗い所で見ると厨房にいるアレと大して変わらないじゃない」


「何だと、ゴキカブリと一緒にすんな! セラは俺達にケンカを売ってるのか」


「ユーリ様、もうそろそろ会議の時間だよ。あの頃は君達があまりにもお勉強しないもんだから、偉い人達は側役の俺達に何とかしろって言うんだよ。無茶ぶりだよねぇ。気が済むようにって、死ぬほど虫が捕れる中央地帯の山奥に連れて行ってあげたけど」


「そのまま置き去りにしたよな。狼型に追いかけられて本当に死ぬかと思ったぜ」


「……」


「気をお鎮めくださいセラ様。修業の一環ですよ。リオン達『深淵の猟犬』の通過儀礼というやつで、本当に置き去りにはしませんよ。木の陰でリオン達が見ていたと思います。たぶん」


「虫捕り放題に味を占めて自主的に奥地に行くもんだから、業を煮やしたリオンに最後は『深淵の森』に放り込まれたけどな。そのおかげで俺達士官学校の野外行軍で随分楽ができたよ。ボンボンどもは食える草知らないし、蛇とか蛙とか食えないからな」


「へ、蛇?!」


「ちょっとクセがあるけど淡白なお味だよ。甘辛いタレとかつけたら食が進みそうな感じ。蛙とトカゲは鶏肉と一緒だし」


「セラも行っとくか? 一緒に角虫捕ろうぜ」


「イヤ! 虫がいっぱいいる所なんて、絶対いかない!」


「何だよ、猟師小屋でグースカ寝れるんだから平気だろ」


「この間の遠征の時も天幕でぐっすり寝てたじゃない。寝ぼけてユーリ様にしがみついてたし」


「時と場合によるの。二人とも早く行きなさいよ。会議があるんでしょ」


「そんな下手物を姫君に食べさせようと思う君達の思考回路が理解できません。セラ様には私が食べられる植物をお教えしますから、さっさと行きなさい」  


「はっ」


 二人はビッと息の合った敬礼をして、連れ立ってホールから出て行った。その後ろ姿は悪ガキがつるんでいるようにしか見えず、セラは思わず忍び笑いをもらした。そして隣でくいっと眼鏡を中指で押し上げていたクレヴァを、期待に満ちた目で見上げた。


「ところでクレヴァ様、本当に食べられる植物を教えていただけるんですか? 私、野草料理に興味があるんです」


「……ではまず、食べてはいけない草からお教えしましょうか……。森に自生する毒草など」


 どうして自分の教え子達はこう、のめり込むと一直線に突き進もうとするのか。ユリシーズ、そのお供の四人組。自らの信念を実現せんと教えを請いに来た若き西方諸侯達の顔が浮かぶ。目の前にいる亡き親友の娘の顔を見て、クレヴァは仕方なさそうな笑みを浮かべた。



 夕刻になると、フィア・シリス王国の護衛官達が到着した。枯れ草色の髪を後ろで括った柔和そうな青年が、領館にいるユリシーズの執務室に真っ直ぐやってきて、開口一番土下座せんばかりの勢いで頭を下げた。


「私はセブラン王太子殿下の筆頭護衛官を務めますリベラートでございます。この度は、公には多大なご迷惑をおかけいたしまして大変申し訳なく思っております……」


「いいよ。気にしないでくれ。俺は特に迷惑は被ってない。殿下なら下のホールにいるから、案内する」


「ええっ!」


「……貴君は、俺を何だと思っているんだ。なぜそこまで怯えられるのか、俺には心当たりがないんだが」


「いえ、いえ! 滅相もございません! 若き黒獅子公におかれましては、戦場で誉れ高き武人と聞き及んでおりまして」


「俺達への悪評を真に受けてるとしたら、貴君は筆頭護衛官を辞めるべきだ。おまけにあんなチビすけに撒かれやがって。弛んでるぞ」


「うぅ、諫言、痛み入ります……」


 ユリシーズは筆頭護衛官の青年を連れて、一階奥の大ホールへ案内した。中からはまだチェンバロの軽快な音色が聞こえてくる。勝手に出歩かないようにとセラと侍女達がついてくれていたので、比較的ダダもこねずに帰ってくれることだろう。八歳だからともにいることを許したが、あと八年でも早く生まれていたら簀巻きにして客室に放り込んでやるところだ。


「殿下、迎えが来たぞ」


「うむ。わかっている。ではな、セラ。皆にも世話になった。どうもありがとう」


 セブランは来た時と同じ服をまとい、セラと護衛をしていた女騎士のアイラ、そしてエマとハンナに畏まって礼を取った。ファンニの手をしっかり握ったままのナンナも、ちょこんとお辞儀をする。人見知りで誰がそばに来ても身をすくめるようにしていたが、同じ年頃のセブランと接するうちに少しその緊張が薄れたようだ。その様子を見て、ユリシーズはセラを見てちょっとだけ微笑んだ。不思議と人と打ち解けてしまうセラのおかげで何事もなく、この騒動が終わるだろう。


「何だよ、やけに素直じゃないか」


「私もいろいろ思うところがあるのだ。それにしてもセラの男の趣味がよくわからぬ。どう見ても悪の騎士ではないか。黒づくめに黒い剣だぞ? そう思わぬかナンナ?」


「ったく。今度はもっと落ち着いて来い。ちゃんと手順を踏めば歓迎する」


「わかった。そうだ、セラ。新婚旅行は我が国に来ればよいぞ。国賓として歓迎いたそう」


 尊大な態度に、その場にいた全員が笑った。もう半年もすればその時がくる。セラはその時のことを思うだけで幸せな気持ちになった。王子様から直々にご招待を受けたことだし、ぜひとも平和になった暁には、訪問させてもらうことに決めた。


「殿下、そのジジイみたいな話し方、どうにかしたら? ナンナちゃんびっくりしてたでしょ」


 窓に寄りかかって苦笑しているリオンに大変失礼な進言を受けたにも関わらず、セブランは腕を組んでちょっとだけ考え込むと、真面目な顔でリオンに向かって言い放った。


「じいにもっと若者のように話せと伝えておく。日がな一日一緒にいると、どうしても口調が移るのだ」


「ぶはっ」


 ユリシーズと筆頭護衛官は同時にふき出して笑い出した。矍鑠としたあの老将軍が「だよねー」とか「ちげーよ」とか、若者の俗語で話している姿を想像するとおかしくてたまらなかった。若い頃はフィア・シリスに猛将ありきと言われた武人が、セブラン殿下と若者言葉で話す。喜劇だった。


「バハルドのじいさんが、俺達と同じ話し方してたら、まともに会話できねーよ。想像するだけで笑える」


「や、やめてください、黒獅子公。まともに将軍の顔が見れなくなります」


「何だ、そなたら失礼だぞ。まったく仕様のない者達だ。よしリベラート、帰ろう。今から出れば次の宿場町に、日が暮れる前に着けよう」


「畏まりまして。それでは皆様、我らはこれより帰還いたします。お心遣い大変感謝いたしております。姫君が大層お元気であられたこと、女王陛下にお伝えさせていただきます」


「はい。来月お会いできること、楽しみにしておりますとお伝えくださいませ。その時、改めてご挨拶いたします」


「畏まりまして。では御前失礼いたします」


 居並ぶ十名の護衛官を引き連れて、セブランは自国への帰途へと着いた。外に出ると、クレヴァと騎乗したゲオルク達第一師団の面々が待っていた。


「殿下、黒騎士団がご宿泊される町まで同行いたします。そこでフィア・シリス王国軍と合流となりますので」


「うむ。クレヴァ、ごめんなさい。もう皆に迷惑をかけるような真似は……慎む」


「今の間が気になりますが。まあいいでしょう。では道中お気をつけて」


 苦笑しながらクレヴァは馬車の扉を閉めた。窓からひょっこりと顔を出したセブランにセラはちょっと寂しい気持ちになりながら、略式の淑女の礼を返した。


「セブラン様、お元気で。またすぐお会いすることになりそうですけれど」


「うむ。セラも息災でな。そこの黒騎士に愛想を尽かしたら私のもとに来い」


「うーん、考えさせて頂きますね。では、お気をつけて!」


「フィア・シリスには必ず行かせてもらうよ。ま、元気でな」


「うむ。そなたの姿勢に色々考えさせられた。尻を打たれぬ様気を付けるとしよう。ではまたな! 出せ!」


 黒騎士団の公用車に乗せられた小生意気な王子様は、ゲオルク達第一師団の騎士達の護衛のもと、レーヴェ家の面々に見送られて帰って行った。馬車の影が見えなくなるまで見送ると、皆はそれぞれの持ち場へ戻り、セラとユリシーズはのんびりと領館への小道を歩き出した。


「俺の姿勢ねぇ。ちょろちょろ領内を一人で動き回って騎士達に何を聞いてたのかと思えば」


「あら。お手本になる立派な男だと見込まれたのね。さすがじゃない」


「だといいけど。殿下があと十年早く生まれてたらやばかったかもな。セラを取り合って決闘だ」


「する必要ないと思うわよ? だって私が恋してるのは、ちょっとつり目の素敵な騎士様だもの。誰が来てもごめんなさい、よ」


「それでもだよ。お子様に嫉妬とか俺もバカだなと思うけど」


「それを言うなら私もよ。ナンナがユーリにときめいた顔してると、私のなのにって思っちゃうの。おバカさんよね。あの子は純粋に素敵な騎士様に憧れてるだけなのに」


「俺達お似合いだな。おバカさん同士で」


 二人は顔を見合わせると、声を揃えて笑い出した。暮れはじめた夕日で伸びた影はぴったり寄り添い、互いを支えあうように見えた。



 セブラン殿下の騒動から数日が過ぎ、クレヴァは行儀見習いの教師と入れ違いに自領へと戻って行った。トラウゼンからは馬車で一日の距離にあるので、何かあればすぐ戻ってこられる距離だが、ひっきりなしに訪れる西方諸侯達からの使いを捌くのに数日を要する。軍主で広大なエーラース領を治める領主として、長くトラウゼンに滞在はできないようだった。



 セラはクレヴァが派遣してくれた行儀見習いの教師にビシバシと扱かれていた。午前中は座学で西方大陸の服飾史や文化を学び、午後は実技をこなした。歩き方やお辞儀の仕方をあちこち直され、久々に使った全身の筋肉が痛む。精霊騎士達はそんなセラの姿に笑うばかりだ。神官兵達の迎えを待つナンナも人見知り矯正としてオルガ同伴で付き合わされている。セラのぼやきや泣き言に時々笑顔を見せていた。


「きつぅい。先生、私そんなダメですか?」


「ダメよ。まだまだ。洗練された貴族の姫はこの姿勢を崩しませんのよ。はい、もう一度!」


「ひぇーん。足が、太ももがプルプルしてきたぁ」


「ガルデニア王立女官学校の厳しさ、私も知っておりますのよ。確かに姫様はどこに出しても恥ずかしくない淑女だけど、諸侯達をあっと言わせるにはまだ足りないわ。自分を女優と思って!」


「私、女優なんて、絶対無理! ださい小娘でいい〜」


「んまぁ! ダサイですって、私の演出提案にケチをつけるなんて百年早くってよ! これが終わったら今日はおしまい、姫様の生きがいのおやつしましょ。エマ、姫様の頭の上にこれを」


「本を、でございますか、マダム?」


「乗せて落とさずに歩くの。落としたらおやつは抜き」


「マリーのお手製パイのために、私頑張る」


 セラは軽く深呼吸をして、頭のてっ辺を糸で吊られているところを想像した。両手は自然におろしてスッと背筋を伸ばすと、少しだけ顎を引き前を見てゆっくりと足を踏み出した。そのまま広間を優雅に歩く。もちろん頭の上の本は揺れたり落ちたりせず乗せたままだ。角まで歩くとくるりとターンしてマダムの所まで戻った。


「す、すごーい。全然落ちない」


「たいしたもんだな」


「頭のてっぺん、平らなんじゃない?」


「おだまり! 姫様、目線はまっすぐよ。もう一度!」


 ハンナの驚く声と、ユリシーズの賞賛とリオンの減らず口が入り口から聞こえて来る。マダム・アドリーヌの口調はきつい。だがポンポンと小気味の良い調子で言葉が飛び出してくるので、それほどきつい感じは受けない。セラも最初は面喰ったが、カラッとした明るい性格と豪快な気性ですぐ打ち解けることができた。

何でもセラの母を知っているとかで、懐かしがりながらも「恋敵の娘を鍛えることができるのね!」と喜んでセラを教えてくれている。

西方でも屈指の行儀見習い教師で、数々の淑女たちを社交界に送り出した辣腕の持ち主だ。解放戦争で夫を亡くしてからも一人逞しく生きて来た、セラとしては尊敬すべき先人だった。


「ちょうどよかった。ユリシーズ様、エスコートをお願いしてもよろしくて? 執務中フラフラする暇があるならお付き合いください」


「ひ、暇じゃないよ……ちょっと気になったから来ただけ」


「俺はこれでっ」


 リオンのゆるさとマダムのチャキチャキさは相容れぬものなのか、リオンは何かというと目の敵にされている。三十六計逃げるに如かず。主君を置き去りにホールから素早く逃げ出した。


「エマ、一曲お願い。さ、姫様。さんざんアルノー殿の足を踏んでおきながらユリシーズ様なら平気と仰るんだから、証拠を見せてちょうだい」


「さっきアルノーが足を痛そうに引き摺ってたのはセラ、お前のせいか!」


「ユーリと上手に踊れたから、私ダンスできるんだと思って……」


「アルノーはダンスだけは本当にヘタクソなんだよ。士官学校時代にずっと女性パートやらされてたせいで。人選を誤ったな」


「どうりで足運びが被ると」


「ほら、手を貸せ。あのおっかねーマダムをぎゃふんと言わせてやろうぜ」


 ぴったりと寄り添いあいながら、ひそひそ声で囁きあう。不敵に笑う蒼い瞳に片目を瞑って「よろしくってよ、私の騎士様」と満面の笑みで応じた。




 セラの立ち振る舞い矯正期間が終了すると、再びクレヴァがトラウゼンに戻ってきた。ついに、会合が行われるフィア・シリスの離宮があるリンディアへ向かう日がやって来たのだ。セラは一足早く現地に入り、クレヴァとマダム・アドリーヌによる『帝国最後の皇女』の仕上げが待っている。領館の前にはユリシーズと主だった黒騎士団の幹部。見送りに来た使用人や事務方が揃っていた。


「それでは、行ってまいります!」


「……気を付けて。絶対に一人になるな。必ず護衛をそばに置けよ。エマ、ハンナ、セラを頼んだ。君達の腕は信用してる」


「お任せください、ユリシーズ様!」


「命にかえてもお守りいたします」


「俺もできるだけ早く向かうから。リオン、アキム。絶対セラを守れ」


 騎乗した自分の側役を見上げると、二人は穏やかに笑いながら頷いた。いつも変わらず明るいリオンと、優しい笑みを崩さないアキム。ユリシーズが知りうる中で最強の護衛はこの二人だけだ。兄同然に信頼しているこの二人なら、絶対セラを守り通してくれるはずだ。


「誰に言ってるの?」


「主君を守らずして何のための側役ですか」


 やれやれと肩をすくめる姿に、幹部達からも笑い声が漏れる。リオンが笑いを消して、彼にしては珍しく真面目な顔でユリシーズをじっと見下ろした。薄茶の瞳は心配そうに翳っていた。


「ユーリ様こそ気を付けて。俺達が護衛から外れてるって知って、そっちに敵の目が向くかもしれないからね」


「わかってる。トゥーリ、オルガ。君達も気を付けて。最近は帝国側に動きがないから、会合に合わせて何かやらかすかも知れない」


「了解。君は君の任務に集中しろよ」


「ああ。それじゃ、セラ。一週間後にな」


「うん。ユーリも気を付けて。遠征、頑張ってね」


 馬車の扉を潜るセラの左手を取ると、ユリシーズは薬指に口づけた。離しがたい柔らかな手をそっと放すと、頬にふわりと暖かい感触が一瞬だけ落とされた。目線を上げると、こちらを心配そうにじっと見つめる翡翠色の瞳と目が合った。ぎゅっと一度抱きしめると、背中を押して車内へと促した。セラに続いて、黒いお仕着せと黒い革の長靴という動き易そうな格好をした二人が続く。剣士のエマは短めの剣を腰に佩き、体術使いのハンナは手甲を手に持っている。護衛もできる侍女を配するようにしたのは、亡き父だ。その配慮が今になって功を奏するとは思いもしなかった。


 セラと侍女達、クレヴァとマダム・アドリーヌを乗せた二台の馬車がゆっくりと動き出す。段々小さくなっていく馬車を見送りながら、ユリシーズは言い知れない不安感を感じた。このままセラがいなくなってしまったら。あらぬ想像を振り切るようにグッと左手を握りしめると指輪の感触がした。


 『対のものは引きあうんだよ、ユーリ』という父の懐かしい声がして。


 『素敵。守ってくれるうえに、私達を結びつけてくれるのね』とはにかんだセラの声がして。


 どこにいても、離れていても、自分達は共にある。そう思うことで、この不安が消えていく気がした。

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