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乙女は獅子に恋をする  作者: 龍田環
北方大陸編
4/111

4. 銅貨一枚の男

 二階の窓から軍服姿の男達が次々と落ちてくる。きっちりと縄で巻かれ、猿轡をされて、身動きできずに地面に落ちて蠢く様子は、まるで哀れな芋虫のようだ。あちこちに殴られた痕や、切りつけられた傷があり、傭兵二人組にまんべんなく死なない程度に痛めつけられているので、抵抗する気力すらないのだろう。


「まったくもう。しょうがない子だな」


 リオンは困ったような半笑いを浮かべて、今だに燃え続ける炎に照らされた男達を見た。ユリシーズが縛るだけ縛って、下まで連れていくのが面倒になって窓から捨てたのだろう。あまりにも大雑把すぎて、横にいる娘さん達は引いている。


「ユリシーズさん、いったい何してるの?」


 パルヴィの視界に地面でうめき声をあげながら蠢く男達をいれないよう、背中でかばいながら、セラはリオンを見た。


「ああして外に置いておけば、後から来るルズベリーの私兵が回収して、しかるべき所に送るからね」


 リオンは一応ユリシーズの行動について補足した。セラのこちらを見る目が段々厳しくなってきている気がする。まるで変質者のように思われているようで、何だか居た堪れない。


「窓から捨ててるように見えるんだけど」


「気にしないで。ゴメンね、あんな風に躾けた覚えはないんだけど」


「躾けたって、リオンさんのほうが年下じゃないの?」


「違うよ?」


「え?」


「少なくとも、ユーリよりは上だよ?」


 にっこりと笑う顔は、どう見ても十代後半くらいにしか見えない。てっきり同じくらいの年だと思っていたセラは内心驚いた。いったい本当の年はいくつなんだろうと気になったが、親しくもないのに聞くのも失礼な気がして「あ、そうなの?」と笑って誤魔化した。侍女長様直伝の『侍女の心得その一、答えにくかったら笑って誤魔化しあそばせ』は便利だ。


「さてと。俺も足を調達してこようっと」


 リオンはすっくと立ち上がると、廃屋の横にある小屋へと歩いていった。休めば平気と言っていただけあって、本当に何ともなさそうに見える。入れ違いにユリシーズが縛り上げた男をズルズル引き摺りながら廃屋から出てきた。こちらはこちらで、疲れた様子など微塵も見せずにスタスタと歩いている。


 大柄な騎士といた男達は、一階に閉じ込めておいたあの男で最後だ。まだ気絶している男を、縛られた芋虫男達の密集地まで引き摺っていくと、折り重なった男達を足で退かして地面に転がした。しゃがんで地面に落ちていた自分の外套を拾うと、埃を軽く払ってからばさりと羽織った。


「あれ、リオンは?」


「足を調達してくるって、あそこの小屋に」


 セラが指差した先を見てユリシーズは心得たように頷いた。あそこには男達が乗ってきていた馬がいたから、拝借するつもりなのだろう。


「あ、あのユリシーズさん」


 セラの少しあらたまった声に振り返ると、セラが神妙な顔をして立っていた。何をそんなにかしこまる必要があるのかわからないが、さん付けは非常にくすぐったかった。


「呼び捨てでいいよ」


「ユリシーズ、助けてくれてありがとう」


「どういたしまして」


 蒼い目を細めて普通に笑うと、思いのほかかわいらしく見えて、セラはちょっとだけ胸がときめいた。


「あのね、リオンさんが騎士団領まで送っていくって言ってくれたんだけど」


「いいよ。通り道だし」


「言いにくいんだけど、あんまり持ち合わせがないの」


「気にするな」


「でも旅費とか色々かかるし」


「いいって」


 やいのやいのと言い合う二人のそばで、パルヴィはお礼ならきっと自分の父がすると思うんだけど、と思っていても言えずにいた。二人の間に口を挟むのが悪いような気がして、横でオロオロするしかなかった。


「んじゃ、小ナル銅貨一枚でいいんじゃない」


 リオンが栗毛の馬を引きながら口を挟んだ。人助けだから金はいらんと言い張るユリシーズと、仕事は仕事なんだから報酬は受けとるべきだと言い張るセラの落としどころが銅貨一枚。子どもの小遣い程度の金額だ。


「それで手打ちってことで。早く戻ろう。パルヴィちゃんのお父さんがきっと心配してるからね」


「はい、どうぞ」


 セラは「勝った!」という顔をしながら、ユリシーズの手の平に小一ナル銅貨を乗せた。ユリシーズは眉根を寄せた不承不承という顔で、仕方なくズボンのポケットに銅貨をしまう。


「さ、いくよ、小ナル一枚の男」


 リオンはひょい、とパルヴィを抱きあげて鞍に乗せると、ニヤニヤしながらユリシーズを振り返った。


「う、うるせ! それよりこいつを着ろよ。パルヴィ姫も喜ぶだろ」


 いつの間に回収したのか、フィニの衣装一式をリオンにぐいぐいと押し付けた。リオンは遠い目をして、ユリシーズに押し付けられるまま受け取った。


「何で、わざわざ拾ってくるかな?」


「き、着てくださると助かります、あの、私、殿方といるのが本当に苦手で」


 思わぬ伏兵に、リオンは一瞬棒で殴られたような顔をしたが、仕方なさそうにビリビリに破けた服を身に着ける。落ちていたカツラを被れば、フィニちゃんの再登場だ。リオンは下唇を噛んだまま、ユリシーズを悔しそうに睨むと、暴漢に襲われたようなボロボロの服を纏った馬上の人となった。リオンの前に乗ったパルヴィは、心なしか嬉しそうな顔をしている。


「ふはははは!」


 その様を見たユリシーズは、身を二つに折って膝を叩いて笑った。


「ちょ、ちょっと、そんな笑わなくたっていいでしょ」


「あ、あの悔しそうな顔、けっ、傑作だ、ククク」


「気持ち悪いからやめろって言ってたくせに……」


「セラだってリオンをオカマだと思ってたくせに」


「わー! 言っちゃダメ!」


 軽口を言い合うほどすっかり打ち解けた二人だったが、馬上から半目でこちらを見ている無言のリオンに気がつくと、慌てて出発の準備に取り掛かった。


「先に乗って」


 荷物を寄せてセラの乗る場所を作ると、ユリシーズは先にセラを乗せるために場所を譲った。「ありがとう」と礼を言って、セラは鐙に足をかけてから固まった。鞍が高くて上がれない。よじ登るとスカートの下が見えそうだし、そもそも乗馬用の服ではないので跨げない。風で裾が捲れて足が丸見えになってしまう。


「何だよ、乗れないのか?」


「鞍が高くて登れないの」


「すまないな、俺の足が長いばかりに」


 鐙に足をかけたままのセラの腰辺りを軽々と抱え上げ、横向きに鞍に乗せると、ユリシーズもセラの後ろにふわりと跨った。少し先を行くリオンを追いかけるように常歩で馬を進める。


「手を出せ」


 後ろにいるユリシーズの声に、セラは怪訝な顔をした。


「何? お釣りならいいわよ」


「銅貨で釣りなんか出ねーよ」


 手の平を出すと、ころんと滑らかな半球体の黒い石が乗せられた。セラのお守りの中身『精霊の貴石』だ。先ほど激しい火柱を上げていたものとは思えないくらい、静かでひっそりと冷たいものに戻っている。


「これ……」


「燃えつきた奴の傍に落ちてた」


「あ、熱くなかったの?」


「拾ったときは光ってたけど、すぐ普通の石になったよ」


 リオンも同じように貴石のついた短剣に触ったけど、光が消えることはなかったし、元騎士に当たったらすごいことになった。ユリシーズはセラ専用じゃないかと言っていたが、やっぱり誰にでも使えるものなのでは、とセラは思った。そうなると、ユリシーズが触ると光が消える理由がわからない。でもこれはセラだけの胸に秘めておくつもりだった。誰にも言ってはいけない気がしたからだ。


「ありがとう、大事なものなの」


 セラはにっこり笑って受け取ると、ポケットに突っ込んでおいた守り袋に入れて巾着の紐を手に通した。


「鞄にしまわなくていいのか?」


「後でいいの。だって、馬を止めたりしたら」


 前を行くリオンの背を見ながら、セラは言いよどんだ。


「リオンが切れそうだな。主に俺のせいだけど」


「そうよ。何でまた拾ってきたのよ」


「パルヴィ姫がフィニのこと好きみたいだったから」


「……」


 ユリシーズなりに、気を使ったのかも知れない。


「夢見がちな乙女は、女の子のほうが好きなんだろ」


 前言撤回。やっぱり違うかも知れない。悪いお顔でニヤニヤしてるのだから、半分おふざけに違いない。


「むしろ夢をぶっ壊された乙女は、お姉さんが好きになるというか」


「どういうことだ?」


「男は成人すると、みんな毛深くなるし声も低くなるし、四六時中何かやらしいこと言ってるし、逢引で暗がりに連れ込もうとするし。色々現実を知って幻滅して、そういう風になっちゃう子もいるわけよ」


 ユリシーズは、かわいそうな子を見る目でセラをじっと見つめると、大きくため息をついた。


「男はみんなそんなもんだろ。暗がりに連れ込んで、人は繁栄してきたんだよ」


「い、いやー! リオンさーん!」


「こ、こら、暴れんな! 落ちる!」






 リオンは後ろの二人の賑やかさに苦笑した。今日初めて会ったとは思えないくらい、すっかり馴染んでいる。よほどウマが合うのだろう。


「あの子達、短時間でずいぶん仲良しになったもんだねぇ」


 リオンは一応気を使って声を作って話すことにした。怖い目に合ったあげく、家族でもない苦手な男にくっついて、家まで帰るのは苦行に近いだろう。ユリシーズの新手の嫌がらせかと思ったが、これは案外良い手かもしれない。


「さっきも楽しそうにケンカしてたもんね」


 にっこり笑いかけると、パルヴィが頬を染めて俯く。リオンは心の中で「おいおいおいおい、リオンさんのときと全然反応が違うんですけど?」と呟いた。どっちも俺なのにあんまりだ。もう二度と女装なんかするもんかと、強く心に誓った。


「これからちょっと早く走らせるけど、頑張れるかな?」


「は、はいっ……」


「ユーリ! この調子じゃ夜明けまでに着かないから、少し飛ばすよ!」


「わかった!」


 リオンの声に応えると、ユリシーズは手綱を短く持った。腕の間にいるセラとの距離が近くなる。ふわふわとした赤茶の髪が頬にあたって、少しくすぐったかった。


「な、何か近いんですけど」


「今から、ちょっとだけ走らせる。後ろで支えてるけど、鞍から手を離すなよ」


「え! わ、私、早い馬は苦手」


「しゃべると舌かむぞ」


 左膝で馬の腹を軽く押してやると、乗り手の意思に従ってやや早い常歩になる。後ろに引いた右の踵で腹を軽く蹴ってやると、滑らかに駆け出した。


 このまま道沿いに進んで、森を突っ切れば湖に出る。湖沿いに迂回しながら進むとルズベリーに続く街道に出られるので、とりあえずいけるところまで駈足で進んで、適度に休息をいれながら行けば、夜明け前には着く計算になる。


 夜明け前にルズベリーに着きたいのは山々なのだが、駈足を止めたほうがいいのかもしれない。さっきからセラが一言も話さなくなったので、ユリシーズは少し心配になってきた。見るからに馬に慣れていない様子だったので、酔ったのかもしれない。


「……大丈夫か?」


「はやい! こわい! おりたい!」


 涙目で振り返ったセラは思ったより元気そうだった。鞍を留める革帯を力いっぱい握り締めているが、馬に負担になるような乗り方をしていないので、こうして人に乗せてもらったことがあるのだろう。このままで大丈夫だろうと判断して、手綱を軽く手繰った。


「頑張れ」


「爽やかな笑顔で励まさないでよ」


「なら、あんな感じに掴まるか?」


 ユリシーズの声に顔を上げると、斜め前を走るリオン達の姿が見えた。頬を染めたパルヴィがボロボロの服の女の子にそっと寄り添うようにして掴まっている。確かにあれなら、馬を駆るリオンの邪魔にはならないだろう。だがセラはより一層鞍にがっちりとしがみついた。時々背中に当たるユリシーズの胸が思いのほか安心できたのだが、初対面の男性に身体を預けることに、どうしても抵抗があった。


「無理っ!」


「無理か」


 背後で笑う気配がする。馬上で爆笑しない分別はあるようだが、セラにしてみれば「ここ笑うところ?」と声を大にして言いたいところだ。これだけ速く駆けさせながら軽口を叩く余裕が憎らしい。


「誰か来る」


 ぽつりとユリシーズが呟いて手綱を緩めた。ゆるゆると馬の駆ける速度が落とされる。セラが鞍から身体を起こすと、道の先にカンテラを掲げた馬影が数頭見えた。斜め前にいたリオンが鞍に提げていたカンテラを外して、道の先にいる集団に大きく振った。


「ルズベリーの私兵だ」


「パルヴィのお迎えかしら」


「たぶんな」


 こちらに気がついた集団が、それぞれカンテラや松明を掲げてこちらに向かってくる。


「あ」


 ユリシーズとリオンが、あんぐりと口を開けて固まった。先頭にいる黒い外套をすっぽり被った人影が、ものすごい速さで真っ直ぐこちらに駆けてくる。セラ達のすぐそばで見事に御して馬を止めると、やや掠れ気味の腰にくる美声が、厳しい声音で傭兵二人組を叱責した。


「二人とも! 連絡もよこさず、今まで何をしていたんだ!」


 目に見えてしおしおと元気のなくなる二人に、何事かとセラとパルヴィは目を丸くした。ユリシーズははっきりと「やべー」という表情を浮かべている。話しぶりからすると、おそらく二人の仲間なのだろう。


「あ、あのねアキムちゃん、これには、ふかーい理由わけがね」


「アキム!」


 慌てて馬を下りたユリシーズが、外套の人物にやや引きつり気味の笑顔で声をかけると、あちらも同じように馬をおりてユリシーズを見た。


「まったく、皆どれだけ心配したか!」


 ユリシーズと同じような黒い外套に身を包んだ、謎の美声の持ち主は、セラとパルヴィに気がつくと、はっとしたように二人を叱るのをやめた。


「お二人とも、お怪我はありませんか?」


 カンテラを片手に近づいてくる外套の人物はスラリと背が高かった。おそらくユリシーズよりも拳一つ分ほど。


「は、はい」


「はい、大丈夫です」


 外套の下から、とんでもない美形が姿を現した。カンテラの明かりに照らされる、肩まである少しクセのある砂色の髪に、くっきりした二重の橙色の明けの空のような瞳。スッと通った鼻筋と形のいいやや薄めの唇が、緩やかにカーブを描く卵形の顔に黄金律で配置されている。そして何よりも目を惹くのが、その褐色の肌だった。おそらく南方人であろうその風貌は、この北方大陸ではめったにお目にかかることがない。セラは仕事柄、見目麗しい男女を数多く見てきたが、そのなかの誰もがこの「アキム」という人には勝てないと思った。


「それはよかった」


 ふわりと花が綻ぶように笑うアキムに、思わずセラとパルヴィは魅入った。こんなに綺麗に笑う人を、初めて見た。女の子二人に優しげに微笑んでいたのだが、そーっと馬から降りたリオンをキッと睨みつけた。笑うと半月になる瞳は、怒ると冴え冴えと光る三日月のようだ。


「さて。俺が納得できる言い訳をしてもらおうか」


 腕を組み、ガラリと目つきと声の調子が変わったアキムに、ユリシーズの目が泳ぎ始めた。リオンはなるべく目を合わせないように、明後日の方角を見続けている。そこにルズベリーの私兵たちが追いついた。


「だ、大丈夫ですか、お嬢さん!」


「なんて姿に……! おい誰かマントを!」


 皆リオンの姿に驚きつつも、パルヴィの無事にホッとした表情になった。年かさの騎士らしき男性がパルヴィを馬から降ろして、自分の羽織っていた外套を着せ掛ける。安心したのか、涙をポロポロと流し始めたパルヴィをみて、セラは心から「よかった」と思った。


 ボロボロの格好のリオンは、明らかに乱暴狼藉を受けたと思われているのだろうが、この雰囲気では「自分で破りました」とは言えそうにない。どう言い訳をするのだろうとセラはじっと見ていたが、挙動不審のユリシーズが気になって仕方なかった。助けてもらった恩もあることだし、ここは一つ貸しだ。


「あの、アキムさん?」


「はい?」


「二人のおかげで助かったので、あまり怒らないであげてもらえませんか?」


「俺もそうしたいです。ですが、この二人は必ず報告をいれろといわれていたのに、連絡ひとつよこさず、二週間近くも音信不通だったんです。ここはビシッと言っておかないと」


「ごめんなさい」


「ユーリ、素直なのは貴方の美徳です。ですが謝ればいいと思ってませんか?」


 ぺこりと頭を下げて謝るユリシーズに、淡々とアキムは応じた。顔は笑顔なのに目がまったく笑っていないので、ひたすら恐ろしい。セラはもう口を挟むまいと思った。部外者は見守るのみだ。


「思ってない」


「俺の目を見て、それを言えますか?」


「う」


 狼に睨まれた子ウサギのようになっているユリシーズ。それを庇うように、リオンが前に立った。その顔は真面目そのものだ。


「アキム、ユーリは何も悪くない。俺が悪いんだ」


「それはわかってる。たいていのことはお前のせいだ」


 きっぱりはっきりとそう言い切ったアキムに、リオンはふらりと一歩後ろにさがった。ユリシーズは怒りの矛先がリオンになったことで、安堵した表情を浮かべて、馬の首をぽんぽんと撫でる。普段穏やかな男なだけに、たまに怒ると本当に怖かった。


「うそぉ! 俺も素直に謝ってるでしょ!」


「とりあえず見苦しいから着替えろ。はい、お前の荷物」


「ぶっ!」


 アキムから鞄を投げつけられたリオンは、片手で何とか受け止めたものの、鼻を押さえて静かに蹲った。鈍い音がしたので、鞄の中に入っている何か固いものが当ったのだろう。


「ま、まぁアキムと合流できてよかったよ」


「まったく。俺は様子を見に来ただけだから、すぐ戻りますよ」


「もう? どうやって戻るんだ?」


「次の中継点まで、このまま馬で行こうかと」


「また無茶なことを」


「慣れてますから」


 フッと優しい笑顔を浮かべると、馬上のセラを見上げた。


「ところで、お嬢さんはどちらまで?」


「私は騎士団領まで、です」


「セラも攫われた被害者なんだ。心配だから、そこまで送ってく」


「通り道だしね」


 黒っぽい膝丈の上着に着替えたリオンがニッと笑って話を締めくくると、ルズベリーの私兵たちを率いてきた年かさの男が、ユリシーズに向かって一礼した。


「ユリシーズ殿、我々は先に参ります。旦那様とルズベリーでお待ちしております」


「わかった。気をつけて」


「あの、ありがとうございました! セラもありがとう!」


「よかったね!」


 一生懸命こちらに向かって手を振るパルヴィを見送る。カンテラに照らされ、星を浮かべたような柔らかな草色の瞳は喜びに満ちていて、セラも思いっきり手を振りながら笑顔になった。


「もう少し先に行くと猟師小屋がありますから、そこで事情を伺いがてら休憩しましょう。セラちゃん、疲れたでしょう?」


 沁みるような優しい声は気遣いに溢れている。セラは軽く感動しつつ、笑顔で頷いた。怒ると怖いけど、基本的に優しい人に違いない。アキムは自分が乗ってきた鹿毛の馬に体重を感じさせない動きで飛び乗ると、馬首を反して先導を開始した。ユリシーズとリオンも再び馬に跨り、アキムに続く。それを見送ったルズベリーの私兵たちは芋虫男達を回収にかかった。しかるべき場、つまり王立裁判所に引っ立てるために。


 馬を進めて数分後。こじんまりとした小屋が見えてきた。アキムの言うように、近隣の猟師のための待避小屋なのだろう。表には薪が積んであり、いつでも誰でも使えるように整えられていた。


「ほら」


 身軽に馬から下りたユリシーズが、手綱をしっかり持ったまま、セラに向かって右手を差し伸べる。横座りの状態でじりじりとお尻を下ろしながら、ありがたくその手にすがりついた。片手でひょいとセラを地面におろすと「ちょっと待ってろ」と言い置いて、手近な木に馬を繋ぎに行ってしまった。力いっぱい鞍にしがみついていたせいだろうか、足がガクガクしてうまく立てない。


「セラちゃん、大丈夫? 生まれたての子鹿みたいだよ?」


 あららら、と言わんばかりのリオンが、二頭の馬を引きながら通り過ぎていく。セラの鞄を片手に戻ってきたユリシーズは、セラの立ち姿を見てニヤリと笑った。


「たしかに子鹿だな」


「だから早い馬は苦手って言ったのに」


「そりゃ悪かったな。お詫びにお姫様抱っこで運んでやろう」


「え、遠慮するわぁぁぁ!」


 断るより先にも軽々と横抱きにされてしまい、セラは恥ずかしさに顔から火が出そうになった。一方のユリシーズは完全に面白がっている。


「遠慮すんなって」


「よかったねぇ」


 ぱちぱちと拍手をしながら後ろからついてくるリオンも、人の悪いニヤニヤ笑いを浮かべていた。この二人はたちの悪い悪戯っ子のようだと、セラは思った。


「何してるんだ二人とも! 女性には丁寧にといつも言ってるでしょう!」


 先に小屋を整えていたアキムが、扉から顔を出して二人を叱った。優しくて世話焼きでお小言が多くて心配性。アキムはまるでお母さんのようだと、セラは思った。中の囲炉裏はすでに火が起こしてあって、お湯の沸く音がし始めていた。小屋の入り口でようやく降ろしてもらうと、奥に座るようにアキムに促された。ささくれだった古い木の床の上に、折りたたんだ外套まで用意されていて、何だか恐縮してしまう。


「どうぞ」


 アキムから渡された、湯気の立つ焙じた香茶の入ったカップを礼を言って受け取ると、ようやく人心地ついた気がした。ふうふうと冷ましながら一口含むと、じんわりと身体が温まっていく。じき初夏とはいえ、北方大陸の森林の中はまだまだ冷える。思っていたよりも疲労していたのだろう、温かいお茶が本当に美味しかった。

 セラの右隣にユリシーズが、左隣にアキムが、そして炉辺を挟んだ向かい側にリオンが座った。しばらく四人でお茶を啜る音が響く。


「単刀直入に聞くけど、セラは何で攫われたんだ?」


 胡坐をかいてカップを右手で包むように持ったユリシーズが、まず最初に口を開いた。


「ダラムの町で迷子になってたら、そのぅ」


 攫われた経緯を言いにくそうに話すと、三人の目が点になった。三者三様に整った顔立ちなだけに、なかなか笑える光景だった。


「迷子? 何でまた……」


 お茶のおかわりを注ぎながら、アキムは何とも言えない表情でセラを見た。


「セラちゃん、女性に年を聞くのは失礼だけど、君いくつ?」


 左手でこめかみを押さえつつ、リオンがセラに年を尋ねた。


「十八……」


「俺と二歳しか変わらないじゃねーか」


 あっけに取られたように、ユリシーズが後を引き取った。


「それは上なの下なの?」


「上に決まってるだろ。俺がいくつに見えてんだ」


「にっ二十三くらい?」


「……」


「ちょっとだけ大人っぽく見えるってさ、よかったね」


 リオンはアハハと力なく笑い、ユリシーズは空のカップを持ったまま無言で後ろにひっくり返った。


「話を戻しましょうか。ダラムで道に迷ってたら、攫われたんですね? 心当たりとかありますか?」


 迷子を「道に迷った」と言い換えて、アキムは脱線した話を軌道に戻した。迷子も道に迷ったも同じことだが、言い方というものは非常に重要だ。


「いいえ。私、西方にお届けする荷物を、ダラムの交易所に届けに行く途中だったんです」


「見せてもらってもいいか?」


「古い本よ。すごく古い文字で書かれてるから、内容はわからないけど」


 セラは鞄からビロード布で包まれた古文書を、丁寧に取り出した。見たところで多分誰もわからないだろうから、見せる分には構わないだろう。包みごとユリシーズに手渡した。


「誰宛?」


 布をめくって古書の表紙の文字をじっと目で追うユリシーズと、その様子を無言のままじっと見ているリオンとアキムに、セラは気圧されたようになって黙り込んだ。親切だけど、やっぱりこの人達は、ただの傭兵なんかじゃない。明らかにユリシーズは古書の文字が読めている。大神官級が扱うあの文字の専門知識を、どこで身につけたのだろう。誰もわからないと思って、迂闊にもお届けものを第三者の目に触れさせたことを、セラは内心激しく後悔した。


「それはいえません」


 セラはつん、と横を向いて答えた。


「お前、俺を銅貨一枚で雇ったろ。傭兵は雇い主の秘密は絶対に漏らさない。誰なのか、教えてくれないか?」


 否と言わせない口調と、真っ直ぐな瞳でこちらを見ているユリシーズは、おそらくセラが教えるまで引き下がらないだろう。二十歳という年齢のわりに落ち着いて見えるのは、為政者のような雰囲気をまとっているからだろうか。この青年は命令することに慣れた人だと、セラは思った。


「……クレヴァ・エーラース様という貴族の方よ。私もお名前しか知らないの」


 ぽつりと呟くようなセラの声が、薪の燃える音に混ざった。パチパチと薪から染み出る脂が燃える音だけが響く。


「セラちゃん、俺達のこと怪しいって思ってるでしょ。それで正解だよ。俺達、相当怪しいお兄さん達だからね」


 リオンが笑い含みのゆるい口調で自分達を「怪しいお兄さん」と揶揄すると、アキムが苦笑した。


「自分で言ってりゃ世話ないな」



「強引に聞き出したりして悪かった。今ここで聞いたことは、絶対誰にも話さないから」


「う、うん……」


 ユリシーズは真摯な口調で謝罪すると、古書を丁寧に包みなおしてセラに手渡した。おずおずと受け取ると、じっとこちらを見ている蒼い瞳と目があった。


「心配すんな、セラが困るようなことは何も起きないから」


 大きな手が頭をポンポンと宥めるように置かれ、それが何ともいえずくすぐったかった。リオンもアキムもセラと目が合うと「大丈夫」という顔で頷くので、落ち込み気味だった気持ちが、少しずつ浮上してきた。


 なぜかはわからないけれど、この少しだけ意地の悪い青年のことを、信じてみようと思った。色々と隠し事は多いけれど、あの真っ直ぐな蒼い瞳は嘘は言わない。そんな気がした。

小ナル銅貨一枚=小ナル銅貨。100円くらい。一ナル銅貨で1000円くらい。ナルはお金の単位。

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