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乙女は獅子に恋をする  作者: 龍田環
西方大陸編
38/111

13. 使えるモノは主でも

「セラ様、リオンさんが着きましたよ!」


「はぁい! いま行きます!」


 セラはハンナの元気のいい問いかけに大声で答えると、姿見の前でくるりと回って身だしなみの最終確認をしてから小走りに部屋を出た。階下では黒い騎士服姿のリオンがハンナをからかいながら待っていた。


「ハハハ、俺に指図するなんて十年早いぞぉ」


「いひゃーい! やめへ!」


「な、何してるのリオン、やめてあげて! ほっぺが伸びちゃう」


「えー、だってこの子がセラちゃんに様付けしろって俺に言うもんだから」


「ひどいですぅ、だってマリーさんが注意してって言うから言ったのに」


 思い切り摘ままれていた頬を撫でながら、ハンナはセラの背後にさっと隠れた。セラより二つ下のハンナは、元気者な妹分といった感じだ。会ってすぐ打ち解けられたおかげで、エマと同じくらい気安かった。


「ごめんね、私が好きに呼んでって言ったの。クレヴァ様はもうお着きになった? すっかり寝坊しちゃった」


「十分くらい前に着いたよ。領館でユーリ様達と話してる」


「大変! それじゃハンナ、行ってくるわね。お昼は領館でいただくから」


「はい、かしこまりました!」


 リオンを急かして『森の館』を出ると、すっかり昇りきったお日様が眩しかった。ユリシーズに借りた本が思いのほか面白くて、東側の空がうっすらと明るくなる頃に慌てて瞳を閉じたのだが、完全に寝不足だ。眠そうに眼をこする様子にリオンが小さく笑った。


「セラちゃん、目が赤いけど。夜更かししたの?」


「うん。ユーリに借りた本を読んでたの。すいすい読めるもんだから、つい熱中しちゃった。カサリア戦記って本当に歴史書なの? 文学みたいに面白かった」


「あーあれね。戦記ものっぽいけど、れっきとした史実だよ。従軍書記官だったマリウスさんが、主のグリマルディ将軍が西方大陸で成り上がっていく姿を描いた超大作」


「内容知ってるってことは、リオンも読んだの?」


「士官学校で教える時にサラッとね。たまに俺を試そうとするおバカな子達がいるから」


「士官学校で教える? リオンが?」


「俺、格闘術の教官なの。週一しかいかないから、たまに学生に間違われるけど」


「格闘術かぁ」


「聞かれる前に言っとくけど、教えないよ? セラちゃん、逆立ちしてそこの馬場一周とかできる?」


「……逆立ち、できない……」


「だろうねぇ。そのほっそい腕じゃねぇ。まず自分の体重を支えられるようになってからだねぇ」


「むううう」


「セラちゃんは身体を鍛えるより、自分の強みをいかしたほうがいいと思うよ。仕事ぶりをちょっとだけ見せてもらったけど、情報分析に向いてるみたいだね。書類の整理も得意みたいだし、ユーリ様の書類整理とか代わりにやってもらえると、俺達だいぶ助かるんだよなぁ」


「私の仕事ぶり、いつ見たの?」


「騎士団領で。女官見習いだけあって書類仕事はお手のものだね」


「細かい仕事は得意なの。ここでも、私にできることあるといいな」


「そんなのいっぱいあるよ。ユーリ様の横でニコニコ笑ってるだけでもいいけど、セラちゃんの性格からして無理でしょ? 俺達幹部で、いまデイムの使い道を協議してるからね」


「つ、使い道って何」


「使えるものは主君だろうがお姫様だろうが使うよ? ここだけの話、トラウゼンは人手不足なんだ。中枢を担う人達が、四年前に大勢死んだから」


「そう……」


「やってもらうとしたら、まず領館の資料室からかな。前任者が死んじゃってから資料が溜まってくばっかりでさ。遣り甲斐、あると思うよ?」


 のほほんと笑うリオンに、セラもつられて微笑んだ。精霊騎士団の団長ラウニは「できることを一つずつ探しなさい」と。大女官長様は「どんなときでも胸を張り、前に進みなさい」と、言葉を贈ってくれた。これまで頑張って会得してきたことが活かせる機会が訪れて、望外に嬉しかった。トラウゼンでの自分の役割が明確になってきて、俄然元気が出てきた。


「ありがとう、リオン。やる気出てきたわ!」


「うんうん。セラちゃんはそうでなくちゃね。あらら、クレヴァ様ってば待ちきれなくて出てきちゃった」


 領館の中庭に面したテラスから、濃紺の上着を着たクレヴァが姿を見せた。セラは小走りにそちらへ駆け寄ると、パウダーブルーのハイウェストドレスの裾を摘まんで軽く膝を折ってお辞儀をした。


「クレヴァ様、お久しゅうございます」


「お元気そうで何よりです。少しはこちらに慣れましたか?」


「はい! レーヴェ家の皆様によくして頂いております」


 クレヴァに続いて、微妙な顔をしたユリシーズとフレデリクが姿を見せ、彼らの後ろから小さな影が元気よく飛び出してきた。サラサラした茶髪の利発そうな黒い瞳をした七歳くらいの小さな男の子だ。セラの目の前に駆けてくると、胸を張って立ち止まった。雰囲気からして、どこかの貴族の子どもに見えた。


「そなたがセラフィナか!」


「はい。左様でございます……?」


「殿下。声が大きいです。何しに来たんですか」


 セラの隣に立つと、ユリシーズはこれ見よがしにため息をついた。ありありと顔に「めんどくせぇ」と書いてあるようで、セラは口を押えて笑いを堪えた。


「ユリシーズ、冷たいぞ。せっかくそなたの婚約者殿を見に来たのに」


「見世物じゃありません。もうご覧になったでしょう。さっさと部屋に戻って、おとなしくしててください」


 ユリシーズは男の子の頭をがしっとつかんで、回れ右をさせた。殿下と呼ばれた男の子は、慌ててその大きな手を振りほどこうと、必死になって暴れだした。


「まてまてまて! 主君の頭をつかむのをやめよ、不敬である!」


「誰が主君だ。寝小便たれの王子につく膝はない」


「私は寝小便なんかたれて、みぎゃ!」


 減らず口をふさごうと、ユリシーズは頭に置いた手で顔をつかんだ。ぷわぷわした頬を片手で挟むと、唇がアヒルのようになった。愉快な顔で心が和む。


「ユーリ、痛がってらっしゃるわ」


「そうだぞ、やめよ! いたい! かおがもげるぅ!」


「もげるか。クレヴァ様、大丈夫なのですか? 殿下を城外に連れ出してしまっても」


 ジタバタと暴れる王子から手を放すと、王子はすぐ隣にいたセラのドレスの影に素早く隠れた。セラから見えないところで「あっかんべー」とこちらに向かって反撃を試みる姿は、まだまだ小さな子どもに過ぎない。王子だ何だと傅かれても、中身はただのいたずら小僧だ。


「大丈夫なわけ、ないでしょう。この微妙な情勢の時に。時間がおしていたからそのままお連れするしかなかったんです。セラフィナ様、騒がしくて申し訳ございません。殿下、ご挨拶を」


 ユリシーズの手を掻い潜り、男の子はセラの目の前に立つと気取った様子で片手を捧げた。ユリシーズは思わず後ろ頭を叩いてやりたくなったが、それをセラの目の前でする勇気はなかった。確実に好感度が下がること間違いなしだ。


「私はフィア・シリスの王子、セブランである! セラフィナ姫、私の花嫁になってくれ!」


「え?」


「よし、殿下。尻を出せ。セラの目の前で尻を打たれるという辱めを受ければ、その寝言は二度と言えんだろう」


 一瞬でセブラン王子を捕まえると、ユリシーズはしゃがみ込んで目線を合わせた。何だかんだ言いつつも構ってくれる黒騎士が真顔で自分の尻を打つ、というので、さしものセブランもごくりと唾を飲んだ。


「ユーリ様、本気なの?」


「本気だとも。言うことを聞かない悪い子には、おしおきが必要だ」


 リオンの問いかけに、まるきり悪役にしか見えない笑いを浮かべているユリシーズの腕をぱしんと叩いて、セラは両ほっぺたを撫でる小さな王子の隣に屈みこむと「大丈夫ですか?」と優しく声をかけた。クレヴァも屈んで目線を合わせると、困ったような顔でセブランに尋ねた。


「殿下、どうしてセラフィナ様を花嫁にされたいのです? このクレヴァに教えてくださいませんか」


「うむ。姫君の隣は、王子と昔から決まっておろう!」


「き、騎士だって、隣にいてもいいのですよ。求婚いただいてセラは嬉しゅうございますが、ユリシーズ様を伴侶にすると固く心に決めております。申し訳ございません、セブラン殿下」


「なぜだ、私の方が将来有望だぞ。こんなつり目のこわい奴よりも、私のほうがかっこいいであろう」


「殿下もとっても素敵ですわ。ちょっとお顔は怖いかも知れませんけど、とても優しい人なんですよ。私は大好きなんです」


「おおお」


「大好きだって」


「ヒュー!」


 テラスからこっそり顔をのぞかせていたアルノーとマルセル、フーゴがニヤニヤしながら様子をうかがっていた。そちらを半目で睨むと、ユリシーズは冷ややかな声で命じた。


「散れ。仕事に戻れ」


しっし、と手で側近達を追っ払ってから、さりげなくセラを引き寄せた。セブラン王子が短い足でブーツを踏んでくるのが心地よい。重さがいい塩梅で疲れが取れそうだ。


「殿下、木に逆さ吊りされるのとユーリ様にお尻ぺんぺんされるの、どっちがいい? 両方? よーし、両方にしよっか」


「なぜ私の答えを待たずに決めるのだ、リオン! どっちも断る!」


「いけません、殿下。言いつけを破って、勝手なことをした罰は受けなくてはなりません。私は殿下が六歳でも十六歳でも同じように罰しますよ」


「う……」


「あとでいくつか算術の問題を出しますから、解けるまでお食事はおあずけです。いいですね?」


「わ、わかった」


「フレデリク、フィア・シリスの護衛官達に連絡を。コンスタンス様もご心配されているでしょうからね」


「かしこまりました」


 セラとユリシーズに軽く会釈をしてから、フレデリクは館へと戻っていった。その広い肩は笑いを堪えるように震えていた。


「リオン、殿下を客室へお連れしてくれ。ついでに”接待”も頼む」


ユリシーズは側役に子守りを押し付けた。目顔が面倒なことを押し付けたな、と言わんばかりだ。


「お任せください。まったく気乗りしないけど」


「くるしゅうない」


「そうですか。それじゃ天窓から吊りましょうかね」


「イヤだ! なぜだ!」


 リオンを小さな拳で小突きながら歩いていく姿を見送って、セラは柳眉を曇らせて呟いた。


「本当に吊るすつもりなのかしら……」


「まさか。あれで子守上手だから任せとけばいいよ。クレヴァ様、戻りましょう」


「そうですね」


 手招きされて、セラも中庭を通り抜けテラスから応接室へやってきた。室内は温かみのある茶色で統一されていた。二人掛けの椅子にかけると、ユリシーズは自分の隣をぽんぽんと叩いてセラを座らせた。さっきから浮かない顔をしていて、それが少し気になった。


「言っとくけど、あんまり良い話じゃないぞ」


「何かあったの?」


「……来月、諸侯連合の会合がある」


「来月って、ユーリ、遠征に行くって言ってなかった?」


「ああ。俺は会合に出るのが難しい。遠征先からだと時間もかかるし」


「ユリシーズが不在の時に、グリマルディ侯爵がセラ様を参加させよ、と仰せなのです」


「構いません。クレヴァ様と一緒に、その会合に参加すればよろしいのですね?」


「はい。おそらく拝謁が目的だと思われますが、どうもセラ様を解放軍に参加させようと画策しているようです」


「護衛役にリオン達をつけるよ。クレヴァ様と一緒にいれば、そう嫌な思いはしないですむはずだ」


「わかったわ。あの、クレヴァ様。今のお話を伺ったあとに言うのも気が引けるのですが、あえて私の考えをお伝えしてもいいでしょうか」


「勿論。どうぞお聞かせください」


「西方に来て、自分の目で見て思ったんです。父の遺志を継いで、私も解放軍に参加したい。もうこれ以上、私の大切な人達が苦しまないように。西方大陸の人達が笑って暮らせるように、私にもできることがしたいって」


「……参加したら間違いなく、あなたが解放軍の象徴になりますよ。ユリシーズとの結婚にも鬱陶しい横やりが入るでしょう。それでも、参加されますか?」


「ど、どうして? 解放軍と、私とユーリの結婚に何の関係が?」


「……帝国を解体したあと、西方大陸はおそらく覇権争いになる。解放軍の象徴だった最後の皇女が表舞台から姿を消しても、彼女が残した功績は消えない。西方平定に貢献した姫をどこの諸侯も欲しがるからな」


「そんな。帝国を倒すのは、ずっと頑張ってきた解放軍の人達でしょ? だったら皆が英雄だわ」


「セラがそう思ってても、権力者はそう思わないんだ。西方大陸全土の解放という一つの目的にまとまっていても、元は野心旺盛な領主達ばかりだからな」


「それじゃ、私は私の考えを、今度の会合で言うわ。私は象徴にもならない。一人の同志として参加しますって」


「……セラ様。貴女は私に何を教われと、シーグバーン殿から言われましたか?」


「クレヴァ様にお手紙を出したから、教わりなさい、とだけ。私、てっきり軍師としての教えを受けるものだと思っていました。違うのですか?」


「貴女に”勢力図”の読み方を教えてやってほしいと、手紙をもらったのですよ。貴女が諸侯達に利用されるのなら、逆に彼らを利用するべきだとね」


「先生がそんなことを?」


「俺も懇意にしている諸侯とセラを引き合わせて、陣営に取り込めって手紙をもらったよ。色んな意味で敵に回したくない人だな、セラの先生は」


「私が知りうるすべてをお教えしましょう。なに、官吏になる勉強をされていたのなら、さほど難しいことはありませんよ」


「嘘だ! セラ、後で別の教本貸してやる。基礎がないと辛いぞ、西方情勢は」


「師を嘘つき呼ばわりとは感心しませんね。貴方にも宿題を出しましょうか」


「やめてください。宿題に割く時間、今の俺にあると思うんですか。次から次へと命令を出してるの、クレヴァ様ですよ!」


「いま休暇中でしょう」


「そうですけど……!」


 頭を抱えてしまったユリシーズを庇うように、セラは慌てて身を乗り出した。このままではユリシーズが寝ずにやっても終わらない宿題を出されてしまう。多忙な彼にいらぬ負担をさせないのも伴侶の役目だ。


「あ、あの、クレヴァ様! お話の腰を折ってしまってごめんなさい。私に西方の情勢を教えてくださいませ。頑張ってついていきます!」


「結構結構。やる気のある教え子は久しぶりで嬉しいですよ。こちらには半月ほど滞在させてもらいますので、まずは基礎からお教えします。今月末、ユリシーズが遠征に出る前にお迎えに上がりますから、会合の開催地で集成いたしましょう。開催はフィア・シリス近郊で行う手筈になっておりますし、コンスタンス様が率先して動いてくださっていますから、ご安心ください」


「はい、クレヴァ様。よろしく、お願いいたします!」


「それではユリシーズの執務室へ参りましょうか。目の前に生きた教材がいることですし」


「教材って俺のこと!?」


「あなた以外に誰がいるんですか。西方諸侯が実際に何をしているのかを見れば理解度が早まります。仕事ぶりを見せて男を上げる絶好の機会ですよ」


「……」


 胡乱な目で師を見つめてから、ユリシーズは肩を落とした。その様子にセラは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。ただでさえ忙しいのに、横で仕事と関係ないことをされては邪魔だし迷惑に違いない。


「あの、クレヴァ様。いけません、ユーリの邪魔になります」


「邪魔じゃないよ。だけど、何か釈然としない……」


「セラ様を事務方に使いたいんでしょう。何をしているのかお伝えするのは大切なことですよ? それとも、女性登用するというのは口だけですか?」


「まさか。事務官の採用基準を男女問わずに変更しました。性別を問わず、使えるようなら使います」


「まぁトラウゼンなら受け入れ易いでしょうね。女性騎士もいるし」


「はい、クレヴァ様。質問です。女性騎士はトラウゼン以外にもいるのですか? 西方は男性社会だと聞きました」


「実戦に投入している女性騎士がいるのはトラウゼンだけです。武を貴ぶトラウゼンでは”試し”に勝てば身分性別問わず入団可能なのですよ。西方各地の騎士団にいる女性騎士は、ほとんどがデイムとしての騎士位を持つ象徴ですね。ほかに質問は?」


「では女性官吏は? 本当に一人もいないのですか?」


「政治に直接係わる女性はいませんね。こちらでいう女官は侍女と何ら変わりません。高貴な身分の者に仕える従者、といった意味合いが強いです。西方大陸は男性優位ですが、徐々に変わりつつありますね」


「ユーリのように、女性登用に乗り出す領主が出てきたからですね」


「ええ。今はまだ私の教え子達ばかりですが、いずれ西方全体がそうなればと願っておりますよ」


 セラは尊敬の眼差しでクレヴァを見つめた。先を見て種を蒔く。芽が育ち、ちゃんと刈り取れるように見守る。政治家というよりも、まるで学校の先生のように思えて親しみを覚えた。ユリシーズはそんなセラに苦笑して、剣を片手に立ち上がった。


「俺、仕事に戻ってもいいかな?」


「ええ、どうぞ」


「ごめんね、ユーリ。すぐにお暇するから」


「いいよ。説明するついでにセラに頼もうかな……。書類、溜まりまくってるから仕分けしてくれよ」


 三人で応接間を出ると、ユリシーズの先導で領館の奥へと歩き出した。一階は来客を迎える控え室や幾つかある応接室。先日セラが通過儀礼を受けた大広間。領館でトラウゼン統治に携わる者達の執務室が並んでいた。廊下の突き当りにある階段を上がり、二階の廊下を進む。途中、開け放たれている扉をのぞき込むと、フレデリクが自分の執務室で何人かの黒騎士達に何か指示していたり、アルノーが書き物をしている姿があった。奥側の部屋は黒騎士団の幹部達の執務室がある区画のようだ。


「俺の執務室はこっち」


「二階は何があるの? 三階はこの間お泊りした客室だし」


「俺や師団長の執務室、資料室とか作戦室とかだな。セラも騎士団の一員だから自由に出入りできるよ」


 突き当りにある両開きの扉を開けると、机の上に書類で出来た地層がいくつもあった。壁中に置かれた本棚には乱雑に本が詰め込まれ、床にも読みかけらしき専門書が何冊も積まれていた。


「うわぁ……たーいへん……」


「ユリシーズ。片付けなさい、今すぐに」


「そうしたいですよ俺も。帰ってくるたびにこうなってて……おっと」


 ユリシーズが机のそばに近づくと、バサバサと地層の一部が崩れて、書類が床に散らばった。セラは慌てて屈みこんでそれを拾った。黒馬の牧場から上がってくる収支報告書のようだ。よく見ると『街道が土砂崩れで通れません』『亜生物がまた出没して猟師が困っています』といった、わりと深刻な領民からの嘆願書が混ざっている。なぜきちんと分けないのだろう、とセラはモヤモヤした。


「クレヴァ様、黒き有翼獅子の騎士団(グライフ・オルデン)の出撃回数、ちょっと減らしてもらえませんか。毎度これじゃ、俺、身体がもちません」


「善処はしましょう。それにしても、これはひどい。トラウゼンの人手不足はちょっと深刻ですね。事務官を派遣しましょうか?」


「今日は私もお手伝いするから、とにかく机の上の書類たちをどうにかしましょ。無くしてしまったら大変よ。嘆願書が混ざってたわ」


「あいつらも大変だから仕方ないよ。クレヴァ様、そこの空き箱取ってもらっていいですか」


「これですか?」


「ありがとうございます。セラ、領民関係はこれに頼む。会計関係はこの書箱でいっか。騎士団関係の奴は、この引き出しに入れておいて」


「任せて。受理日の日付順に並べておいた方がいい? それとも早く決済が必要な順?」


「騎士団のは決済日早い順で。あとは受理日でいい」


「……セラ様、秘書官になれますね。とても手馴れていらっしゃる」


「十二の頃から先生のお手伝いをしてましたから。書類の分け方や索引の付け方を、一つずつ教えてもらいながらですけど」


「それじゃ簡単に説明しとくか。セラ、領民のやつ貸して」


「はい」


「俺は領主だけど、やってることは執政官の仕事みたいなものだ。普段は領館で領民からの申し立て、税金の徴収なんかの諸々を担当官達と協議して決めてる。町や村を治める長達と話したり、書類と相違がないか視察に行ったりとかな。トラウゼンの主産業はご存じのとおり軍馬の飼養だから、いまセラが手に持ってる収支報告が毎週上がってくる。俺が遠征から帰って来て、見て癒されるのがそれだ」


「ああ、だから嘆願書が混ざってたのね。ユーリが絶対収支報告書に目を通すから。担当官のみなさん、考えたわね」


「あいつら……俺はてっきり、忙しくて仕分けもできなくなったのかと……」


「今度からちゃんと見るから分けて、って言えば? 文箱はないの?」


「どこかにあった、と思う。父上が使ってたし」


「もう! マメなんでしょ、何でちゃんとお片付けしないの」


「俺だってお片付けしたいよ。してる暇がないんだ。前はアキムがやっててくれたけど、いま副団長だから頼めない」


「さっきから言い訳ばかりですね。男がぐんぐん下がっていってますよ」


 クレヴァはクレヴァで、乱雑に詰め込まれた書類を綴じた束を年度別にわけていく。四年より前のものは保管箱につめて、必要そうなものだけを書棚へと戻していった。


「ホントですね。セラ、書類の仕分けが終わったら、そこらじゅうにある本を棚にしまってくれる? 特に分類してないから適当でいい」


「適当でいいの? とはいっても本当に詰め込むわけにいかないわよね。ね、一番使う分野の本って? やっぱり治水とか農地関係?」


「うん。右の棚にあると助かるな」


 セラは時々ユリシーズに確認しながら、執務室を片付けていった。途中でクレヴァが「殿下に罰を与えてきます」と言って抜けてからは、さらさらとペンが走る音と紙を繰る音がする以外、ほとんど口を開くこともない。一つのことに没頭するとまわりが気にならなくなる性質なのだろう。集中しているユリシーズの邪魔をしないよう、セラはそっと部屋から抜け出した。書類を綴じる紐が足りなくなったので、隣にあるアルノーの執務室に行くことにした。軽く扉を叩くと「どうぞ」と柔らかい声が答えた。


「ごめんね、アルノー。忙しいところに。綴じ紐持ってない?」


「あるけど。何で?」


「ユーリの執務室の使い切っちゃったの。後で返すわね」


 アルノーはセラの指先にはまった、子羊の薄い革で作られた事務方の味方「めくり革」を見て目を丸くした。


「いやいやいや、返さなくってもいいよ。備品庫に取りに行くし。っていうか、何してるの? まさかユーリの手伝い?」


「うん。ユーリが片づけた書類を私が各担当官のところに持って行ってるの。分担すれば早く終わるでしょ? まだご挨拶してないトラウゼンの執務官のみなさんに顔見せにもなって一石二鳥!」


「何得意げに言ってるんだよ〜。みんな、何か言ってた?」


「びっくりしてた。もう終わったんですか!?ごめんなさい! って。どうして謝るの?」


「うーん。結果的に領主に仕事を押し付けちゃったからだと思うけど。セラちゃん、これからも手伝うの?」


「ユーリが良ければね。綴じ紐、ありがとう!」


 薄い水色のドレスを翻して、パタパタと隣の部屋にかけていく。どう見てもデイムをこき使ってるようにしか見えなくて、アルノーは机に突っ伏した。


「デイムの使い道、そうじゃないと思うよ、ユーリ……」



 セラが戻ると、ユリシーズが昼までにやる仕事をすべて片づけて、清々しい顔で伸びをしていた。


「お疲れさま、ユーリ」


「仕事が捗るな、部屋がきれいだと」


「使い終わったらすぐ元の場所にしまえばいいのよ。書類も、今度からこの文箱にいれてね」


「そうする。セラができる女で本当に助かったよ。これからも手伝ってくれると嬉しいな」


「もちろんよ。お役に立てて嬉しいわ!」


「領主と騎士団長の兼務だから、どうしても机仕事がたまるんだよな……どうしたもんかなぁ」


「一人二役だもの、忙しいのは仕方ないわ。皆もユーリのこと助けたいって思ってるんだから、どんどん使えばいいのよ。私もお手伝いするし」


 口を動かしながらも、書類を綴じる手は止めない。この束をまとめれば、半年分の収支報告書が日付順に綺麗に並ぶ。年度順に書棚におさめておけばいつでも過去の資料が見返しやすくなるはずだ。


「新米領主だからって、仲間に頼りすぎるのもな。皆、自分のことで手一杯だろ」


「新米領主かもしれないけど、ずっとお父様やおじい様の補佐してたんでしょ? 何枚もユーリのサインがあったもの。頑張ってたのね」


「そう言われると、何か照れ臭いな。これ早く終わらせて、食堂行こうぜ。どこまで綴じた?」


「先々月の分までよ」


 二人は軽口を叩きあいながら、昼十二の鐘が鳴るまで仲良く書類の整理を続けた。午後は午後で騎士団の会議が控えている。セラと昼食をとったら、今度は先週の遠征の報告会。軍主クレヴァも参加する重要な集まりだ。



 西方大陸諸侯の一人、トラウゼン領主ユリシーズ・レーヴェは本日もほどよく多忙也。

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