7. できること
セラはオルガに断ってから、一人で二階の奥へとやって来た。誰かと一緒にいて警護してもらうより、こうして閉じこもって大人しくしていたほうが、皆の手を煩わせずに済む。部屋の鍵を一つだけかけて、とことこと部屋の中を移動して窓から下を見た。トゥーリがフレデリクと話をしていて、すぐそばに立っていた親衛隊の面々が、どこかに出かけていく姿が見えた。まわりにいる黒騎士達も、皆忙しなく動いている。セラは何度目かの小さなため息をこぼして、巻いていたストールを外し、靴を脱いで寝台に寝転がった。馬車で寝させてもらったのに、何となくだるさを感じるのは、気分が落ち気味なせいかもしれない。服が皺になる、と思ったが、洗えばいいと思い直して目蓋を閉じた。
「ん……ねちゃってた……」
窓の外をみると、だいぶ日が高い所まで昇っていた。朝食も食べずに眠っていては、皆が心配する。起きようと寝台に手をつくと、隣にいた誰かが身じろぎした。
「ぅ!」
セラの隣で、ユリシーズが、仰向けで枕を片手で抱えるようにして眠っていた。すうすうと規則正しい寝息が聞こえる。上着を脱ぎ、シャツのボタンをいくつかあけた寛いだ姿で、完全に寝入っていた。セラはそぉっと起き上がって、寝台を降りてから、ユリシーズの寝顔をじっくりと眺めた。意外と長い睫毛が、頬に影を落としている。切れ上がり気味の瞳を閉じていると険が消え、年相応の幼い顔をしていた。
「寝顔はかわいい……」
口は悪いし、すぐおちょくってくるし、ちょっと困ったところもあるけれど。それを帳消しにするほど、セラのことを好いてくれている。そう思うと、くすぐったいような気持ちが湧き上がった。起こさないように、隣の寝台から剥いだ掛け布をふんわりとかけてやった。目にかかる前髪をそっと払うと、こめかみにスッとはしる白い切り傷の痕があった。顔に刃を受けてまで、この人は一体いつまで戦えばいいのだろう。
いくら強くても、どんなに立派な騎士でも、戦い続ける限りは死と隣り合わせだ。解放軍を率いたセラの父も、ユリシーズの父も、強い人だったのに命を落とした。いずれはユリシーズも。そう思うだけで息が苦しくなる。失うことなど想像もしたくなかった。
ウィグリド帝国の血統に連なるものとして、セラにできること。それは亡き父の遺志を継いで、帝国を倒すことだ。三百年前の四英雄戦争後に建国され、栄華を誇った軍事大国は、いまや完全に傾いている。錬金術に傾倒して政治を省みない皇帝。腐敗した官吏による悪政、汚職の横行。民への理不尽な弾圧。様々な形で、西方大陸の人達は長年虐げられてきた。もうこれ以上、自分達のように大切な家族を失い、悲しむ人がいなくなるように。愛する人を失わないように。ずっと「何かしなければ」という漠然とした思いがあったが、ようやく形になった気がする。
「……私にも、ユーリを守らせてね」
小さく呟いて、眠るユリシーズの頬にキスを落とすと、蒼い瞳が薄く開いた。
「……」
ぼんやりとセラを見つめるその瞳から、目が離せなくなった。ああ、やっぱり綺麗な蒼だな、と思った。そして、その綺麗な蒼が一瞬にして覚醒した。
「いま、キスしなかった?」
「……したけど、頬に」
「何だ……残念」
むくりと起き上がり、亜麻色の髪に片手を突っ込んでくしゃくしゃとかき回した。寝顔を見るついでに添い寝をして、起きた時に驚かせてやろうと悪戯心で横になったのに、疲労が堪っていたのか不覚にも寝入ってしまった。
「残念じゃないでしょ、乙女のキスで起こされたんだから」
「する場所が違ってた。ところで、君を落ち込ませるようなことがあったみたいだけど?」
「べ、別に落ち込んでなんかないわよ」
「ウソつけ。リオンがセラを凹ませたどうしよーって泣きついてきたのに」
「う、それは。リオンさんは何も悪くないの。私がフーゴに詳しい話を聞いておきながら、不安になったせいで」
「うん」
「だから、リオンさんが聞いて不安になるなら聞くんじゃない、って言っただけなの。確かにそのとおりだなぁって思って……」
「そっか。それならちゃんと、俺が全部話すべきだったな」
「もう平気だから。今度からは私にも詳しく教えてね。それより、何で一緒の寝台に寝てたのよ。隣も空いてるでしょ」
「ちょっとだけセラの寝顔を拝もうと思って。横になったら寝てた」
「や、やめて。見世物じゃないわ。きっと疲れてるのね。ユーリほどの剣士だったら、私が近づいた気配で起きちゃうのに。ぐっすりだったもの」
「かもな。セラは気を回しすぎだよ。俺達『黒き有翼獅子の騎士団』は、コンスタンス様とクレヴァ様から、セラフィナ姫を守る役目を仰せつかってる護衛役なんだ。もっと偉そうに振舞ってもいいんだぞ。わたくしに跪きなさい! とか言ってみろよ」
「何それ、おかしい」
セラはユリシーズの言い回しが可笑しくて、声を立てて笑った。一体、どんな場面で黒騎士達を跪かせるというのか。
「黒騎士をアゴで使える権利を手に入れてるんだ。もっと楽しめ。遊撃隊長のリオンに菓子を買って来いとパシリ扱いしたり、第一師団副長のアキムに毎日おやつを作れと命令したり、側近のアルノー達から菓子を巻き上げることも可能だ」
「お菓子から離れてよっ」
「騎士団長の俺に、肩を揉めとか命じることもできるぞ。何者にも屈しない、黒獅子公の俺様がだ。セラのために、肩を揉んだりお茶を入れたり。甲斐甲斐しく尽くすわけだ。見ものだろうな」
「やめて、笑いすぎて、おなかいたい」
子どものように屈託なく笑うセラに、ユリシーズも蒼い瞳をいっそう和ませた。やっぱりセラには明るい笑顔が似合う。しょんぼりと落ち込んでいる姿は似合わない。いつだって頼って欲しいのに、一人で考えこんでしまうから目が離せない。ユリシーズはセラに気づかれないように、小さくためた息を吐いた。
「別行動?」
「そう。トラウゼンに寄る前に、僕達はちょっと中央地帯に行ってくる。西方大陸の精霊殿址を調査してるユアンから、亜生物が入り込んでて中に入れないって泣きつかれた。神官兵だけじゃ荷が重いから、僕達に来てほしいんだってさ」
ちょっとそこまで、と気軽に告げられた内容に、セラは目をぱちくりと瞬いた。遠征軍として支援活動を行う以外にも、色々とやることが課せられていることは知っていたが、内容までは教えてもらっていない。すでに精霊騎士団を辞した身だから、知らされないのは理解できる。だけど、関わりがなくなってしまったような気がして、少しだけ寂しくなった。
「あそこは帝国領で俺達は近づけないんだ。手を貸してやりたいけど、ちょっと難しいな。六人だけで行くのか?」
「少数のほうが動きやすい。まったく精霊魔術が使えないってわけじゃないし、何とかなるさ。姉さんから色々借りてきたし」
「そういえば、トゥーリの姉さんって何してる人なんだ? 結局会えずじまいだったけど」
「そりゃ会えないわよ、当代女神官長様だもの」
「え、今なんて?」
セラがお茶のおかわりを注ぎながら言った言葉が、ユリシーズにはにわかに信じがたかった。精霊信仰に携わる者の頂点に立つ、この世で一番偉い女神官長が姉という事実は、目の前の毒舌家からは想像できない。この世界の均衡を保つため精霊に祈りを捧げ続ける尊い人の弟は、口が悪くて大雑把で、気難しいにもほどがあるという男なのだ。
「ガルデニア王国の霊獣様に選ばれた、三百三十二代目の女神官長様なの。この世で唯一、トゥーリ様がペコペコする人よ」
「あの気位の高い男がペコペコだと? 信じられないな」
苦虫を噛み潰したような顔をしている友の顔を見て、ユリシーズは顔が勝手に緩むのが止められなかった。さしものトゥーリも、唯一の肉親には頭が上がらないらしい。姉のいるアルノー曰く「姉にとっての弟は下僕」は、各大陸共通のようだ。
「たしか、当代守護騎士が、手ずから女神官長様のおやつを作ってるんだよね」
リオンがニヤニヤ笑いながら言うと、トゥーリは柳眉を吊り上げてそちらを睨みつけた。ごく近しい身内以外しか知らない事実を、なぜユリシーズの側近が知っているのか。思い当たることはただ一つ。
「セラ!」
「ひぇっ」
セラがサッとユリシーズの背後に隠れると、まわりの皆は笑いを堪えきれずに噴き出した。その様子に、トゥーリは仕方なさそうにため息をついて、表情を和らげた。
「とりあえず、僕達は明日の早朝にここを発つ。精霊殿址の亜生物を掃討してから、トラウゼンに向かうよ」
「わかった。旅支度に必要なものを言ってくれ。すぐに用意する」
「感謝いたします、ユリシーズ様」
ファンニが目元を少しだけ優しくして、深々と礼をする。その横ではオルガがセラの手をしっかりと握って、取り決めていた約束ごとを復唱していた。
「いいことセラ。一人でフラフラ出歩かないこと。出歩くなら必ず護衛をつけること。狙われているかも知れないんだから気をつけて」
「もちろん、わかってるわ。勝手に出歩いたりしない」
「護衛は俺がする。俺が遠征でいないときは側役と、第一師団の女騎士を警護につけるよ」
「要人警護ならお任せあれ。館には武闘派の侍女もいるしね」
暢気そうに笑うリオンの口から出た「武闘派」という言葉に、セラは思わず反応した。侍女というのは、身分が高い方々のお屋敷で、お仕着せを着て、身の回りのお世話をする人、というのが一般的なはずだ。セラは女官学校に入る前から、ウィスタリアの縁故で行儀見習いとして色々なお屋敷で侍女修行を積んでいたが、どこにも戦う侍女さんはいなかった。明確な線引きがされていた。
「ぶ、ぶとうはって? 侍女なのに帯剣してるの?」
「拳で勝負」
アキムは無言のまま、大きな手でリオンの顔面をがっちり掴み上げ、微笑を浮かべた。手の中の生き物は苦悶の声をあげていたが、綺麗に無視した。
「冗談ですから。みんな、セラちゃんに会えるのを楽しみしてますよ」
「本当? 私も会えるのが楽しみだわ」
ほんわかと和む新しい主従の二人を尻目に、セラの保護者達はユリシーズを問い詰めた。
「ちょっと、トラウゼンは侍女も戦えるって本当? 絶対に私も剣とかやりたいって、セラが面倒くさいこと言い出すよ」
「本当のところはどうなんだい。セラは本気で武術の才能がないから、教えるだけ無駄だよ」
「侍女達が個人で武術を修めてるってだけだ。拳を振るわれてるのは一部の奴だけだし。例えばこいつとか」
ユリシーズが背後に立つリオンを指し示すと、部屋の中にいたリオン以外の全員が、納得したように頷いた。
「でもオルガ、エアリエルとお話できないのに、亜生物討伐なんて危なくない……?」
「トゥーリ様達がいるから、めったなことはないと思う。それに、西の精霊殿にいた”劫火の精霊”がまだ留まってくれてたら、私が口寄せして話が聞けるかもしれないでしょ。何十年も誰も奉じてなかったみたいだし、怒ってないといいけど」
精霊は基本的に、人が好きだ。万物に宿るといわれる、人とともに太古から生きてきた存在だ。それなのに誰も精霊殿に来てくれず、ひとりぼっちで何十年も過ごしたのだ。いるのは言葉の通じない人工の亜生物ばかりで、どれだけ寂しく腹の立つ思いをしたきたか。それを思うと、オルガがその精霊をおろすことに、セラは到底賛成できなかった。
「何もオルガがおろさなくってもいいんじゃない? 神官兵は依り代とか持ってきていないの?」
「精霊殿に守護精霊級が二柱じゃ、干渉しあっちゃって危ないよ。火と風だよ? 劫火と颶風だよ? この組み合わせだと、辺り一体焦土と化すよ? 巫女がおろすのが一番安全」
「よくわかんねーけど、そういうものなのか?」
精霊魔術のことなどさっぱりわからないので、ユリシーズは困惑した顔で、向かいに座るトゥーリに疑問をぶつけた。
「人と一緒で、精霊にも相性があるからね。力が強ければ強いほど、ぶつかりあう。我の強い人同士が争うような感じが、一番近いかな」
「ユーリ様とアーネストみたいなもんか」
「うるさいリオン。今の話でちょっと気になったんだが、西方大陸だと、もしかして精霊魔術が使えないのか?」
「そういえば、話してなかったね。西方大陸は霊的に閉じられた空間だから、精霊使いは精霊が使役できないんだ。術者と精霊ともども耳栓して目隠しされている状態、と言えばわかるかな。おまけに地脈が歪んでいるから、精霊は存在自体が揺らぐ。自分の存在を保つために、霊力が高い人の器に、深く溶け込む。溶け込みすぎて人を精霊憑きに変えてしまう。西方大陸にまともな精霊使いがいないのは、そのせいだ」
「精霊憑きになるって、本当かよ……。遠征軍として来てくれた精霊騎士達は、大丈夫なのか?」
「精霊使いは僕達親衛隊と、ヘルッタの第一隊と、スヴェン隊と、神官兵だけだ。全員、女神官長から護符を持たされてるから平気だよ」
「よかった。せっかく来てもらったのに精霊憑きになったら、遠征軍の皆に合わせる顔がない」
「気に病まなくていいよ、ユーリ。僕達が何の見返りもなしに、助けに来たと思わないほうがいい」
「それでも俺は感謝してるよ。一つだけ教えてくれ。地脈の歪みが人を精霊憑きにするとわかっていて、なぜ精霊殿と女神官長は手を打たなかった?」
「派遣した大神官を全員死なせるし、大事な精霊殿はぶっ壊すし、錬金術に傾倒してるし、関わりたくなかったんだろ。下手に手を出して共倒れになったら、目も当てられない。四英雄戦争の時のように、大陸がまた分割されたら困るだろ?」
「返す言葉もないな。西方大陸が閉じられた空間になったのは、錬金術が原因なんだろ。だったら俺達は元凶を倒すことに力を尽くすよ」
「僕達が閉じられた空間を壊せば、その元凶とやらがノコノコ出てくるだろう。その時が、君達解放軍にとっての勝機だ。精霊騎士団が囮になってあげるから、さっさとこの戦争を終わらせてくれ。僕達も暇じゃないからね」
「だな。女神官長と精霊騎士団長の温情に報いるためにも、この戦いを一日も早く終わらせよう」
戦いを終わらせる。自分の決意と同じことを、ユリシーズが言った。想いは同じなのだ。膝の上でぎゅっと握った手の上に、そっとユリシーズの暖かな手が重なって、柔らかく握り締められた。セラが顔を上げると、この場にいるそれぞれが一様に真剣な顔をして、こちらを見ていた。皆の顔を見回し、最後に最愛の人の顔を見止めて、少しだけ笑って頷いた。
「ところで、セラはトラウゼンに着いたら何をするんだい? 僕はエーラース卿から戦略論を習うと聞いたけど」
「私も先生にそう聞いてるの。ねぇ、ユーリ。クレヴァ様って普段はご自分の所領にいらっしゃるんでしょ? 私がお伺いするの?」
「いや。うちに来てくれるらしい。クレヴァ様が来る度に、死ぬほど課題が出るぞ、たぶん」
「頑張るわ」
「セラは女の子だし、寝ずにやらないと終わらない課題は出さないと思うけどな。俺が使ってた教本を貸すよ。じいちゃんも戦場の生き字引みたいなもんだし、聞けば色々教えてくれるから」
「テオドール様か。四年ぶりだけど、僕のこと覚えてくださってるかな」
「そこまでボケちゃいねぇよ。おとといからセラが来る、お前らが来るって、はしゃぎすぎて腰をやったらしいが」
「そうだ。ユーリ様、セラちゃんも騎士団の一員でしょ。伝統のアレはどうするの?」
「セラはデイム待遇だから、しなくてもいいだろ」
「伝統のアレが何かわからないけど、一員としてちゃんと迎え入れてもらうためにも、ぜひやらせてほしいわ」
「偉い。よく言った。それじゃ決定ね」
きりりとした顔のリオンの横で、アキムがやや心配そうな顔をしているのが気になったが、とりあえずセラは「よろしくお願いします」と頭を下げた。
「ユーリ、伝統のアレって何? セラにあんまり変なことさせたら、女史から選抜きの刺客が来るよ」
「納得のいかない伝統だが、どこの騎士団にもある新入り歓迎の儀式だよ。もとは故事に因んで行うようになったらしいが、今じゃ完全におふざけだ」
「リオンさん、私、何すれば良い?」
「そうだねぇ。団長の前で一発芸かな」
セラ達、北方大陸からやって来た面々は固まった。あからさまにオルガとファンニの目線がきついものになり、トゥーリは真顔で「バカなの?」と呟いた。
「ち、違います! そんなことしませんから! 皆の前で入団の抱負を発表するだけですよ!」
セラ達の冷ややかな視線に、アキムは慌ててリオンの発言を否定した。黒騎士団が愉快な脳筋集団と誤解されては困る。これでも西方大陸最強と名高い騎士団なのだ。そんな不名誉な印象は払拭しておきたかった。
「何言ってんだ。セラは俺達が忠誠を捧げる象徴なんだから、むしろ俺達が一発芸を披露する側だよ」
セラがすっかり彼らに馴染んでいるのはいいことだが、ついていけてないオルガとファンニは、顔を見合わせて苦笑した。
「……黒騎士って……」
「完全に私の中での印象が変わりました。女神官長様と、気が合いそう……」
二人の耳に、遠く離れた地にいる主の、高笑いが聞こえた気がした。
翌朝。『黒き有翼獅子の騎士団』もトゥーリ達の出立に合わせて、早朝の出立となった。今度はセラはきちんと起床して、夏空のような水色の長いスカートと、生成りタフタの七分袖のブラウスを身につけ、耳の横の髪を後ろ頭で緩く結い上げた。一日馬車の旅になるから、なるべく身体を締め付けない服を選んだ。しばらくお別れになるオルガとファンニとで朝食を取ったあと宿泊棟を出ると、黒騎士達が慌しく出発の準備に追われていた。所在なさげにエントランスの柱の影から、皆の様子を伺った。
「おはよ、セラちゃん。馬車にいこっか。すぐに出発だからね」
厩舎からのんびり歩いてきたリオンが、セラを手招きした。
「おはよう、リオンさん。ユーリは?」
「幹部と隊長格を集めて、日課の打ち合わせ中」
「忙しいのね。朝ごはん、ちゃんと食べたのかしら」
「食べながら会議してるんじゃない? アキムが後で文句タラタラだからやめとけって、俺言ったんだけどな。”どうして食べながらなんですか、消化に悪いでしょう!”って」
「似てる!」
「声帯模写っていうんだよ。俺、物まねにしよっかな」
「昨日の一発芸の話? 本当にやるの?」
「そうだよ。ちなみにユーリ様は女装だから」
「ええええっ、ヤダー!」
「いや、これが結構バカにできないのよ。入団したときの伝統のアレで、ぶっちぎり優勝だったから。完全に美少女だったからねぇ」
「び、びしょうじょ。想像つかないわ」
「いやいや、あの頃はまだ少年ぽい身体つきだったから、怖いくらいドレスが似合っちゃってさ。セドリック様なんか娘ができたって大はしゃぎしてたし、アルノーなんか真っ赤になって固まっちゃって、俺は二人が道ならぬ恋に落ちたらどうしようって思ったね」
「そんなに……」
「ちょっと着てみて、ってお願いしてみたら? ユーリ様、セラちゃんのお願いに弱いからね」
「新しい世界に目覚めちゃったらどうするのよ。私、絶対そんなこと頼まないからね」
「えーいいじゃん、頼んでみてよ」
「何で女装仲間を増やしたがってるのよ。フーゴに頼めばいいのに。部下なんでしょ」
「諜報活動で変装するし、女物でも抵抗なく着るからつまらないんだよ。嫌がりつつも着てくれるのがいいんじゃない」
「アキムさーん。このヘンタイ側役を、どこかにやってくださーい」
「なっ、ひどい! オカマのほうがまだよかった!」
「お呼びですか、お嬢様。朝っぱらから無駄に元気な無礼者が、どんな失礼を?」
騎士服を着たアキムが颯爽とやってきて、リオンの頭を鷲掴みにして横に退けた。
「主君を女装させようとしてるの」
「……着てくださると思うのか。しかもタダで」
「料金払えば着てくれるみたいな言い方しないで! もう私馬車に乗る、しばらく一人にして」
ばこん、と音を立てて扉を閉めると、セラは座席に突っ伏した。ユリシーズが女装していたこと、しかも完全な美少女だったという事実を知り、セラはほんの少しだけ打ちひしがれた。そういえば小さな頃は妖精の取替えっ子のようだったと言うし、可愛くても何の不思議もない。彼らのいう伝統が何なのか、何となく想像できてきた。安易に請け負ってしまって失敗だったかも知れない。
馬車の外では二人の「お前のせいだ」と互いを罵りあう声がする。まわりの黒騎士の「やめてくださいよ、朝っぱらから」とか「アンタら、デイムを怒らせて何やってるんですか」とか、宥める気なさげな声も聞こえてくる。しばらくすると、ゴンゴンと馬車の扉が叩かれた。
「セラ、馬車を出すぞ。あと、俺は金貰ってもドレスなんか着ないから」
「ホント?」
そっと馬車の窓から顔を出すと、黒い騎士服を着たユリシーズがいた。後ろにはアルノー達の姿も見える。すでに話し合いは終わって出立の時刻になったのだろう。
「うん。セラのお願いは何でも聞いてやりたいけど、それは無理。今日の予定だけど、本隊だけ先行して、今日中にトラウゼンに向かうことになった。丸一日馬車だけど、大丈夫か?」
「大丈夫。今からだと、どのくらいで着くの?」
「夜中だ。日付が変わる前には着くと思う」
「本当に丸一日なのね。ユーリ達のほうこそ大丈夫?」
「こんなの慣れっこだ。徹夜で行軍するより全然楽だよ」
先に行け、というユリシーズの指示で、セラを乗せた馬車が走り出した。御者は従騎士らしき少年で、団長直々からの命ともあって、やる気十分という顔で御者台に座っている。それを窓から微笑ましく見て、セラはクッションを整えて座席にかけ直した。窓の外は上がりきった陽の光がさんさんと降り注いでいる。窓の外からいくつもの蹄鉄の音が聞こえてきて、セラはちょっとだけ顔を出した。数十頭の騎馬が砂埃を上げて駆けてくるのが見えた。先頭にいるユリシーズの亜麻色の髪が、陽の光を弾いていた。
馬車のすぐ脇を二頭の騎馬がすり抜け、馬車の前を守るように並んで駆け始めた。速度を落としたユリシーズの騎馬が併走するようにやってきたので、セラは嬉しそうな笑顔を浮かべて馬車の窓に近寄った。
「あっという間に追いついたわね」
「前の二人が先導する。何かあったら御者に言ってくれ。おいカイン、頼んだぞ」
「はい、団長。おまかせください!」
「よろしくね、カイン」
「はい、セラフィナ様!」
一路、トラウゼンへ。いよいよユリシーズの故郷かと思うと、はちきれそうな期待と少しの不安で胸がいっぱいになる。これからの自分がしようとしていることを考えると、時々重さに心が折れそうになるけれど、大好きな人のために。ユリシーズと一緒に幸せになるために、できることをしよう。馬車でクッションに埋もれながら、一人決意を新たにした。




