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乙女は獅子に恋をする  作者: 龍田環
西方大陸編
31/111

6. 進軍

 ユリシーズは側近達の顔を見渡し、淡々と事実だけを告げた。


「退けたはずの西部方面軍が、また進軍を開始した」


「今回は結構頑張るね。近隣の町や村に、避難指示を出したほうがいい?」


 肩をすくめながら答えるアルノーに、ため息をつきながら首肯した。


「それなんだが。フーゴ、報告を」


「俺達が集めた情報だと、帝国軍は竜が出た、ってあたりに軍を分けて進軍中だ。西方大陸に竜はいない。いないって話なのに、セラフィナ様の話じゃ、黒い竜が確実に西方にいる。人工亜生物に飽きてる帝国軍は、本物の竜を手に入れたいんだろう。各地に駐留中の友軍に目もくれず、ハーファー平野に進軍中。到達予想は明日の朝頃」


「奴らの目的は”竜”だ。目的を遂げさせてやれば、大人しく退くだろう。俺達がここにいて刺激しないほうがいい。撤収時間を早めるぞ。それから団を二つにわけて、本隊はそのままトラウゼンへ。分隊は周辺地域の警護にまわす。全員に伝えて、撤収準備を急がせろ」


「了解」


 アルノー達は身を翻して天幕から飛び出していった。フーゴから受け取った報告書の束をパラパラめくりながら、リオンは自分が率いる遊撃隊への指示を出した。


「ユーリ様、フーゴの隊と入れ替えて、別の斥候隊を出すよ。フーゴ、各班長に通達。遊撃隊全員で周辺の警戒に当たれ。報告は常時上げろ」


「了解、隊長」


 仲間と一緒に足早に出て行くフーゴを見送り、フレデリクは地図を眺めて考え込んでいるユリシーズに話しかけた。


「面倒なことになりましたね、ユリシーズ様」


「ああ。セラは着いて早々に移動でかわいそうだけど、馬車で寝てりゃ多少は休めるだろ」


「確かに慣れないレディには、少し辛いかもしれませんね」


「フレデリクはあいつのことお姫様扱いしてるけど、ああ見えて腹が据わってるから頑張ってくれるよ。俺、アーネストと打ち合わせてくる。行こう、リオン」


 ユリシーズはリオンを連れて、ダズリング侯爵軍の陣地へとやってきた。私兵達はみな礼儀正しく、ユリシーズに敬礼をして道を開けていく。開いた先で、アーネストの副官が、キョロキョロと誰かを探しているところに行き会った。


「どうした、カール。誰を探している?」


「これはレーヴェ卿! アーネスト様とお会いになりませんでしたか?」


「いや。俺はアーネストに話があって来たんだが」


「実は先ほどアーネスト様が、レーヴェ卿に西部方面軍の件でお話がと、そちらの天幕に」


「何だと!」


「ユーリ様、戻ろう。カール、うちの天幕に来てくれるかな。フレデリクに詳しい話を聞いて。撤退が早まったから」


「しょ、承知しました」


 ユリシーズは踵を返して、自分の天幕へと駆け出した。リオンもぶつくさと文句をたれつつ、その後について走り出した。


「面倒くさい坊ちゃんだなぁ。大人しくしてりゃいいのに」


「だよな。何で俺が、駐留地の端から端まで走らなきゃいけないんだよ」


「お互いに”休んでる時は奴の顔を見たくない”って、自分の天幕を端っこに立てるからでしょうが」


「アーネストのクソッタレ」


 切れ上がり気味の瞳を険しくして、ユリシーズは悪態をついた。自軍の陣地に戻ってくると、一直線に最奥にある自分の天幕へ向かう。団長と側役が猛然と走りこんでくる様子に、黒騎士達は慌てて道を開けた。


「今戻った! アーネストはいるか!」


 ばっさぁ! と、突然入り口の垂れ布が捲くられて、セラは驚きのあまり叫んだ。


「きゃっ!」


 セラが驚いた拍子に上げた腕が当たり、ばさばさばさ、と木箱から本が崩れ落ちた。


「もー! びっくりさせないで」


「あ、悪い」


「ユーリ様、気持ちはわかるけど落ち着きなよー」


「アーネスト様なら、さっき来たわよ。いないって言ったら出直すって」


「また入れ違いかよ、勘弁してくれ」


 息を乱しつつ、ユリシーズはその場にがっくり、と膝をついた。


「ひ、引き止めたほうがよかった? ごめんね」


「いや、しなくっていいよ。奴はセラのことを気にしてたからな」


「え?」


「いろんな意味で、セラに接触したがってたんだよ。俺のセラに、何しようってんだ」


「お、俺の」


 瞬時に顔を真っ赤に染めたセラを見て、ぎりぎりと歯噛みするユリシーズを見て、オルガはフッと笑った。非常にわかりやすい性格をした、お似合いの二人だ。


「オルガちゃん、フィニは?」


 リオンはやや怯えた目をしながら、天幕の中をぐるりと見回した。行方不明事件解決に一役買った、フィニという名の女装の男がいた、と精霊騎士の間で噂になったせいで、十数年ぶりの再会だというのに弓を向けられたのだ。折り悪く任務で精霊殿をあけていたせいで”フィニはファンニの変装だった””実は男なのでは?”という疑惑が生まれ、それを打ち消すために「違います。人違いです」と、言いまわる羽目になったらしい。あんなに怒られるなら、別の名前にすればよかったと、心底後悔した。


「いま、アキムさんを呼びに行ってもらってる」


「いい判断だ。セラ、奴に何か言われたか?」


「ううん、何にも。ね、そんなに慌ててどうしたの? 何かあったの?」


 不安そうな顔をしているセラに、本当のことを言うべきか迷った。竜のことを話せば、セラのことだ。絶対に気に病む。とりあえず竜の事は伏せて、予定が変わったことだけを伝えた。


「ちょっと予定が変わって、出発が夜明け前になった。起きられるか? 寝てたら毛布で巻いて運搬することになるが」


「運搬とか言うの、やめていただけませんこと。起きられるわよ。侍女やってた時は、朝のお勤めもあったんだから」


「なら問題ないな。悪いけど、俺の荷物をそこの箱に適当に詰めといてくれる? そうしてもらえると、すごく助かる」


「お片づけなら任せて! 忘れ物しないようにするわね」


 長年の侍女生活が身に染み付いているせいか、皆が働いているそばで何もせずにいることが苦痛だったので、セラはぱっと笑顔になった。何よりもユリシーズの手伝いができることが嬉しかった。そんなセラの様子に、ユリシーズも表情を和らげた。


「頼んだ。あ、そこの菓子、食べていいから」


「俺にはくれないのに……」


「勝手に食っておきながら、みみっちいことを言うな。行くぞ」


 慌しく去っていったユリシーズ達を見送って、セラはワンピースの袖を捲くった。


「さ、やるわよ!」




 侍女時代に培った侍女スキルが如何なく発揮され、ものの数分で天幕の中はすっきりと片付いた。てっきり、本や身の回りのものばかりだと思っていたセラは、続々と出てくる武具の数々に完全に引いた顔になった。


「また短剣……何本持ってきてるの、あの人ったら」


「そりゃ、長期間、鍛冶屋も砥ぎ屋も、何にもない所で戦うんだから、予備は必要でしょう」


「そうだけど。三十本もいらないと思うの。補給隊が別にいるんだから。この木箱、武器しか入っていないのよ。殺伐箱よ」


 ぱちん、と鞘の音を立てて短剣を鞘におさめ直し、セラは最後の一本を木箱にしまった。部屋の中はすっきりと片付いて、いつでも出発できる。殺伐箱を見ながら、ふと思ったことを口にした。


「さっきのユーリ、何だかピリピリしたね。嫌なことでもあったのかしら」


「予定が早まったことと関係あるんじゃない?」


「話してくれるといいんだけどな。そりゃ、私は騎士じゃないし、こっちの事情にも疎いけども。話を聞くことくらいならできると思うの」


 所在無さげに敷き布の上に座って待っていると、ファンニがアキムを伴って戻ってきた。アキムは部屋のなかをさっと見回して、腕まくりをしたままのセラを見て微笑んだ。


「もしかして、セラちゃんが片付けてくれたんですか? どうもありがとう」


「お片づけは得意なの。ほかにも、何かすることはあるかしら?」


「いいえ。十分ですよ」


「ファンニ、トゥーリ様達はどうしてるの?」


 オルガが訊ねると、ファンニは目元を和らげながら淡々と答えた。


「撤収準備を手伝っています。我々は荷解きもしていないので、特にすることもないですし」


「やっぱり皆忙しいのね。落ち着かないわ」


 まわりは騎士達がバタバタと走り回る音や、バサバサと天幕を崩す音で騒々しかった。こっそりと入り口の垂れ幕から覗くと、少し離れた場所で、深緑の長衣を纏ったアーネストらしき青年と、ユリシーズが何やら話し合っているのが見えた。


「そういえばアーネスト様って、どんな人なのかしら。さっきチラッと会ったけど、よくわからなかったわ」


「実直で温厚な方ですよ。クレヴァ様の覚えもめでたい若手有望株、といったところでしょうか」


「わかるわ。そんな感じよね。ユーリと同じ年くらいに見えるけど、もしかして士官学校が一緒だったりするの?」


「同い年で同学年でしたよ。性格が正反対だったのもあって、常に張り合っていましたね。武術科目の首位はユーリ様の独走状態だったので、余計に」


「すごいわ、首位だなんて。頑張り屋さんなのね」


 尊敬の眼差しで、垂れ幕の隙間からじっとユリシーズを見ていると、セラの視線に気づいたようにこちらを振り返った。しっし、と子犬を追っ払うかのような仕草をして、まるで「顔を出すな」とでも言っているようだった。後で怒られるのもイヤなので、大人しく顔を引っ込めた。


「顔を出すな、だって。アキムさん、士官学校ってどこにあるの?」


「エーラース領です。クレヴァ様が十五年程前にお創りなられた学校で、毎年志願者殺到なんですよ」


「女の子も入れるの?」


「いいえ。男子のみです。学校とは名ばかりの、いわば軍人養成施設ですから。それはそれはきつくて厳しいんですよ」


「むつけき男だらけの楽園か。考えるだけで暑苦しいね」


 オルガがうんざりしたように言うので、セラとファンニは噴き出した。女官養成学校は、その名のとおり女官を養成する機関。学生は女子のみだ。それなりに良い所のお嬢さんが多かったので、校風はのんびりとして、いたって穏やかだった。一緒に学んだ仲間達の顔を、少しだけ懐かしく思い出した。




 日が暮れると、あちこちで火が焚かれた。『黒き有翼獅子の騎士団(グライフ・オルデン)』の陣では、団長の私用の天幕と、仮眠用の大きな天幕が二つほど残され、黒騎士達は適当な場所に散らばって寛いでいた。夏の初めだから、天幕がなくてもさほど不都合はないようだ。


「ちょっとだけ、ちょっとだけ。雰囲気が味わいたいの。私は騎士じゃないから、遠征に加わるなんて二度とないかも知れないのよ」


「だーめ。大人しくしてて」


「ごはんは? お手洗いは?」


「少し離れた所に、いい感じの岩陰を見つけたから。行きたかったら言って」


「ファンニとオルガだけ、交代で外に出て不公平だわ。私だって自分の立場はわかってるけど。ちょっとくらい、外にでたいよー」


 敷き布の上に座ったまま足をバタバタさせていると、後ろで低く笑う声がした。肩越しに振り返ると、ばさりと入り口の垂れ幕を持ち上げて入ってきたユリシーズと目が合った。


「そう言う頃だと思ったから、迎えに来た」


「ユーリ!」


「ちょっと連れてくぞ。オルガも夕飯できてるから食って来いよ」


「わかった。その駄々っ子の面倒、よろしくね」


「まかせろ」


 三人で天幕を出ると、オルガは皆の所へと歩いていった。セラはユリシーズに連れられて、少し離れた場所にある木のそばへとやって来ると、ユリシーズから小さな布包みと水筒を手渡された。包みはまだ暖かく、何やら香ばしい良い匂いがする。期待に満ちた目で、天幕から持ち出した敷き布を地面に広げるユリシーズの背中を見つめた。


「ユーリは、もう夕ご飯食べたの?」


「一緒に食おうと思って持ってきた。野戦料理だから、味は期待するなよ」


「作ってるところ、見たかったのに」


「……材料を切って、塩と香辛料ぶっかけて、焼くだけだぞ。何を期待してるんだよ」


「もしかして、ユーリってごはん作れるの?」


「作れる。自活できるように色々叩き込まれたからな。ほら、座れ」


「うん!」


 ユリシーズの背中越しに陣の方を見ると、何人かと目が合い会釈されたので、手を振っておいた。紙包みを開くと、肉や野菜がたくさん挟まった、平べったい無発酵のパンが出てきた。


「あ、これ、北方大陸でユーリとリオンさんが食べてたわね。また報告書に書いたの?」


「またとか言うな。元々、こっちの料理だよ」


「西方料理だったんだ。この平べったいパン、珍しいわよね。酵母が入ってないのにモチモチしてるし」


 パンの端っこをふにふにとつまみながら、セラは不思議な感触に感心しきりだった。北方大陸のパンで、無発酵のものは黒パンしかない。白くてもちっとした生地が目新しかった。


「ん。お茶」


「ありがと。ユーリって結構マメなのね」


「結構?」


 ぴくりと眉を顰めたユリシーズに、セラはこくん、と首を傾げた。


「かなり?」


「何で疑問形なんだよ。かなりだよ。合ってるから」


 しばらく、黙々と食べ進む。セラが食べ終わる頃、ユリシーズはお茶のコップを傾けてぼんやりとしていた。目線の先には、賑やかに夕食を楽しむ黒騎士達がいる。また何人かと目があったが、隣にいるユリシーズの無言の圧力に屈して、あちら側が会釈をして顔を反らした。


「新しいデイムが来たから、気になってしょうがないんだな。どいつもこいつも」


「デイム?」


「高位の女騎士のことだけど、西方大陸だと団員が忠誠を捧げる象徴になるな。うちの場合は団長の奥方がそれだ。母上が亡くなって十四年もデイム不在だったからな。セラのおかげで全員の士気が上がってるよ」


「私の騎士様のお役に立てているのなら嬉しいわ」


 セラが満面の笑みでそう言うと、ユリシースは左手で口元を覆いながら俯いてしまった。焚き火に照らされた耳が赤かったので、どうやら照れているらしい。セラは心の中で感嘆の声をあげた。


「まぁ、照れていらっしゃるの? かわいらしいわ」


「俺で遊ぶな」


 照れた顔も、眉を顰めた顔も好きだったが、ふとしたときに見せてくれる、今の優しい顔が一番好きだった。だが、その顔はふっと真顔に戻った。少し離れた場所に真面目な顔をしたリオンと、背の高い黒髪の青年が立っていて、セラにも何かが起きたのだとわかった。


「呼ばれたから行って来る。悪いなバタバタしてて」


「気にしないで。お役目のほうが大事でしょ」


 セラは敷き布から腰を上げて、空いたコップをさっと布で包んだ。その間にばさばさと敷き布から草を払って、ユリシーズが手早く畳む。その様子に、やってきたリオンは暢気そうな顔でへらりと笑った。


「何と言うか、息ぴったりだね」


「ちょうどよかった。リオン、セラを連れて戻ってて」


「りょーかい。行こ、セラちゃん」


 アーネストらしき黒髪の青年が、チラリとセラを見て、ユリシーズを先導するように歩き始めた。二人の何やら深刻そうな様子が、セラの不安をあおった。


「リオンさん、何かあったの?」 


 目の前を歩く背中に問うと、緊張感のかけらもない顔が振り返った。


「教えてあげたいけど、口止めされてるんだ。ごめんね」


「お願い、ちょっとでいいから教えて。気になって眠れないわ」


「女の子のお願いはできるだけ叶えてあげたいけど、それはちょっとムリだなぁ」


「お嬢、隊長をあんまり困らせないであげてよ。俺が答えられる範囲でなら話せるから」


 さくさくと草を踏む音がして、薄闇色の動きやすそうな格好をしたフーゴが姿を現した。遊撃部隊の斥候、と言っていたから、今の状況を一番良く知っているはずだ。セラは単刀直入に訊ねることにした。


「出発が早まったのって、もしかして帝国軍が関係しているの?」


「一部の部隊が進軍中だから、戦いを避けるために陣を早めに引き上げることにしたんだよ。このあたりはたくさん街道があるから、戦場になると各地の交易路が封鎖される。そうなると南西部への物流が止まって不便だからね。無用な戦闘を避ければ、この辺りの住人達が不利益を被ることも減る。物資供給も引き続き滞りなく行われる。ユーリは戦略家として、利を取ったんだ。アーネストは違うみたいだけど」


「アーネスト坊ちゃんは強硬派の一人だからね。武で押し返すことを是とする困った子達なんだ。亜生物を見つけ次第ぶっ殺す、過激な人達だから気をつけてね」


「わかったわ。気をつける」


「アーネストの言わんとすることもわからなくないけどね。二ヶ月くらい前から、亜生物と帝国軍が進軍した辺りで大勢の人達が消えて、変な生き物がいっぱい出没するようになったから。交戦して殲滅するのも手と言えば手だし」


「何それ……いなくなった人達を何かの実験台にしてる、ってこと?」


「フーゴ。余計な事を言うんじゃない」


「申し訳ありません」


「セラちゃんも不安になるくらいなら聞かないこと。あえてユーリ様が話さないのも、そのあたりが理由だから。いいね?」


「はい……」


 声の調子はいつもと同じだったが、叱られたような気がしてしゅんとなった。そして本当にユリシーズはセラのことをよく見ている、とも思った。気になることを聞いて不安になるぐらいなら、最初から聞かないほうがいい。リオンに連れられておとなしく天幕へと戻ると、オルガとファンニが優しく出迎えてくれたが、気分はなかなか浮上しなかった。足早に本陣への天幕と戻っていく二人を見送り、セラは遣る瀬無さげにため息をついた。




 夜明け前の出発と聞いていたので、セラは毛布に包まって早々に横になった。途中、そっと揺す振られて、ふにゃふにゃと答えた気もする。そして髪を優しく梳く感触が、たまらなく気持ち良かった。夢うつつに、そろそろ起きなければと思い出し、徐々に意識が覚醒していく。何だか固い枕の感触と、ガラガラと響く車輪の音に、セラは自分の状況がよくわからずに、ぼんやりと瞳を開けた。


「まくら……かたい……」


「悪かったな、寝心地の悪い枕で」


「!」


 すぐ真上でユリシーズの声がして、セラはばちっと瞳を開けた。そっと顔を傾けると、ユリシーズのお腹あたりが見えた。頭が何の上に乗っているのかを確かめて、セラは座席から転がり落ちそうになった。


「ひざっ、膝枕? なんで?」


「起こしても起きなかった上に、馬車まで運んできた俺の上着をがっちり掴んで離さなかったからだ」


「ひぇぇぇ」


「おかげでセラの寝顔を堪能できたけど」


「す、すけっ」


「俺の太ももを撫で回すほうが、よっぽど助平だろ」


「撫で回すぅ?!」


「セラにあんなことされて、俺は恥ずかしさで震えたね。もうお婿にいけないって」


「し、してない、そんなことしてないっ」


 がばっと起き上がった拍子に、ユリシーズの太ももに手をついた。セラは「しまった」という顔で、チラリとユリシーズの様子を伺った。左手で口を押さえて噴出すのを堪えている姿に、思わず半目になった。


「我慢しないで笑ったら」


 爆笑するユリシーズが落ち着く頃。馬車が止まったので、セラは窓から外を覗いた。立派な門と、ぐるりと町を囲うように建つ城砦が見えた。門前に立つ兵士が、フレデリクと何やら話している。


「俺はこれから町長に挨拶してくる。町はずれに解放軍が建てた施設があるんだ。セラはそっちで休んでてくれ」


「ん」


 頷くセラの頬に軽くキスをして、ユリシーズは長剣を片手に降りて行った。すぐに馬車が動き出して、セラは窓から外の様子を見ることにした。城砦は堅固で、軽く大人の男三人分以上の高さがある。亜生物の侵入を阻むために作られたにしては、やけに頑丈なのが気になった。まるで篭城戦に備えるような設えだった。


「お疲れ様でした、セラちゃん。着きましたよ」


「ありがとう」


 アキムの手を借りて地面に降り立つと、目の前に重厚な樫の木で作られた三つの棟が建っていた。掲げられている旗はフィア・シリス王家の紋章『竪琴を持つ乙女』だ。支援者として女王陛下がいると思うと心強かった。


「二階の奥の部屋を使ってくださいね。昨日先触れを出しておいたので、すぐ使えるようになっているはずですから」


「はい」


 バタバタと忙しそうなアキムを見送り、セラはトゥーリ達が馬を預けているのをぼんやりと眺めた。『黒き有翼獅子の騎士団(グライフ・オルデン)』の紋章が扉に彫られた馬車が、厩舎へと引かれて行く。まわりの黒騎士達の慌しい様子に、セラは邪魔にならないように棟の入り口へ移動した。

 振り返った先には、見渡す限り広大な草原があった。地図で見た限りでは、すでにトラウゼン領に入っている。二ヶ月前は西方大陸に来ることも、ずっと一緒にいたいと思えるほど好きな人に出会うことも、想像すらしたことがなかった。両親は西方大陸出身だから、セラにとってもここが故郷なのだろうが、生まれて初めて来たのでそれほど「帰ってきた」という感慨はない。愛するユリシーズの故郷にとうとうやって来た、という気持ちのほうが大きかった。


 これから、この場所で何をしていくべきなのか。セラは少しずつ「やるべきこと」が形になっていくのを感じながら、朝日に輝く緑を見つめていた。





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