3. 精霊の貴石
心細そうな顔をしたセラが扉を閉めた後。ユリシーズは玄関の正面にある階段を一段飛ばしで駆け上がった。相棒はこういう修羅場に慣れているが、人質のルズベリーの姫は、こんなに辛い目にあったのは生まれて初めてだろう。早く親元に返してあげたかった。
それに相棒が途中で消えたおかげで、ルズベリー周辺でずいぶんと時間を浪費した。伝書に使っている小鷹のレーレで報告もいれていないから、そろそろ痺れを切らして催促がくるかもしれない。そうなると少々面倒くさいことになるので、早いところ片付けてしまう必要があった。
人質になっている姫の父、ルズベリー領主はさほど裕福ではないが、西方大陸との玄関口になる港を所有している。反王国派は他大陸へつながる航路を持つ拠点を欲しがっているようで、あちこちでこのような揉め事を起こしていた。だが、ルズベリー領主はガルデニア王に忠誠を誓う真っ当な人物で、怪しい誘いに乗ることはなかった。愛娘を拉致してまで何としても取り込みたい相手だったのだろうが、別件で偶然ルズベリーに立ち寄っていたユリシーズ達がいたことで、拉致した人質があっさり奪還されようとしているのだから、あちら側は踏んだり蹴ったりだろう。イプスターの領主がボロを出してくれたおかげで、反王国派を探れといわれていたこちらとしては、楽ができて非常に助かった。
ただ、反王国派を調べているときに、一つ気になることがあった。今回のルズベリーの姫は政情がらみの拉致だったが、人の流れが多い大きめの街、あちこちから人が集まる港町で、若い女性が行方不明になる事件が多発しているのだ。大きな街や港がある町は人が流動的に動いているから、人が一人消えたところで目立つこともなく、行方もわかり難い。ガルデニア軍が動いているのに詳細が掴めないのだから、法や軍の目を掻い潜る権力を持つ組織か、どこかの国が絡んでいる可能性が高い。西方大陸から若い女性を拉致して、連れて行く先をあげろと言われたら、ユリシーズのなかでは西方大陸のウィグリド帝国が最有力候補だ。何となく、何をしているのかは見当はついているが、はっきりとした確証はまだなかった。
二十年ほど前から閉鎖的な軍事国家として西方大陸に戦乱を招いているウィグリド帝国は、禁忌の古代技術『錬金術』を利用するとんでもない国だ。慰み者にするのでも、娼館に売り飛ばすのでもないなら、何かの術の実験台に使っているに違いない。地下にあった若い女性らしき遺体が、その何よりの証拠だ。下腹部にあった内側から爆ぜたような傷は、一体何をすればそうなるのだろう。同じ女性のセラには見せられないぐらい、本当にかわいそうな姿だった。
確か「姫は二階奥の部屋」だと言っていた。廊下の突き当たりの扉の隙間から、ぼんやりと橙色の明かりが見える。ユリシーズは息を整えると、手前にある扉の取っ手に手をかけた。その瞬間、後ろから肩を叩かれた。振り向くとフィニが真後ろにいて、手信号で「待て」と示してから、奥の扉を人差し指で指した。見張りを無力化させずに、いきなり奥の部屋に突入するつもりらしい。
扉の前に来ると、フィニが扉の取っ手を音もなく回して、鍵のかかっていないことを確認してから、二人は左右に別れて壁に添って立った。フィニが服の帯に差していた木目調の波紋のあるククリを抜き放ち、顔の横で拳を握った後に開いて、ユリシーズに向かって一本ずつ指を折っていく。五を数えた後に突入するのだ。ユリシーズも扉の取っ手に手をかけると、フィニに向かって一つ頷いた。
「なっ、何だ!!」
ユリシーズが開け放った扉から、部屋に飛び込んだフィニは、扉のすぐ手前にいた軍服姿の男を上段蹴りで吹っ飛ばして、部屋の隅にいたルズベリーの姫の元に駆け寄った。フィニに続いて突入したユリシーズも、扉のすぐ側にいた黒装束の男二人に切りかかった。正面の相手の剣を受けながら、腰のもう一振りを右手で素早く抜き放ち、右側から切りかかってくる男の斬撃を弾く。切りかかってきた男の膝に蹴りをいれて転ばせると、右の手首を素早く返して、ソードブレイカーでつばぜり合いをしていた相手の剣を折った。
「貴様ら! 一体何者だ!」
無言のまま黒装束の男達と切り結ぶユリシーズと、人質の縄をあっさり解いて連れて逃げようとする閉じ込めておいたはずの娘に、大柄な騎士は激昂して怒鳴りつけた。
「うるさいなぁ」
ため息をつきながら冷たく言い放ったフィニに、大柄な騎士は短剣を投げつけた。フィニは右手に持ったククリでそれをあっさり弾いて、宙に浮いた短剣を左手で無造作に掴むと、ユリシーズを後から襲おうとしていた軍服姿の男に向かって投げつけた。短剣は男の背中に鈍い音を立てて柄までめり込み、男はそのままばったりと床に倒れ臥す。騒ぎを聞きつけて、さっきユリシーズが開けようとしていた扉から、軍服姿の男が二人飛び出してくるのが見えた。
「ズラかるぞ!」
ユリシーズはフィニに向かって叫ぶと、床に落ちていた折れた剣を拾い上げて、大柄な騎士に向かって投げつけた。避け切れなかった男の肩を剣が掠めて、壁に突き刺さる。びぃぃん、と壁に垂直に突き立つ剣を見て、ユリシーズを怒りに満ちた目で睨みつけると、大柄な騎士は懐から小瓶を取り出してそれを呷った。
「筋力が倍増する薬だとよ、貴様らの首をへしおってやる」
ユリシーズは二人の黒装束の男を切り伏せて、窓のところにいるフィニと人質の姫の傍に駆け寄った。ククリを構えたフィニが二人の前にスッと立ち、手信号で「外へ」とユリシーズにだけわかる合図で指示を出した。
「なら、手加減しなくてもいいよね」
「俺をなめるんじゃねぇぞ! があああああ!」
歪に膨れ上がる身体に苦しむ大柄な騎士が、獣のような咆哮をあげた。それを合図に壁を蹴って三角跳びしたフィニが、振り向きざまに後ろ回し蹴りを放った。ユリシーズはフィニの作ってくれた隙をついて、人質の姫を横抱きにすると、開け放った窓から飛び降りた。
セラは廃屋から少し離れたところから、こっそり様子を見ていた。しばらくすると二階のほうから、中で数人が争うような気配がし始めた。逃げたほうが良いかとオロオロしていると、二階の窓からパルヴィを横抱きにしたユリシーズが飛び降りてきた。危なげなく着地すると、セラを見とめて一瞬驚いた表情を浮かべ、パルヴィの背中をこちらに押しやった。
「危ないから、早く離れろ!」
そうユリシーズがセラに向かって言うが否や、二階の窓が派手に割れて中から誰かが飛び出してきた。長いスカートが翻り、人影が空中で身体を捻って身軽に着地した。フィニだった。
「フィニ!」
「早く逃げて!」
こちらを振り返って叫んだ声は確かにフィニだったが、何だかさっきよりも低いような気がした。
「パルヴィ! こっちへ!」
泣きながらセラのほうに駆け寄ってきたパルヴィの手を引いて、急いでユリシーズの馬のところまで走った。肩越しに振り返ると、窓からさっきの柄の悪い騎士が飛び降りたのが見えた。なんだか一回り以上大きく見えたのは、気のせいだろうか。さらに続けて軍服姿の男が二人飛び降りた。これで三対二だ。二人とも傭兵としては細身なほうだし、武器も間合いの短いものを使っている。セラの目には二人が少し不利のように思えた。
背中合わせになって、ユリシーズとフィニはそれぞれ小剣と短剣を構えていた。ユリシーズは黒い外套を脱ぎ捨て、フィニは着ていた服をビリッと破いて脱ぎ捨てた。服の下には袖のない黒い服と、細身の黒いズボンを身に着けていた。なぜ変装する必要が? とセラは思ったが、パルヴィに痛いくらいにしがみつかれて思考が中断された。
「もういや怖い、怖い……!」
「パルヴィ、もう大丈夫、大丈夫だから」
「あの、あの男の人、変な薬を飲んでっ!」
「薬?」
「私、怖い! セラ……!」
ぎゅうっとしがみつくパルヴィの震える背中を擦りながら、激しい剣戟の響く廃屋のほうを見ると、ユリシーズが一人で二人の黒装束と戦っていた。フィニは時々ユリシーズの援護をしながら、体術のみで大柄な騎士をあしらっている。動きが早すぎてよくわからないが、フィニの短剣が振られるたびに黒っぽいものが飛び散った。その度に男が唸り声をあげるのだが、もはや獣の咆哮にしか聞こえない。それに気のせいじゃなく、本当にあの騎士が一回り以上大きくなっていた。背丈が二階に届くぐらいになっている。
あれではまるで亜生物だ。混沌の精霊に呪われた生き物の成れの果て。人でも獣でもない、哀れな存在にそっくりだ。もし本当に亜生物になったのだとしたら、普通の武器の攻撃は、ほとんど通じない。精霊に呪われた身は、精霊でしか祓えない。精霊使いや神官兵が使う精霊魔術が一番有効だが、もちろんセラは使えないし、白兵戦で真っ向から挑んでいる二人も使えないはずだ。精霊魔術がダメなら、火薬を用いるか、精霊の祝福を得た武器が必要になる。決定打のない今のままでは、いずれジリ貧で二人が危ない。焦るセラの目に、ユリシーズの馬の鞍に括りつけられていた鞄が目に入った。
「私の鞄!」
ありがたいことに、ユリシーズが鞄を回収してくれていた。馬に優しく声をかけながら、固く結ばれた革帯をはずして鞄をおろした。早足で駆けたせいで中身はひっちゃかめっちゃかだったが、お使い物の『西方のどなたかがご所望の古文書』は無事だった。鞄の隠しにいれておいた小さな巾着は、セラがお世話になっている先生からもらった、大切な『お守り』だ。
守り袋の中に入っている『精霊の貴石』は、精霊騎士団の術者集団が長年かけて開発している精霊の力を込めたもので、爆弾のように投げつけてもよし、武具に取り付けて精霊魔術の付加をつけるもよしの万能型の魔法の道具だ。誰にでも使えてしまう代物なので、セラ自身の命が危なくなったときに使うこと、ときつく言われていた。そんなことを言われても、助けてくれた人の命には変えられない。お咎めを受けて騎士団追放になったとしても、そのときはそのときだ。
「パルヴィ、絶対にここを動いたらダメだからね!」
ガクガクと頷くパルヴィに鞄を預けて、セラは二人の近くまで走った。守り袋から出して握りこむと貴石が仄かに光りだし、冷たく滑らかな表面がほんのりと温まっていく。本当に霊力がなくても、精霊と契約していなくても『精霊の貴石』を媒介に、精霊魔術が扱えるのだろうか。先生から「人前で使うな」といわれた意味が、初めてわかった気がした。
ユリシーズは幅広の小剣と、峰がギザギザになった変わった短剣の双剣で、軍服姿の男とつばぜり合いの真っ最中だった。足元にはぴくりとも動かない軍服の男が倒れている。少し離れたところでは、フィニが変則的な動きで元騎士を翻弄していた。男の頭の上で逆立ちしてから弧を描くように膝蹴りを鳩尾に打ち込み、着地と同時に脛を短剣で切りつけて、背後に回りこんで太ももの側面を蹴る、といった多彩な蹴り技の応酬と鋭い斬撃を何度も繰り出している。どうみても、若い女の子が使う体術には見えない。
「ユリシーズさん! フィニ!」
セラの声に気がそがれた隙を見計らい、ユリシーズは素早く右手を返して、ソードブレイカーのぎざぎざの峰で軍服の男の剣を挟み込み、横になぎ払った。金属を強く打つような澄んだ音を響かせ、剣がへし折れる。左手の幅広の剣で殴るように切り伏せ、追い討ちに横腹を蹴りこんでから、こちらに駆けてくるセラの方へと走った。
「何してんだ! あっちいってろよ!」
「これ、これ使って! 亜生物には普通の武器が通じないから!」
「何だこれ、石?」
「精霊の力の塊みたいなものよ。剣に括りつければ、武器が精霊の祝福を得たのと同じになるはずなの」
「よくわからねーけど、そうすりゃ奴を倒せるんだな? 急いでやってくれ!」
握りをずらして持つと、セラに向かって差し出した。セラは貴石をスカーフに包むと握りと柄を覆うように巻いて、しっかり結んだ。
「できた!」
「危ないから下がってろ!」
もはや人間とは思えない咆哮を突然あげて、背後に回ろうとしていたフィニを一瞬で捕まえると、片足を掴んで地面に叩きつけた。背中側を強く打ち付けられた衝撃で、フィニが動かなくなった。ユリシーズは走りながら剣帯につけていた手裏剣を数本打って、狙いを自分に引きつける。目に当たった元騎士が狂ったような唸り声をあげながら、とうとう腕を使い大猿のように四つんばいになってユリシーズを追いかけ始めた。
雄叫びをあげて駆け回る姿は、もう人の理性が残っているように見えなかった。セラは恐怖にすくむ足で、仰向けに倒れたままのフィニに近づいた。こげ茶色の肩くらいの髪だったはずなのに、いつの間にか短い黒髪になっていた。どこからみても、セラと同じ年頃の女の子には見えない。やや小柄の少年だった。
「だ、大丈夫?」
「ユーリ、は」
フィニは軽く咳き込みながら薄目をあけ、しきりに瞬きをして焦点をあわそうとしていた。さっき地面に叩きつけられたときに頭を揺すられて、一瞬気を失っていたのだろう。
「あっちでまだ戦ってる」
「クソ……しくじった」
フィニは頭を押さえながら起き上がった。すぐそばに落ちていたククリを逆手に持つと、片膝立ちになって、目眩をこらえるように俯いた。セラは頭を揺すられてすぐ起き上がる人など見たことがなかったので、大いに焦った。
「動いたらダメよ、頭を打ってるのに」
「しょっちゅうだよ、こんなの。危ないから向こうへ」
少し震える指が、パルヴィのいるほうを指す。薄茶の目が拒否を許さない色をしてセラを見ていた。セラが仕方なく離れようと顔を上げたとき、ユリシーズが立ちあがった元騎士の腹の斜め下に両手で剣を突きたて、体を反転させながら上へ伸び上がるようにして切り裂いたところだった。本当なら切り裂いた瞬間に切り口から炎があがるはずだったが、何も起こらなかった。
「おい、どういうこった、切っても何にも起きないじゃねーか!」
腹から黒い何かを撒き散らして怒り狂う元騎士の追撃を、後退しながら避けていたユリシーズが焦ったように叫んだ。逃げながらも数度切りかかったが、煙すらたたない。
「ご、ごめん!」
「ユーリ! 離れろ!」
フィニは片膝を地につけた体勢のまま、革帯につけていた小さな袋からセラの人差し指ぐらいの筒状の物と携帯用火打石を取り出すと、筒の先端についていた導線に素早く火をつけた。ユリシーズは唸りをあげて跳んでくる拳を避け、大きく後ろに跳んだ。
「おい! デカブツ!」
フィニの声に反応して、咆哮を上げながら振り向いた元騎士の、獣のように大きく裂けた口めがけて、一直線に火のついた小さな筒が飛び込んでいく。元騎士が立ち止まり口に手をやった瞬間、小さな爆発が起きた。血しぶきとともに黒煙があがる。身の毛もよだつような絶叫をあげて、大猿の姿をした元騎士が地面に傾いでいった。
「ひ、ひぇぇぇ」
思わず小さな悲鳴がもれる。こんな恐ろしい光景をはじめて見たセラは、手が細かく震えるのをとめることができなかった。
「やったか?」
セラ達のところにユリシーズが駆け寄ってきた。
「どうだろ、ちっちゃい爆弾だからねぇ」
フィニは動かなくなった元騎士から目線を外さずに呟いた。顔面から煙を上げて倒れている姿は、完全に大猿そのもので、人のなごりなどどこにも見当たらなかった。
「お、おかしいなぁ。さっきまで光ってたのに」
セラはユリシーズの持つ剣に括りつけた貴石を見た。ほのかに赤い光を内包していたはずなのに、今はただの黒っぽい石になっている。
「本当だ、ただの石になってる」
「ちょっと、見せてもらってもいい?」
震える手でユリシーズから剣を受け取ろうとしたセラだったが、想像以上の重さに思わず取り落としそうになった。軽々と振るう姿を見ていたから、てっきり軽いのだろうと思っていたので驚いた。ゆうに大きなお砂糖の袋二つ分くらいありそうだ。
「危ないから、俺が持つよ」
セラの危なっかしさに少し顔を引きつらせながら、ユリシーズは柄がよく見えるように握りの下のほうを持った。セラは柄に手を当て「火の精霊さん、力を貸して」と念じてみた。途端にぽぉっと手の平が暖かくなる。
「光ってる」
ふらつきながらも立ち上がったフィニが、じっと柄を見ながら呟いた。
「これ、セラ専用なんじゃないのか」
ユリシーズに言われて、初めてその可能性に気づいたセラは思わず目を泳がせた。
「ったく、しょうがねーな」
ユリシーズは手早く柄から貴石とスカーフをはずすと、セラに手渡した。懐を探って、セラの手の平くらいの刃先の小さな短剣を取り出した。
「これ使え」
「あ、ありがとう」
渡された短剣はセラでも扱えそうな重さと長さだった。柄に貴石をくくりつけると、もう一度集中して念じてみた。貴石はスカーフ越しにより強く光を放ち始め、あたりがぼんやりと明るくなるほどになった。
「ちょっと、これ切ってみようか」
セラは地面に落ちていた枝を少しだけ切ってみた。すると、切り口からパチリと音がして細い煙があがった。
「おいおい。どういうこった」
「火打石、いらないんじゃない」
傭兵二人は驚いた表情を浮かべてセラを見た。セラも二人の顔をまじまじとみて、やや引きつった愛想笑いを浮かべた。
「べ、便利だよね」
グルルルル、という呻き声が聞こえて、ユリシーズとフィニは剣を構えた。一時的に動けなくしただけで、致命傷には至らなかったらしい。
「セラちゃん、ちょっと貸してね」
フィニはスッとセラの手から短剣を抜き取ると、こちらに向かって這い寄って来るものに素早く投擲した。闇夜にぼんやりと赤く輝く短剣は、狙いを過たず血にまみれた顔面の真ん中に命中した。
その瞬間、轟音とともに火柱が上がった。
火柱は廃屋と同じくらいの高さにまであがり、元騎士だった亜生物は、今度こそ断末魔の悲鳴を上げながら火に包まれていった。
「すげー」
「すごいもの持ち歩いてるね……」
「そ、そうみたいだね……」
呆然と火柱を見つめながら呟く二人に、セラは力なく笑うしかなかった。確かに先生のくれたお守りは人前で使うものじゃなかった。危なすぎる。こんなの間違って屋内で使ってしまったら、大変な事になる。帰ったら言おう。この貴石は威力が強すぎます、と。おまけに対象物が燃え尽きても消えない地獄の業火っぷりにはドン引きですと、帰ったら必ず言おうと、心に強く誓った。
パルヴィはドン引きどころか気絶寸前で、脅威が去った後にも関わらず、ユリシーズの馬に震えながらしがみついたままだった。
「大丈夫?パルヴィ?」
「え、ええ……」
カンテラと鞄を持ったまま、真っ青な顔をして震えながら立っているパルヴィにセラは駆け寄った。
「よかった。あの二人はルズベリーの領主様が手配してくれた傭兵らしいから、もう安心よ」
「フィニが、フィニが……」
「ちょっと怪我しちゃったから心配だよね」
「男の方だったなんて……」
「え?」
そこ?とセラは思った。確かに変装を解いたフィニは、近くで見たら完全に少年しか見えなかった。胸は真っ平らだったし、小柄で細く見えてもしっかり鍛えた身体をしていたように思う。
「二人とも怪我とかないよな?」
ユリシーズの声に振り返ると、足がまだふらついているフィニに肩を貸しながら、こちらにやってくるところだった。木に寄りかからせるようにフィニを座らせてから、セラ達にニッと笑いかける。
「こいつ、本当はリオンって名なんだ。もちろん男」
「え、私、てっきり」
「違うから。俺はセラちゃんが考えてるような種類の奴じゃないからね」
木に寄りかかってぐったりしているリオンが、間髪いれずに突っ込みをいれた。どうしてセラが「オカマなのかな?」と考えていたのがわかったのだろう。顔に出ていたのかと思って、両手で頬を包むと、すぐ横にいたユリシーズが一瞬吹き出してから咳き込んだ。肩がプルプル震えているので、笑っているのかもしれない。
「ねぇ、何でパルヴィちゃんガッカリした顔してるの?」
顔を上げたリオンは、馬のそばに座り込んだパルヴィをちらっと見て、セラに小さい声で尋ねた。
「リオンさんが男だったから」
セラの言葉にがっくりと頭を落とすリオンを見て、ユリシーズは不思議そうな声をあげた。
「どういうことだ?」
尋ねるその蒼い目が、好奇心に輝いているように見えるのは気のせいだろうか。セラはリオンを気の毒そうに見ながら、ユリシーズに耳打ちをした。
「あのね、世の中には女の子のほうが」
「セラちゃん、頼むから、余計なこと言わないで」
ぐったりと俯いたまま、リオンはセラに小さな声で懇願した。そんなリオンをチラっと見て、ニヤリと笑うとユリシーズはセラに向き直った。
「何だよ、気になるだろ」
「えっと、このくらいの乙女は夢見がちなのよ」
「夢見がちねぇ。俺はあそこでやることがあるから、リオンを頼む」
ユリシーズは呆れたような半目になってセラを見てから、鞍につけていた大き目のカンテラを手にすると、廃屋へと戻っていった。ルズベリーの私兵に引き渡すと言っていたから、中にまだいる黒装束達を手際よく縛りに行くのだろう。
「ところでリオンさん、怪我は大丈夫?」
「うん、休めば平気だから」
こちらを見るその瞳は、フィニのときと同じく優しい薄茶のままだ。変な感じがしないでもないが、何となく安心できる。気安い女友達といるような気がするのは、女装の影響かもしれない。左腕にぐるぐると厚手の布を巻いているのが気にはなったが、見たところ大きな怪我はなさそうで、セラはホッとした。
「ところでさ、さっきの大猿男と一緒にいた、暗い感じのおじさん、見たことある?」
「え、ううん。知らない」
「わ、私も知りません、見たことも」
「そっか……」
リオンは目を閉じると、大きく息をついた。
「とりあえず、今からパルヴィちゃんを、お父さんのところに送るね」
「ありがとうございます……!」
パルヴィは両手を祈るように組み合わせて、潤んだ瞳でリオンを見た。
「セラちゃんはどうする? また誘拐されたら大変だし一緒にくる? ちょっと遠回りになっていいなら、騎士団領まで送るよ」
「い、いいの? でも私、傭兵を雇えるほど持ち合わせがなくて」
「んー、そのへんはユーリに聞いてみて」
大丈夫だと思うけど、と人のよさそうな顔でリオンが笑った。セラもパルヴィもつられて笑顔になる。もうあんなに恐ろしい目に合うのはこりごりと、二人で顔を見合わせて笑った。
親切な不審者だなんて思ってごめんね、とセラは心の中で二人に謝りつつ、心から感謝した。ユリシーズが戻ってきたら、ちゃんと言おう。助けてくれてありがとう、と。