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乙女は獅子に恋をする  作者: 龍田環
西方大陸編
28/111

3. 再会

 セラ達一行は、想定外の事態に遭遇したものの、シュテートに予定の時刻より早く到着することができた。御者が竜に遭遇して気絶していたので、トゥーリが手綱を取ったのだが、御者が気絶しているのをいいことに飛ばし捲くったのだ。


「あの御者、しばらく馬車を降りるってさ。よほど怖かったんだね」


「そうでしょうね……いろんな意味で」


「トゥーリ様が停留所に止まらなかったから、きっと後から苦情がくると思う」


「うるさいよセラ。誰もいなかったんだから、別にいいだろう」


「よくない! トゥーリ様の、その何でもかんでも省略しちゃうクセ、どうにかしたほうがいいと思う!」


 トゥーリの言動に、セラはたまらず反論した。御者さんは何も悪くないのに、トゥーリが停留所をすっ飛ばしたせいで、乗合馬車の組合から後でお叱りを受けるのだ。初老の人の良さそうな御者さんのためにも、セラはあとで組合宛に「御者さんは悪くないです」という内容で

 、手紙を出そうと思った。


「合理的といってくれない?」


「何かっこいい風に言ってるんですか。単に面倒だっただけでしょう」


 淡々とした女性の声がして、そちらを振り返るとトゥーリの副官、ファンニがやってくるところだった。ファンニの後ろには、馬を預けた親衛隊の面々が、苦笑しながら立っていた。


「ファンニさん! もっと言ってやってください」


「副官殿、きつく言ってやってください。あれでは御者さんが気の毒すぎです」


 ファンニは淡い金髪を揺らしてセラとオルガに頷くと、無表情でトゥーリを見返しながら答えた。


「隊長が、私達の言うことを聞くとは思えません。馬に聖句を聞かせても理解できないのと同じように、お小言を聞かせても理解できないのでしょう」


「こら、笑ってはダメ」


 ころころ笑うセラに、オルガは「めっ」という顔をして嗜めた。


「ほんっとにうるさいよ、二人とも。ところで、ファンニ。君は何を持っているんだい?」


「書状です。先ほど伝書鳩が来ました。ヘルッタ殿からです」


 トゥーリはかったるそうに副官から書状を受け取ると、サッと目を通した。


「無事到着、女王陛下との謁見が終わったってさ。ユーリがわりと近くにいるらしいよ」


「えっ!」


「フィア・シリスと西方諸侯連合の国境付近に駐留中だって。フィア・シリスから撤退後、狩り残した亜生物を掃討しながら帰還してるんだろうね」


「頑張ってるみたいだな。火薬に頼るしかないってのを、教える前から知ってたし。若えのにたいしたもんだ」


「それはリオンの入れ知恵だよ。戦いながら相手の弱点を見抜くセンスはすごいね。なんか納得いかないけど」


「俺は認めてるぜ。俺のアバラを一撃で折る奴だからな」


 スヴェンの横顔を、セラは胡乱な瞳で見ながらボソッと呟いた。


「……リオンさんの見た目で子ども扱いして”俺のこと、舐めてるの?”って、ボキボキにされたんでしょ」


「笑いながら、スヴェンの胸を一発殴ってたのは見たよ。あれで折れたの? 酒ばかり飲まずに、小魚も摂りなよ」


 セラの横にいたトゥーリが、あきれ返ったように笑いながら追い討ちをかけた。


「……」


 黙り込んだスヴェンへ、ファンニがさらりとフォローにならないフォローを入れた。


「隊長もセラさんも、そのへんに。本当のことを改めて言われると……」


「本当だったの? あの、ごめんなさい、スヴェン様」


「セラ、謝るほうが傷口を抉ると思うよ。スヴェンの自業自得だけど」


 華やかな笑顔でそう言い放つオルガに、スヴェン隊は一瞬だけ引きつった。


「お、お嬢……きついっすよ、それ」


「スヴェン、生きてる? 立ち直れそう? 娼館いく?」


「余計なこと、言うんじゃねぇ。お嬢達が、ゴミを見るような目で、俺を見てるだろ……」


 スヴェン隊の面々は、セラとオルガ、ファンニの凍てつくような視線に気づくと、さりげなくその場から立ち去って行った。


「そこのゴミは放っておいて、僕らは今日の宿を探そう」


「はい」


「セラさん、あの伝書用の鷹を、もう一度呼んでみては? ユリシーズ様から現在地の返事が来るかも知れませんよ」


「うん、呼んでみる!」


 和気藹々とその場から立ち去るセラ達を見送り、スヴェンは仕方なさそうに笑って、ギルドのある裏通りへと歩き出した。西方大陸の情勢は日々変わるので、情報収集が欠かせない。異分子である精霊騎士団が介入したことで、何が起きているのか正しく知る必要があった。


 セラは鷹笛でレーレを呼んでから、暇さえあれば窓際で空を仰いだ。夕食を摂る時刻になり、日が暮れ始めて諦めたように窓から離れた。日が暮れてしまっては、鳥目のレーレは飛べない。返事は明朝かもしれないと思い直して、セラは同室のオルガとのんびり明日のことについて話し合っていた。


「駐留地って、安全なのかしら」


「斥候を四方八方に放って厳戒態勢だから、安全といえば安全かもね」


「ならいいの。ユーリに会えると思うと、何だかドキドキしちゃうわ」


「予定より早く会えて、よかったね」


「うん」


「何か浮かない顔だけど、心配事でもあるの?」


「ユーリに早く会えるのは嬉しいけど、そのぶん、オルガ達とのお別れが近くなるでしょ……」


「心はいつも一緒だよ。西方大陸が平定されたら、今よりもっと行き来しやすくなるから。それまで頑張ろう」


「うん、頑張ろうね。私も一生懸命、できることを探さなくっちゃ」



 翌朝。セラは朝日を浴びようとして、ベランダに出てひっくり返りそうになった。


「レ、レーレ! どうしているの、って、昨日私が呼んだんだっけ」


 正面の広葉樹に、レーレが止まっていた。名を呼ぶと、バサバサと羽ばたいて、セラの腕に止まった。


「いたいいたいいたい、痛いよレーレ。あなた、爪のお手入れをしたほうがいいわ」


「朝っぱらから、うるさい……セラ……」


 銀髪をくしゃくしゃにして、寝ぼけ眼のオルガが目を擦りながらやってきた。


「オルガ、悪いんだけどレーレを抱っこしてくれない? 直接腕に止まられるの、すごく痛いんだもの」


「ん……」


 寝起きの良くないオルガは、両手でレーレを力いっぱい掴みあげた。


「キュイッ!」


「あ、痛がってる。もっと優しくしてあげて」


「もふもふしてて、あったかい……」


「ごめんねレーレ。すぐ助けるからね」


 背中に顔をうずめるオルガを避けるでもなく、レーレはされるがままになっていた。くるりとした金の目は達観したようにも見える。セラは急いでレーレの足の金属の筒を開けて紙を取り出すと、オルガの手からレーレを救出してあげた。ひとまず、レーレを椅子の背に止まらせて、ユリシーズからの伝言に目を通した。


「”シュタートの西、ハーファー平野に来てくれ”だって」


「ずいぶんざっくりだね。行くのはいいけど、いついけばいいの? 日時とか書いてないの?」


「書いてないわ。ハーファー平野って、ここからどのくらいなのかしら」


「さぁ……。地図を見てみないとわからない」


「地図、地図っと」


 セラは寝台の下から鞄を引っ張り出して、地図と帳面を取り出した。ビリッと帳面を破いて「わかったわ。待っているから早く来てね」と書き付けると丁寧に折りたたんだ。そして地図を広げて、シュタートを見つけ出すと、指をスッと西へとはしらせた。


「コンパスがないから目測だけど、だいたい、三日くらいかな」


「地図、ちゃんと読めるようになったんだね」


「先生がびっちり教え込んでくれたもの。このあと、クレヴァ様からも軍師教育されるんですって。私、軍師向いてないのに」


「そうね。ちょっぴり臆病で、優しいセラにはむいてないと思う。自分の策が成ったら、人が簡単に死ぬってわかってるから、余計にね」


「『黒き有翼獅子の騎士団(グライフ・オルデン)』の軍師だけは、何があってもやりたくないよ。私の判断が誤っていたら、ユーリが……黒騎士の皆が、危ない目に」


「知識があれば、きっと他の形で手助けできるよ。ほら、レーレがまたセラをじっと見てるよ」


「胡桃をよこせ、って言うんでしょ。そんな食べてばっかりいると、今に七面鳥みたいになっちゃうから」


 セラは胡桃を一粒、レーレの嘴へと持っていってやった。キュルルと甘えた声を出しながら、美味しそうに啄ばむ姿は、大空を舞う鷹には見えない。まるで庭にやってくる小鳥のようだ。


「レーレ、伝言よろしくね。途中で道草食ったらダメだからね?」


 椅子の背に止まるレーレに、セラは懇々と諭すように語り掛けた。足についている金属の筒に折りたたんだ紙を仕舞うと、セラはそっとレーレを持ち上げて、再びベランダへと連れ出してやった。


「もふもふ……」


 両手の中の羽毛に覆われた身体は、ほんのり温かで、ほわほわで、何ともいいがたく気持ちよかった。オルガが、ほんわかした顔になった理由がよくわかった。手摺に乗せてあげてから、セラは鷹笛を咥えて、一度だけ大きく息を吹き込んだ。レーレは一、二度頷くような仕草をしてから、大きく翼を羽ばたかせて、西の方角へと飛び立っていった。


「オルガ、早く支度をして、下に行きましょ。今日は忙しくなりそうね!」


「そうね。旅支度、何が必要か書き出しておこう」



 セラとオルガが宿の一階にある食堂におりていくと、すでに食事を終えたトゥーリが、珈琲を飲みながら風聞紙を読んでいた。


「おはようございます、トゥーリ様」


「おはよう。さっき、キャアキャア騒いでいたけど、何かあった?」


「レーレの爪が痛いって、セラが」


 オルガが苦笑しながら答えると、トゥーリはカップを傾けながら淡く微笑んだ。セラが大騒ぎするのはいつものことなので、さらりと流した。


「それはそれは。で、ユーリは何だって?」


「シュタートの西、ハーファー平野に来て欲しいって」


「地図ある?」


「はい、どうぞ」


 セラは持ってきていた地図を渡すと、給仕に朝食を頼み、オルガとともにトゥーリの向かいに掛けた。すぐに葉野菜を小さな角切りにしたトマトゥル仕立てのスープと、大麦のパン、黄色い林檎が盆に乗せられて運ばれてきたので、オルガと一緒に感謝の祈りを捧げてから食べ始めた。


「国境と、この町のちょうど中間か。何でまたこんな半端な所なんだか。ここまで迎えに来るつもりかな」


 地図を眺めながら、トゥーリが呟いたことを、セラは耳ざとく聞き返した。


「ユーリが?」


「あれだけセラに惚れてるんだから、当然来るだろ。本隊は駐留地に留めてでも」


「……」


「セラの顔、フラグルみたいに真っ赤よ」


「ホントだ。しばらくこのネタで遊べるね」


「遊ばないでください……」


 朝からどっと疲れを感じながら、セラはひたすら椀のなかのペポを掬うことに専念した。この二人は、本当に小さな頃から一緒にいるので、セラを的確にからかってくれる。最近はユリシーズを絡めてくるので、性質が悪い。食事を終えて宿を出ると、すでに仕度を終えた親衛隊がそろって待っていた。


「おはようございます、隊長。次の目的地はどちらに?」


「ハーファー平野。ここから約三日だから、簡単に旅支度を整えよう。といっても、この町は小さいから馬の調達は難しいよね」


「では、私の馬にセラさんをお乗せしますので、隊長はオルガ様をお願いいたします」


「仕方ないね。分担して買出しをして、朝九の鐘が鳴る頃に門前に集合しよう」


「了解しました」


 散っていく親衛隊を見送り、セラは傍らのオルガとトゥーリを振り返った。


「私にもお手伝いできること、ないですか?」


「ないね。ここで迷子にでもなられたら厄介だし。おとなしく、そこのベンチにでも座ってて」


 しっしと犬の子を払うように手を振って、セラを街路樹のそばにあるベンチに座らせると、トゥーリは木に寄りかかって立った。オルガはセラの横に座り、日傘を差し出した。


「セラ、日傘。顔をあまり晒したらダメだよ」


「過保護すぎるわよー」


「トラウゼンに着いたら、今よりもっと過保護にされるよ。どこ行くにもユーリが一緒でさ」


「ありえますね。一時期とはいえ離れていたから、余計にひっついてくるでしょうね」


 日傘を差しながら、それはありえるかも知れない、とセラは思った。「離さない」と伝言に書いて寄越すぐらい、離れがたいと思ってくれていると思うと勝手に頬が緩む。セラも繋いだ手を仕方なく離してしまったから、もちろん離れたくないと思っている。しかしどこ行くにも一緒、というのはいただけない。周りから自分達はどんな風に見えているのかと思うと、何だか恥ずかしかった。


 小一時間、ベンチでぼーっと過ごした後。セラ達が集合時間ちょうどに町の門前に行くと、親衛隊とスヴェン隊が全員揃っていた。


「皆、準備お疲れさま。今日は野営。途中、小さな町があるようだから、そこで補給がてら一泊。ハーファー平野でユーリの隊と合流する。以上。質問は?」


「ありません、隊長!」


「嬢ちゃんは野営しても大丈夫なのか? 図鑑に載ってねぇ、変な虫が出るかも知れんぞ」


「虫はちょっとヤダけど、野営はしたことあるから平気です」


「結構」


 スヴェンはニヤリと笑って、荷物の増えた自分の馬に跨った。他の面々も次々と馬上の人となっていく。


「ちょっと失礼、お嬢さん」


 セラをひょいと持ち上げて、ファンニが騎乗する馬に横向きに乗せると、トゥーリも自分の馬にひらりと跨った。セラを乗せた馬を中心に守るように配置して、親衛隊が前衛、スヴェン隊が後衛について、ハーファー平野に向けて出発した。舗装されていないものの、馬を走らせても支障のない平坦な道が続く。なだらかな平原には、空に浮かぶ雲の影がぽこんぽこんとある以外、何もなかった。


「西方大陸って、本当に広いのね。ずーっと向こうまで、草原が続いてる」


「西方大陸の南西部は特に豊かですよ。自給自足で余った物資を、西方諸侯連合や他大陸に輸出しても、まだ余裕がありますから」


 受け答えするファンニは淡々とした口調だったが、声には温かみがあった。無表情で必要なこと以外はほとんど喋らない、無口な女性だが、基本的に穏やかで優しい性格なので、セラにとっては姉のような友人の一人だ。


「ウィグリド帝国と国交断絶してても西方諸国が豊かなのは、そのおかげなのね。ファンニさんって西方大陸にも詳しいのね」


「……昔、西方大陸にいたことがありますから」


「そうなの? 私が小さな頃からいるから、北方大陸の人なのかと思ってた」


「初めて会ったのは、セラさんが四歳くらいの時でしたね」


「私、最初ファンニさんのこと、お兄さんだと思ってた。だって髪がとっても短かったんだもの」


「ふふっ、セラさんに”おにいちゃん”と呼ばれた時、髪を伸ばそうって決めたんですよ」


「いやだわ。花も恥らう乙女にひどいこと言ったのね、四歳の私って」


「その女の子も、もうお嫁に行く年頃の娘さんですか。月日がたつのは早いものですね」


「……うん」


「どうしました? 時々浮かない顔をされていますが、何か心配事でも?」


「ううん、何でもないの。相談したくなったら、ちゃんと言うから」


「何の力にもなれないかもしれませんが、私でよければ、いつでも言ってくださいね」


「ありがとう」


 ファンニの背に心からの感謝を伝えると、セラは空を仰いだ。晴れ渡った空には羊のような雲が浮かぶのみで、鳥の影は見えなかった。何事もなく日が暮れて、その日はこんもりと枝を張った木々の近くに、スヴェン隊の面々が天幕を張った。セラとオルガは早々に食事を取らされ天幕へと押し込まれ、他の者達が交替で見張りに立った。


「何で私達だけ、こんな早く寝なくっちゃいけないの?」


「セラの体力のことを考えてるからだよ」


「そうかもしれないけど。いくらなんでも夜九時は早いよ。普段なら今が自由時間だったし」


 ユリシーズから預かった懐中時計の時間を見ると、セラは大きくため息をついた。無理のない行程で、道々休憩を取りながら進んだので、セラはさほど疲労感を感じなかった。そのおかげで寝付けそうにない。


「前みたいに倒れられたら困る。トゥーリ様の気遣いなんだから、大人しく寝て」


 見習い女官時代は、就寝時間の十一時まで起きて、マイラ達とおしゃべりに興じたものだ。夜更かしは美容によくないが、それが楽しみでもあった。真面目なオルガは瞳を閉じたまま、自分の外套に包まって眠る準備万端だった。仕方なくセラも横になって、毛布に包まった。


「うん。おやすみ、オルガ」


「おやすみ、セラ。良い夢を」


 瞳を閉じると、草むらから響く虫の声や、森の奥にいる梟の声が聞こえる。不寝番についた精霊騎士達の話し声も聞こえる。西方大陸の初夏は外で寝ても冷えることもなく、夜風の爽やかさすら感じた。うとうとするうちに、セラはいつしか眠ってしまった。




 シュテートを出て二日目の朝。身支度を整えて食事を取っていると、親衛隊の一人が空を指差した。


「セラ様、上空に鷹が来ました」


「え、あっホントだ!」


 セラは慌てて笛を二回吹いて、レーレを呼び寄せた。羽根先の黒い灰色の翼を羽ばたかせながら、セラの差し出した腕に舞い降りた。


「こいつがレーレかい? なかなか賢そうな顔してるね」


 スッと差し出したトゥーリの腕に、レーレは身軽に飛び移ると、金色の目でセラをじっと見た。


「はいはい、胡桃ね。でもその前に、ユーリからのお手紙を取らせて頂戴」


 金属の筒の蓋を開けると、そこは空だった。セラは首を傾げながら、レーレの小さな頭を人差し指で撫でた。


「ちょっとレーレ。お手紙持ってきてくれたんじゃないの? 空よ、あなたのお仕事道具」


「……もしかして狩りの途中だったんじゃない?」


「え、朝ごはん?」


「朝ごはんね。セラのところにくれば、胡桃がもらえるって思い込んでるんだよ」


「そっか、どんぐり二個分の脳みそで、一生懸命考えたんだね」


「なんだい、それ」


「レーレの小さな頭には、どんぐり二個分の脳みそが入ってるって、ユーリが」


 セラが胡桃を与えると、レーレは嬉しそうに齧った。その様子は、すっかりセラと胡桃を紐付けて考えているように見えた。


「いくらなんでも、もうちょっと入ってるだろ。お前の主人、ひどいこと言うんだね」


 まるで頷くように甲高い声で鳴くレーレに、セラとオルガは目を丸くさせた。


「トゥーリ様の言ってること、わかってるみたい」


「お行き、レーレ。呼び止めて悪かったね」


 ばさばさと羽きりの音を立てながら、レーレは再び大空へと旅立っていった。鳥類は風の精霊の加護を受けているというし、風の守護精霊がついているトゥーリとは、相性がいいのかもしれない。セラはそんなことを思いながら、中断していた朝食を再開した。そして昨日と同じような平穏そのものの行程を経て、セラ達は小さな町に到着した。国境ということもあって、町の半数の人々が、自衛のための警備兵だったのには驚いた。町に一つしかない宿屋では、さる領主に嫁ぐ良家のお嬢様とその家人、護衛に雇われた傭兵団ということで通したので、セラは部屋から一歩も出られなくなった。


「オルガ、宿の人が全員厳つい系って、本当?」


「うん。女将以外、筋肉ムキムキの男ばっかり。しつこくされて、ファンニさんが迷惑そうにしてたよ」


「あの人も、何だかわかんないけど男ギライだよね。過去に何かあったのかな」


「今度聞いてみたら」


「や、やめとく」


 セラはふるふると首を振って、鞄から出した地図を眺めた。すでにハーファー平野に到着しているので、この近くにユリシーズがいるはずだ。それを思うと、何も手につかない。会ってまず何を言おう、どんな顔していればいいんだろう。そんなことばかりを考えて、一日が終わった。



 三日目。町の人に『黒き有翼獅子の騎士団(グライフ・オルデン)』が、解放軍として駐留している正確な場所を聞いて、セラ達一行は出発した。二時間ほど平野を進み、近くに小川が流れている森に差し掛かった頃、前方から数頭の馬影が見えてきた。一騎が掲げている「剣を咥えた黒い有翼獅子」の紋章を見て、セラは思わず叫んだ。


黒き有翼獅子の騎士団(グライフ・オルデン)だわ!」


 旗色は白。黒一色の意匠は、ユリシーズの軍服にあったものと同じ。一団の先頭にいる金髪の男を認めて、セラはファンニの後ろから身を乗り出して、思い切り手を振った。


「ユーリ!!!」


 セラに気づいたように、先頭にいた金髪の男が、大きく手を振り返した。他の黒騎士を置いていく勢いで、ぐんぐん近づいて来る。


「セラー!」


 遠くからセラの名を呼ぶユリシーズの声がして、セラは胸がいっぱいになった。見る見るうちに、セラとユリシーズの距離が縮まっていく。


 すっきりと耳が見えるほど短くなった髪、切れ上がり気味の蒼い瞳。何度も夢に見た最愛の人が、目の前にいる。再会するときに泣くかもしれないと思っていたが、セラは嬉しくて涙を流す暇もなかった。勝手に顔が綻んでしまうのが止められない。数歩手前で黒い軍馬から飛び降りて、ユリシーズが駆け寄ってくる。


「ずいぶん早かったな!」


「うん、早かったの!」


 ファンニの馬から降りようとしていたセラを抱きとめると、ユリシーズはそのまま思い切り抱きしめた。


「会いたかった」


「私も」


 セラもユリシーズの首に腕を回して、ぎゅっと抱きついた。少しだけ埃っぽい、日なたのような暖かな匂いと、力強い腕の感触。夢ではなく現実ということが、ありありと実感できた。


「あんな熱烈な返事を寄越しやがって。皆に冷やかされて、すげー恥ずかしかったんだからな」


「え、何のこと?」


「後で読み上げてやるから、楽しみにしとけ」


 セラを地面に下ろしてから、ユリシーズは下馬した精霊騎士達を見回し、右手を胸に置いて騎士の礼を取った。ようやく追いついた黒騎士達、アルノーを始めとするユリシーズの側近達も下馬して、主君の後ろに控えた。


「遠路はるばる、よく来てくれた。本当に感謝する」


「僕達はセラのついでかと思ったよ」


 トゥーリが苦笑しながら、手を差し出した。お互いにがっちりと手を組みかわし、ユリシーズも皮肉げに笑い返した。


「それは否定しない。おっさんも元気そうだな」


 スヴェンは可笑しそうに噴出すと、差し出されたユリシーズの手と、力強く握手を交わした。


「抜かせ、若造。まー元気そうで何よりだ。セラ、よかったな」


 片眉を上げ、からかうような表情を浮かべたスヴェンに、セラは満面の笑みで答えた。


「はい!」


「俺達はこのまま、フェアバンクス公爵領に向かう。そっちも色々大変らしいからな。困ってる人を助けるのが、精霊騎士のお仕事ってもんだ」


 申し訳なさそうに、ユリシーズはスヴェンと、スヴェン隊の面々に頭を下げた。


「そうしてくれると、本当に助かるよ。無理を言って申し訳ないけど」


「承知の上だ。解放軍の本拠地で、また会おうぜ。おーい、いくぞーお前ら」


「了解。嬢ちゃん、またな!」


「彼氏と仲良くな!」


「バッカ、彼氏じゃねーよ、旦那だっつの」


「嬢ちゃん、またなー!」


「元気でね!」


 賑やかなスヴェン隊は、北へ向かう舗装された道を選ぶと、スヴェンを先頭に一気に駆けて行った。それを見送ると、セラは傍らにいるユリシーズを見上げた。見慣れない短髪姿だったが、すっきりとしたユリシーズの顔立ちによく似合っていた。セラの視線に気づくと、蒼い瞳を柔らかく細めて、セラの手を取った。


「皆疲れてるだろうけど、ここから二時間の場所に俺達の本陣がある。とりあえず、一緒に来てくれ」


 ユリシーズに手を引かれて歩きながら振り返ると、オルガ、トゥーリ、精霊騎士達が明るい表情を浮かべていた。セラを無事送り届けることも任務の一つだったから、肩の荷がおりたのだろう。


 間近で見るトラウゼン原産の青毛の馬は、普通の馬よりも一回り大きく、馬体は黒を通り越して青く輝いているようにも見えた。どこに目があるかわからないくらい、全身真っ黒だった。


「でかい、黒い、こわい」


「アルタイルは優しい奴だから、こわくねーよ。先に乗って引っ張り上げるから、俺にしがみつけ」


 ユリシーズは身軽に跨ると、セラに腕を差し出した。両手で左腕に掴まると、ふわりと身体が持ち上がった。慌ててユリシーズの左肩にしがみつくと、ぐいっと引き寄せられて膝上に座る形になった。


「ええっ、ちょっと、これはちょっと!」


「俺の膝の上がイヤだと? なら鞍に直に座るか? 戦用の鞍だから、そのドレスじゃ痛いぞ」


 セラは夏らしい淡い花色のワンピースを見下ろした。首元には日よけの薄いストールしかないので、クッション代わりにもならない。


「お、おんぶじゃダメですか」


「ダメに決まってるだろ。おい、リオン! あ、あれ? リオン?」


 ユリシーズが背後を振り返ると、マルセルとエーリヒが、小さくなっていく馬影を見ていた。


「何か、用事を思い出したって、急に馬で駆けて行っちゃったよ」


 アルノーが困惑したように言うと、セラも首を傾げた。一体何があったというのだろう。


「用事? 自分から行きたいって言い出したくせに……ま、いっか。行こう!」


 ユリシーズの良く通る声を合図に、騎士達は馬の腹を蹴って駆け出した。セラはフラグルよりも赤い顔で、ユリシーズに両腕でぎゅうっとしがみついた。しっかりと腰に回された腕が、セラを一時も離さないというように、ぎゅっと抱きしめ返してくる。切なくなる喜びがセラの全身を、心を満たしていった。

ペポ=かぼちゃ(ラテン語)

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