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乙女は獅子に恋をする  作者: 龍田環
西方大陸編
27/111

2. 翼あるもの

 セラ達を乗せた乗合馬車は、昼二時の鐘がなる頃にトーバックを出発した。途中、停留所に二回止まり、夜六の鐘の鳴る頃に着く予定になっている。馬車の前後にトゥーリとスヴェン達がついているので、他の乗客も安心したようにのんびりと過ごしている。セラとオルガも、窓から流れていく景色を眺めながら、とりとめもない話をしていた。


「ねぇ、セラ。レーレを呼んでみたら? ユリシーズのところに、先代領主からセラが来てるって伝わってるはずだよ」


「あ、そっか」


「どっさり書いてた手紙、あれはどうしたの?」


「まだ持ってる。先週、何通かは船便で出したけど」


「手紙と同着かもね。あの人、セラをいじることに全力出すから、きっと目の前で音読してくれるよ」


「い、いやあ、そんなの! 恥ずかしすぎる」


「レーレに託す伝言は、読まれてもいい内容にしたら?」


「言われなくてもそうするわよ。とりあえず……っと」


 『やっと西方に着きました』


 セラは手帳の端を切って、それだけを書いた。用心してあえて名前は書かずにおいたが、たぶん手跡でセラとわかるはずだ。このちまっとした、丸っこい字。ユリシーズに散々「ちんまい字だな」と笑われたので、何とかクセを直そうと頑張っては見たものの、あまり改善は見られなかった。

 胸元にしまっておいた鷹笛を出すと、二回だけ噴いた。セラは鞄から小さな肩掛けの鞄を取り出すと、別の袋に入れていた胡桃をそれにしまった。いつ来てもレーレにあげられるように、準備しておくに越したことはない。モタモタしてレーレに「はやくしろ」と突かれるのはごめんだった。


「音がしないんだね。猛禽類にだけ聞こえる音が出てるのかな」


「たぶん。西方大陸って鷹で狩りをしたりするんでしょう? 本で読んだわ」


「辺境も辺境、『深淵の森』に住んでる土着の一族だけだよ。昔はそうやって、兎とか小さな鳥とか獲ってたんだって」


「今もいるのかな?」


「さぁ……何年も前に帝国軍の焼き討ちにあったみたいだから、もういないんじゃないかな」


「そう……帝国って昔から、酷いことしてるのね」


 父の祖国は、とんでもない国だ。父が賛同する者達と反旗を翻してからは、そちらにばかり兵を向けるようになり、何の罪もない民達を虐げることはなくなったという。父のしたことは、きっと西方大陸の人々にとって救いになっているのだろう。それはセラにとっても救いだった。会ったこともない唯一の伯父が皇帝として君臨し、得体の知れない力を利用して、西方大陸に住む人達を、セラの大切な人を虐げていると思うと気分が塞がる。


「ま、それを何とかするために、セラの旦那様が頑張ってるわけだ」


「ま、まだ、旦那様じゃないよ……婚約だってしてないし」


「あっちは一族郎党諸手をあげて、完全にそのつもりみたいだけど。まさか……」


「ち、違う。ちゃんと心の準備は出来てるの。もうちょっと、あの、その」


「恋人同士でいちゃいちゃしたい?」


「そう。それそれ。私、さびしんぼう期間が長かったから憧れてたの。みんなみたいに逢引したりとか」


「……今のユリシーズに、そんな暇、あると思う?」


「ううん……ないと思う……」


「それなら結婚してから、いちゃいちゃすればいいんじゃない?」


「うーん。それも何か違う気がするんだよねぇ」


 オルガは話の振り方を間違えた、と思った。セラから惚気話が聞ける日が来るとは思わなかった。次の町に着くまで、セラの妄想に近い逢引計画を腹いっぱい聞かされ、途中から適当に相槌を打つ人形のように、うんうんと頷くだけになった。



 リンベルクに着く一つ前の停留所で、セラは皆から離れて”花摘み”に行った後、上空で旋回する鳥の影を見つけた。慌てて胸元の鷹笛を二度吹くと、旋回していた鳥が急降下してきた。


「レーレ!」


 セラの差し出した腕に、薄い灰色をした小型の鷹が舞い降りた。くるんとした金色の瞳が、じっとセラを見ていた。


「う、動かないでね」


 腕に止まったレーレをおっかなびっくり抱えて、金属の筒から小さく折りたたまれた紙を取り出した。手紙を取りだす時にユリシーズを甘噛みしていたから、てっきり突かれまくると思ったのだが、レーレは大人しかった。再度腕に戻そうとすると、自分から上手に肩のほうへと移動する。本当に、よく人に慣れていた。


「その子がレーレか。さっき鳥が見えたから、もしかしてって思った」

 

 少し先に戻っていたオルガが駆け寄ってきて、セラの腕に止まった小さな鷹を見て微笑んだ。


「うん、本当に来たの!」


 取り出した紙をそっと広げると、何度も見た達筆な文字が目に入った。ユリシーズの手跡だ。


「今どこだ? だって。こ、これだけ?」


「下に、古語で何か書いてあるみたいだけど」


「あ、本当だ。小辞書、持ってきててよかった」


「頑張って読んで。ちなみに次の目的地はシュテートだから」


「うん。もしかして、迎えに来てくれるのかな」


「まだ帰還中なら、意外と近くにいるのかもね。レーレを笛で呼んで、結構すぐ来たでしょう」


「うん、二時間ぐらいで来た。約束どおり、レーレを飛ばしてくれてたんだ……」


 『セラが西方に着く頃、レーレを飛ばすよ』


 離れ離れになる直前、ユリシーズはそう言っていた。今どこにいるのかわからないが、この青空の下、同じ大陸にいると思うと寂しさが霧散していった。セラは満面の笑みを浮かべて、殻から出しておいた胡桃を一粒、レーレの口元に持っていってやった。「キュルル」と甘えたように鳴いて、美味しそうに頬張った。


「レーレ、お願いね」


 セラは”今日はリンベルクで一泊して明日シュテートに向かいます”と書き足して、小さく紙を折りたたむと、レーレの足についた金属の筒に入れて、しっかり蓋をした。オルガに両手でしっかり抱っこされたレーレは、再度セラの腕に止まると、期待に満ちた金色の瞳で見つめ返してきた。


「わ、わかったわよ。あなたのご主人からあげ過ぎるなって言われてるけど、もう一粒だけあげるわよ。だから、しっかり運んで頂戴」


 セラは小さな肩掛け鞄から、もう一粒だけ胡桃を出すと、レーレに差し出した。キュルルと嬉しそうに鳴いて、美味しそうに啄ばむ姿を見て、オルガが笑い出した。


「な、何か、セラに似てない? 食い意地の張ったところが」


「う、うるさいわね。私はここまでじゃないわよ」


 セラは鷹笛を咥えると、一度だけ強く吹いた。明らかに何かが聞こえた様子で、レーレが大きな翼を広げて、数度空を打った。顔に風が当たり、思わず目を閉じる。再びセラが目を開けると、力強く羽ばたきながらレーレが上昇していくところだった。セラ達の視界から見えなくなるまで見送ると、オルガと顔を見合わせて笑いあった。


「そろそろ戻ろう。どこまで花摘みに行ってたんだって、スヴェンが怒る」


「スヴェン様って、そういう嗜みのないこと、平気で言うよね」


「おじさんだから、しょうがないよ」


「そうね、おじさんだもんね」


 本人が聞いたら肩を落としかねないことを言いながら、二人の娘は仲良く停留所まで戻っていった。


 時間通りにリンベルクに着いて、皆で食事を取った後。セラは宿の部屋に篭って、ユリシーズからの伝言を訳すことにした。二行だけが古語。セラ宛てだとわかるように、あえて古代文字で書いてあるのだろう。


「んっと、これは”会う”の、進行形だから、会いたい、ってことかしら」


 最初の行は、わりと簡単に訳せた。というか、訳しやすいように、単語が並べられているだけだった。


 会いたい。


 離さない。


 そばにいて。


 たった三つの単語に、ユリシーズのセラへの想いがつまっている気がした。切なくて、会いたくて、堪らなくなった。


「本当に、古語辞書持ってきててよかった。私も古語で返事が書けるもの」


 続けて、次の行の翻訳に取り掛かった。こちらは、あの帳面の悪戯書きのように、古い詩の一節になっているようだ。


「意外と乙女なのね、あの人」


 セラが寝落ちしそうになりながら、頑張って訳した一文は、相変わらず難解だった。古い歌劇に出てくる台詞に、こんな言い回しがあったような気がするが、正しく訳せているのかいまいち自信が持てない。


『恋というものは、おいそれと胸の砦を出ていくものでありますまい』


 ようするに、好きになってしまうと、簡単にその想いは胸から消えることはない、ということだろうか。セラのことを好きでいてくれるのなら、何も言いますまい。頑張って返事を書き終えると、よろけながら寝台に倒れこみ、セラは夢の世界へと旅立っていった。


 翌日も、非常にいい天気だった。宿の食堂で、セラとオルガが朝食を摂っていると、渋い顔をしたトゥーリが戻ってきた。


「トゥーリ様、どうされたんですか?」


「とっても渋いお顔」


 セラの言葉に、ますます渋い顔になったトゥーリが、ため息をつきながらオルガの向かいに座った。


「セラ、うるさい。あんまり嬉しくない知らせだよ。この先で亜生物が出たらしい。それも竜型の」


「え、竜は北方にしかいないんじゃ」


「そうなんだけどね。このあたりでは山奥でたまに影を見かけてたらしい。でも、昨日は人里の近くに現れたって」


「怖い……大型亜生物なんて、西方大陸の人からしたら脅威ですよね」


「まぁスヴェンがいるから、心配はいらないと思うけど。二人も注意してね。いざというときは、馬で行くから」


「わかりました」


「はい、トゥーリ様」


 セラとオルガの良い返事を聞くと、トゥーリは薄紫色の瞳を細めて微笑んだ。


「ところで、オルガ。エアリエルと話は出来た?」


「いいえ。声は聞こえるのですが、一方通行で会話になりませんし、召喚にも応じてくれません」


「そっか。僕もジャン達の声は聞こえるんだけど、力を顕現させるのに骨が折れる。他の連中も同じかな」


「スヴェン様も隊の皆も、同じことを言っていました。声しかしない、と」


「女神官長の言ったとおり、やはり西方大陸は霊的に閉じられているようだね。アキムが北方に来て精霊の姿を初めて見た、というのもこれで理由がつく」


「トゥーリ様は、誰がそうしたか、予想はついているんですか?」


「うん。ここでは言えない、やんごとなき方の仕業だろ」


「じゃ、その閉じた空間がなくなれば、西方大陸にも精霊使いが現れるのかしら」


「それは……」


 言いよどんだオルガに代わり、トゥーリが周りをさっと見回してから言った。


「現れない、だろうね。少なくとも、閉じている間に生まれた者達は精霊使いにはなれないよ。術者の自我が芽生える前に、精霊憑きになってしまうから」


「トゥーリ様のように、守護精霊の守護がないと、ですか?」


「そういうこと。ほら、二人とも、ちゃんと食べて。今日は迂回して別の道からシュテートに行くけど、途中でお昼を取るために休憩しないよ」


「えー、お昼抜き?」


「セラは、竜型のお昼ご飯になりたいの?」


「ユーリにも会えず、あわれセラは竜型のお昼ご飯か」


 毒舌家の二人から淡々と言い返され、セラはむうっと頬を膨らませて、フラグルのジャムをたっぷりつけた白パンにかぶりついた。


 乗合馬車はセラとオルガ以外、誰も乗っていなかった。竜型亜生物の話と、つい最近までこの辺りであった戦いの名残が、人々の足を海路へと向かわせたのだろう。少し料金は嵩むが、海側の町から船でシュテート方面に向かったほうが、早くて安全だ。


「スヴェン様が朝から絶好調なのは、竜と戦えるかも知れないから、なのね」


「ああなると、ほとんど病気だと思う。隊の皆も生き生きしてたし」


「おい、聞こえてるぞ嬢ちゃんたち。俺を病気扱いするんじゃねえ」


 窓の外に、馬車と並走するスヴェンがいた。窓を開け放しておいたから、声が聞こえていたのだろう。半目でセラとオルガを睨みつけると、さっさと馬車の前へと駆けて行った。


「聞こえてたみたい」


「そうみたいだね」


 セラとオルガは顔を見合わせると、二人同時に噴き出した。トラウゼンへの旅路は、傾斜のない穏やかな草原を行くので、竜型が身を潜めるような場所はどこにも見えない。きっと、このまま何事もなく進むはずだ。全員がそう思っていた矢先、予想もしない事態が起きた。




「竜だ!」


「でかい!」


 外からスヴェンとスヴェンの部下が叫ぶ声が聞こえて、馬車が急停車した。そのはずみで、セラは向かいに座っていたオルガのところに吹き飛ばされた。


「い、いたた……膝打ったぁ」


「大丈夫?! セラ!」


「二人とも、馬車から降りて。森の中に走れ!」


 抜き身の剣を提げたトゥーリが、馬車の扉を開いてセラ達を促した。


「はい!」


 オルガに手をひかれて、セラは馬車から降りた。そして、前方を見て足が竦んだ。本当に竜がいた。小さな小屋ほどもある大きな体躯。黒々と光る鱗。小型の短剣ほどもある鋭い牙。蝙蝠のように薄く巨大な翼。爛々と輝く紫色の瞳。どこからどうみても、北方大陸の辺境に住まう、大型亜生物の竜だった。


 その竜と、セラはばっちり目が合ってしまった。恐ろしさで、身体が固まったように動かなくなった。


「ちょっと、セラ! 早く!」


『セラフィナ』


 セラの耳に自分の名を呼ぶ、懐かしい声のようなものが聞こえた気がして、思わず竜を振り返った。便宜上、亜生物と呼ばれてはいるが、竜は他の亜生物とは一線を画する。古くから存在する竜には、精霊を従える力を持ち、人語を解するものがいるという。


「私の名を、どうして知っているの?」


『知っている? 知っているとも。俺に戦うつもりはないから、皆に剣を下ろすように言ってくれないか』


「……トゥーリ様、スヴェン様。この竜に、戦う意志はないようです。剣をおろしてほしい、と言っています。なぜかわからないけど、声が聞こえるの」


「ただの竜型じゃない、ってことか。心話が使えるなら精霊化した獣だ」


「瞳が紫だな。誰か憑いてるのか。おい、嬢ちゃん、名前を聞いてみろ。精霊みたいに使役できるかも知れんぞ」


 剣を下ろしたスヴェンが、笑いながら言うので、セラはおっかなびっくり竜の名前を尋ねた。


「あ、あのぅ。お名前は?」


『……カーレジ』


 優しく響いた声に、セラは目をまん丸にして皆を振り返った。


「よ、よんえいゆうの名前を言ってます……。あなたは、四英雄なの?」


『違うよ。本名は言えないから、そう呼んでくれ』


「わ、わかったわ」


『呼んでくれたら、助けに行くから。それをどうしても言いたくて、来た』


「私を? なぜ?」


『それも言えない。もう行くよ。人前に姿を現すと皆が怖がるから。何かあったら、俺を呼ぶんだよ』


 それだけをセラに言うと、竜は音もなく翼を羽ばたかせて、一気に上空へと飛び立った。打ち下ろすような風がセラ達を押さえ込んだ。砂埃に咽ながら、セラが目を開けると、どこにも真っ黒な竜の姿はなかった。


「何だったんだろう。あの竜、明らかに誰かが憑いてた」


「おーい嬢ちゃん、どうだ、言質は取れたか」


「は、はい。呼んでくれたら助けに行くって」


「それ、ホント? 竜が人をわざわざ助けるなんて、聞いたことがない」


「マジすか、それ。まるで四英雄の”竜使い”じゃないすか」


「俺達には、グルグルいう凶悪な唸り声にしか聞こえなかったのに」


「すげー味方がついたな、嬢ちゃん」


 興奮した皆が言うように、セラにしかあの竜の声は聞こえなかった。何故だかそれを人に知られてはいけない気がして、助けを求めるようにトゥーリとオルガを見た。


「皆、すごいもの見れて嬉しそうだけど、このことは僕達だけの胸に収めてくれないか。あの竜が何にしろ、セラと話をした事実は知られたくない」


「確かにな。おいお前ら。わかってるな」


 全員が沈黙の誓いをしてみたのを見て取り、スヴェンも同じように口を手で隠してその手を胸に置いた。沈黙の誓いをした後に、セラを見てニヤリと笑った。


「セラも、誰にも話さないほうがいいと思う。ユリシーズには事情を話したほうが、後々いい気がするけど」


「うん。折を見て、伝えてみるね」


 セラはあの竜に会って、名を呼ばれてから恐れがなくなったのが不思議で仕方なかった。若い男性のようにも聞こえるその声は、どこか懐かしいような気がしたのだ。名前を知っていた理由を教えてもらえなかったのが、ひどく心残りだった。

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