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乙女は獅子に恋をする  作者: 龍田環
北方大陸編
23/111

私はあなたに恋してる (セラ視点)

22話のあと、女官学校の試験に臨むセラの短編。セラ視点。

 ユリシーズ達が帰ってしまってから、数日が過ぎた頃。私は先生が出してくれた課題を、次々と完成させていた。そして、最後に残った一枚の紙盤を前に、朝からずっと考え込んでいた。

 山間部での模擬戦。孤立無援になった自軍を、壊滅させずに生還させる。篭城に持ち込むには、敵兵三千の倍は兵が必要なのに、自軍はたったの八百。交戦するのも、篭城するのも、どっちも危なすぎて、全然いい手が浮かばない。


「どうして、こんな無茶するの?」


 指で大将の『王』の駒を突いた。ころん、と音を立てて転がる。


『うるせ。無茶しなきゃいけないときもあるんだよ』


 そんな声が聞こえた気がして、ひとつ大きなため息をついた。相当重傷だ、これは。


「あと何回日付け変わればいいの? 今日入れて、あと五十くらい? 長いよぉ……」


 胸ポケットから、懐中時計を取り出して、そっと蓋を開いた。毎日きちんと磨いて、螺子を回しているから、預かったあの日から一分の狂いもなく、時を刻み続けている。西方時間では、ちょうど今がお昼ごはんの時間。北方のほうが二時間早く進んでいるから、私はさっき、お昼ご飯を食べたところ。ユリシーズはこれから、かな。


「はぁ。休憩しよ。策なんか、全然浮かばないや」


 私は盤上戦術論だけど、皆も自分の不得意分野が最終課題に出されてる。実習室とかで時々会うけど、みんな目が死んだ川魚みたいだった。それでも、誰も弱音を吐かない。だって、あともう少しで夢が叶うから。


「セラ、ここにいたの?」


 柔らかなアルトの声がして、振り返ると旅装もそのままのオルガが立っていた。ユリシーズ達を王都に送り届けてからすぐ別の任務を受けて、また南部に派遣されていたから、会うのは二週間ぶりだった。


「おかえり、オルガ」


「ただいま」


「あの、色々ごめん」


「謝らないでよ。私は怒ってないから。お祝いを、言いに来た」


「ユリシーズとのこと、聞いたの?」


「うん、お父様が”セラが西方に行っちゃうよう”って、涙のシミだらけの手紙をくれたから。ユリシーズからも、手紙をもらったしね。好きな人に、想いが通じてよかったね、セラ」


「うん」


「裏でリオンさんがあれこれ余計なお世話も焼いてたし、遅かれ早かれ、こうなるとは思ってたけど」


「えっ」


「ホント、あのお兄さん何してるんだろうね」


「で、でも、ユリシーズのお兄さんみたいな人だし、いい人だよ」


「いい人かもしれないけど、私だったら、あんな困った兄は嫌」


「それならアキムさんなら」


「眩しすぎて無理。あんな見た目も性格も図抜けた兄がいたら、まわりの男が芋にしか見えなくなる」


「確かに。トゥーリ様以外は全部芋だもんね、オルガの場合」


「僕が何?」


「!」


 気だるげな声に振り向くと、資料室の入り口にトゥーリ様が立っていた。


「あれ、どうしたんですか、トゥーリ様。精霊殿に戻ってたんじゃ」


「女史に呼び戻されたんだよ。いい知らせ、なのかな。遠征軍派遣が早まって、二週間後になったよ」


「ずいぶん急ですね。何か、あったんですか?」


「帝国軍が西方大陸全土に派兵を開始したらしいよ。ユリシーズは帰還次第、遠征に出るんじゃないかな? 彼もついてないね。セラと会えるのは、いつになるやら」


「え、縁起でもないこと、言わないでくださいっ」


「トゥーリ様、励ましに来たのか苛めにきたのか、はっきりしてください」


「もちろん励ましにだよ。かわいい妹達に元気を出してもらいたくて」


「本当にそう思ってるんですか。なら何でニヤニヤ笑ってるんですか」


オルガが疑いのまなざしで、腕を組んで扉にもたれるトゥーリ様を見た。この二人もじれったいなぁ。少なくとも、トゥーリ様はオルガのこと、妹と思ってないと思うんだけどな。私と違う『特別』扱いだもの。


「思ってるさ。それじゃ僕は軍議があるから行くよ。試験、頑張るんだよ」


「はい……」


 来たときと同じように、颯爽と去っていってしまった。ユリシーズとはまた違った意味で口が悪いけど、あれでも気を使ってくれてるんだよね。忙しいのにわざわざ資料室に寄って、遠征のことを教えてくれたわけだし。


「二週間後、か。ウルリーカ様から、私も遠征に参加するように言われたよ。”地の縁”のない西方大陸で、精霊を使役できるか、実験するんだって」


「神官兵団と第三師団のスヴェン隊も行くんでしょう? 人工亜生物との戦闘記録を取るって……ユアンから聞いた」


「人と精霊の営みを正すために、できることはすべてやるのが、精霊騎士団の役目だよ。私も、そろそろ行かなきゃ。遠征のこと、色々聞いてくる」


「うん。またあとでね、オルガ」


 ブーツの踵を鳴らしながら、オルガも資料室を出て行った。西方大陸全土に帝国軍が派兵したってことは、きっと全面戦争になるのも、時間の問題だよね。ユリシーズが黒騎士団を率いて、この紙盤上みたいに、本当に戦いに出るんだ。不安と心配で胸がつぶれそう。


「ユーリ……会いたいよ。一緒にいた時間よりも、会えない時間が長いなんて、イヤだよ……」


『会えるまで泣かない』って誓いを、あっさり破ってしまう自分が情けないけど、鼻の奥がツンとしてくるのが止まらなくて、大きく息を吸って、吐いた。


「もし、本当に、この状況になったとしたら。私は……」


 真剣に紙盤を睨む。孤立無援。唯一の退路は、この細い細い稜線だけ。馬を捨てて、拠点も捨てて。できること。


「これしか、ないよね。うん、この紙盤上の戦略はこれでいこう」


 思いついた戦略を、帳面にサラサラと書きつけていく。この一週間で百頁のほとんどを使い切る勢いで、たくさんの戦術論を書き綴った。最初の数頁には、ところどころにユリシーズの渋い筆致が残っていて、自然と口元が緩む。ぱらぱらと一番最後の頁をめくると、そこにはユリシーズの筆致で、何かが綴ってあった。


「やだもう、いつのまに書いたのよぅ。しかも古語じゃない。ええと、辞書辞書」


 私は愛用の古語小辞典を取り出すと、パラパラと引いた。ユリシーズのおかげで辞書の引き方も上手くなったんだよね。単語の頭文字で調べるんじゃなくて、文脈から意味を予想して索引から引いてく方が早いんだって。


「ええと、最初の単語は真実、かな。もー、達筆すぎて読めない!」


 古語の辞書を片手に、格闘すること数分。私は、何とか解読に成功した。ユリシーズが書き残した古い詩の一文は、私の涙腺を崩壊させた。



『真の恋をするものは、みな一目で恋をする』



 本当の恋は一目で落ちる。


「何で、こんな悪戯するのよ。バカバカ」


 涙が後から後からあふれて、止まらなくて、帳面にぱたぱたと涙の雫が落ちていく。

 会いたい。ユリシーズに会いたい。どうしようもなく、彼に会いたかった。






「来ましたね、セラ。では、紙盤を。この中から無作為に選んだものについて、論じてもらいます」


「はい、先生」


「ふふ、ずいぶんと早かったですね。全部古語表記だから、訳すだけで一週間以上かかると踏んでいましたのに」


「古語に堪能な人に手伝ってもらいました」


「構いませんよ。人を上手く利用するのも、官には必要な素養です。世渡りが上手くなければ、生き馬の目を抜く王宮政治についていけませんからね」


「はい」


「私がセラになぜ戦術論を課したか、わかりますか?」


「不得意課目だから、ではないのですか?」


「セラ。あなたの伴侶となる人は、領主であり騎士でもありますね。いずれ、戦術の知識が必要になるときがくるでしょう。あなたには剣を取る力も、ずば抜けた軍才があるわけでもない。だけど、その人の立場になって一緒に考えてあげられる優しさがある。知識を持ち、立たされた状況を理解し、支えてあげること。それもまた、伴侶たるあなたの役目ですよ」


「はい」


「さて。では、これにしましょうか。この紙盤上で、どうして『撤退』にしたのか。根拠を述べなさい」


「はい。自軍兵数が八百。これに対し、敵軍兵数はおよそ三千。四倍近くの兵差があります。拠点は本拠地から遠く離れた僻地で、孤立無援、救援も援軍も期待できません。篭城戦を選べば全員死亡。かといって攻めに出ても全員討ち死にです。だから、私は拠点を捨て、全軍撤退を選びました。掌握地域が一時的に敵軍占領されますが、大将首が失われるよりマシです」


「追撃にあったら?」


「相手にしません。ひたすら逃げます。進軍行路は、この峡谷を使います。この峡谷は狭く、多数の騎馬は通り抜けられません。そして、峡谷からおよそ二千の距離に、友軍の砦があります。ここを経由し、本拠地へ戻ります」


「すでにその友軍が敵軍に寝返っていたら?」


「立ち寄らずに、撤退行動を続けます。かなりの強行軍になりますが、やむを得ません」


「それでは自軍に撤退をよしとしない者が出た場合は? 逃げるは騎士の恥、という者は多いですよ?」


「何としても全員を生還させるのですよね? では拘束して連れて行きます」


「ぷっ」


 先生が口を覆って噴出した。私もリオンさんの顔がちらついて、笑いそうになる。だって、私がそれをやられたんだもんね。あれは、言うことを聞いてくれない人には、結構有効なんじゃないかな。文字通り、手も足も出ない状態にされちゃうし。


「もちろん説得しますけど、それでも従ってくれなかったら、です。誰一人欠けることなく帰還して、それから反撃に出ます」


「ふふ、いいでしょう。では次。こちらの紙盤上を使って模擬戦をしましょう。私が敵軍大将として軍勢を率いて強襲します。セラは自軍軍師として、大将を勝たせるためにはどうすればいいのか。論じなさい」


「は、はい」


 こうして、口頭論述は二時間にも及んだ。私は頭を全力回転させたおかげで、先生の部屋を出る頃にはぐったりだった。やっぱり私、軍師にむいてないと思う。全軍の命が自分の肩にかかってると思うと、途方もなく気が重くなる。こんな思いを、ユリシーズはいつもしてるのかな……。何て重たいんだろう、人の命って。


「結果は明日、か。卒業式、出られるのかな。二週間後に出発って言ってたけど」


 女官宿舎の一室で、私は寝台に寝転んでぼんやりと呟いた。明日エリナが試験を受ければ、先生の受け持ち組みの私達の試験は終了。あとは女官学校の卒業を待つばかりだ。そしてじきに西方大陸へと旅立つ日がやってくる。もうすぐ皆とお別れしなくちゃいけない。今生のお別れってわけじゃないけど、やっぱりすごく寂しい。


「あ、今日の日課、忘れるところだった」


 くしゃくしゃになった髪をなでつけながら、いつも出しっぱなしの世界地図を見る。ユリシーズ達が西方に旅立ってから、一日の始まりと終わりに、木彫りの人形を少し進めるのが、私の最近の日課。今日は内海を通り抜けて、今頃は西方大陸の北部海岸あたりを航行中、かな。地図にも過ぎた日数を書き込んであるから、時計の針が進むのと、地図の升目が一つずつ埋まるごとに、ユリシーズに会える日が近くなる。


「でも、遠征に出るから、本当に会えるかはわからないんだ……」


 凹みそうになる気持ちを、帳面の最後にあった一文を思い出して浮上させる。本当の恋なら、きっと離れていたって気持ちは繋がっている。今の私と同じように、きっと会いたいって、思ってくれてるから、寂しくても我慢できる。そして出せない手紙と、ユリシーズを好きな気持ちだけが増えていった。







「セラフィナ・エイル。前へ」


 王宮首席女官長の、重々しい声に押されるように、私は一歩前へ出た。講堂には他の女官監督官の教え子達。私達と同時期に女官学校にいた、いわば同志達が勢ぞろいしている。王宮のお仕着せを来た女官の先輩方もいる。ウィスタリア先生も含めた十名の女官監督官も、騎士団領から来てくださった、侍女長様もいる。侍女長様、とお呼びしているけれど、精霊騎士団領の女官長に当たる方なので、今日は女官制服をお召しになっていた。


「三年間、よく頑張りましたね」


「ありがとう存じます、大女官長様」


 淑女の礼をしたまま、すっと頭を下げた。顔を上げると、いつも厳めしいお顔をしている大女官長様が、口元に笑みをたたえて私を見ていた。


「これまで得たこと、きっとあなたのこれからに、大いに役に立つことでしょう。どんなときでも胸を張り、前に進みなさい」


「はい、大女官長様」


 私は試験にはギリギリで受かったけれど、女官採用試験には、落ちた。結婚等で王宮を去る者は、無条件で採用が見送られる。次点合格者に女官採用が譲られるのは、昔からのしきたりだった。夢が叶わなかったのは悲しいけれど、私はやりとげた充実感でいっぱいだった。

 イーダは来年の春に結婚するけど、王宮にそのまま勤めるから、もちろん合格。マルギットもマイラも、エリナもカルロッテも、全員合格だった。来月から皆はこの王宮で、女官として働くことになる。見たかったな、女官制服を着た、みんなのこと。


「今期は五十六名のうち、四十三名が、女官として王宮に上がることになりました。官吏となっても、淑女であること。ゆめゆめ忘れることなきよう。今後の貴女がたの活躍に期待します。大いに励みなさい」


「畏まりました!」


 声を揃えて応える女官になる同志達から一歩下がった位置で、私もしゃんと背筋を伸ばして、ゆっくりとお辞儀をした。


 壇上から去っていく大女官長様をお見送りして、講堂から去っていく女官達を見送る。どの子も希望と期待に顔がキラキラしている。ぼーっとそれを見ていると、背中を思いっきり叩かれた。


「いっっったぁい! 誰!」


「ふん、しょっぱい顔して。胸を張れって、大女官長様から言われたでしょ」


 振り向くと、勝気そうな瞳を笑みの形にしたイーダが立っていた。手をぴらぴら振ってる。よくも本気で打ったわね。


「イーダ、あなた結局、情報局に行くんですって?」


「そうよ。先生に才能を買われたの。アレクシもちゃんと帰ってきてくれるなら構わないって言うし。ダメならダメで、異動すればいいし」


「それ、先生に言わないほうがいいよ。意地でも異動させないから」


「当たり前でしょ。上手くやるわよ」


「ふふ、相変わらずですこと」


「マルギット、何とか言ってやってよ。私を本気で打って、自分も痛がってるのよ」


 マルギットは肩をすくめて「何とか」って、笑いながら言った。叱る気なしだなんて、あんまりだ。


「愛のムチでしょ。セラをいたぶるのがイーダの愛情表現」


「寂しいのよね、イーダ」


 カルロッテが呆れたように笑って、マイラがしんみりと笑う。


「さ、卒業式も終わったし、城下町に繰り出して一杯やるわよ! 私達の門出に乾杯よ!」


 みんなをグイグイ引っ張ってくれるエリナが、今日も飛ばしていた。


「こんな明るいうちから?」


「明るいからよ! 夜じゃ門限で締め出されちゃうでしょ。今日明日しか、羽を伸ばせる時間ないんだから。来週から制服の採寸に、職務規定説明会に、とにかくやることいっぱいなんだからね。セラといられるのも、本当にあと少ししかないし」


「オルガ様も呼んで来ましょ。戻ってきてるんでしょ、セラ?」


「うん。今休暇で実家にいるわよ。ちょっと呼んでくるね」


「頼んだわよ。じゃ、私達は一足先に行ってるわ。他の組の子達もくるから、早くいって席とっとかないと」


 慌しく城下町へむかう皆と別れて、私もオルガの家がある貴族街へと歩き出した。女官にはなれなかったけど、この三年間で、本当に得がたいものをたくさん得た。だから、胸を張ってユリシーズに言える。「私、頑張ったよ」って。


 それから、少し遠い空の下にいるあなたに、どうしても伝えたい一言があるの。

 古語は難しすぎるから、私の言葉で真っ直ぐに、真っ直ぐなあなたに伝えたい。



『私は貴方に恋してる』







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