20. 騎士の誓い
ウィスタリアは隣に座るセラに、そっと話しかけた。
「何だかよくわからない展開になっているけど、セラが西方に行くと決めたこと、ユリシーズ様はご存知なの?」
「言ってないから、知らないと思います。勘のいい人だから、気づいているかもしれないけど」
セラとウィスタリアがヒソヒソと話していると、ウルリーカが席を立ってやってきた。
「西方人は陽気で気さくっていうけど、本当なのね。セラ、あなた本当に大丈夫なの?」
ラウニはおっとりと微笑みながら、椅子に座ったままのセラの頭をヨシヨシと撫でた。
「ユリシーズ様って、あの黒騎士の男のコでしょう? 良いコみたいだし、大丈夫じゃない?」
「ラウニ様は本当に楽天的ですよね……あの濃いメンツの中で、うちのかわいいセラが大変な目に合うんじゃないかと、私は非常に心配です」
「まぁ、ウル、あなたどうして、そう後ろ向きなの」
「あなたの副官だからですよ……!」
こほん、とクレヴァが咳払いをして、部屋にいる一同がそちらを振り返った。
「それでは、セラフィナ様が西方にお越しくださる、ということで、本当によろしいのですね?」
「は、はい、クレヴァ様」
セラは思わず立ち上がって、クレヴァのほうに向き直った。そんなセラを見て、クレヴァは穏やかに微笑んだ。
「わかりました。とはいっても、このまま我々と戻ることは、お勧めしません。此度の来訪はあくまでも亜生物対策と、精霊騎士団への援軍要請が目的です。何の策も講じずにセラフィナ様をお連れしても、御身が危険なだけです。それならば、精霊騎士団の遠征軍とともにお越しいただいたほうがいい。それまでに、我々も受け入れる態勢を整えておきます」
「そうですわね。そうして頂いたほうが、私達も安心できます。セラ、あなたは、それでいい?」
「はい、先生。あの、クレヴァ様、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。皆でお待ち申し上げております」
「エーラース卿、セラを頼みます。私達を信じて預けていった、フェリシア殿のためにも」
ローネ卿が腹に響くような低音で発言すると、クレヴァは立ち上がり強く頷いた。
「命に代えましても」
コンスタンスが優雅に立ち上がり、先ほどとはうって変わった厳しい口調で、諸侯達を見据えて言った。
「当分、姫様が西方へいらっしゃることは、伏せます。いまだによからぬことを考えている者達がおりますから」
「姫様の護衛には、ユリシーズが率いる『黒き有翼獅子の騎士団』がつく。あれより強い騎士団は西方にはない。安心されるがよろしかろう」
「なぁに、わしらに言われんでも、ユリシーズが姫様を死んでも守るじゃろ。レーヴェ家の男は昔から情に篤い」
太い笑みを浮かべるフェアバンクス公爵と、猛禽のような鋭い瞳でニヤリと笑うバハルド将軍に、セラも笑顔で頷いた。
「それでは、私はこれで。セラのことは、私から陛下にご報告します」
退室していくラウニに、ウルリーカも渋々ついて出て行った。
「私も失礼させていただく。貴君らも、武術大会を観覧されるのであれば急がれたほうがいい。そろそろユリシーズ殿が出場する時間ですよ」
「おじ様も出るの?」
「出るよ。出たくないけど出るよ。陛下のご命令だからね」
「が、頑張って、おじ様」
「負けると決まったわけではないですぞ、ローネ卿。姫様が貴公を応援すればユリシーズの士気が下がる。そこが狙い目じゃ」
バハルド翁のあんまりな策に、ローネ卿は「善処します」と力なく答えると、小山のような大きな背中を丸めて出て行った。
「私達も行きましょう、セラ。近くで応援してさしあげなさい」
「ホホホホホ。姫様にお声をかけてもらえば、良い所を見せたくて、普段より頑張るでしょうね」
「えっ、まさか、私まで貴賓席に連れていくんですか? は、端っこでいいです! みんなと見ます!」
セラは慌てて立ち上がって、侍女服の裾を摘んで「御前、失礼いたします!」と諸侯達にお辞儀をして、一目散に駆けていった。侍女服で貴族しかいない貴賓席になんか座ったら、悪目立ちするに決まっている。人影ひとつない王宮の裏回廊を駆け抜けて、闘技場が設営されている騎士館に向かった。近づくにつれ、すごい歓声が聞こえてくる。セラは王宮関係者の入り口から、こっそりと中に入った。きょろきょろと周りを見て、知り合いがいないか、女官達が集まっている部屋がないか探していると、トントン、と肩を叩かれた。
「ここは関係者以外立ち入り禁止だよ」
「ご、ごめんなさい」
肩を竦めて振り返ると、リオンがにんまり笑っていた「なんてね。びっくりした?」
「リオンさん!」
「どこ行ってたの? マルギットちゃん達も探してたんだよ?」
「ちょ、ちょっと用があったの」
「そっか。みんな黒騎士側の席にいるよ。試合を見る場所がないって言うから、寄ってもらったんだ」
「ものすごい特等席じゃない」
「そーだよ。さ、行こ。ユーリ様の試合が始まるよ」
「準々決勝?」
「まずは小手調べに、オルガちゃんのお父さんと特別試合。ユーリ様は特別枠参加で、強い人としか当たらないんだ。何か変な感じすると思わない? 作為的と言うか」
「そうね……」
黒騎士達のために用意された席は、闘技場全体が良く見え、かつ階上側からは見えない死角にあった。すでに試合場には腰に剣を佩いたユリシーズが気負いなく立っていて、反対側からローネ卿がやってくるのが見えた。
「あ、セラちゃんだ」
赤毛のフーゴが振り返って、八重歯を見せて笑った。「お疲れ様」「遅かったね」と、口々に黒騎士達はセラを歓迎して、マルギットとマイラの隣へと席を勧めた。
「セラ、あなたどこにいたの?」
「探したのよ」
「ごめんね、二人とも。皆さんも、試合、お疲れさま」
皆の声に気づいたユリシーズが、ちらりとこちらを見た。目が合うことはなかったが、何気なく右腕を触る仕草で、セラのことに気がついたのがわかった。そこにはセラが結んであげた、真珠色のリボンがあるはずだ。
「オルガちゃんのお父さん、ホントに騎士なの?」
「ユーリ様が細く見える……」
リオンとアキムは、ローネ卿の風貌に驚いていた。小山のようにどっしりとした体格に、野生的な髭面は、どこから見ても『山賊の親分』だ。
「山賊ではなく、れっきとした騎士様で、ガルデニア有数の名門貴族でしてよ」
「マルギットさん、そんな、アナタ。俺達があえて言わずにいたのに」
セラの後ろに立つリオンとアキムが、揃ってため息をついた。
「マルセルはやっぱり、ほんの少しおバカさんだよね」
「それじゃ言ってるのと同じでしょうに」
陣太鼓が大きく一つ鳴らされると、試合場の中央で、ユリシーズとローネ卿が相対した。二人同時に剣を抜き放ち、剣を垂直に立て胸元の前で捧げ持ってから、右下斜めに切り下ろした。
ユリシーズは下段に構え切っ先を下に向け、ローネ卿は頭の左側に剣を構えて切っ先をユリシーズに向けた。わぁっと歓声が沸き立つと同時に、ローネ卿が巨躯から想像もつかない速さで、ユリシーズに切りかかった。手首を巧みに使い、ユリシーズに剣を払われると同時にすぐさま再攻撃にうつる。ローネ卿は反撃の隙を取られまいと、怒涛の連撃でユリシーズを押した。
「!」
ローネ卿との直線の間合いを横切るように、左から右、右から左へと攻撃を払うと同時に、弾いた剣の勢いにのって、ユリシーズは右腕を軽く捻り、斬撃から突きへと攻撃を素早く転化させ、ローネ卿の喉元に切っ先を当てた。「勝負あり!」の審判の声が響き、どおおおおおっと闘技場が沸いた。ユリシーズは剣を鞘におさめて、ローネ卿と上座にいるガルデニア王へ一礼して、セラ達のいる所に戻ってきた。
「おじ様、応援する前に負けちゃった……」
「ローネ侯爵様が、あっさり負けた……」
セラとマイラはぽかんとした顔で、ユリシーズが戻ってくるのを眺めていた。上座に一礼したローネ卿は、セラ達のほうをむくと「参った」というような苦笑いを浮かべ、セラに軽く手を振って闘技場を去っていった。
「あっという間で、何が何だかわかりませんでしたわ」
唖然としているマルギットを見て、リオンは声を立てて笑うと、水を飲んでいるユリシーズの背に声をかけた。
「ユーリ様、この子達に説明してやったら?」
「普通に攻撃を流して、隙をついただけだ」
「そんな説明じゃ、わからないわよ」
「うるせ」
「いたっ!」
指弾で額を弾かれて、セラは思わず額を押さえて屈んだ。黒騎士達は声を揃えて言った。
「ひどい」
「仕事終わったくせに、なに迷子になってんだ。ちょっと来い」
「ユーリ様、あんまりセラちゃんを困らせるんじゃありませんよ」
「はいはい、みんな、次はアルノーの出番だから。存分に野次るんだよ」
リオン達の声を背後に聞きながら、ユリシーズについて誰もいない廊下へと出た。すぐ隣にある、黒騎士達が控え室として使っている部屋に来ると、セラを中に通してからそっと扉が閉じられた。
「どうだった。話、してきたんだろ」
気遣わしげな蒼い瞳を見ていると、不思議と気持ちが落ち着いていく。指弾された恨みも忘れて、にっこりとセラは笑顔を浮かべた。
「私ね、西方へ行くことに決めたわ。西方で何ができるか、まだわからないけど。私、頑張るから」
「なっ」
「理由は、あとで話すね。それよりも、ユリシーズに報告しなくちゃいけないことがあるの」
「……何だ。話してみろよ」
「あの、その。すごく、言いづらいんだけどね。西方諸侯のバハルド様と、フェアバンクス公爵様がね」
「何を言われたんだ?」
「うぅ。私を伴侶にするって」
「何だと! あのクソジジイどもふざけんな! セラを嫁にしたいだと! ぶった切ってやる!」
「ち、ちが、ちがうっ、私が、ユリシーズの伴侶だって」
セラの言葉に、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして「は?」と言ったきり、石のように固まった。
「ごめんね、ごめんね。私もどうしてそういう話になったのか、よくわからないの」
「ホントだよ、何で、そんな話に……」
左手で口を覆って、信じられないという風に呟く姿に、セラは顔を上げているのが怖くなってきた。やっぱりセラが想いを寄せたら迷惑なのかもしれない、と少しだけ胸が痛んだ。
「ユリシーズは自分でお嫁さん探すって言ってますから、って伴侶がどうとかのお話は、なかったことにしてもらうから。安心してね」
「もう、見つけてる」
つい、と横を向いて呟いたその声に、ずきんと胸が痛んだ。迷惑どころか、ほかに想う人がいるらしい。やっぱり、この恋は諦めたほうがいいのかもしれない。それでも何でもない風を装って、明るく笑った。
「そ、そうなんだ。それなら、よかったわ。もういらっしゃるみたいです、って、クレヴァ様にお伝えしておくね」
「……本気で鈍いな、お前」
呆れたような声がして、おそるおそる、セラは俯きかけていた顔をあげた。何だか怒っている顔をしたユリシーズが、ひたむきな瞳でセラをじっと見ていた。大きく心臓が跳ねて、顔に熱が集まってくる。
「戻ろう。俺、このあとずっと試合だから」
小さく息をついて、扉から先に出ると「セラ、約束、忘れるなよ」と、一言だけ言って、スタスタと歩き出した。拒絶されたような気がして、セラはどうしていいかわからずに、その広い背中を見つめるしかなかった。
扉のすぐそばにいたエーリヒが、戻ってきたユリシーズを呼び止めた。
「ユーリ、アルノーが勝ってしまったぞ」
「おかえり、ユーリ。何か機嫌悪そうだけど、どうかした?」
片手を挙げてにこにこと笑うアルノーに、仏頂面のまま手を挙げて軽く打ち合わせた。
「別に。次の相手誰だっけ」
「王宮騎士の百人隊長だって」
「へー。誰が来ても今の俺は負ける気がしないな」
「っていうか、負けたら、お館様にぶっ飛ばされるでしょ」
「『黒き有翼獅子の騎士団』の団長、よっわ! ってバカにされるよね」
「まさか負けたりしないですよね、ユーリ様」
「うるせ! 黙ってみてろ」
漆黒の開襟コートを椅子に放って、ユリシーズは扉のそばから顔を覗かせているセラを見て、ニヤリと不敵に笑った。
ユリシーズの次の相手は、王宮騎士団の近衛所属の青年だった。彼が試合場に立つと、若い女性の黄色い声援が一気に強くなった。甘い顔立ちにきらきらと輝く濃い金髪の青年は、若い乙女達の憧れの的らしい。声援に応えるように、青年が手を振ると「キャー!」と若い女性達が歓声をあげた。
「これは、やりづらい」
「完全にユーリが悪役だ。目つきは悪いし、全身真っ黒だし」
「ちょっとつり目がちなだけじゃないっ」
「セラったら、そんなに鼻息を荒くして。フフフ」
「でもアキムさんには負けるよね」
「キャーじゃなくて”ギャー”だったもんね。アキムさん、異国風で綺麗な顔だし」
大きく陣太鼓が鳴らされて、ユリシーズと青年騎士が、剣を捧げ持つように構えた。剣を払い下ろすと同時に、青年騎士が大きく踏み込んで細剣で突きを入れてきた。不意打ちをあっさりかわして、ユリシーズは相手を誘うように後退しながら剣先を下に向けた。隙あり、とばかりに、青年騎士は細剣を閃かせ突きかかった。
「アルノーさん、ユリシーズ、全然攻撃しないけど、どうしてなの?」
セラはローネ卿のときのように、あっさり勝ってしまうのではないかと思っていたが、意外と相手がもっているので不思議な気がした。確かにあの近衛隊の騎士は、セラでも知っているくらい腕の立つ騎士だから、接戦になるのも当然といえば当然だが。
「一瞬で倒しちゃったら、試合にならないからだよ。見せ場を作ってるつもりなんじゃないかな」
マルセルが「なんちゅーイヤミなことを」と呟き、エーリヒが「……良い所、見せたいんだろうな」とぼそっと言った。
黒騎士達のぼやきを聞きながら、セラは華麗な攻撃を仕掛ける青年騎士と、防戦一方に見えるユリシーズの試合を食い入るように見た。手首をかえして長剣の表裏の刃を使いながら、相手の攻撃を受け流している。数度目に相手が踏み込んできたとき、素早く剣先を避け、背中越しに右手に持った剣を左手に持ち替えて、ユリシーズが一気に踏み込んだ、ようにセラには見えた。青年騎士の喉元に長剣をつきつけたまま、ユリシーズは不敵に笑った。
「勝負あり!」の声が、試合終了を告げると、会場からは「うおおおお!」という野太い声援があがった。
「ね、やっぱり一瞬だったでしょ? 次は俺とだから、もっと面白いものが見れるよ」
ニコニコ笑うアルノーに、セラは何と返したらいいのかわからず、とりあえず笑っておいた。
「次は団長対未来の副長対決か。武器破壊はやめとけよ、アルノー」
「わかってるよ」
「頑張ってください、アルノー様」
「応援してますわ」
「俺達全員でアルノーを応援してるから」
「え、なんで? ユリシーズのことは応援しないの?」
きょろきょろと周りを見るセラに、皆が「邪魔になるから」声を揃えて笑った。もしかして、皆にセラがユリシーズのことを好きだということがバレバレだったのだろうか。だとしたら、相当恥ずかしい。でも、いつわかったんだろう、とそのことを考えると頭のなかがぐるぐるしてきた。
「ユーリ様には、セラちゃんがいれば十分でしょー」
「あんなにやる気に満ち溢れた姿、久しぶりに見ましたよ」
試合場で手のひらを上に向け、据わった目でクイクイと手招いてアルノーを挑発するユリシーズを、二人とも微笑ましい目で見ていた。セラには、どう見ても「殺る気」にしか見えなかった。
陣太鼓が打ち鳴らされて、試合場の黒騎士二人は垂直に構えた剣の鍔元を口に当てて、互いの切っ先を向け合った。アルノーが何やら話しかけているように見えたが、セラ達のところに声は届かない。ムッと顔を顰めたユリシーズが、ザッと砂を蹴って切りかかった。正眼に剣を構えたアルノーが難なく受け切って、表刃を返してユリシーズの長剣を弾いた。長剣を弾かれたユリシーズは素早く体勢を整え、上段から振り下ろした。金属がガンと激しくかみ合う音。小さく散った火花。突如として始まった激しい打ち合いに、闘技場全体が沸いた。
エーリヒが「挑発され返されて、頭に血が昇ったか?」と呟くと、マルセルは呆れたような顔で答えた。
「どーせ、アルノーが余計なこと言ったんじゃないの。このヘタレ、とかなんとか」
ユリシーズの素早さを生かした突き技を、すんでのところでアルノーは後ろに下がっていなした。
「あっ、危ない!」
「恐ろしすぎて、見てられませんわ……」
両手で顔を覆っているマイラと、少し引いた顔のマルギットを横目に、セラもハラハラしどおしだった。アルノーの渾身の振り下ろしに、剣を取り落としそうになったユリシーズが、とっさに掴んだ柄頭で剣を受けて、跳ね返した。あんな小さな部分で受けるなんて、無茶もいいところだ。闘技場は沸きに沸いて、野太い「いいぞ黒騎士ー!」の声援が飛んだ。
マルセルが「な、何か、男の声援がすごいな」と複雑な顔をすると、フーゴは「俺達のときも、野郎どもの声がしてたよ。俺も女の子にキャーキャー言われたかった」と、悲しそうに呟いた。
激しい鍔迫り合いから、お互いを突き飛ばすように退いて、二人とも肩で大きく息をしながら互いの隙を狙った。マルセルの「二人とも、次で決めるな」という声がして、セラは思わず「ユリシーズ、頑張って!」と叫んだ。
二人とも同時に大きく踏み込んで『突き』の体勢になり、お互いを串刺しにする寸前でユリシーズは体を捻って突きをかわし、そのままアルノーの背後に回りこんで、喉元に剣をつきつけた。
「勝負あり!」の審判の声が上がると、どおおおおお、と闘技場が沸いた。ユリシーズが右腕を挙げて声援に応えると、さらに歓声が大きくなった。
ユリシーズは右利きだから、右腕を挙げたのだろう。あの腕にセラがあげた真珠色のリボンがあるのかと思うと、何だか気恥ずかしくなって、セラは思わず俯いた。アルノーが戻ってくると、口々に黒騎士達が健闘を称えた。マルギットもマイラも笑顔で「お疲れ様でした」と迎えた。
「あ!」
リオンの驚いたような声に、セラは弾かれたように顔を上げた。試合場を見ると、ユリシーズが次々飛来する矢を剣で叩き落としているところだった。
「アキム、ここにいて。俺が行ってくる!」
言い置いて、リオンが部屋から飛び出して行った。アルノー達黒騎士も試合場に駆け出そうとしたが、全員が歯噛みしたように足を止めた。
「ダメだ、試合場に出たら、ユーリが失格になる」
「そ、そんな! ユリシーズ、早くこっちへ!」
セラが焦って叫ぶと、ユリシーズも怒鳴り返した。
「ダメだ! 戻ったら試合放棄になる!」
どうしたら、とセラが泣きそうになった時、試合場に白いマントを翻して、誰かが駆け込んできた。同時に突風が巻き起こり、飛んでくる矢をバラバラに散らした。
「トゥーリ様!」
セラは隣にいたマイラと手を取り合って、ぴょんぴょん跳ねて喜んだ。セラのなかで、ユリシーズと同等に頼れる人がやってきて、安堵のあまり涙がにじんだ。
「衛兵! 右端欄干にいる近衛を捕らえろ!」
試合場から警備している衛兵に命令を下し、ユリシーズを庇うように立つと、トゥーリは皮肉気な笑みを浮かべた。
「ずいぶん、やっかまれてるね、ユーリ」
「この一ヶ月、いろいろやったからなぁ」
「反王国派の黒幕を今さっき、捕縛したそうだよ。聞いてびっくり、第三宰相さ」
「てっきり黒幕は左大臣だと思ってたよ。見るからに悪そうなツラだったからな。ていうか、決勝って君なの?」
「左大臣は君をダシに黒幕をあぶりだしてただけ。悪代官顔だけど、清廉潔白な忠臣だよ。本当なら第三宰相派の近衛隊長が出張ってきて、毒を塗った剣でグサリだったんだよ?僕が特権で自分をねじ込んだこと、ありがたく思うんだね」
「そりゃどうも。水を差されたけど、やるのか」
「当たり前。君がどれだけ強くなったのか、お手並み拝見といこう」
「前みたいに風でぶっ飛ばすの、やめてくれよ。あれは避けれない」
「しないよ。君に精霊魔術を使ったことがオルガにばれて、こっぴどく怒られたからね」
「ハハハ、ばれてやんの」
「笑ってられるのも、今だけさ。セラをよくも泣かせたな。どうせ君のせいだろ」
「……それは、その」
「セラの決めたことだから、今更止めたりしないけど。父兄代表として、とりあえず君を一発、全力で殴らせてくれ」
トゥーリは上座に片手を挙げてから、審判に向かって「仕切りなおしだ!」と叫んだ。二人は互いの剣の間合いの距離をあけて対峙すると、剣を構えた。
「よかった、トゥーリ様が来てくれて」
セラがホッとしたように呟くと、隣に座るマルギットが笑顔でぽんぽん、とセラの握り締めた手を叩いた。マイラも大きな瞳を潤ませて胸元で握っていた手をゆっくりと下ろした。
「どうなっちゃうのかと思って、怖かったわ……」
「大丈夫です、マイラさん! 俺がついてます!」
「マルセル、座って。エーリヒも。フーゴ、さりげなく手を握ろうとするんじゃありません」
アキムは冷めた瞳で黒騎士達を虫を払うように追いやってから、にっこりとセラ達に優しく微笑んで、試合場に向き直った。陣太鼓が一つ大きく鳴らされて、二人が剣を捧げて礼をした。ユリシーズは剣を左肩に担ぐような構えを、トゥーリは剣を正眼に構え、同時に仕掛けた。甲高い金属音が響き、あまりの打ち込みの重さに剣を取り落としそうになったトゥーリは、口元を片方だけ引き上げて笑った。
「す、すごい……」
「一流の剣士の戦いって、地味ですのね」
マルギットの言葉通り、試合場の二人は基本の型どおりに、剣術の教本のように切り結んでいるだけに見えた。セラには剣筋の光る軌跡しか視認できなくて、何がどうなっているのかよくわからない。
「地味だよ。だけど、あれは俺じゃ受けきれないな」
真剣なアルノーの声に、黒騎士達は黙ったまま、自分達の主の戦いを見守った。相手に攻撃の隙を作らせないように、上下左右から変則的な角度で切り下ろされる剣を、トゥーリが流れるようにいなす。闘技場全体からは熱気の篭った歓声がやまずに響いている。勝負のつかないまま数分が過ぎ、セラは祈るような気持ちでユリシーズを見つめ続けた。もう何合切り結んだかわからない。汗で柄が滑ったのか、ユリシーズが取り落としそうになった剣を持ち替えた瞬間、素早くトゥーリが間合いを詰めた。
「ユリシーズ、頑張って!」
セラの声が聞こえたのか、くるりと素早く身体を反転させて、トゥーリの手元から剣を弾き飛ばした。カン! と乾いた音を立てて、試合場に剣が落ちる。
「勝負あった! レーヴェ卿の勝ち也!!」
審判の声がきっぱりと闘技場に響き渡り、一瞬歓声が止んだ。ユリシーズがグッと拳を握った右腕を、真っ直ぐ天に伸ばすと、割れんばかりの声援が闘技場を包んだ。
上座から駆け下りてきたガルデニア王は、試合場に立つ二人の騎士と固く握手すると、側近に持たせていた白絹の袋をユリシーズに手渡した。
「素晴らしい戦いを見せてくれた騎士に、もう一度応えよ!」
歓声に沸く場内をぐるりと見渡すと、ガルデニア王は両手を掲げて楽しそうに声を張り上げた。元来お祭り好きな王のその言葉に、闘技場からは声援と、惜しみのない拍手が降る。はらはらと風に紙吹雪が舞った。
満面の笑みを浮かべ、ユリシーズが悠然とした足取りで戻ってきた。セラは嬉しすぎて、何だか涙が出てきた。恋をしてからすっかり泣き虫になったけれど、今日は本当によく泣いてしまう日だ。
「勝ったぞ、セラ!」
「うん、うん! すごいよユリシーズ!」
「まったく、僕としたことが油断したよ。ユーリ、君、今晩の祝勝晩餐で、一番手で踊ってもらうからね」
気だるそうな声がして、そちらを振り返ると「やれやれ」とでもいいたげなトゥーリが立っていた。ユリシーズは眦を吊り上げて、食って掛かった。
「何だと! 俺が円舞苦手なの知ってて言うか、それ」
「セラも一緒だから、恥をかかせるんじゃないよ。皆も本当におつかれさま」
守護騎士は爽やかに微笑んで、白いマントを靡かせて立ち去っていった。残された面々は「そっか、今晩って夜会形式なんだ」「美味いもの食えるな」と、楽しそうに語りだした。
マルギットは「すっかり忘れてましたわ。私、一度家に戻らなくては」と顔を曇らせ、マイラは「私も接待のお仕事があるの。これも試験だっていうんだもの、困っちゃうわ」と、優しげな柳眉を下げた。
「あの、ユリシーズ。私、一応踊れるから、ね。一緒に頑張ろう?」
「俺も踊れるよ……。人前で、そういうことするのが苦手なの」
「まったく。領主になったら、そういう機会が増えるから克服してくださいと、何度も言ったでしょう」
「うるせ」
「ホントだよ。セラちゃんからも、何とか言ってやって。さ、みんな。俺達は部屋に戻るよー」
バタバタと黒騎士達と女官見習い達がいなくなって、セラとユリシーズは黙り込んだ。
「約束、覚えてるか」
「うん。私がお嫁にいかない理由でしょ……好きな人がいなかったからよ。恋とかに興味がなかったというか。乙女の願望を打ち砕かれたり。私にも色々あったのよ」
「まだ十八だろ。何で、そんな枯れた考え方を……」
「秋になったら十九よ。悪かったわね、ずっと春がこない枯れた娘で」
「そんなこと言ってないだろ。じゃ、今は?」
「い、いまは……ちょっと、考えを改めたの」
目の前に好きな人がいます、という最大の機会のように思われたが、ざわつく闘技場の隅で言うのは憚られた。セラにだって、一応「こういう風に愛を告げたい、告げられたい」という乙女らしい夢もあるのだ。
「なら、俺が『騎士の誓い』をしても、何にも問題ないな?」
「えええっ!」
「まだみんな控え室にいるだろ。行くぞ」
いつになく強引なユリシーズに手をがっちり掴まれて、セラは闘技場を後にした。すぐ隣にある控え室からは、皆の談笑する声が聞こえてくる。
「みんな、頼みがある。『騎士の誓い』の見届け人になってくれ」
扉を開け放つと同時に、そう言い放ったユリシーズを、その場にいた全員が振り返った。黒騎士達は一斉にニヤニヤと笑い出し、部屋の後片付けをしていたマルギットとマイラが、口を覆って「まあ!」と叫んだ。なぜか控え室にいたトゥーリが「そうきたか」と苦笑した。
「ようやく腹を決めたか。いいよいいよ、いくらでも見届けてあげる」
にんまりと嬉しそうに顔をほころばせて、リオンがユリシーズの手から白絹の袋を受け取った。
「わ、私、初めて見ますわ」
「私もよマルギット。しかもユリシーズ様のお相手が、セラだなんて」
手を取り合ってキャアキャアと大騒ぎをする女官見習いに、アキムが「気持ちはわかりますから、お静かにね」と微笑んだ。途端に真っ赤になって黙り込む二人を見て、セラも思わず真っ赤になった。騎士が主君以外の女性にする『誓い』は、求婚の申し込みと同意だ。東西南北、それは大昔から変わらない不文律だった。
「いいよ。見届け人になってあげる。誓いを違えたら腹を切る覚悟、あるんだろうね」
「なきゃ、しない」
ばさりと開襟コートを羽織ると、アキムから剣を受け取って、立ち尽くすセラの前に跪いた。にやつきを綺麗に顔から消した黒騎士達が、跪くユリシーズの後ろに並んで、剣帯から剣を鞘ごとはずし両手に持って床を打った。帯剣していないリオンとアキム、同じように剣を手に持ったトゥーリがセラの側に立った。セラが本で読んだとおりの『騎士の誓い』だった。見届け人は「誓いを違えたら切る」意思表示で剣を手に持つ。剣で床を打つのは退路を塞いでいるぞ、ということ。まさか、自分がされる側になるとは思っても見なかった。
「我が剣を君がために捧げん。我が心は汝のものなり」
低くてよく通る声が、淡々と宣誓の言葉を述べていく。ユリシーズから剣の柄を差し出されて、セラは心底困った。返礼の仕方なんて本には書いていなかった。恋愛小説だと、どの主人公達も固く抱き合ってキスを交わすのだ。皆の前でそんなことをしろと言われたら、恥ずかしくて死ねる、とセラは思った。
ユリシーズが小声で「俺の左肩を、剣で打て」と言ってくれなければ、そのまま固まったままになるところだった。ユリシーズが支え持ってくれてるとはいえ、刃のはいった長剣はかなりの重量がある。震える手で柄を持ち、力いっぱい持ち上げて、そっとユリシーズの左肩に当てた。
「ユリシーズ・レーヴェの誓い、しかと見届けた。この場にいる者達よ。汝ら、この者が誓いを違えた時、その剣でもって正せ」
厳かにトゥーリが告げると、全員が剣で床を打った。
「セラ……!」
「わ、私、感動しちゃった……」
ぎゅうっと二人に思い切りしがみつかれて、セラはあえぐようにもがいた。
「はいはい、二人とも。ちゃっちゃと後片付けしなきゃでしょ」
ぽんぽんと二人の頭を撫でて、にっこにっこ笑うリオンが間に入ってくれた。立ち上がったユリシーズと目が合うと、照れくさそうに蒼い瞳を細めて笑ったので、つられてセラも笑った。『騎士の誓い』が、こんなにあっさりとしたものだと、セラは思っても見なかった。
「このこと、ウィスタリア様に報告するけど。構わないよね?」
「ああ。あとでそちらに伺うとお伝えしてくれ」
「わかった。それじゃ、アキム。話の続きは、また今晩にでも。いい葡萄酒があるんだ」
「しつこいですね……。俺は精霊騎士団には入りませんって、何度言えばわかってもらえるんですか」
「一応、君のためでもあるんだけどね。じゃ、僕はこれで」
颯爽と立ち去っていくトゥーリを見送って、セラも我にかえった。晩餐会に出ると言っても、セラはドレスなど持っていないのだ。
「ど、どうしよう。私、ドレスとか持ってない……」
「私が貸しますわ。丈を詰めれば入りますでしょ」
「髪結いなら、私にまかせて」
「あ、ありがとう、マルギット、マイラ!」
セラも二人を手伝って、カップ類を片付け始めた。持つべきものは友達だと、嬉しく思いながら、忙しく手を動かした。
「そっか、女の子は仕度があるんだよね。ユーリ様、俺達も一旦引き上げよう」
マイラを手伝っていたリオンが、くるりと振り返った。ユリシーズも腕を組みながら頷いた。
「うん、そうだな。腹も減ったし」
「晩餐会まで、あと二時間ぐらいですよ?」
「今食うの?!」
アキムとアルノーの呆れた声に、ユリシーズは胡乱な目をして二人を見据えた。
「うるせ。身体を動かしたから腹が減ったんだよ。晩餐っていっても、俺は諸侯へのあいさつ回りでろくに食えないだろ。何か、甘いものとかない?」
「それでしたら、王宮侍女にお願いして、客室までお届けいたしますわ」
「ありがとう、助かるよ」
嬉しそうに笑うと、すぐそばにいたセラの肩をぽんと叩いた。
「それじゃ後でな。一番手はすげー目立つから、しっかりめかし込んで来いよ」
「う、そういえばそうだった。出来る限りの努力はするわ……」
「期待してる」
ニヤリと意地悪く笑うと、ユリシーズは黒騎士達を従えて、王宮にある客室へと戻っていった。その背を見送って、セラはこれから何が起きるのか不安ばかりだったけれど、ユリシーズがいれば、何とかなるような、そんな気がした。




