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乙女は獅子に恋をする  作者: 龍田環
北方大陸編
18/111

18. セラと愉快な黒騎士たち

 気まずい。


 気まずさに耐え切れず、セラは窓から出て行きたくなったが、ここは二階。この迎賓館は天井が高めに作られているから、実質三階くらいの高さから飛ぶことになる。ちらりと窓に目をやった。


 かーん、かーん、かーん。


 三度、時計塔の鐘が鳴って、セラは我にかえった。昼三時のお茶の時間だ。


 濃い目に入れた紅茶とともに、小さめの甘い焼き菓子をつまむのが北方式だ。西方式はバターをたっぷり使った焼き菓子と珈琲だと教わった。居室に備え付けてある小さな台所でも、お湯くらい沸かせたはずだ。セラは立ち上がって制服をぽんぽんと払ってから、思い切ってユリシーズの背中に声をかけた。


「あの、ユリシーズ」


「ん?」


「お茶、淹れるわね」


「お、おう、頼む」


 ユリシーズは扉から手を離して、入り口のすぐそばにある小部屋に入っていく、セラの様子を窺った。裏庭の一件から避けられ始めて、ばったり会うたびに小動物のように逃げられその度に本気で凹んだ。セラに気づかれない距離からこっそり姿を見るという何とも暗い行動のおかげで、さらに気分が落ちた。悶々としている最中に思いがけず話す機会が得られたが、何を話したらいいのかわからなかった。


 落ち着かない気持ちで、散らかった部屋を片付けていると、珈琲の良い香りがしてきた。北方はお茶文化で、珈琲はあまり嗜まれない。セラが珈琲の淹れ方を知ってたことに、純粋に驚いた。


「珈琲があったのか?」


「ひゃっ!」


 小部屋から出てきたセラに声をかけると、驚かせてしまったようで、盆の上の茶器がカシャンと小さく音を立てた。


「あ、悪い」


 盆の上を見ると、一客分しかカップがない。ユリシーズはむっとした顔でセラを見た。


「何でカップが一つなんだよ。俺の分だけ? セラのは?」


「えっと」


「ちょっと、それ貸せ」


 ユリシーズはセラの手から盆を取り上げると、すたすたと小部屋に入っていった。ネルドリップの中には、十分な量がまだ入っている。伏せて置いてあったカップに淹れて、アキムが戸棚にしまっておいた焼き菓子を盆に乗せて戻ると、セラが困惑全開の顔で立っていた。


「とりあえず、座ったら?」


「う、うん」


 セラは促されて、すぐそばにあった椅子に掛けた。ユリシーズが今までどおりに接してくれることに、心がふわりと軽くなった。本当はこんなにも好きなのに。避けていたことを心底後悔した。あと何日、一緒にいられるのかを考えたら、一秒だって無駄にできないはずなのに。時間を戻せるものなら戻したかった。


「ん、美味い。よく淹れ方知ってたな」


「……前に、アキムさんが淹れてたのを見てたから」


 女官学校では色々な客人のための持て成しを習う。前に見たアキムの淹れ方や、教本を思い出しながらぶっつけ本番でやってみたけれど、喜んでもらえて嬉しかった。


「見ただけでか。俺にはできない芸当だ」


「お茶を淹れるのは得意なの」


 思わず口元が緩む。熱い珈琲をふうふうと冷ましながら一口飲むと、初めて会った日のことを思い出した。ほんの数週間前のことなのに、懐かしいような気がして不思議だった。そして、セラは言わなければいけないことを思い出し、居住まいを正した。


「あの、あのね、ユリシーズ」


「何だよ」


「変な態度取ったりして、ごめんね」


「俺は気にしてない。菓子でも食って元気出せ」


 さりげない優しさに、胸がじんわりと暖かくなる。嫌われていなかった、という安心感で肩から力が抜けていった。


「ありがとう、ユリシーズ。ところでこの焼き菓子、どこにあったの?」


「セラじゃ手が届かない棚だよ。出しておくとすぐなくなるから、アキムが仕舞ったんだ」


 セラの問いに明るく笑って答えると、ユリシーズはさっそく一つ目の焼き菓子に手をつけた。木の実と干し果物を小さく刻んだものが混ぜ込まれていて、見るからに美味しそうだ。セラも遠慮せず、同じものを選んだ。


「アキムさん、それじゃ付き人みたいじゃない」


「付き人っていうか、アキムは側役なんだ。俺が小さい頃から仕えてくれてる」


 彼らが兄弟のようにみえていたことに、ようやく合点がいった。小さな頃から身の回りの世話をすれば、主君が弟のように思えても仕方ない。


「もしかしてリオンさんも側役なの? 今日は天井の小さい窓から備品室に忍び込んでて、びっくりしたわ」


「あいつは側役兼護衛だよ。セラにはリオンが色々迷惑かけてるよな。今日は、本当にごめん」


 深々と頭を下げたユリシーズに、セラ慌てて「いいの、気にしないで」と笑った。ひどい目にあったけれど、けして嫌ではなかったから、ユリシーズが謝ることは何もない。


「今日のお仕事は終わりだから。後は帰るだけだし」


「帰りたくても、帰れないだろ。閉じ込められてるんだから」


「開けてくれるまで、待つから平気」


 セラの言葉にちょっとだけ笑うとユリシーズはカップを置いて、隣の椅子に座るセラのほうに向き直った。


「適当に話しながら待つか。セラは、俺に聞きたいことが色々あるんじゃないか?」


「えっと、ユリシーズの住んでいる所って、どんなところなの?」


 もちろん聞きたいことは山ほどあるのだが、今はユリシーズのことなら何でも知りたかった。セラが知っていることといえば、口が悪くて自信家で、肉と甘いものが好きで、寝顔が思いのほかかわいい、ということぐらいだ。


「西方大陸のトラウゼン地方だ。森林と草原ばっかりで何もないけど、俺は好きだよ。昔から軍馬の飼養で有名なんだ」


「だから、あんなに馬が好きなのね」


「馬はかわいいうえに、儲かるからな」


「……そうなの」


 少しだけ、聞かなければよかったと、セラは思った。純粋に馬が好きなのか、儲かるから好きなのか。せめて前者であってほしかった。


「いっぱい稼いで領民の生活を守るのが、領主の仕事だからな」


「領主って、誰が?」


「俺が。今は俺のじいちゃんが頑張ってるけど、帰ったら正式にトラウゼン領主を拝命することが決まってるんだ」


 セラはそれを聞いて、目の前が真っ暗になった。このまま別れたら、本当に二度と会えなくなる。おまけにユリシーズは騎士団長だから、戦いになれば先頭にたって戦う立場の人だ。会えないどころか、今生の別れになるかもしれない。


「……、……ラ。おい、セラ?」


「ご、ごめんね、ボーっとしちゃって。領主様になったら、きっと忙しくなるね」


「だな。遠征ばっかりだから、あんまり領地にいないけど。セラこそ、普段何やってるんだよ」


「普段は本館で侍女の仕事と、事務方のお手伝いをしてるわよ」


「侍女の仕事って、騎士の身の回りの世話とか?」


「それは宿舎勤めの侍女のお仕事。私がするのは、メイドの監督とか備品管理。下っ端だから雑用係みたいなものよ」


「そういや下っ端侍女って言ってたもんな。休みは何してるんだ?」


「お休みは、友達と城下町に行ったり、本を読んだり、お菓子作ったり。のんびりしてることが多いけど」


「……友達って、マルギットとかマイラとか、女の子の?」


「そうよ?」


 セラの言葉にユリシーズはホッとした顔で笑った。セラだってお年頃なのだからして、できれば好きな人と逢引したい。南部地帯からの旅の途中で、ユリシーズと街を少しだけ歩いたけれど、今ならあの時以上にドキドキすること受けあいだ。心臓が口から出るかもしれない。


「城下町なら、ここにくる時に馬車から見たよ。すごく栄えてるんだな」


「まだ行っていないなら、視察ってことにして見てきたら?」


「それだと仰々しくなるだろ。明日、セラが案内してくれよ」


「えっ」


「セラが明日休みなのは、知ってる」


 ニヤリと笑ってカップを傾けるユリシーズは、なぜかセラの予定を知っていた。セラの隠れ場所もお休みも、二人が全部話してしまったに違いない。


「マルギットとマイラったら! もうもうもう、みんなして」


「嫌ならいいよ。俺一人で行くし」


「嫌じゃない!」


 思わず即答してから、照れた顔を見せたくなくて、セラはつんと横を向いた。


「じゃ、決まりだな。明日の昼一に本館の前で待ち合わせようぜ」


 蒼い瞳を楽しげに細めて、ユリシーズはニッと笑った。セラは舞い上がりそうなほど嬉しくなって「昼一ね!」と満面の笑顔で答えた。ただのセラとユリシーズとして、いられたらよかったのに。お互いの立場や柵を考えると、ずしりと心に何かが圧し掛かった。


 それからは閉じ込められていることも忘れて、セラとユリシーズは他愛のない話ばかりした。小さい頃の話。ユリシーズの士官学校時代の話。セラが大事にしている本のこと。ユリシーズが今までに旅をした場所のこと。空いてしまった距離を埋めるように、二人は色々なことを話して笑いあった。そして夕の五の鐘が鳴る頃。軽いノックの音とともに、アキムの申し訳なさそうな声がした。


「お二人とも、本当に申し訳ありませんでした」


 居室の扉があっさりと開いて、背の高いアキムの姿が見えた。そこにはリオンの姿はなく、廊下には夕暮れの光が細く入り込んでいた。


「ったく、ふざけるのもいい加減にしろ」


 じとっと半目でアキムを睨むと、ユリシーズは扉を開けて、セラを先に通した。


「私、本当に気にしていないから。ユリシーズも、あんまり怒らないであげて」


「それはいけません。ここは主君がびしっと言っておかないと」


 さりげなくズボンのポケットに何か入れようとしていたアキムの手を、ユリシーズはガッと掴んだ。


「アキム、何持ってるんだ。見せろよ」


 ユリシーズは無造作にアキムの小指を掴むと、曲げてはいけない方へ軽く曲げた。


「あいたたたた」


「杭か。お前ら、全員で謀りやがったな」


「木の杭が何? 何なの?」


「扉の上下の隙間に打ち込んで、中から開かないようにしたんだよ」


 セラの両手の上にバラバラと杭を落とすと、ユリシーズは廊下を駆け出した。階段の手すりを滑り降り、その勢いで近くにいた黒騎士に飛び蹴りを食らわせた。


「オラァ!」


「ご、ごめんユーリ! ユリシーズ様! 踏まないで!」


 こげ茶の髪のスラっとした体型の黒騎士は、蹴り倒されて乙女のように横座りしたまま、踏もうと足を上げた姿勢のユリシーズに謝りとおした。


「だから俺は止めたのに。絶対怒るから、やめとけって言ったのに」


 柔らかそうな茶色の巻き毛の黒騎士が、客間の椅子で俯きながらぼそぼそと呟いた。


「アルノー、連帯責任だ、諦めろ」


 その隣に座っている精悍な顔つきの黒髪の青年が、ぼそっと呟いた。


「ここは言いだしっぺのリオンさんが行くべきっしょ」


 ツンツンと立った赤毛の愛嬌のある顔立ちの青年が、向かいに座っているリオンに言い放った。


「フーゴは、上官の俺を売るの?」


 呆れたような顔で、リオンはフーゴを見た。しっかりまわりの空気を読むくせに、上官への気遣いがまるでない。ユリシーズと小さな頃からつるんでいる彼らを、優しく鍛えてやったというのに。恩義も礼儀もあったものではなかった。


 階下のドタバタを尻目に、セラとアキムはのほほんと話し込んでいた。見た目は売れっ子吟遊詩人も真っ青の超絶美形なのに、奥ゆかしく気遣い溢れる性格が、セラにはとても好ましかった。


「アキムさん、指、大丈夫? ベキって言ったけど……」


「大丈夫ですよ、これぐらい」


「あの、これ……」


 手のひらの上には、セラの小指ほどの小さな杭が四本あった。こんな小さな杭が話すきっかけをくれたのかと思うと、何だか大切なもののように思える。


「ははは……ごめんね」


「いいえ。リオンさんとアキムさんのおかげで、ユリシーズと今までみたいに話せるようになりましたから」


「俺達、微力ながら助けになれたみたいですね」


「はい! ありがとうございます」


 セラのはにかんだ笑顔につられて、アキムも目元を和ませた。ユリシーズもセラも、ここ数日はどんよりとした暗雲を背負っていたが、今はすっかり元の明るさを取り戻していた。


「ユリシーズ、黒騎士さん達を一方的に踏みつけてるけど、止めたほうがよくないですか?」


 階下を覗きこむと、ドタバタと大の男達が暴れていた。そのすぐそばではマルギットとマイラが、お茶のカップなどを片付けている。二人は完全に慣れっこのようで、大柄な黒髪の青年がユリシーズに背負い投げられても、まったく動じていなかった。


「心配はいらないですよ。子供の頃から、何かと言うと小猿のように取っ組み合っていますからね」


「小猿……みんな大人になったのに、全然進歩していないみたい」


「そうともいいますね。見本がいるでしょう、ほら、あそこのちんまいのとか」


 黒騎士達を適当にあしらっていたリオンが「ちんまい」に反応して、バッと階上のこちらを仰ぎ見た。


「アキム、今、ちんまいって聞こえたんだけど? もしかして、それ、俺のこと?」


「言ってない。気のせいだろ」


 何を言っているんだ、という顔でアキムは堂々と白を切った。リオンは無言で相棒の顔をじいっと見て、その隣にいるセラに矛先を向けた。


「ちょっと、セラちゃん、本当はどうなの? 嘘ついたら今度は天井から吊るすよ?」


 二階に来ようとしたリオンを、ユリシーズが後ろから羽交い絞めにした。


「その前に、俺がお前を吊るしてやる!」


「ちょっ、やめなさいユーリ様! こらっ、俺を縛ってどうする!」


 アルノーと呼ばれた青年が、どこからともなく取り出した縄で、リオンを上手に縛り上げていく。素晴らしい連携に、なすすべもなくリオンは蓑虫にされていった。後片付けを終えたマルギットとマイラが、黒騎士達の団子状態を避けて、ホールの階段を上がってきた。


「セラ、ユリシーズ様と、お話はできまして?」


「うん、たくさん話せたよ。二人とも私が隠れてる所とか休みとか、全部教えちゃうんだもの」


「ユリシーズ様が、ずっとセラのことを気にされてたから」


 マルギットはあっけらかんと笑うと、さっさとユリシーズの居室に入っていった。


「ごめんね、セラ」


 マイラはしょんぼりと俯いて、セラにぺこりと頭を下げた。


「ううん、いいの」


 セラは満面の笑みを浮かべ、マイラにぎゅっと抱きついた。二人が良かれと思ってしてくれたことに、文句などつけようもない。


「アキム様、あのことは、まだお話されていないんですか?」


 空いた珈琲のカップやネルドリップを盆に乗せて、部屋から出てきたマルギットが、何だか不穏な響きのある口調でアキムに訊ねた。


「あのこと?」


 セラはマルギットとアキムの顔を交互に見た。二人とも浮かない顔をしていて「あのこと」はあまり楽しい内容ではないことが窺えた。


「実は……王都で、ユーリ様が何度も暗殺されかけました。他の諸侯方を巻き込む可能性を鑑みて、精霊騎士団領で亜生物対策を講じてもらう、という理由をつけて、クレヴァ様がこちらに向かうよう手を回してくださったんですよ」


「お食事に毒を盛られたこともあるそうよ。一度目は会食中にユリシーズ様が倒れて、二度目は毒見をしたリオン様が倒れたのですって」


「そんな……」


 セラは言葉が出なかった。あの石切り場でもユリシーズは命を狙われていた。国王陛下のお膝元で他国からの特使を襲うなんて、通常では考えられない。南部地帯閉鎖で主だった反王国派が大勢拿捕されて、それを恨みに思っているのだとしたら、逆恨みもいいところだ。


「刺客はあっさり返り討ちにしたし、毒もすぐに吐き出したので、心配はいりませんよ。今もああして、元気良く暴れているでしょう?」


「でも、ひどい。どうしてユリシーズが、そんな目に合わなくちゃいけないの……」


 ぎゅうっと両手を握り締めて、悔しそうに言うセラを、三人は心配そうに見つめた。ユリシーズには固く口止めをされていたが、教えないわけにはいかなかった。事情を知っているのと知らないのとでは、もちろん知っていたほうがいい。対処のしようがあるにこしたことはない。


「侍女長様にご相談して、少しでも危険を遠ざけるためにメイド達は全員戻して、皆様のお世話を私とマイラでしているの。できれば、セラにも手伝ってほしいのだけど」


「セラがお手伝いしてくれると、本当に助かるわ」


「俺からもお願いします」


「私もお手伝いしたいけど、勝手なことはできないわ。今から本館に戻って、侍女長様にお願いしてみる」


「お願いね。できれば今からでもお願いしたいわ」


「黒騎士の方達、ものすごくお食事を召し上がるの……大変なの本当に。アキム様が給仕を手伝ってくださるけど、お客様にそんなことさせられないもの」


 許しがもらえたらまた戻ってくると三人に告げて、嬉々としてリオンを縛り上げている黒騎士達を避けて、セラは裏玄関から外に出た。少し日の傾き始めた敷石の道を歩きながら、明日のことを考えた。ユリシーズの命が狙われているのなら、出かけるのを止めたほうがいい気がしていた。あと四日しかいられないことを思えば、これが一緒に出かける最後の機会かもしれない。そう思うと、約束をなしにする踏ん切りが、どうしてもつかなかった。


 本館入り口の門衛に会釈をして廊下を進むと、セラが磨きまくった銀の燭台に明かりが灯されていた。侍女長の執務室の扉をノックして入室すると、侍女長は帰り支度を始めているところだった。


「あら、帰ったのではなかったのですか?」


「迎賓館にちょっと拉致されておりました。あの、侍女長様。お帰りになる前に、お願いがございます」


「おおかたマルギットとマイラに、手伝ってほしいと言われたのでしょう。構いませんよ」


「よ、よろしいのですか?」


「ええ。ですが、本館の仕事と両立させるのは大変ですよ。来月は本試験ですから、無理はしないようにね」


「はい、侍女長様!」


 嬉しそうに一礼して去っていくセラを見送り、侍女長はため息をついた。セラの素性を聞かされて、正直なところ「今更何を勝手なことを」と、西方諸侯達に憤りを感じていた。十八年も捨て置いておきながら、虫が良すぎる。セラがどんな思いで母と別れたのかも、自力で生きていくために、どれだけ頑張っているかも知らないで。侍女長は、セラの身にこれから起こる事を考えると、胸が塞がる思いがした。






 迎賓館に戻ると、マルギットとマイラが夕食の給仕をしている最中だった。とはいっても、厨房からカートに乗せて運ぶだけなのだが、その量がすごかった。ユリシーズを含めた七人の黒騎士達は、特別大きい身体でもないのに、どこにこの大量の食物が入っていくのだろう。


「ユーリ様、セラちゃん戻ってきたよ」


「おかえり。許しはもらえたのか?」


「うん。本館のお仕事が終わってからだけど」


「そっか」


 蒼い瞳が悪戯そうに笑って、談笑している黒騎士達に「お前ら、セラにまだ自己紹介してないだろ」と、よく通る声で呼びかけた。


 「いつ紹介してくれるのかなって、ずっと待ってた」


 赤毛の青年が屈託なく笑った。まわりにいた四人の青年達が、上座にいるセラ達のもとへやってきた。


 柔らかな茶色の巻き毛と、優しそうな水色の瞳の青年が「俺はアルノーです。ユーリとは乳兄弟で、第一師団一番隊の隊長をしています」と、おっとりと微笑んだ。


 続いて、こげ茶色の髪をした青年が、服に足型をつけたまま軽くお辞儀をして「マルセルです。俺もユーリとは幼馴染で、一番隊の副長やってます」と言いながら、アルノーを押しのけた。


 マルセルを横にどかして、赤毛で三白眼気味の青年が「フーゴっていいます。俺もユーリの幼馴染。第二師団遊撃部隊所属です」と懐っこく笑いかけてきた。その隣にいる、ユリシーズより背の高い黒髪の青年が、怜悧な目元を緩ませて、胸に右手を当てて軽くお辞儀をした。


「エーリヒです。第三師団所属の槍騎兵です。俺達は子供の頃からの付き合いなんですよ」


「本当は若様とお呼びしなければいけないんだけど、公の場以外なら呼び捨てでいい、と本人が言うもので」


 アルノーがにっこりと笑いながらそう言うと、ユリシーズが「公の場だと、お歴々がうるせーからな」と口を挟んだ。まわりの青年達の「なんかユーリは、様って感じがしない」という不敬極まりない発言に、セラは思わず噴出した。


「初めまして。私はセラといいます。精霊騎士団領の侍女で、見習い女官をしています」


「リオンさんとアキムさんから、色々聞いてるよ。大変だったんだってね」


 フーゴが親しげな口調で、セラとユリシーズを交互に見て笑うと、マルセルがにまーっと意味深な笑みを浮かべて口を開いた。


「ユーリが、もぎゃっ」


「みんな、ごはんの時間だから席につこうね」


 いつの間にかやってきていたアキムに、マルセルは顔面を鷲掴みにされたまま連れて行かれた。青年達は口々に「あれ、痛いよな」「目が飛び出そうになる」などと笑いながら、自分達の席に戻っていった。


「騒がしいけど、いい奴らだよ」


「騒がしい、は余計なんじゃない? みんなとっても仲が良いのね」


 彼らは席につけと言われたにも関わらず、マルギットとマイラを手伝おうとして、アキムに「邪魔するんじゃありません」と叱られていた。その様子をみて、自分の役目を思い出したセラは、足早にマルギット達のところへ向かった。


 マイラの言ったとおり、彼らはものすごい量の食事を綺麗に平らげた。一応、遠慮をしたのか、おかわりは一往復分で済み、マルギットが「初めてだわ、おかわりが一回だけだなんて。おなかの調子でも悪いのかしら」と、およそしたことのない心配までしていた。使用人控え室で仲良く食事を摂りながらあれこれおしゃべりしているうちに、ユリシーズと城下町に行く話になった。


「まぁ、逢引じゃないの。素敵!」


 夢見がちなところのあるマイラが、フォークを握り締めたまま立ち上がった。


「マイラ、フォークを置いて。危ないわ。それで、セラ。明日は二人だけで行くのよね? 騎士様達は、行かないのよね?」


「側役の二人か、騎士様の誰かが、護衛につくでしょ?」


「うーん……つかないんじゃないかしら。アルノー様のお話じゃ、ユリシーズ様、刺客は全部ご自分で撃退したそうよ」


「お強いって評判ですもの。来週の武術大会も予選を飛ばして、いきなり本選から出場するんですって」


「ええっ、で、出るの?」


「左大臣様が乗り気で、ぜひ出てほしいと仰ったそうよ。元々、他大陸出身者でも出場できますでしょ。大臣方や団長のお目に留まれば、ガルデニアでの仕官の道が開けますもの。まぁ、ユリシーズ様は黒騎士団の長だから仕官云々は関係ないでしょうけど」


「仕事じゃなければ、応援に行けるのにね」


 頬を染めたマイラの考えが手に取るようにわかったが、セラは「そうね」とだけ答えた。マイラの脳内では、セラが主人公になって、甘く切ない恋物語が展開されているに違いない。


「お手伝いが早く終われば、少しは応援できると思うわ」


 左大臣の推薦でユリシーズが武術大会に出ると聞いて、セラは胸騒ぎがした。左大臣は後ろ暗い噂もなく、ガルデニア王の忠臣として広く知られる人物だ。匙が止まったまま、その理由を考えたが「何となく」としかいえず、ひとまずそのことは心の隅に留めておくことにした。




 ユリシーズと城下町を歩くために、セラは朝早くから服を選んだり、隣部屋のマイラに髪を結ってもらったり、あれこれと準備に勤しんだ。これが最初で最後かもしれない、と思うと泣きそうだったが気合は入った。いいことがあった時におろそうと思っていた萌黄色のワンピースと、手持ちで一番気に入っている丈の短いブーツを選んだ。


 部屋に居ても落ち着かない。約束よりもかなり早めの時間に本館前に行くと、すでにユリシーズが待っていた。さすがに騎士服では目立つので、襟のある白いシャツと朽葉色のズボン、黒革の長靴という簡素な服装だった。腰には使い込まれた長剣を佩いているので、見ようによっては休暇中の騎士に見えなくもない。


「早いな。約束の時間はだいぶ先だろ?」


「ユリシーズこそ、早いじゃないの」


「……冷やかしがうっとおしいから、出てきた」


 少し照れくさそうに笑うユリシーズを見て、セラは思わずキャーと叫んで走り出したくなった。心の中で「かわいい!」を連呼していると、ユリシーズが寄りかかっていた木から身を起こして、セラのすぐ隣に立った。


「それじゃ行くか。案内よろしくな」


 スッと伸ばされたユリシーズの右手が、並んで立つセラの左手をとった。なぜに握手? と、不思議そうな目でユリシーズを見上げると、不適に笑って剣だこのある乾いた大きな手で、セラの柔らかな手をギュッと握ってきた。


「手を繋いでおけば、はぐれないだろ。俺を迷子にしないでくれよ」


「ま、迷子になるのは私のほうでしょ、これじゃまるで」


 逢引中の恋人同士に見える、と言いかけてセラは思わず口を噤んだ。意識したせいで、どんどん顔に熱が集まってくる。赤くなった顔が片手じゃ隠せなくて焦るセラに、ユリシーズは「変な奴」と軽く笑って、手を引いたまま歩き出した。繋がれた手のぬくもりが心地よくて、セラは切なくて泣きたくなった。一緒にいる時間が長くなればなるほど、離れがたくなる。言えずにいる言葉が、口をついてしまいそうで、セラは黙って歩き出した。

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