15. 長い一日
後半戦闘あり、ちょっとだけグロ注意。
「これでよし、っと」
セラはお気に入りの緑のお仕着せを身につけると、鏡の前でくるりと一回転した。襟が立っていたり、スカートの裾が捲くれ上がったりはしていないか。身だしなみを整えるのはいつもの習慣だが、今日は特に念入りに確かめた。
「前髪がなぁ……」
前髪が一房だけ、ほんの少しだけはねている。水で濡らしてみたが、根元から寝癖がついているのか、どうやっても、ぴょんとなる。仕方ないのでこれには目を瞑り、後ろで一つに括ってから真珠色のリボンをきゅっと結んだ。
「かわいいかわいい」
いつまでも鏡の前からどかないセラに向かって、オルガは投げやりな言葉をかけた。ついでに拍手もしてやった。
「な、いつからそこに!」
「さっきから、ずっといたけど」
「声かけてよ……」
「早く行こう。二人はだいぶ前におりて行ったよ」
「それを先に言ってよぉ、待たせたら悪いじゃない」
ばたばたと革鞄に身支度道具を詰め込み、オルガを急かして部屋を出ると、すでに使用人が向かいの部屋の清掃に入っていた。もうすでに精算もすんでいるのだろう。どこにも、二人がいた名残はなかった。
食堂は混雑が過ぎたあとの、まったりとした雰囲気が漂っていた。庭に面した奥の座席に、亜麻色の後ろ頭が見えた。その向かいにはテーブルに置いた紙面を真剣に見ているリオンがいる。ペンを手に紙面に何やら書き込んでいたが、こちらに気がつくと、顔を上げ瞳を猫のように細めて笑った。
「おはよう、ユリシーズ、リオンさん」
「おはよう。具合はどう?」
リオンは笑顔でテーブルに置いていた地図をどかすと、適当に畳んで床に置いていた鞄に突っ込んだ。
「おはよ。顔色はよさそうだな」
ふわりと目元を和ませて、とことこと隣の定位置にやってきたセラを見た。
「ご心配をおかけしました。熱も下がったし、体調はそこそこよ」
「そこそこね」
ぷっと吹き出して、リオンは二人に香茶を注いでやった。変に隠したりせず正直に申告してもらえると、引率者としては助かる。
「それは何より」
ユリシーズは我慢できずに声を立てて快活に笑うと、軽く手を上げて給仕を呼んだ。
今朝の朝食は、鶏肉や根菜を角牛の乳で煮込んだ具沢山のミルクスープ、大麦のパンと乳酪、白芋のサラダだった。セラとオルガはこれで十分だったが、男二人は声を揃えて「角牛の赤煮込み、脂身抜きで」と更に肉を追加していた。
「どうして朝からそんなに食べられるの」
「これから馬に乗るのに、そんなに食べて平気なんですか」
「どうしてって言われても、昼までもたないし」
ユリシーズは形の良い眉を八の字に下げて、困ったように自分の膳を見た。供されて数分で、半分以上平らげてある。パンとスープをおかわりして、ちょうどいいぐらいだ。
「この美しい筋肉を保つには、たくさんの肉がいるのだよ」
リオンは右腕を力強く左腕でばしっと叩いて笑い、パンにチーズを挟み込んでむしゃむしゃと一気に食べた。
「お昼じゃダメなの?」
「昼は昼でまた肉を食うけど?」
「セラ、聞いてるだけでおなかいっぱいになるからもうやめて。自分の分をしっかり食べて」
「まぁ、俺達も毎食バカスカ肉食ってるわけじゃないけどな」
「朝から晩まで肉体を酷使する、今みたいなときだけだよ。毎食それだと脳みそまで筋肉になりそうだし」
オルガは「もうなってる……」と思いつつ、黙々とスープを口に運んだ。セラは相変わらず白芋ばかり攻めている。
「セラ、お芋ばっかり食べてないで、ちゃんとスープも食べて」
「熱いから冷ましてるの」
「はい、あーん、ってしてもらうのを待ってるのかと思った」
「オルガ!」
「何だ、早く言えばよかったのに」
爽やかに微笑み、セラの手元にあった木さじを手に取った。「ほら、椀を寄越せ」と左手を差し出すと、翡翠の瞳がまん丸に見開かれた。セラは、ユリシーズの手にある木さじと、目の前にあるスープの椀を数回見やってから、一気に頬を赤くした。
「あはは、優しいねぇ」
リオンはユリシーズが取り分けた皿からパクパク肉を食べながら、和やかに微笑んだ。オルガは目を伏せて微かに口元を微笑ませながら、黙々とスープを消費していく。
「や、やめてよ、食べるから。一人で食べられるからっ」
木のさじをユリシーズから取り返して、まだ湯気を立てているスープに手をつけた。
「おとといからちゃんと食ってないんだから、これも食っとけ。これぐらいなら入るだろ」
肉の煮込みを器用に小さく切り分けて、二口分ほど取り皿に乗せて、セラに手渡した。
「あ、ありがとう」
鳥のえさのように、ちょこちょことパンだの果物だのしか食べていないのを、しっかり見られていたとは思わなかった。この分だと、セラがずっと体調が悪かったのも、全部ばれていたのかもしれない。ユリシーズが分けてくれた肉の煮込みは、酸味のある赤いトマトゥルと香辛料でよく煮込まれていて、フォークで食べようとすると、繊維質がほろりと解けるほど柔らかかった。重たい見た目とは裏腹に、あっさりした味付けで、とても美味しかった。
「ユーリが自分の分を……成長したね」
「俺がドケチみたいに聞こえる言い方はやめてくれ。俺の分に手をつけるのもやめてくれ」
「え?」
「え、じゃねーよ。何で俺の皿から食べてるんだ」
「これ、俺に取ってくれたんじゃないの?」
「違う」
「返すね」
リオンはそっとユリシーズのほうへと皿をずらしたが、切れ上がった蒼い瞳でじとりと睨まれて、ぐいと押し戻された。
「食いかけを寄越すんじゃねーよ。もうそっち食っていいよ」
はぁ、とため息をついたユリシーズは、盛り皿を自分のほうに寄せて、そのまま黙々と食べ始めた。
「あ、行儀悪いぞ、直接盛り皿から食うなんて。セラちゃん、叱ってやって」
「もぐもぐ……んぐ」
「今食べてるから無理と言ってます」
「くそ……セラちゃんはユーリの味方だからな」
毎度毎度の騒がしい朝食も、これで終わりなのかと思うと、寂しくてたまらなかった。これからもこんな風にいられたいいのに。叶いもしない望みを抱くと、余計に別れが辛くなる。セラはなるべく、そこから目を逸らして、目の前の食事にひたすら取り掛かった。
みんなが食後の香茶を楽しんでいる間、セラは白い陶器のポットとにらめっこしていた。やがてすがすがしい肉桂の香りと、何やら苦い匂いの混ざった、薬草独特のにおいがふわりと漂い始めた。
「なんか、すごく効きそうな匂いがするな」
「効いてるわよ。私起きるのも億劫だったのに、今朝はちゃんと起きれたもの」
「よかったな」
「味はお茶みたいだから飲みやすいわよ。一口飲んでみる?」
「い、いいよ。セラが飲めよ」
まったりと薬草ティータイムを楽しむ二人をよそに、リオンはオルガと行程の最終確認をしていた。
「ここで合流するんだね?」
「はい。昼一つの鐘がなる頃に、全員がそこへ集合するように、と」
「ルガランドまで、ダミアからおよそ半日、てことは、だ……」
リオンは鞄から方位磁針付きの変わった形の定規を取り出すと、方角を合わせて距離を目算し始めた。地図の端を折り曲げて、空白部分にペンでさらさらと計算式を書き出していく。
「俺達側の援軍が厳しいなぁ。びっちり監視がついちゃってるし。それにここ、敵さんも気づいてるんでしょ?」
「はい。師団長があえて情報を流しましたから」
「肝っ玉据わってるねぇ。おびき寄せて捕縛するつもり?」
話しながら、ダミアとルガランドの間にいくつか線を引いて、正確な到着時刻を算出する。今から出れば、ちょうどいい頃あいに着く。
「いえ、操っている術者だけ捕らえたら、すべて殲滅します。死体はちゃんと回収して、研究施設で丁寧にお調べしますよ」
サラッとすごい内容の話をするオルガの顔をまじまじと見て、リオンは苦笑した。丁寧に細密に、人工の亜生物を分析して、一体何にその結果を使うのだろう。気になったが、聞かないほうがいい気がして、話をそらした。
「すごいねぇ。西方大陸の黒騎士団より過激」
「そういえば、他大陸にまで悪名が届いている騎士団は、彼らだけですよね」
「それは、どういう?」
「敵は皆殺し、敵じゃなくても皆殺し。通ったあとには草一本残らない、とか」
「へぇ」
リオンは「おっかないねぇ」と呟きながら、地図を畳み始めた。リオンとオルガの話を聞きながら、何やら考えごとをしている風のユリシーズが、間違えてセラのカップを手に取った。そして止める間も無く、ぐっと飲み干した。
「あ」
「!」
「何してるの、それ、私の薬草茶よ」
「ホントだ、お茶みたいな味だな」
「もう、どうして人のものに手をつけるのよ」
「はははは」
「まったくもう」
セラは仕方なく、もう一度自分のカップにお茶を注いだ。時間を置くと匂いも味もえげつなくなってしまうし、ユリシーズに飲まれてしまう。今度は一息に飲み干した。
「ユーリ、そろそろ行こうか。集合に間に合わなくなるよ」
「わかった。セラもオルガも、忘れ物するなよ。特にセラ」
「ひ、ひどい、私だけ名指しなの?」
「やだぁ、あれ忘れちゃったぁ、とか言いそうだからな」
「そんな喋り方してません。なんでこの人、いっつもこうなの!」
セラはぶうぶう文句を言いながら、ユリシーズの後について先に出て行った。残された二人は、顔を見合わせると、やってられません、というように「ハッ」と鼻で笑った。
「あれだよね、好きな子ほどいじりたい」
「お子様……」
「まぁ、大目にみてやってよ」
リオンは苦笑して鞄を左肩に担ぐと、オルガを促して歩き出した。かつり、かつりと誰もいない廊下に、オルガのブーツの踵が当たる音だけが響く。
「……セラは、私が乗せますね」
「そうしてくれるかな。あの子に何かあったら、ユーリは自分で自分が許せなくなるからね」
兵数は、およそ三十。人数は小隊レベルでも、全員が亜生物に変化するとなれば十分脅威だ。あの廃屋では一体に二人ついたから、セラの精霊の貴石があったから何とか勝てた。人工亜生物は個体ごとに能力差があるのか、突然こちらがついていけない動きをするので一瞬の油断が命取りになる。
「ルガランドまで半日、か。長い一日になりそうだねぇ」
ざっと吹く風に黒髪を弄られるまま、リオンは空を仰いだ。少し、雲が出ていた。
セラはオルガの後ろに乗せてもらいながら、ダミアの街がある方角を振り返った。ユリシーズ達と訪れた街のことは、当分忘れることなどできない気がした。街の名前を見るたびに、きっと思い出してしまう。これからのことをぼんやりと考え事をしながら、流れるように飛ぶ森の木々を見つめていた。
「セラ、しっかり私の腰につかまって。飛ばすよ」
オルガはぎゅっと背中を緊張させて、ノルンの腹を思い切り踵で蹴飛ばし、一気に駆ける速度を上げた。
「どっどうしたの?!」
「追っ手が来た!」
オルガの声と同時に、三騎が脇道から飛び出してきた。王国軍の制服を着た、反王国派の兵だった。
「みんなは先に行け! 合流地点まで、もうすぐだから!」
リオンはジャッと音を立てて腰の鞘から抜刀すると、馬首を反して追っ手に向かっていった。
「絶対追いついてこいよ、リオン!」
その背に怒鳴りながら、ユリシーズも馬の腹を力いっぱい蹴って、どんどん駆ける速度を上げた。
「そんな、一人なんて!」
セラは後ろを振り返りながら、思わず叫んだ。
「俺達を守りながら戦うほうがきついんだよ!」
「追っ手があれだけなわけがない! とにかく急ごう!」
セラは恐ろしい速さで駆ける馬から振り落とされないように、必死にオルガにしがみついた。ノルンの立てる激しい息遣いと、地面を勢い良く駆ける蹄の音、オルガがノルンに「頑張って」と励ます声しか聞こえない。一人残ったリオンのことが、心配で堪らなかった。
「ここから先は通さないよ!」
リオンは逆走しながらまっすぐに右腕を伸ばして、先頭の騎馬兵に投げ縄打ちを食らわせると、横を駆け抜けようとした兵に向かって左手のククリ刀を一閃した。一度に二人が落馬して、地面で悶絶するのを目の端でとらえながら最後に駆けてきた王国兵の馬に飛び移った。
「見たところ、あんたが指揮官だな」
リオンは激しく揺れる馬上で、胸にたくさんの勲章をつけた王国兵の頭に腕を回して、思い切り顔面を締め付けた。
「ぐ、は、離せ!」
「ちょうどよかった。ギルドへの支払いが滞ってますよ。払うつもり、あります?」
「し、知るか! 離せ、この駄犬め!」
リオンは仕方ないなぁという顔で、ぐっと腕に力を籠めた。みしりと首が軋む音がする。
「旦那ぁ、踏み倒しは表の世界だけですぜ。うちは命で贖ってもらうのが決まりなんで」
リオンは固めていた腕を緩めると、頭部を両手で掴んで、そのまま半回転させるように捻った。頚椎の折れる、ばきりという音がして王国兵の身体から力が抜けた。蹴飛ばしてそれを道端に落とすと、とんと鞍を軽く蹴ってから飛び降りた。そして、地面に倒れている兵達にゆっくりと近づいていった。
「毎度ありっと。君達には追っ手があと何人いるか、教えてもらおうかな。死にたいなら別に言わなくてもいいよ。今すぐ深淵に送ってあげるからね」
王国兵達は、薄茶の瞳を眇めて口元を笑みの形にした、この小柄な男が恐ろしくてたまらなかった。そのへんに居そうな若造が、にこにこ笑いながら、隊長の首を折った。あまりにも人殺しに慣れすぎていた。先ほどの言動から察するに、ギルド所属の暗殺者かもしれない。
「く、くるなっ! この、ケダモノめ!」
「何で俺が『犬』だってわかったの? なら話は早いや」
ざり、と砂を踏む音がして、異様な殺気を放つ男が、すぐそばにしゃがみこんだ。
「犬に命乞いは無駄だよ。何しろ人の言葉がわからないからね。喋るか死ぬか、好きなほうを選べ」
「ひ! やめろ!」
女のようにすんなりとした両手が、がっちりと万力のような力で頭を掴む。暴れてももがいても、その手はまったく外れなかった。
「早くしなよ。俺、急いでるんだ」
リオンの苛立った声に、右腕をおかしな方向に曲げた兵が「ひ、東から三騎、南から四騎!」と、ひっくり返った声で叫んだ。
「どーも。早い者勝ちってことで、君の命は助けてあげよう」
両手に一瞬力を籠めてグッと捻ると、硬いものが折れるような音がして、暴れていた王国兵が静かになった。その様に一人生き残った王国兵は声にならない悲鳴をあげて、ひゅうひゅうと喉を鳴らした。足音を立てずに近づいて来る姿は、黒髪黒服の死神にしか見えなかった。
「そうそう、言い忘れるところだった。別の大陸のギルドなら踏み倒せると思ったんだろうけど、俺達ふかーい根を張ってるからね。どこにいても必ず取り立てにいくよ? 払うものは払ってもらわないと、命で贖ってもらうことになるんだ。偉い人にもちゃんと伝えておいてくれる?」
薄茶の瞳を冷たく光らせる男に胸倉をつかまれて、必死に頷く。「助かるよ」という冷笑とともに、側頭部に物凄い衝撃を受け、世界が真っ暗になった。
リオンは累々と転がる王国兵に目もくれずに駆け出して、戸惑ったように足踏みしている自分の馬に飛び乗ると、先を行くユリシーズ達の後を追った。
「ま、また来た!」
セラはオルガにしっかりしがみついたまま、後ろを振り向いて叫んだ。今度はさっきと違う方角から、四頭の馬に乗った王国兵の姿が木々の間から見える。それぞれ剣や短槍を構えて、完全に臨戦態勢だった。
「先行け!!」
一馬身ほど前にいたユリシーズは剣帯からファルシオンを抜いて、オルガの馬に並走するように速度を落とした。
「ダメだ! 貴方をここで失うわけにはいかない!」
オルガは手綱を引き絞って右手に持つと、左手を後ろに向けて「エアリエル、吹き飛ばして!」と、精霊に命じた。轟音を立てて辺りの空気が一気に渦を巻き、そのまま四騎の兵を弾き飛ばした。
「オルガ……」
「手加減はしたから、死んでないと思う」
「すまん! この借りは必ず返す!」
ユリシーズは、以前オルガが「人相手に精霊魔術は使わない」と言っていたことを思い出した。恐らく精霊使いは、人に精霊魔術を向けることを禁じられている。自分のせいで禁忌を犯させたことを激しく悔いながら、再び馬の腹を蹴って、先へと駆け出した。
「ユリシーズ、あそこの村へ!」
オルガは林を抜けた先の朽ちた柵に囲まれた場所を指差した。ユリシーズは「了解!」と叫んで、手綱を引き絞った。オルガは前を向いたまま「セラ、飛ぶから絶対に手を離さないで!」と叫ぶと、ノルンの背に伏せるような姿勢を取った。二頭の馬は、同時に地を蹴って軽々と柵を跳び越し、そのまま村の中を駆け抜ける。どの家も屋根は崩れ、壁に穴が開いたような廃屋ばかりだった。
「ここが合流地点か?!」
「そのはずだ!」
その割には、どこにも人の気配がなく、ユリシーズとオルガは険しい顔になった。村の中心と思われる広場で馬の足を止め、あたりの様子を伺う。セラも変に静まり返っている廃村が不気味で堪らなかった。まだ昼日中だというのに、鳥の声すらしない。
カッカッ、という軽い蹄の音とともに、一騎の白馬がこちらに駆けてくる。セラはオルガの後ろから身を乗り出し、そちらを見て笑顔になった。
「ヘルッタさん!」
「隊長!」
「よかった、みんな無事ね!」
赤みがかった金髪の精霊騎士が、三人の姿を見て、安心したように笑った。
「師団長達は?」
「すぐ先の峠で交戦中よ。待ち伏せにあったの」
「そんな」
「たったの三体で、師団長が負けるわけないでしょう。スヴェン様と親衛隊が合流地点に到着していて、そっちのほうがよっぽど安全だから先に行けとのご命令よ。ところで、そっちのボウヤがユリシーズ殿ね」
「ボウヤ……」
ユリシーズは一瞬だけ顔を引きつらせて、目の前にいる女精霊騎士を見た。ドレスを着て舞踏会にでも出ていそうな華やかな美貌の持ち主だが、手には細身の長剣が握られていた。
「私は第四師団、第一隊の長、ヘルッタ。オルガとセラが世話になったわね」
「いや、世話になったのは俺のほうだ。急ごう」
「そう言ってくださると助かるわ。ここから小一時間もかからないから、飛ばすわよ」
「はい。セラ、あと少しだから頑張って」
「うん」
セラはしっかりとオルガに掴まると、すぐ隣にいるユリシーズを見て、ちょっとだけ笑った。自尊心が高そうな彼のことだから、ボウヤ扱いに凹んでいるのだろう。
「ヘルッタさんは、年下の殿方全員にボウヤって言うのよ」
セラがそう教えると、ユリシーズはニヤッと笑って、ヘルッタの後に続いた。
「何だ、みんなボウヤか」
ユリシーズの安心したような呟きを耳にして、セラは噴き出したいのを必死に我慢した。
三騎は、複数の獣のような咆哮が聞こえる森を抜け、ひたすらに北へ向かって駆け続けた。幸い追っ手も待ち伏せもなく、目的の場所へとたどり着くことができた。合流地点はあちこちに大岩が突き出している、採石場のような場所だった。そこにたむろす数人の紫紺の軍服を着た男達が、こちらに気がつくと、手を上げて応えた。
「スヴェン!」
「お嬢か、久しいな」
金色の瞳とぼさぼさの灰褐色の髪をした、三十をいくつか超えたくらいの細身の男が、オルガをみとめて鷹揚そうに笑った。
「本当にスヴェン様だ」
セラは本当にスヴェンが来ていると知って、目をぱちくりと瞬かせた。第三師団は亜生物専門の討伐部隊で、常時北部辺境を巡回している。スヴェンはその第三師団を統率する師団長で、余程のことがない限り辺境から出てくることはない。
「おー、嬢ちゃんも元気そうで何より。そんで、そっちがユリシーズ殿か?」
ユリシーズは馬を降りて、スヴェンと呼ばれた男のもとへと歩み寄っていった。
「ああ。俺がユリシーズだ」
「お前さんが無事でよかった。まったく。何だって、こんなめんどくせーことを」
「本当ですよ」
平坦な声と共に、森の中から全身を覆う黒いローブをまとった男と、臙脂色の軍服を着た男達が十数人ほど現れた。
「お、ようやく出てきたか。おい、お客さんだ。持て成してやれ」
オルガとセラは慌てて馬から降りると、スヴェンとユリシーズの後ろへ駆け込んだ。ヘルッタもスヴェンの部下らしき男達も、円陣を組むように展開して身構えた。
「あの人、見たことある。私を攫った連中の一人よ!」
「何だと!」
ユリシーズは驚き、黒いローブの男を睨んだ。剣をとる人間は切る切られるを承知で、自分の命をかけて戦う。だが、こいつらは自分は高みにいて、命をいじくって遊ぶ反吐がでる連中だ。セラを攫おうとしたのも許し難い。ユリシーズは無言でファルシオンを抜き放った。
「へぇ。おい、アンタがあのくっせー連中の親玉か?」
「皆さん、あの青年だけ殺しなさい。他の人たちは好きにして構いません」
ローブの男はスヴェンを無視して、すっとユリシーズを指差すと、淡々と命じた。まわりに立つ男達は精霊騎士達に向き直ると次々と身体が猫科の大型獣、大熊や猪のような姿へと変化していった。
「おお、マジで亜生物化した。よし、お前ら、あいつは生け捕り、あとは殲滅。いいな?」
「応!」
「ヘルッタ、お前はユリシーズ殿とお嬢達を守れ」
「わかったわ」
スヴェンは大剣をずらりと抜いて獰猛な笑みを浮かべると、ユリシーズを振り返った。
「そこでおとなしくしとけよ」
ぼぉっと音を立てて、ゆるゆると翳る火のようなものが、大剣から立ち上がる。スヴェンは身を翻し「ヒャッホー!」という場違いな喚声をあげながら、変化を終えた亜生物たちに襲い掛かっていった。嬉々として大剣を振り回し、率先して切り倒していく。苦悶の叫びがいくつもあがり、戦いが始まった。
「ユリシーズ殿も腕が立つらしいけど、今回はおとなしくしていてね。貴方に怪我をさせたら、あの綺麗な顔の南方人に何を言われるかわからないもの」
「……わかったよ」
ユリシーズは踏みとどまって、抜き身のファルシオンを手にセラの横へと移動した。何となく、そうしたほうがいいような気がした。こういうときの勘はよく当たる。
「ヘルッタさん、アキムさんと会ったの?」
「会ったわよ。セラのお友達が喜びそうな、キラキラしい顔だったわね」
「隊長……そんなこと言ってる場合じゃ」
斑紋を背中に生やした男が、ぐっと身を沈めて飛び掛ってきた。ヘルッタが剣で指し示して「切り裂け」と一言だけ叫ぶと、何もない中空から軋む音とともに真空の刃がいくつも出現して、斑紋男の全身を切り裂いた。
「あの模様は豹かしら。残念。本物だったらバッグにしたのに」
セラはひく、と頬を引きつらせて、にこにこしているヘルッタを見た。華やかな容姿だから、豹革のバッグがおそろしいくらい似合いそうだ。オルガは剣を構えたまま「隊長、真面目にやってください!」と叫んで、近寄ってくる猪の頭をした男に向かって、空気の塊をぶつけた。
「そういえば、親衛隊遅いわねぇ。てっきり着いてるものだと」
「何か来る!」
ユリシーズは後ろから来る嫌な気配に、セラを抱きかかえてその場から飛び退った。今までセラ達が立っていた場所に、火球が着弾して、派手に燃え上がった。火はすぐに消えたが、地面が大きく陥没していた。
「オルガ、大丈夫……?」
「隊長、隊長!」
オルガを庇って火球が肩を掠めたヘルッタは、その場に蹲った。精霊の気配が動く気配もないのに、精霊魔術のようなものが発動した。ユリシーズが気づかなければ、まともに食らっていた。
「ヘルッタ! 何やってんだ! 立て!!」
スヴェンが虎の顔をした男に前蹴りを食らわせて、こちらに駆け寄ってこようとした瞬間、今度は雷撃が森の中から放たれた。
「うお、あぶね!」
のけぞるように器用に避けて、スヴェンは雷撃が飛んできた方向めがけて、落ちていた拳大の石を拾い上げ思い切り投げつけた。追撃がこない隙を見て、フラフラと立ち上がるヘルッタと、精霊魔術で亜生物達をあしらうオルガの元へ駆け寄った。
「セラ、大丈夫か?」
セラはしっかりと抱きこまれたユリシーズの腕の中で瞳を開けた。
「う、うん、何ともない」
「よかった。俺から離れるなよ」
ユリシーズはホッとしたように笑うと、セラの手を引いて、精霊騎士達の円陣の内側へと戻った。精霊騎士達は負傷したヘルッタを庇うように、互い互いを補うように戦い始めた。今度の亜生物達は、切っても切っても、まったく数が減らない。動きも人間のように細やかで、明らかに連携を取り合って攻撃を仕掛けている。
「スヴェン、まずいっす、増援が!」
「何だと!」
スヴェンは部下の目線の先に、臙脂色の人影が次々現れるのを見て歯噛みした。親衛隊の到着が遅れているのは、あちらも西から来た連中に足止めを食らっているのかもしれない。援軍はまったく期待できない。守るべき人間が二人もいては、この人数では正直きつい。
「やばいな、大したことなくても、こう数が多いと殺りもらすぞ」
スヴェンは剣で増援のわき出る森を指し示した。
「炎霊に、伏して奉らくを申す」
『古き言葉』を発すると、剣で指し示した少し先に、突如小さな火球が出現した。
「……其の力、我が掌に集い、輪となりて災禍を滅せるものなり」
詠唱に合わせるように、火球が変化して巨大な炎の輪になった。炎輪は回りながら増援を取り巻くと、一気に大きな火柱となって、爆音とともに燃え上がった。後続もその爆風に巻き込まれてなぎ倒されていく。
「これで半分ぐらいになったろ」
「すげ……」
ユリシーズは目を見張って、今起きたことが信じられない、という顔で背中を見せて前に立つスヴェンを見た。
「スヴェン様、何得意げな顔してんですか! 早く次も撃ってください!」
「いまので打ち止めだ。はりきりすぎた」
後ろ頭をかりかりとかいて、スヴェンはヘルッタに愛想笑いをすると、大剣を構え直した。
「馬鹿だろアンタ!」
「アンタ何やってんだよ! ふざけんな!」
「どうすんだよ、この亜生物の群れ!」
「役立たず!」
「ドアホ!」
口々にスヴェンの部下がスヴェンを罵倒しまくった。まったく意に介さず「スマン、スマン」と笑う姿に、ユリシーズはリオンの姿が重なる。まだリオンが来ないのが心配だった。
「スヴェン様……」
「まぁ、まかせとけ。亜生物との戦い方ってもんを見せてやる」
「私、先生から精霊の貴石を預かっています。あれで戦況を変えることはできませんか?」
「何ぃ、アレをか! 確かにあれば有利だが……嬢ちゃんに持たすなんて、シーグバーンは何を考えてんだ!」
「取ってきます!」
「俺も行く!」
「おいこら、待て、二人とも!」
止める間もなく駆け出したセラとユリシーズを、一瞬唖然として見送って、スヴェンをはじめとする精霊騎士達は、二人を守るために陣を組み替えて、二人一組で亜生物達へと切りかかっていった。
「た、確かに戦況を変えることはできるけど……俺達が使ったら、ここいら一帯が焼け野原だぞ」
スヴェンは困ったように呟くと、大剣に再び精霊魔術をまとわせて、手近にいた猪の顔をした亜生物を切り倒した。火系精霊魔術で数は大幅に減ったものの、増援を含めて、まだあと二十体ほど残っている。獰猛そうな生き物だけが連携を取ってくるせいで、なかなか決定打がうてない。厄介な相手だった。
セラとユリシーズは、怯えるノルンを落ち着かせながら何とか革帯を外そうとした。
「ノルン、いい子だから!」
「悪い、オルガ。あとで弁償する」
ユリシーズは鞍についている革帯をファルシオンでぶつりと切ると、セラの鞄を取り外した。
「ほら、早く」
セラに渡そうと振り返ったユリシーズは、目を見張った。とっさにセラの胸の辺りを突き飛ばし、ファルシオンを一閃して飛んできた数本の手裏剣を弾いた。
「きゃ!」
セラは鞄ごと地面に転がった。目を開けると、すぐ目の前の地面に赤黒い滴がいくつも落ちてきた。目線を上げると右腕を押さえて立つユリシーズがいた。その肩の辺りには、何かが刺さっていて、指先から次々と血が滴り落ちている。セラは心臓がギュッと痛んで、息ができなくなった。
「くそ……」
右肩に突き立った、変わった形の手裏剣を引き抜くと、ユリシーズは眉根をぎゅっと寄せて、肩を押さえた。
「や、やだ、どうしよう、わ、私が勝手なことしたから」
「セラのせいじゃない、絶対違うから」
押さえる左手も、どんどん血に染まっていく。セラは慌てて鞄を開けてスカーフを掴み、隠しに入れておいた貴石も取り出してポケットにねじ込んだ。
「ユリシーズ、か、肩を縛ろう、血を止めなきゃ」
「頼む」
ユリシーズが手をどかすと、金臭いようなにおいがむっと鼻をついた。慣れない血の匂いと、戦いに昂ぶる場の空気。わけもなく涙が溢れてくる。
「泣くな、俺は平気だから」
涙をぽろぽろこぼすセラの頭を撫でようとして、手が血まみれなことに気づいて所在なさそうに手を下ろした。少し離れたところではまだ精霊騎士達が戦っている。負傷したヘルッタという精霊騎士も、精霊魔術を連発して彼らの援護に回っていた。オルガも必死に彼等を援護している。役に立てていない悔しさに、左手のファルシオンを力いっぱい握り締めた。
セラは泣いたりしたらユリシーズが困るとわかっているのに、涙が後からあふれ出た。肩に巻いたスカーフは、どんどん赤黒く染まっていく。震える手で、ユリシーズの手の上から肩を押さえながら、早く止まってと必死に祈った。セラにも精霊魔術が使えたら、きっと血を止めて上げられるのに。剣を取る力も、人智を超えた力もない、無力な自分が悔しかった。
背後から、軽快に地面を蹴る蹄の音が響いてきた。敵か味方か。祈るような気持ちで、セラは振り返った。




