13. 認めてしまえば
街道で襲われてから数時間。馬を休める時だけ下馬して、食事や小用を済ませる以外は本当に馬の上という、セラにとって生まれて初めての旅程は、思っていたよりずっときついものだった。召喚される度にグズグズと愚図って、帰りたがらないエアリエルが、自分から「もうかえる」と言い出すほど、オルガもぐったりと疲れきっていた。
予定していた時間よりも少し早い、夜八時の鐘が鳴る頃。無事にグラスターについたはいいものの、思っていたとおり宿はどこもいっぱいで、宿探しに二時間ほど費やした。結局見つかったのは一人部屋が二つで、四人分の料金に少し上乗せして無理やり宿泊することになった。セラとオルガは部屋につくなり、物も言わずに寝台にもたれ込んだ。リオンが気を利かせてくれて「俺がノルンを厩舎に連れていってあげるから、先に休んで」と言ってくれなければ、ノルンと一緒に敷き藁の上で眠っていたところだ。
「これはきつい……。セラ、大丈夫?」
「……お尻が三倍くらいに腫れてる気がする……」
「お気の毒に……明日は鞍の上に畳んだ外套を敷こう」
「これが、あと五日も続くの……?」
「今日みたいに、ほぼ休みなくってことは、もうないでしょ……」
二人は床に座り込んで、寝台にぐったりと頭を乗せたまま、食事もとらずにそのまま眠ってしまった。
翌朝。
二人は狭い寝台で、背中合わせになった体勢で目を覚ました。二人して寝ぼけ眼で身を起こす。外套とケープはきちんと畳んで、備え付けの小さなスツールにかけてあったが、それらをいつ脱いだのかまったく思い出せなかった。
「セラ、あなた、私をどうやって寝台に乗せた?」
「え、オルガじゃないの?」
頭のなかを疑問符でいっぱいにしながら、宿にある女性用の共同浴場に向かった。行き会った女中に銅貨を二枚渡して手ぬぐいを借り、二人して湯船につかりながら、今朝の事象について話し合った。
「私は床に座ってからの記憶がない」
「私も」
セラはちゃぷん、とあごまでお湯につけた。オルガと一緒に座り込んだのは覚えているが、その先が思い出せない。
「セラが、部屋の鍵をかけてくれたんだよね?」
「たぶん……ごめん、よく覚えてない」
「……」
お互いに無言になり、翡翠の瞳と、薄い硝子のような緑の瞳が交錯した。たぶん、同じことを考えている。物心ついた頃から一緒にいるのだから、手に取るようにわかる。
「リオンさんかな」
「私達を寝台に乗せて、開けっ放しだった扉に鍵もかけて? そこまでするなら起こしてくれてもよかったのに」
「無理をさせたってすごく謝ってたから、気を使ってくれたんじゃないの?」
「方向性が違うような気がしないでもないけど。そういえば、ユリシーズはどうしてるんだろうね。あの人も結構ぐったりきてたみたいだけど」
ユリシーズの名を聞いて、セラはどきりと胸が鳴った。
「だ、大丈夫かな。昨日襲われたとき、ちょっと様子がおかしかったし」
「すぐ元通りになったじゃない。休憩の時も、お菓子モリモリ食べてたし」
「それはそうだけど、心配だったから」
「わかりやすい子だよね、セラって」
「何が?」
「顔、真っ赤だよ」
「お風呂に入ってるからでしょ!」
くすくすと可笑しそうに笑いながら、浴場を出て行くオルガを追いかけて、セラも勢いよく湯船から立ち上がった。
「待ってよー」
二人して部屋に戻ってくると、扉の下に折り畳まれた紙が挟まっていた。オルガがスッと引き抜いて広げると、活版で刷られた文字のように緻密な手跡が現れた。
「何、この教科書のような文字は」
驚くオルガの横から覗き込むと、以前一度だけ見たリオンの手跡だった。
「下で待ってる、か。そのまま出発かな」
「たぶんね。私達も用意して、すぐに行こう」
柔らかい栗色のケープを身に着けて、セラは仕事のときのように、髪を後ろで一つにまとめた。リボンでしっかりと結んでおけば、邪魔にはならない。オルガは騎士服ではなく、普段着の膝下までの薄紫色の長衣を着込み、革帯をしめて長剣を佩いた。
そういえば、鞄はいつ持ってきたんだろう、確か荷物はノルンの鞍に乗せたままだったはず。オルガにそう言うと「本当に面倒見がいいんだね、あの人」と、力なく笑った。
「おはよー」
「おはよう。体調は大丈夫か?」
宿の外では、いつもの旅装姿の二人が待っていた。疲れた様子など微塵も感じられず、今日もすこぶる元気そうだ。一晩寝たら回復できる彼らのことが、セラは心底羨ましかった。
「おはよう、ユリシーズ、リオンさん」
「昨夜はいろいろありがとうございました」
二人してぺこりとリオンに頭を下げる。
「二人とも鍵もかけずに寝てるからびっくりしたよ。女の子なんだから、気をつけて」
「はい……」
初対面からちゃんと女の子扱いしてくれるリオンに、なぜだか頭が上がらないオルガだった。確かに昨夜は、騎士にあるまじき失態だった。いくら泥のように疲れていたとはいえ、戸締りを友達任せにしていたのは、よくない傾向だ。
「えと、寝台にまで乗せてくれて、お手数かけました」
セラはしどろもどろに礼を言った。寝顔を見られたなんて、と今更ながらに恥ずかしさがこみ上げてくる。
「ああ、それは俺じゃなくてユーリね。俺一人で女の子の部屋に入るわけないでしょ」
「え」
あはは、と明るく笑うリオンの顔をまじまじとみて、次いでリオンの横でそっぽを向いて大あくびをしているユリシーズを見た。
「床のほうがよかったか?」
セラと目が合うと皮肉っぽく笑った。そんなわけはない。むしろ風邪を引かずにすんだのだから、感謝するべきところだ。
「いいえ。どうもありがとう、ユリシーズ」
「うん」
蒼い瞳を細めて満足そうに微笑むと「腹減ったから早く行こう」と、セラとオルガを促して歩き始めた。
「朝食は、そのへんで好きなもの食べてて。俺は買出しに行ってくるから」
のんびりとした歩調で最後尾を歩くリオンは、右肩に布の鞄をかけていた。アキムが差し入れを入れて持ってきたそれは、すっかりお買い物袋になっていた。
「私も手伝います。腕、まだ痛むでしょう?」
「もう平気。動かさなければすぐ治るよ」
「だったら尚更です」
「リオンさん、オルガも一度決めたら引かない子だから、素直にお手伝いさせてあげて。もちろん、私もお手伝いするからね」
「女の子に荷物を持たせるなんて、俺の流儀に反するよ。気持ちだけもらっとく」
「何で。いつもだったら、両手に花だぁ、ワーイとか言って喜ぶのに」
不思議そうな顔で振り返ったユリシーズを、リオンは半目でじとりと睨んだ。
「だまらっしゃい。俺の人格が疑われるような言動は慎んでよ」
「普段から、人格なんか疑われまくりだろ。なぁ、セラ?」
いたずら小僧のような意地の悪い笑みを浮かべ、セラに話を振ってきた。
「ユリシーズ、もう私、リオンさんのことオカマって思ってないから。面倒見のいいお兄さんだと思ってるから」
セラは慌てて隣を歩くユリシーズに、ひそひそ声で言い募った。一瞬だけそう思ったが、今はまったくそんなことは思っていない。あれこれと世話を焼いてくれる、何かと頼れる人だ。
「ありがとう、セラちゃん。だけど、オカマと思われていた事実は、やっぱり知りたくなかったかな」
耳ざといリオンにはしっかり聞こえていたようだ。セラは目を泳がせて、必死に言い訳を考えたが、何も浮かばなかった。
「い、今は違うよ?」
そして、自ら墓穴を掘った。言外に「前は思ってました」と言っているのと同意だと、口に出してから気づいた。そのやり取りを真横で見ていたユリシーズは、盛大に噴出して、必死に肩を震わせて笑い始めた。セラの後ろを歩いていたオルガも、横を向いて口を押さえていた。チラリとそちらを見やったリオンは、疲れた口調で呟いた。
「笑いたかったら、笑えよ……」
飲食店がひしめく通りは、人でごったがえしていた。朝も早くから店には大勢の旅人達が並び、街の人々が普段使うような商店も、呼び込みをする必要がないほどの混雑している。セラはこんなに賑わっている朝市には初めてやってきたので、物珍しげにあたりを見回した。
「セラちゃん、あんまりフラフラしてると迷子になるよ」
「はぁい」
目を輝かせてキョロキョロしているセラに、リオンは苦笑した。足を止めて、セラが追いつくのを待った。
「それにしても人が多いな。朝飯は屋台で買って、そこらへんの公園で食おう」
ユリシーズの言葉に、オルガはさらりと周りを見回して、疲れたようなため息をついた。
「他の人たちも、そんな感じだね。店で食事するために並んだら、お昼になってしまう」
旅装姿の多くの人々が、公園などの開けた場所に座り込んで食事を取ったり、仮眠している姿が見受けられた。通りかかった大きな橋の下では、小さな天幕を張っている姿もあった。スミスターよりも大きな街というだけでも人が多いのに、南部地帯封鎖の影響で、あちこちから移動してきた人たちが集まり、文字通り人で溢れていた。
「騎士服じゃなくて正解だな。王国に属する精霊騎士がフラフラ歩いてたら、取り囲まれて南部はどうなってるんだって、質問攻めにあうぞ」
「そう思って私服にした。セラ、手を。こんな人ごみではぐれたら、探すのに骨が折れる」
「うん」
「気をつけて。この人ごみじゃ、絶対手癖の悪い奴がいるからね」
セラとオルガはリオンの忠告に「はぁい」と良い返事をしてから、しっかりとお互いの手を繋いで、屋台を見に連れ立って歩いてった。銀髪と明るい赤茶の髪の後姿を見て、リオンはにんまりと笑った。
「なんかさぁ、どっちも女の子だってわかってても絵になるね、あの二人」
「……」
「あ、あれ? ユーリ?」
リオンの軽口に無反応だったので訝しげに横を見ると、ユリシーズは何やら物思いに沈んだ顔をしていた。
「オルガちゃんは女の子だよ? セラちゃんの彼氏じゃなくて、大切なお友達だよ?」
「うるせ」
ユリシーズはふてくされた様にそっぽをむいた。手を繋いで歩いている二人は睦ましい男女にしか見えず、二人とも女だとわかってはいても、何故だかもやもやとした気持ちが沸き起こった。
「せいぜい悩むがいいさ、青少年。とりあえず俺は朝から肉でいく。あれ美味そうだなー」
「俺も肉がいい。ゆうべはろくに食わないで寝ちゃったし」
「よっしゃ。ちょっと待ってて」
セラとオルガは昨夜は食事も取らずに寝てしまったから、まずは軽いものにしようと相談して、葉野菜と薄く切った燻製肉を挟んだ、パリっとした皮のパンを買った。セラ達がほんの少し目を離した間に、男二人は円形の薄い無発酵パンに、薄く削ぎ切りにされた味付け肉がこれでもかと挟まっている西方風料理をもりもりと立ち食いしていた。確かに香ばしい食欲をそそる匂いがしていて、おいしそうだな、食べたいなと思ったけれど、セラもオルガも朝からそんなに重たいものは食べられない。
「ちょっと、座って食べないとお行儀が悪いわよ。公園に行きましょ」
セラはお小言を言いながら、皆を先ほど通り過ぎた公園へ先導した。芝生に腰をおろして食事をする姿や、天幕を張ったり煮炊きをしている姿もあった。元の街の人からすれば迷惑に違いないが、非常時ということもあって大目に見てもらえているようだ。
ユリシーズは木陰に腰を下ろすと、セラが買ってきてくれたお茶を受け取った。セラが紙袋から出した、手で皮をむいて食べる小さな李を見て、ユリシーズはアキムの言いつけをようやく思い出した。
「しまった。ちゃんと果物も食えって言われてたの、忘れてた」
「……昼飯には、ちゃんと買うから」
ユリシーズの声に一瞬目を泳がせたリオンは、アキムに再三言われていたことを思い出した。肉ばかり食わせるな、変なものを食べさせるな、ちゃんと食事の管理をしろと、事細かに指示を受けていたのに、またもや綺麗に忘れていた。ユリシーズは一人前の男なんだから、放っておいてもちゃんと食事ぐらい取るだろう、とリオンは思うのだが彼は違うらしい。皆から「日程管理の鬼」とも揶揄される几帳面さがリオンを縛る。
「はい、どうぞ」
ユリシーズの隣にちょこんと座ったセラが、笑顔で数個の李を手渡してくれた。
「いいのか? ありがとう」
「一応、二人の分も買ってきたから」
オルガから李とお茶を受け取り、リオンは笑顔で礼を言った。
「俺達、自分の食欲に忠実すぎだった。反省する」
手のひらの李をじっと見ながら、ユリシーズは神妙に呟いた。
「うん。俺も反省する。二人ともいいお嫁さんになれるよ」
リオンも薄茶の瞳を柔らかく和ませ、両手でカップを持ったまま頷いた。
「お、大げさよ、二人とも」
「反省ついでに、今日はちゃんと休みをとりましょう。あれじゃ、セラの体力がもたない」
「精霊魔術は、気力をかなり殺ぐんだろ? 仮にも騎士なのに、あんなへばり方をしたのはそのせいだ。これから先も昨日みたいな襲撃があったら、君ももたないよ」
「だからと言って、俺の後ろってのもな……連中は俺を狙ってるみたいだったし」
「気力体力が頭抜けてて、馬術が一番得意なのはユーリだから、ユーリがセラちゃんを守るのが一番いいんだけどね。俺が乗せてもいいけど、紳士的な乗り方じゃないからなぁ」
片手で器用に李をむきながら、あっけらかんとリオンは笑った。
「セラはどうしたい? 正直に言ってみて」
真正面からひたむきな瞳でこちらを見るオルガに、セラはちょっと迷ってから、一番いいのではないかと思う方法を伝えることにした。
「私を置いていくっていうのは? この街からなら、一人でも乗り合い馬車を乗り継げば帰れるもの」
「ダメだ」
ユリシーズとオルガが、険しい顔をして、まったく同じ言葉を同時に言った。
「で、でも普通に考えたら、それが一番……」
「まだ若い女の失踪事件は続いているんだ。セラを一人になんて、絶対できない」
「私は先生からセラを連れ帰れ、と言われているんだよ。途中で師団長達と合流するから一緒に帰ろう」
真正面と隣からの強すぎる視線に、セラは思わずたじろいだ。特に隣からの視線が刺さりそうなぐらい強烈に感じられて、何だか落ち着かない。
「この子達、言い出したら聞かないでしょ。諦めて、セラちゃん。断り続けたら縄で縛って、鞍に括りつけるくらいしかねないよ」
リオンの言った「鞍に括りつける」という言葉に、ユリシーズとオルガの肩がぴくりと反応した。
「オルガ、交替でセラを括って乗せようぜ」
真面目な顔で、ユリシーズがとんでもないことを言い出した。
「それは私だけでいいと思う」
淡々とそう言うオルガを見て、セラは二人が本気で言っているようにしか思えなくて、背中に汗がたらりと伝った。荷物のように運搬されるだなんて、あんまりだ。
「うぅ、それだけはイヤです。昨日も思ったけど、私は体力もないし、剣も使えないし、本当に本当に足手まといだよ?」
「でも根を上げたりしないで頑張ってるでしょ。それだけで俺たちは十分だよ。無理言ってついてきてもらうんだから」
ね?と、薄茶の瞳を優しく和ませて笑うリオンに、セラは何も言えなくなった。
結局、なし崩しに同行継続となり、セラは複雑な気持ちだった。皆はああ言っていたけれど、足手まといなのは否めない。もうすぐルガランドだというのに、今朝から時々身体が重く感じるときがあって、それがセラの不安の種になっていた。色々あったから、今になって疲れが出たのかもしれない。皆に言えば心配して、確実に一日や二日は予定を遅らせるだろう。急いでいる彼らに、そんな迷惑はかけられない。体調がおかしいことは皆に黙っていることにした。
「俺のほうがまだ体力的に余裕があるから、今日は俺がセラを乗せるよ」
「絶対に、無茶はしないと約束して」
「約束する。俺は守りに徹するから、リオンと一緒に援護を頼む」
移せる荷物はリオンの馬に移して、セラの乗る場所を作ると、ユリシーズはつかつかとセラの傍にやってきた。
「失礼、レディ」
悪戯っ子のように笑いながら、セラの腰の辺りを両手で掴んで、鞍の上へそっと座らせてくれた。
「荷物の上に腰掛けろよ。敷き布入りだから、少しはマシだろ」
「あ、ありがとう」
はにかんだように礼を言うセラに、ユリシーズも優しげに蒼い瞳を細めた。
「辛かったら、すぐ言えよ」
こくんと頷くセラに笑いかけて、身軽な動作で馬に跨った。
グラスターを出てからは、何事もない穏やかな旅路が続いた。予定通りに街で一泊して、翌朝に出発して夕方に次の街へ。その単調な繰り返しは退屈ではあったが、安心感のほうが大きかった。道程で何度か休憩を取ってくれたものの、セラの体調はあまり芳しくなかった。なるべく顔に出さないように気を配り、何とか皆に知られずに過ごせていた。
ルガランドから二日の距離にあるヒースターの街に着くと、セラ達はすぐに宿を取った。ヒースターの街は大きな宿場町だけあって、泊まるところには事欠かなかった。部屋に入るなり寝台に倒れこんだセラを寝かしつけ、オルガは一人で騎士団の詰め所へ向かった。ルガランドの手前にある小さな村で、全員と合流するという伝言が届いていて、ほっと胸を撫で下ろす。これでセラを騎士団領まで連れて帰れると思うと、自然と足取りが軽くなった。
セラは数時間ほど仮眠をとったおかげで、多少は身体が楽になった。じきに夕食の時間だ。すっかり四人で食事を取るのが当たり前のようになったのに、あと二日でそれも終わり。そう思うと、胸にぽかりと大きな穴が開いたようになる。ゆっくりと食堂に下りていくと、奥まった席にいるオルガとユリシーズが、何やら難しい顔で話していた。
オルガが詰め所にいた留守居の騎士から聞いた話では、西方大陸からの特使団が、今朝方ルガランド大港についたという。ユリシーズ達の雇い主、クレヴァ・エーラース卿がその特使団の代表だと聞いて、セラは心底驚いた。他大陸にも名を知られている大貴族が、西方諸侯達を引き連れて何をしに来たのだろう。ヒースターの街でも、西方特使団のことが噂になっているらしい。西方大陸のきな臭い話は、海を挟んだ北方大陸にも聞こえている。皆、何かが起きるのではないかと不安なのだろう。
セラは気詰まりな雰囲気を和らげるために、ひとまず食事の前にお茶をいれようと席を立った。食堂に備え付けてあった茶器でお茶を入れていると、珍しく真面目な顔をしたリオンが、上着を引っ掛けながらやってきた。
「ちょっと出てくる。遅くなるから先に休んでてね」
そう言い置いて、食事も取らずに一人で出かけていった。
「ユリシーズ、リオンさん、ご飯も食べずにでかけて行っちゃったけど。何か、あったの?」
「急いで連絡しないといけないことができたんだ。リオンはギルドに顔がきくから、ギルドに頼むんだろ」
それを聞いたセラは、いいようのない不安を感じた。ギルドは二種類ある。傭兵や冒険者が使う、大陸間組合のようなギルド。もう一つは裏ギルドだ。お天道様から見えない、後ろぐらい仕事を請け負う組織で、特殊技術を色々持っている。そのなかでも「電信」という技術は、何日もかかる情報を瞬時に伝達し合うことができる、と聞いたことがある。ユリシーズの口ぶりからして、後者かもしれない。
「ギルドって、何の?」
「表の反対」
さらっとユリシーズが言った単語に、珍しく驚いた顔で、オルガは香茶のカップから口を離した。
「……リオンさんが?」
セラも翡翠の瞳に困惑の色をたたえて、ユリシーズを見た。思ったとおり、裏ギルドの力を借りるのだ。あんなにのほほんとした人が、裏ギルドで盗賊や暗殺者のような後ろ暗い仕事をしている姿は、まったく想像できなかった。
「リオンの昔の友達が、ギルドの顔役なんだよ」
ユリシーズはセラ達の反応に苦笑すると、香茶のカップを静かに置いた。
「二年前くらいに俺も会ったけど、普通に気のいい兄ちゃんだったぞ」
「そのほうが、逆に怖いよ」
オルガは腕をさすりながら、ぽつりと呟いた。裏組織にいるのに普通に見えるほうが得体が知れない。余計不気味さが増すだけだ。
「連絡、取れるといいね。アキムさん、今頃どうしてるんだろう。大丈夫なのかな」
「アキムをどうにかするほうが難しいから、心配ないよ。とりあえず、夕飯にしようぜ」
不安そうに顔を曇らせるセラに、ユリシーズはいつものように人懐こく笑うと、手を軽くあげて給仕を呼んだ。
軽く食事を取りながら、次の街ダミアへの道順や、オルガが仲間と合流する地点の確認をして、早々に部屋に引き上げた。セラは食事を取ってから、眠くてたまらくなって、二人の話す声を聞きながら転寝していた。机にそっと伏せたセラを、二人が心配そうに見ていることも知らずに。
話がひと段落して、オルガに手を引かれながら宿の階段を登っていると、ユリシーズが「セラ」と声をかけた。
「おやすみ。ゆっくり休めよ」
「うん……おやすみなさい」
ぼんやりと答えるセラに懐っこく笑って、ユリシーズは部屋へと戻っていった。セラはオルガにコルセを脱がされて、部屋に備え付けてある風呂場に放り込まれた。ぼんやりした頭でさっと湯浴みして、のろのろと着替えて、寝台へ潜りこんだ。うとうとしながら、ユリシーズのことを思う。おそらく、ルガランドでユリシーズとリオンとはお別れだ。騎士団領まで送ってくれると言っていたけど、あれからすっかり事情が変わってしまった。セラもルガランドに迎えが来ているから、もう一緒に旅をするのも、これでおしまい。
一緒にいられるのは、あと二日。もっと、ユリシーズのことが知りたかった。怖いところも、優しいところも。どんなことでも知りたかった。色々なことを知っている彼と、もっと色んな話がしたかった。もうすぐお別れする人のことを、私は好きになりかけている。そのことに、はっきり気づいてしまったセラは、枕にぎゅうっと顔を押し付けた。
翌朝。セラとオルガが朝食をとりに食堂におりていくと、こちらに背中を向けて座っていたリオンが、笑顔で振り返った。
「おはよー二人とも。問題解決したから、もう大丈夫だよー」
のほほんとした口調のリオンに、セラはそっと安堵の息をついた。彼らが急いで連絡しなければいけないこと、というのは想像もつかないが、問題が解決したのなら何よりだ。ぼんやりと皆のやりとりを眺めながら、セラは朝食に手をつけた。正直なところ、食欲はほとんどない。よく眠ったはずなのに、だるさがどうしても抜けなかった。まったく手をつけないのも宿の人に申し訳ないので、少しだけバターを塗った白パンと、フラグルを数粒だけ食べて、主食はオルガに半分あげた。
今日もセラは、ユリシーズの馬に乗せてもらうことになった。ノルンほどではないが大きな馬体だし、乗り手のユリシーズが卓越した馬術の腕なので、セラの身体に一番負担が少ない。それが理由だとしても、セラはユリシーズの傍にいられることが嬉しかった。
最後の街ダミアに向かう馬上で、ユリシーズに特使団のことを尋ねてみると、あっさりと話してくれた。騎士団領にいるなら、遠からず耳にはいることだから、と。
「西方大陸はここ数年で、亜生物が大量発生しているんだ。エーラース卿は、その対策方法を教えてもらいに来たんだよ」
「その亜生物って、廃屋で見た、人から変わったあれのこと……?」
「カンがいいな。その人工的に作られた亜生物が、戦争に投入されているんだ。セラは『錬金術』って、聞いたことあるか?」
背中越しに苦笑する感触が伝わってきた。聞きなれない言葉に、セラは懸命に記憶を掘り起こした。
「たしか、四英雄戦争の切っ掛けになった禁忌の古代技術、って習ったけど」
「ウィグリド帝国はここ二十年、それに傾倒している。ずっと続いている西方大陸の内乱は、それが原因だ」
「禁忌の錬金術で、人を亜生物に変えているの……?」
騎士団領でも、西方大陸に亜生物が出没しているらしい、という話は聞いていた。北方大陸では、亜生物討伐専門の部隊が常時巡回しているから、人が襲われたりすることは非常に稀だ。自然発生するものという認識で、どこで何が発生するのか長く研究し尽くされている。
西方大陸は元々、亜生物が出ることは稀で、未踏地にしか生息していないはずだ。急増した亜生物に対する策など知らなくて当たり前。その西方大陸で、人を亜生物に変えて、戦争に使うなんて。人を変える技術のような、母なる精霊の抱く円から外れるような真似は、けして許されるものではない。セラは背中をひやりとした手が撫でたような気がした。
四人は昼食を取るために、乗合馬車が馬を休める停留所で馬を止めた。旅人が小休止を取れるように広い馬場があり、屋根のある東屋には先客がちらほらと座っていた。
ユリシーズは馬からおりて、後ろに乗っていたセラをおろしてやろうと振り向いた瞬間、目の前に赤茶の髪がさらりとこぼれおちてきた。支えを失ったように馬から落ちかけたセラを抱きとめると、ぐったりと体重を預けてきた。
「セラ!」
「大丈夫?!」
オルガとリオンも、馬から慌てておりて駆け寄ってきた。横抱きに抱きなおしたセラの額に、そっと手を置いた。
「熱がある……何で言わないんだよ」
ユリシーズの沈んだ声に、翡翠の瞳をうっすらと開けて、泣きそうな顔で覗きこむ皆の顔を見上げた。
「ごめんなさい……迷惑かけて……」
「迷惑なんて思ってないよ。無理に連れてきたのは俺達だ」
「ごめん、セラ。体調が悪いの知ってたのに……無理させてごめんね」
「……とりあえず寝かせて、休ませないと」
リオンの言葉に、横抱きにしてすぐ近くにあった東屋につれていくと、ユリシーズはリオンに外套を外してもらって、セラを包んで長椅子に横たえた。赤い顔で浅く息をしていて、見るからに辛そうだった。
「薬を飲ませよう。少しなら副作用も出ないから」
リオンは鞍につけた荷の中から、疲労回復に調剤された薬と懐紙を取り出すと、さっと量を調整して懐紙に包みオルガに手渡した。セラはオルガに背中を支えてもらいながら、赤い粉薬を口に含み、水筒をあてがってもらって水で流し込んだ。横にしてもらうと、突然睡魔のような目眩が襲ってきた。
「……ちょっと眠るね……出発のとき起こして……」
力なく呟いて、勝手にくっつきそうになっている目蓋を閉じた。
「リオン、本当に大丈夫なのか? 気絶するみたいに眠っちゃったけど」
「問題ないよ。もともと身体を休ませるための薬だしね」
リオンはすうすうと寝息を立てているセラを見て、憂鬱そうに息をついた。自分用に調合された「無理やり身体を休ませる」薬だから、ほんの一口分でも、ダラムに着くまで眠りっぱなしになる。少しでも体力回復をさせるのなら、移動中は眠っていたほうがいい。
「私、グラスターを出たときから具合が悪そうにしてるの、知ってたのに」
「みんな一緒だよ。セラちゃんがしんどそうなの知ってて、自分達の事情を優先したんだ」
「昼飯食ったら、すぐ発とう。早くちゃんとしたところで休ませてあげないと」
ユリシーズの言葉に、リオンもオルガも頷いた。それに、こんなところで襲撃されたら、ひとたまりもない。まわりにいる関係ない人々まで確実に巻き込む。荷は崩さず、食料と水筒だけを外して、三人は立ったまま食事を取った。セラが見たら「座って食べて!」と、きっと騒ぐのだろうが、今は昏々と眠っているので、とても静かだった。
ユリシーズは外套を丁寧に巻きなおしてセラを抱き上げると、馬の首に寄りかかるように乗せた。リオンにセラを落ちないように支えてもらって、素早く鞍に跨った。セラの身体を自分に寄りかからせるようにして、しっかりと抱き込む。くたりと胸に頭をもたせかけ、完全に意識を失っている姿を見て、ユリシーズは表情を曇らせた。こうなるとわかっていたから、セラは「置いていって」と言ったのだろうか。
「置いてなんか、いけるかよ」
ぽつりと、誰にも聞こえない声で呟いた。一瞬たりとも目を離すのが惜しい、というような顔で、腕の中にいるセラを見た。目の前にいるのに、声が聞こえないだけで、ひどく寂しい。認めてしまえば、離れがたくなる。出会ってからひと月にも満たないのに惹かれている。彼女がどこの誰であっても、抱いた気持ちは消せそうになかった。




