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乙女は獅子に恋をする  作者: 龍田環
北方大陸編
11/111

11. 思わせぶりは困ります

 セラはブラウスの袖をまくって、備え付けの浴室に入っていった。王国軍が定宿にしているだけあって、白く滑らかな陶器の浴槽と洗面台が、いかにも清潔な感じがする。今日もお風呂に入れるなんて、とウキウキしながら浴槽に湯を溜めていると、オルガが戻ってきた気配がした。


「あ、オルガ、お湯溜めているからね。ちょっと待ってて」


 オルガは薄紫色の長衣の襟を寛げると、忙しなく部屋を歩き回るセラを見て微笑んだ。


「いいよ、ゆっくりで」


「早くお風呂に入って寝台でおしゃべりしたいの。明日、オルガは詰め所に行くんでしょう? 私も一緒に行こうか?」


 壁側に置かれた栗色のチェストから、ふわふわの綿織物を取り出して、オルガと自分の寝台の上にぽんぽんと置いていく。セラは右に曲がると言いながら左に行ってしまうような方向音痴だが、侍女としては気も回るし手際もいい。厳しい侍女長のお墨付きをもらっているだけあって、日常の細々としたことは安心してまかせることができた。


「セラが来ても、何もすることがないよ? 私は別の道を通って来る仲間と打ち合わせとか、色々やることがあるけど」


「そうなんだ……じゃ、ここで大人しくしてるわ」


「折角だから街を見てきたら? さっきの夜市も、珍しいものがたくさんあったでしょ。一人だと危ないから、あの二人にお願いしてついて来て貰えばいいよ」


 しゅんとしょげたセラに苦笑すると、オルガは自分の思惑などひとかけらも感じさせない口調で、街へいくことを勧めた。何も知らないセラに、動きを封じる「枷」の役目をさせることはイヤだったが、セラを一人で行かせることも、あの二人に好き勝手に動かれることも避けたかったのだから仕方がない。そう自分に言い聞かせた。


「オルガはお仕事なのに、私だけ遊んでちゃ悪いよ」


 眉根を寄せて困り顔の両頬をむにっと摘んで、引っ張った。よく伸びる。手元のすぐ下で「いふぁい」と抗議の声が上がった。


「変なところで頑固なんだから。私はいいから、行ってきなよ。そのうち遊んでる場合じゃなくなるし」


「何それ、怖いこと言わないで。だけど、オルガがそこまで言ってくれるなら、ちょっとだけ行ってきてもいい? 実は着替えが欲しいんだ。ずっと着たきりじゃ服が傷んじゃうもの」


 ほっぺたを擦りながら、セラははにかんだように笑った。


「うん。行っておいで」


「ありがとう。あ、お風呂!」


 慌てて浴室に戻っていく姿を見送り、オルガは小さく小さくため息をついた。小さな頃から何でも話し合ってきた仲なのに、言えないことが増えていくことが憂鬱で堪らない。ずっと、あのままでいられたら良かったのに。そう思わずにはいられなかった。


 交替で湯を使ったあと、セラは寝台に横になってすぐに、すとんと眠りに落ちてしまった。一日馬に揺られて疲れているはずなのに、浅く、深く、何度も意識が温い泥から浮かび上がる。繰り返し見る夢は、あの気持ちの悪い男が、セラを覗きこんでくるという悪夢だった。やめて、誰か、誰か助けて、と声に出しているつもりなのに声が出ない。ただただ、恐ろしかった。


「……、ラ。セラ?」


 少し体温の低い手のひらが、セラの頬をそっと撫でるように叩いていた。その感触に引っ張られるように、意識が徐々にはっきり浮上してきた。


「魘されていたけど、大丈夫?」


 瞳を開けると、心配そうにこちらを覗き込んでいるオルガがいた。安堵の息を大きく吐いて、両手で顔を覆うと「大丈夫」と小さな声で答えた。酷い夢を見たせいで、まだ胸がばくばくと音を立てている。


「こ、わい夢みちゃった……」


「そう……」


 柔らかな赤茶の髪をそっと撫でて、卵を包み込むように優しく抱きしめた。白い月明かりの差し込む真夜中の部屋は静かで、どこにも嫌な気配はない。オルガの契約精霊エアリエルの気配だけが、薄く漂っている。幼い頃から見知っているセラを心配して『あちら側』から覗きにきていたのだろう。


「今晩は、どこにも変な気配はないよ。大丈夫、何かあったらすぐに助けてあげる」


「……ありがとう、オルガ」


 頼りなく口元を緩めて、セラは再び瞳を閉じた。とろりと身を包む眠気に吸い込まれるように、また意識が沈んでいく。額におかれたオルガの優しい手の感触が、心地よかった。


 翌朝。目が覚めると部屋にはオルガの姿はなく、白いナプキンのかけられた朝食が、窓際のそばにあるテーブルに置いてあった。朝食の横にあった宿の便箋に、繊細そうな文字で「よく眠れた? 私は先に出かけるね。夜六の鐘が鳴る頃に戻ります」と書かれていた。どうやらセラは寝坊したらしい。気だるげに顔を洗い、いつもの緑のお仕着せで身支度を整えた。ずっと着ているから、あちこち皺が寄っているのが何とも悲しい。今日は絶対に旅装を買おうと決めた。


 「起こしてくれたらよかったのに」とぼやきつつ、かけられていたナプキンを取ると、ふわふわした胡桃のパン、冷めてもふんわりとした炒り卵に魚のマリネ、オルガの好きなフラグルが数個、白地に青の可愛らしい花模様の数皿に美しく盛られていた。王都や騎士団領で食べられている朝食と、同じような献立だ。王国軍の騎士だって、地方に来たら違うものが食べたいんじゃないかしら、と思いながらコゼーを外して、角牛の乳から煮出した香茶を注いだ。


 手早く朝食を食べ終えたセラは、さっそく街へ出かけることにした。革鞄から小さな革の肩掛け鞄を取り出して、財布と唇用の蜜蝋を入れて肩にかける。髪は編むのも面倒だったので、左右の耳の上の後ろ髪をさっと髪留めでまとめた。支度を整えると、隣の部屋へ向かった。扉をノックしようとしたとき、丁度あちら側から開き、下ろした手が、そのまま相手の鳩尾ど真ん中に当たった。


「う」


 低いうめき声がしたので、顔をあげると面食らったような表情のユリシーズが、目の前に立っていた。


「計ったように、俺の鳩尾を……」


「ご、ごめんなさい」


「気にするな。出かける準備はできたのか?」


「うん。あれ、私出かけるって、ユリシーズに言ってたっけ?」


「オルガに頼まれたんだ。今日は一日、セラのお守りをよろしくって」


「お守り……」


「リオン、俺、出かけてくる」


 扉の間から見えた寝台から、日に焼けた腕がにゅう、と出て「いってらっしゃい」と言うように手を振った。もそもそと寝返りをうつ黒髪の頭が、少しずつ毛布に潜っていく。

 黒い丸首の流し編みのシャツと、朽葉色のズボンの楽な服装に、いつもの深緑の膝上丈の上着を引っ掛け、幅広の剣だけ持ったユリシーズが仕方なさそうに笑って扉を閉めた。


「リオンは寝起きが悪いんだ」


「具合が悪いわけじゃないのね。よかったわ」


「仕事のないときは一日あんな感じだよ。セラはちゃんと寝れたのか?」


 右腰に幅広の剣を革の剣帯で吊りながら、並んで廊下を歩く。さんさんと日の光が窓から差し込んでいて、今日はいい天気になりそうだ。


「眠れたわよ。おかげで寝坊しちゃった」


 赤茶の髪をふわりふわりと揺らしながら、セラは楽しげに階段をおりていく。初めて来た街の様子はどんなだろうと想像すると、心が浮き立ってくる。口は悪いけど、意外と優しい護衛が一緒だから心強い。


「そっか。今日は何するんだ?」


「まず両替商に行って、それから服屋に行きたいんだけど」


「服屋?」


「皆は着替えがあるけど、私今着ているこれしかないんだもの。服が傷んじゃう」


「服屋ね。あとは、どこに行きたいんだよ」


「お菓子も食べたい」


「そういや、菓子を買ってやる約束だったな」


 宿を出て昨日夜市をやっていた通りに向かうと、昼間は別の露店が軒を連ねていた。どちらかというと生鮮食品を中心に扱っている店ぞろえだ。食事処や酒場の料理番や、奉公人、市井の人々といった様々な層が集まっている。二人はその賑わいを横目に、中心街へと向かうことにした。


「おい、どこ行くんだよ。両替商はこっち」


「さっきの案内板だと、こっちの道じゃなかった?」


「遠回りになるよ。この通りを抜けていくほうが近い」


「本当に? 違ってたら怒るからね」


「合ってるに決まってる」


 疑いの眼差しで見上げるセラに不適に笑い返して、ユリシーズは先に立って歩き出した。出会って四日目。前を歩く青年が、相当な自信家だと確信した。言動が偉そうなのに、不思議と不快な気持ちにならないのは、意外と人懐こい性格のせいか、はたまた悪戯っ子のような憎めない表情のせいか。今だってスタスタ歩き出した割りに、歩調はセラに合わせてくれている。基本的に優しいのだろう。


 のんびりと散歩でもするような足取りで歩いていくと、昨夜並ぼうとしていた街の入り口が見えてきた。相変わらず大勢の人でごった返していて、門番が大きな声で人々の群れをさばいていた。王都へ向かう街道沿いにある街々も、スミスターと同じように大混雑しているに違いない。


「出るときも、軍用通用口から出たほうがよさそうね」


「並んでる人達にゃ悪いけどな」


 昼は何を食べようかなどと他愛のないこと話しながら、金物屋と雑貨屋の間の細い道を進むと、通りを挟んだ向かい側に両替商の看板が見えてきた。セラが気がつかなかったわき道は、大通りと街の主要施設が繋がっていたようだ。想像していたよりもずっと早くついたので、ぽかんとした顔で、すぐ横にいる涼しい顔をしたユリシーズを仰ぎ見た。


「どうして近道がわかるの? 初めて来た場所なのに」


「だから言ったろ、合ってるって。地図を見ればわかるよ」


「私には見えない道が書いてあったのね。ちょっと待ってて、両替してくる」


「そんなわけあるか。待つのは構わないけど、一人で大丈夫か?」


「大丈夫。すぐ戻るわ」


 ちりん、と小さく入り口のベルを鳴らして中に入ると、片眼鏡をつけた厳しそうな両替商の老人が、格子窓の向こうに座っていた。セラは「おはようございます」と挨拶をして、格子窓の前に立った。格子の間からスッと申請用紙を渡され、慌てて受け取り内容を確認する。いつも使う用紙だったので、慣れた手つきで必要箇所にサラサラと書き込むと、お仕着せの隠しから出した小さな鍵と一緒に手渡した。この鍵は身分証明もできる手形のようなものだ。セラの給金を保管してある騎士団領の口座から、お金を引き出すことができる。ガルデニア王国認可の両替商であればどこからでも利用可能なので、こうして旅先で急に入用になったとき、かなりお役立ちだ。


「銀貨を三枚、引き出しお願いします。一枚だけ全部銅貨にしてください」


「お使いですか? こんなときに大変ですね」


「ありがとう。用は済みましたので、これから帰るところです」


「それはけっこう。では、こちらをお返しします」


 無事にお金が引き出されて、小さな鍵と銀貨の入った布袋が手渡された。


 目の前で開けて、一つ一つ数えてから財布にしまうと「ありがとうございました」とお辞儀をして店を出た。ちりんと音を立てて閉じていく扉を、ぼんやり見ていると、ぽん、と頭に手を置かれた。


「ぼけっとしてると、財布をスラれるぞ」


「一ナルの傭兵さんが守ってくれるんでしょ」


「まだ覚えてたのか。じゃ次は服屋か?」


「そうよ。さぁ、はりきって行くわよ」


「はいはい」


 そこそこ栄えているスミスターの街は、色々なところからやってきた商人達が市を開くためか、活気に満ちていた。あちこちで客を呼び込む声がして、道々を歩く人々を誘い込んでいる。セラとユリシーズも物珍しげに露天を眺めながら歩き、あるものが売っている店先で、同時に足を止めた。輪切りになった薄いパンのような菓子が売られている。王都で今人気のパン菓子だ。


「これ、一つください」


 ユリシーズがズボンのポケットから一小ナル銅貨を取り出し、屋台の前にいる少女に手渡した。満面の笑顔をした売り子の娘から紙袋を受け取ると、ユリシーズは懐っこい笑顔でセラに差し出した。疑うことなく甘く香ばしい匂いのする紙袋を受け取り、セラは嬉しそうに笑って礼を言った。


「ありがとう」


 再び並んで歩き出すと、ユリシーズが悪戯が成功したようにぱっと破顔した。


「受け取ったな。これでチャラだ」


「何が?」


「契約解除で、俺は自由の身になった」


 しれっというユリシーズの顔を見て、セラは一瞬で何を言っているのかを理解した。セラが無理やり結んだ傭兵契約を破棄したのだ。しかも勝手に。


「さっきの一小ナル銅貨、私が渡したやつね!」


「約束分はあとで買うよ。とりあえず味見させてくれ」


 ひょい、と紙袋から一つつまみ、さくさくと咀嚼する。


「ん、美味い」


「ちょっと、私に買ってくれたんじゃないの?」


「セラの金で、俺が買っただけだよ?」


 そう言いながら、袋から二つ三つと摘んでは口に運ぶユリシーズに、セラは頬を膨らませた。


「私の分とっておいてよね。それに、どうして契約解除なの?」


「人助けだから金は要らんと最初から言ってるだろ。それに俺の故郷では、女に金を出させたら切腹という掟があるんだ」


「すごいところの出身なのね」


「……騎士団領まではあと十数日なんだし、面倒なことは考えず、心置きなく守られてくれ」


 柔らかく瞳を細めるユリシーズに、セラは何も言えなくなった。本当に人助けのつもりなら、これ以上ややこしいことを言うのも悪い気がする。


「わかったわ。そうさせてもらうね」


「うん。ちょっとそこで待ってて。喉渇いたから飲み物買って来る」


 往来の少ない木の影を指差して、ユリシーズは今度は別の屋台へとスタスタと歩いていった。色とりどりの飲み物が売られている中に、北方で良く飲まれる甘い飲み物「ブルーベルロッパ」があった。黒っぽい豆の様な甘酸っぱい果実で作られたそれは、慣れない人には驚くほど甘い。ユリシーズは甘党のようだからと、セラは特に気に留めずにパン菓子をさくさくと頬張った。確かに美味しいけど、けっこう喉が渇く。二枚目を食べ終える頃に、ユリシーズがブルーベルロッパと薄緑色の果実水を買って戻ってきた。


「自分で買っておいてなんだけど、すごい色の飲み物だな」


「私、こっちがいい」


 セラは、ほんのり薄緑色をしたフルクトを絞った果実水を、礼を言って受け取った。柑橘系なので口当たりがさっぱりしていて、こういう甘い菓子によく合うのだ。ユリシーズはブルーベルロッパを一口飲んで、少し咽た。


「すげー甘い……何だ、これ」


「甘いもの好きなんでしょ、よかったわね」


「好きだけど、限度を超えてる甘さだぞ、これ」


「北方名物は堪能できまして?」


 にまっと笑うセラを半目で睨むと、コップを持った手をセラに向かってずいと差し出した。


「うるせ。そっちと取り替えてくれ」


「もう口つけちゃったわよ」


「俺は全然平気。はい、これあげる」


「ちょ、ちょっと」


 持っていたコップをひょいと手の中から抜かれて、代わりにユリシーズが飲んでいたブルーベルロッパを持たされた。ユリシーズが平気でも、セラが平気じゃない。同じコップで飲むなんて、古典的だけど間接的にキスしているような気がして、何となく居たたまれなかった。


「ん、こっちは美味い」


 ユリシーズはフルクト水を飲みながら、セラの手の中にある紙袋から最後の一枚を摘んで、あっという間に食べてしまった。紙袋を開けて中を見ると一枚もない。くしゃくしゃと握りつぶして、のほほんとフルクト水を美味しそうに飲む横顔をキッと睨みつけた。


「まだ二枚しか食べてないのに」


「また買ってあげるから」


「もう!」


 ブルーベルロッパを飲みながら、ふくれっ面でそっぽを向くと「よく飲めるな」とクスクス笑う声がした。


「慣れると美味しいもの」


「ウソだろ」


「慣れるまで飲んでみたら、わかるんじゃない?」


「無理」


「まぁ残念」


 形のいい眉をぎゅっと顰めているユリシーズを見て、セラはころころと可笑しそうに笑った。本当は暖めるとちょうどいい甘さになるのだが、きっと彼はその季節になる頃には、別の大陸にいるだろう。


「一口だけで、十分堪能したよ」


「それはそれは。よかったわね」


 木製のコップをユリシーズの手から受け取って屋台へと戻しに行くと、後ろからのんびりとした歩調でユリシーズがついてくる。周りから見られる自分達は、どのように見えるのだろう。ベンチに座って仲睦まじく話す男女や、人ごみにはぐれないようにしっかりと指同士を絡めて歩く男女のように、恋仲に見えたりするのだろうか。まさかね、と頭を振って、布を扱う店が並ぶ通りへと歩き出した。


「次は服屋か。どんなのを買うんだ?」


「旅装にも使える街着とケープ。西北部に行くなら必要かと思って」


「山とか森とか多いから、確かにあったほうがいいな」


「ユリシーズも地図の内容、覚えてるの?」


「一応な。暇なときに地図の読み方、教えようか?」


 セラがやる気に満ちた瞳で「うん!」と頷くと、涼やかな目元を細めて「迷子の汚名返上だな」と楽しそうに笑った。



「俺、ここで待ってるから行ってきなよ」


 さすがに女性用の衣服店には入りづらいのか、通り沿いの街路樹の下に置かれたベンチを指差した。


「ごめんね、すぐ戻るから」


 セラは手を合わせて謝ると、せかせかとした足取りで店へと入っていった。買うものは決まっているから、そんなに時間はかからないはずだ。


「うーん、こっちとこっち、迷うなぁ」


 灰がかったライラックピンクのコルセと、野に咲く花のような薄い青のコルセは、どちらも捨てがたかった。前者は汚れが目立たない色合いで、すとんと落ちるスカートの感じが素敵。後者は生地がしっかりしていて、しわになりにくそうに見えるのに、柔らかな風合いが気持ちいい。どちらも即決した柔らかな栗色のケープとも合う。良心的な値段だから、両方買うという選択肢もあるのだが、いかんせん荷物になるので迷うところだった。


「外で待っている素敵な人に決めてもらったら? 彼が選んだほうなら後悔しないでしょ?」


 二十をいくつか過ぎたくらいの、愛嬌のある顔をした売り子のニシシ、という笑いにセラは「えっ」と小さく叫んで赤面した。


「ねぇ、そこで待っているお兄さん! 彼女が迷っているから決めてあげて!」


 セラが「違う」と否定する間もなく、売り子が外で待っているユリシーズに向かって大声で呼ばわった。ボーっと通りを見ていた後姿が、くるりと振り返る。その顔には迷惑そうな感じがなかったので、セラは何となくホッとした。


「何を迷ってるって?」


 長い足でスタスタと歩いて店にやってきたユリシーズは、すぐにセラと売り子のいるカウンターにやってきた。


「どっちも可愛くて選べないんですって。彼氏が決めてくれたほうを買うって」


「ち、ちが」


 赤い顔をしてどもるセラを笑うこともなく、涼しい顔をしながら売り子の差し出す二着の洋服をじっとみる。


「俺はこっち」


 数回瞬きする間もなく、長い指が迷うことなく薄い青のコルセを指差した。


「こっちですって! 試着してみたら?」


「好きにしてこい。俺は外にいるから」


 店の一角からさりげなく目を逸らしながら、ユリシーズはそそくさと店から出て行ってしまった。何を見ないようにしていたんだろう、と振り返ると、そこには眩い白のステイズや色とりどりのペチコートがかけられていた。ただの助平かと思ったけど、あれで意外と純情なのかもしれない。

 目に入ったついでに、下着類の予備にステイズとドロワーズを一着ずつ、寝巻き代わりの薄手の中着も買うことにして、セラは薄い青のコルセを試着するために店の奥へ歩いていった。


 試着をしながら外にいるユリシーズには聞かせたくない内容の話をしていると、何とも面映い思いがした。お年頃な友達といつも恋の話をしているけれど、恋愛にあまり縁のなかったセラは「ふぅん、大変なのね」ぐらいにしか思っていなかった。どうしてか好きな人もできなくて、密かに悩んでいた。が、いざ自分がそういう話の当事者になると話は別だ。照れくさいような、心が浮き立つような、ふわふわした感じがこそばゆい。


「私がお使い中に、面倒ごとに巻き込まれて助けてもらったのが縁で、親切にも奉公先まで、護衛してくれることになって」


「そう、旅の途中でね。貴女もお仕事大変ねぇ。あ、でもでも、彼氏って言っても否定しなかったから、脈はあるんじゃない?」


「彼とは知り合って、まだ四日目くらいだし、それはないと思うんだけど」


「好きになるのに、時間なんか関係ないわよぉ! 私だって旦那と知り合って、一ヵ月で結婚して五年経つけど、とっても夫婦円満よ?」


「お姉さんは、そうかもしれないけど」


「女のカンは当たるのよぉ、私は脈ありに五十ナル賭けるわ。お代は全部で九百ナルよ。たくさん買ってくれたから、おまけで着ていたお洋服に火熨しをかけようか?」


「本当? とっても気に入ってるのにシワシワで悲しかったの」


「任せて! 荷物も預かっておくから、帰りに寄って、今日の進展を聞かせて頂戴」


 売り子のお姉さんに予想外の重圧を受けつつ、セラは服屋を後にした。何も進展するようなことはないと思うんだけど、と思いながら。


「へー、着てみたのか?」


「うん。着てた服は火熨しをかけてくれるって。荷物も預けてあるから、また後で寄ってもいい?」


「帰り道だし、構わないよ」


「ありがとう! 次はユリシーズの行きたいところに行きましょ」


「俺の? しいて言えば武器屋に行きたいけど、セラも来るんだろ? 女の子が見て楽しいものは何もないと思うぞ」


「私のお買い物に付き合ってもらったんだから、私もユリシーズのお買い物に付き合うわよ?」


「そっか。なら行くか」


「何を買うの?」


「手裏剣と短剣。補充しておきたい」


 頭の中に地図が入っているのかと思うほど、何の迷いもなく歩き出したユリシーズのすぐ後ろをセラもついて歩く。服屋から三つ先の通りにある、武具や旅人向けの商品を扱う問屋街に向かうと、看板に剣の印を掲げた店を見つけた。


「ここみたいだな」


 ユリシーズはセラを伴って、店の中へと入っていった。中にいた店主らしき壮年の男が、磨いていた短剣の鞘を作業台に置いてカウンターに立った。


「手裏剣と短剣が見たいんだが」


 よく通る低い声が要望を告げる。セラは物珍しそうに、店内に飾られた武具を眺めて待つことにした。


「はいよ。手裏剣は重さがあるけど、どのぐらいがいいんだい?」


「これと同じぐらいのものを」


「うーん……こりゃ、西方製かい?」


「うん」


「兄さん、うちじゃこれよりいいものはないよ。というより北方には置いてないね。製鉄技術が落ちるから」


「そうなのか……じゃあ、同じ大きさのものを見せてくれないか?」


「わかった。あるだけ出してやるよ。裏で試し打ちもできるが、やってみるか?」


「いいのか?」


 手招きする店主についていくと、店の裏手には砂地に置かれた的や、巻いた藁が案山子のように立っていた。ユリシーズは店主から手裏剣を数本受け取ると、的に対してやや斜めを向いて立った。セラは邪魔にならないように、巻いた藁案山子のそばに立った。


「セラ、危ないからそこから動くなよ。刺さっても知らねーぞ」


「うん」


 手のひらに乗せた手裏剣を、軽くポンポンと弾ませてから、中指、人指し指、くすり指の三指で挟み、剣の根元を親指で抑えると、真っ直ぐに伸ばした指先を的に向け素早く一閃した。盛り砂に立てかけた的の中心にバスッと鈍い音をさせて手裏剣が命中する。続けざまに左手、右手と連続して投げ、そのどれもが的の中心枠に命中していく。素人目で見ても、かなりの腕であることが見て取れた。


「兄さん、いい腕だな」


 的の中心に根元まで埋まった手裏剣を見て、武器屋の店主も唸りながら感嘆の声をあげた。


「どうも。これを六本、用意してもらえるかな」


 店主は「まかせろ」と言って店へと戻っていった。


「ねぇユリシーズ、私にもできる?」


 投げた手裏剣を回収しようと歩き出したユリシーズの背中に声をかけると、胡乱な瞳でゆっくりと振り返った。


「無理。その筋肉のかけらもない腕じゃ、的まで届かないよ」


「やってみなくちゃ、わからないじゃない」


「わかった。やってみて、現実を正しく理解するんだな」


 ユリシーズは的から手裏剣を引っこ抜いて、数歩離れた所で立ち止まると、セラを手招きした。


「こ、こんな近くから投げるの? 誰だって当たるに決まってるでしょ」


「ちゃんと練習しないとまず当たらない。いいか、的に対して正面に立つ」


「うん」


 スッと近づいたユリシーズに手を添えられて、手裏剣を手のひらに乗せられる。棒状のそれは、思っていたよりも投げやすそうな形だったが、ずっしりと重たかった。


「刃先は上、握りこむと手を切るぞ。これを指で挟むようにして持つ」


 大きな手で握りこまれるようにして、手裏剣に三指を添える。重さに指がまったく落ち着かない。手を添えてもらっていないと取り落としそうだ。


「こ、こう? 結構重たいのね……」


「重くしないと安定して飛ばないだろ。肩の力を抜いて、脇をしめて腕を真っ直ぐ上げる」


「ん!」


「そのまま上げた腕を、真っ直ぐ振りぬく」


 ぐさ。


 セラの手から離れた手裏剣は、綺麗な放物線を描いて、地面へと斜めに突き刺さった。


「言ったろ、当たらないって」


「な、投げ方のせいじゃない? ユリシーズがさっきやってたみたいに、逆手とか下からとか投げたら」


「もっと無理だろ。俺だって当たるようになるまで、結構練習したんだからな。セラは武術の類は、たぶん向いていないよ。体力なさそうだし」


「筋肉、あると思ってたのに」


「どこに。ギモーブみたいな腕しやがって」


 ぎゅ、と片手で二の腕を握られて、ぎしりと軋むような痛みが走った。


「い、いったーい! 何するのよ」


「筋肉がないから痛いんだよ」


 思わず飛び跳ねて抗議すると、ユリシーズは笑って手を離してくれたが、まだじんじんと痛む。


「ユリシーズもリオンさんも、無理無理ってひどい」


「リオンが何を言ったんだ?」


「縄抜けを教えてって言ったら、手首が太くなるからやめとけって言われた」


「何でそんなことに……。帰ったら、リオンの手首をよく見てみるんだな」


 ユリシーズは遠いところでも見るような目になって、地面に突き刺さった手裏剣を抜くとついた土を軽く払った。セラは捕まっていたときのリオンの手首を思い出した。女の子と思っていたせいもあったけど、そんなに太くはなかったし、手だってすんなりとした指をしていたように思う。


「そんな太くなかったと思うけど」


「縄抜けの原理を教えてやる。丸太にどうやって縄をかける?」


「ひっかかるところがないのに、どうすればいいのかしら。ぐるぐる巻き?」


「引っ掛かりがなければ、縄はかけられない。だから拳と同じ太さになるまで、手首を鍛えるんだよ。握り拳と手首が同じ太さだと、縄が丸太にかかった状態と同じになるから、縄抜けできる」


「そういうことだったの。だから手首が太くなるって言ってたのね。やっぱり手首の関節は外さないんだ」


「外しても手首で引っかかるから、縄は外れないだろ。まさか精霊騎士団は、縄で捕縛されたら、間節を自分で外して抜けるのか?」


「ううん、しないと思う」


「だろ。命の危険でもない限り、自分で自分の間節をはずしたり、はめたりしねーよ。うまく外れなかったら、気絶したくなる激痛を味わうだけだ。考えるだけで痛い」


 まぁ後ろ手に親指同士を縛るだけで、簡単に動けなくなるけどな、と何やら恐ろしいことを言いながら、すたすたと店の中へと戻っていく。セラもその背中を追いかけて、ぱたぱたと走り出した。


「手裏剣は用意したが、短剣はどうする?」


「小さい刃先のやつがいい。懐にしまえるぐらいの」


「それなら、このあたりが妥当だろうな」


 ひょこ、と店の裏口から顔を出すと、店内には柄の悪そうな若い傭兵風の男が二人増えていた。店主とユリシーズのほうへ行こうとすると、短髪で大柄の男が前を塞ぐように立ちふさがって、声をかけてきた。


「あれぇ、かわいいお姉ちゃんが、こんなとこで何してんだ?」


「通してください」


「俺の連れに、何か用でも?」


 音もなく男の背後に立ったユリシーズが、セラに触れそうになっていた相手の手首を無造作に掴みあげた。大して力もいれていないように見えるのに、あっけなく男がセラの目の前からどかされて、視界がユリシーズの背中だけになった。


「は、離せ、いてえ!」


 窓際にいた大男の連れが慌てて飛んできて、襟首を捕まえてユリシーズの手から逃げるように引き摺って、距離を取った。


「ったく、バカが。悪いね、女と見れば見境なく声をかけるんだ」


「俺じゃなく、連れに謝ってくれ」


「悪かったね、お嬢ちゃん。おら、行くぞ」


 傭兵風の二人は慌てふためきながら、店を飛び出していった。彼らの存在をすっぱり無視したユリシーズは、再びカウンターへと戻っていく。その背中にくっつくように歩きながら戻ると、店主がため息をついて「お嬢さん、大丈夫か?」と心配そうに声をかけてくれたので、セラは笑顔で頷いた。


「二、三日前から、ああいう連中が急に増えてね。あちこちでケンカ沙汰が起きてるから気をつけろよ。大事な女はちゃんと守ってやんな」


「うん。そうする。ところでこの短剣、二本買うからまからないか?」


 さらっと店主の言葉を肯定したユリシーズの横顔を、翡翠の瞳をくるっと大きくさせて凝視した。普段どおりの涼しい顔をしていて、何を考えているのか、まったくわからなかった。


「兄さん、あんだけの気迫が出せるのに、何かみみっちいな」


 店主は呆れた顔で、目の前にいる亜麻色の髪の青年を見た。さっきのいざこざよりも、手裏剣で的を狙ったときよりも、眼光が鋭いのが納得いかない。


「うるせ。それとこれとは別だ。手裏剣いれて、全部で銀貨三枚」


「何言ってんだ、そんな値段で売るわけないだろ!」


「じゃ、銀貨四枚」


「アホか! そんなにまからんぞ。アンタの腕を買ったとしても、銀貨六枚だ」


「銀貨六枚ね」


 爽やかに笑って、交渉成立とばかりに懐から銀貨を六枚取り出して、店主の手のひらに一枚ずつ数えながら乗せていった。店主は「ぐぬぬ」と吼えそうな顔で、乗せられていく銀貨を見ている。


「はぁ……毎度有り。包むかい?」


「このままでいいよ。どうもありがとう」


 剣帯の内側にあるホルダーに手裏剣を挟み、短剣二本を懐と背中側の革帯にしまうと「世話になった」と笑い、セラを促して店を後にした。


「さっきはごめんな。そばにいたのに嫌な思いさせて」


「ううん、助けてくれてありがとう」


「昼飯食ったら戻るか。人が増えたせいで、あんまり治安がよくないみたいだし」


「も、もう戻るの?」


「何だよ、ほかに何かあるのか?」


「ないけど……」


「とりあえず昼飯食おうか。腹減った」


 そっとセラの肩を押して、歩道の外側に移動すると、のんびりとした歩調で歩き始めた。歩道の内側に寄せたのは、さっきみたいな変なのから声をかけられることを避けるためだろうか。すぐ隣を歩く人が、セラのことをどう思っているのか。いつもなら気にも留めないのに、何だか気になった。


「なぁセラ、俺、あれが食べたいんだけど」


 ユリシーズの指差す先には、北方では庶民的な料理「ブラール」の店があった。肉団子をとろりとしたクリームソースで食べるのだが、安価なのに美味しくて腹持ちがよいため、どこでも好まれて食べている。セラは付け合せの白芋をよくつぶして、角牛の乳とバターを加えてよく練ったものが大好きだった。自分でも作って大量に平らげて、みんなに呆れられたことがある。


 二人は昼時で賑わう店内のカウンターに案内されると、さっそくブラールを注文した。嬉しいことに、付け合せはお代わり自由だったので、セラは瞳を輝かせてブラールをわざと少なく頼んだ。ユリシーズは「それしか食わないのか?」と食欲がないのではと心配そうにしていたが、練った白芋を大盛りにしたセラの皿を見て、心配して損したというように「ハッ」と鼻で笑った。


「俺が北方に来て、一番美味いと思った料理はブラールだな」


「そうなの? 私もブラール好きよ」


「ブラールについてくる、付け合せの芋が好きなんだろ」


「いいじゃない、お芋が嫌いな女の子はいないのよ!」


「力説すんな。芋がおかわり自由だからって、芋ばっか食いやがって。もう行くぞ」


 完全に呆れた顔で、セラのよくわからない理屈を聞いて嘆息すると、食後の花茶を飲み干して席を立った。セラもふんわりと香る花茶を飲み終えて、カップをテーブルに置いて席を立つ。すぐに少年の給仕がやってきて、置かれた銅貨を回収していった。駄賃も含まれているから早いもの勝ちなのだ。


「さてと、腹ごなしに適当に歩きながら帰ろうか」


「うん」


 少しだけ遠回りをして、比較的穏やかそうな雰囲気がする役場通りを抜けていくと、少し大きめの公園が見えてきた。木陰の下で昼寝をする役人らしき人や、逢引中らしき男女、小さな子を連れた母親たちといった市井の人々の憩いの場のようだ。ぽかぽかと降り注ぐ日差し。ふわふわの芝生。あそこに寝転んだら、きっと気持ちいい。同じことを思ったのか、無言でぼんやりと芝生を見つめるユリシーズに、セラは笑いながら尋ねた。


「もしかして、お昼寝したいなぁって思ってる?」


「何でわかった?」


ユリシーズは不思議そうにセラをみて、一言だけ呟いた。


 二人は予定を少しだけ変えて、ほんの少しだけ公園で休憩することにした。大きな樹の下にやってくると、芝生に直接腰をおろした。思ったとおり、ぽかぽかの芝生はふわふわで、気持ちがよかった。


「俺とセラって、食い物の好みとか、何か似てるよな」


 長い足を投げ出すようにして座り、手を後ろについた楽な姿勢で、何年も前からの親友に話しかけるように呟いた。


「私も、ちょっと思った」


「初対面とは思えない」


 ユリシーズは自分の両腕を頭の後ろで組んでごろりと寝そべり、上目遣いでセラを見た。蒼い瞳と視線が絡み合い、セラは胸がどくりと音を立てた。どうしてこんなに、彼のことが気になるのだろう。服屋の売り子のお姉さんの言葉が、頭にふうわり浮かんでは消えていく。


「昨日も言ってたけど、私は会ったことないと思うわよ。会ってたら覚えてるもの」


「へぇ。何で?」


 目を細めて楽しそうに笑う顔は穏やかで、思わせぶりなところなどひとかけらもない。見ていると心が落ち着くような気がした。


「何ででもいいでしょ」


「そっか。十五分だけ寝てもいい?」


「どうぞ。昼二時の鐘が鳴ったら、起こしてあげる」


 時計塔は昼一時を三分の一まわったところだったので、そう答えて視線を戻すと、ユリシーズはすでに瞳を閉じていた。風に揺れた木漏れ日が、ユリシーズの顔に当たり始めたので、眩しくないようにセラは手で目の辺りに影を作った。やがて、穏やかな寝息が聞こえ始めた。


 昼下がりの公園は穏やかで、眠気を誘うような空気に満ちていた。少年のようにあどけない寝顔のユリシーズを見ているうちに、セラも段々眠くなったので、ちょっとだけのつもりで瞳を閉じた。


 何だかやけに固い枕だなと、寝心地を確かめるようにすり、と頭を寄せると、誰かの手が、そっと頭を撫でた。その感触が心地よくて顔が綻ぶ。鳥の声と頬をなでる風の感触で、ここは部屋の中じゃないということを思い出して、セラは瞳をパッと開いた。

 深緑色の厚手の上着がまず目に入って、次に今まで頭を乗せていた広い肩が見えて、肩の先にあるすっきり整った顔が見えた。そして、切れ上がり気味の蒼い瞳が、至近距離からセラのことを見ていた。セラは一気に顔に血が昇って、飛び起きた。思いっきりユリシーズの肩にもたれかかって、寝入っていたらしい。


「起きた?」


「うん……おはよう……」


「本当はちゃんと眠れていないんだろ? 怖い夢を見るから」


「知ってたの……?」


「ルズベリーの館で魘されてたからな。覗き込んでたのが俺に上書きされて、別の意味で眠れなくなったらごめんな」


「う、自惚れ屋」


 皮肉っぽい笑みを浮かべるユリシーズに向かって、苦し紛れの反論をすると、心底可笑しそうに肩を揺らして笑い始めた。


「俺も、そう思う」


 ユリシーズの笑い転げる姿を見ているうちに、セラの薄紅色のまろい頬にも笑顔が浮かんだ。


「転寝でも、眠るとだいぶ身体が楽になったろ?」


 言われてみれば、確かに寝不足のだるっぽさが消えていた。


「うん、ちょっと楽になった」


「よかった。無理しないで、もっとまわりを頼れよ。リオンもオルガも心配してた」


「今度からちゃんとそうするね。ありがとう、ユリシーズ」


「よし。じゃ帰ろう」


 さっと立ち上がったユリシーズが差し出す大きな手に掴まって、セラも立ち上がった。もやもやと曇り空だった心が綺麗に晴れ渡り、身体まで軽くなった気がした。

 帰り道に立ち寄った服屋では、売り子のお姉さんから「何か昼に会ったときよりも雰囲気が柔らかいわね、恋の成就も近いわよ」と冷やかされて、照れの極致で穴に入りたくなった。荷物を持ってくれたユリシーズには「あの売り子に何を言われたんだよ」と笑われるし、今日は本当に別の意味で眠れなくなりそうだった。


 昼の三時過ぎに戻ってきた二人が、宿の居間で地図の勉強をするというので、リオンも暇つぶしがてら付き合うことにした。ユリシーズが席を立つと、セラが壁で頭をゴンゴンするので、リオンは少し引いた。彼女の身に一体何があったのだろう。何となく、ユリシーズ絡みというのはわかるが、この行為が何を意味しているのか、意味がわからなかった。


「どうしちゃったのセラちゃん……。その頭を打ち付けるの、何だか怖いからやめてくれる?」


 夜の六時の鐘が鳴る頃、宿に戻ったオルガは、部屋のベッドでうつ伏せになっているセラを見て「どうしたの、具合悪いの?」と慌てた。昼間に何やらあったようだが、問題なさそうだったので、そのまま放っておくことにした。

 そして全員揃って昨日行った食堂に向かったのだが、混んでいて二人ずつに別れて座ることになった。

 ユリシーズの笑う声が聞こえるたびに、セラが一々動きを止めるので、オルガは「セラ、その一々固まるの止めてよ。ご飯が落ち着いて食べられない」と、苦言を呈した。すると「自分でも、何でかわからないの」と弱りきった声がしたので、オルガはユリシーズを後で問い詰める必要があるな、と思った。


 その夜。案の定、昼間の出来事のあれやこれやが、何度も何度も再生される、という良いのか悪いのかよくわからない夢を見て、セラは何度も枕に顔を埋めては悶えた。ユリシーズの言った通りになったので、納得いかない気持ちでいっぱいだった。

食べ物系は北欧料理から持ってきてます


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