44. 祈りが届くように
セラは顔を上げて、蒼い目を柔らかく細めるユリシーズと笑いあった。
「お迎えに上がりました。団長、デイム」
フレデリクは自分のほかに十九名の黒騎士を連れていた。頭や腕に包帯を巻いた姿だったが元気そうだ。ユリシーズは痛みを堪える様に息を止めて立ち上がると『銘なし』を鞘に納めた。
「ありがとう。それじゃ本陣に戻るか」
「ユーリ、怪我大丈夫? フォーレンハイト軍の馬車に乗っていったほうがよくない?」
セラはユリシーズの元に駆け寄ると腕をそーっと引いた。顔色はいつもと同じだが胸をかばうように押さえている。
「いいよ、何とかいけると思う」
「無理しないで乗せて行ってもらえば? さっき胸に岩が当たってブッ飛ばされたでしょ」
呆れた声をあげるリオンにユリシーズは不服そうに振り返った。案の定アキムと一緒になってフォーレンハイト軍の牽引車を指さしている。
「あの状況でよく見てんな……」
「ユリシーズ殿、こちらにどうぞ。普通の馬車より振動が少ないから怪我に響かないはずです」
兵達に命じて砲台を別の馬車に積み直したレギーナが駆け寄って来た。セラは「ありがとう!」と笑顔で礼を言ってユリシーズの背を押した。
「はい、ユーリはこっちね」
「あいてて、押さないでセラ」
セラはユリシーズの手を引いて砲台を積む牽引車に座らせた。眉を少し顰める様子にやはり馬は無理だと確信する。側役達も頷いてセラに親指を立てて見せた。
「アルタイルは俺が引いていくね」
アルノーは大型のハルバードをひょいと肩に担ぐとアルタイルを引いていった。セラは行きと同じくハンナの後ろに跨り、ユリシーズを乗せた牽引車の真横についてもらった。先頭はフォーレンハイト軍と騎乗したレギーナ。その次にウルリーカと神官兵三名、姉を後ろに乗せたトゥーリ。牽引車を挟んだ反対側にヘクター、殿に黒騎士達という配列だ。怪我人がいるので並足の速度で進む。
「ヘクターさんも乗ればいいのに」
「いらん」
「腕と肩に切り傷があるくせに」
「大した事ねえよ」
セラとユリシーズは適当に手当しただけのヘクターを気にして声をかけたが、にべもなく断わられた。
「どれ」
シビルが錫杖の輪がたくさん連なる先で、斜め後ろにいたヘクターの肩をつついた。
「いってぇ! やめろ!」
「打ち身もあるね。よしよし、まとめて診てしんぜよう」
「女神官長は医師なんですか?」
少し驚いたユリシーズにシビルがにこやかに笑って頷いた。
「そうよ。これでも神官達の長ですから。医学と薬学はばっちり修めてるわよ」
「シビル様のお薬、すごく苦いけど良く効くのよ。私も小さい頃よく飲まされてた」
「そうねー、よく鼻垂らしてたもんね」
「や、やめてよ!」
おほほ、と高笑いをするシビルの言葉に爆笑するユリシーズにセラは必死になって否定した。すぐ後ろにいる黒騎士達が失笑しているので、そちらにも「違うから」と声を上げる。
「今思えば北方の厳しい気候に身体が中々慣れなかったんだろうね。フェリシアさんもよく体調崩してたし」
一応妹分の名誉を思ってトゥーリは一言補足した。セラは生まれも育ちも北方大陸ということもあってすぐ環境に適応したようだが、大人のフェリシアは冬によく寝込んでいた。その間はシーグバーン邸で預かりの身になっていた自分達姉弟でセラの面倒を見ていたが、しょっちゅう風邪をひいて鼻を垂らしていたのは事実なので伏せておく。
「南方大陸はかなり暑いけど、お母さんいまは大丈夫なのか?」
「うん。暑くてばてる時もあるけど元気にしてるって。そういえばお返事来たかなぁ」
「だから早く帰れば良かったのに」
「もー! わかったってば。ユーリも帰るのよね? 怪我しちゃったしアートレース地方の調査はまたにしたら?」
「アートレース地方は生き残りが戻ってきている、と聞いたな……。家も畑も全部焼けちまったし、そこら中に白骨が散らばってるしで片づけ大変だろうな」
ぼそりとヘクターが呟いた。辺境でも少しずつ避難していた民達が戻って、再建復興が始まっているとセラも耳にしている。だがさすがに埋葬は手間がかかる。ユリシーズも同じことを思ったのか「えー」と声を上げた。
「他人事みたいにいうなよ。それなら俺と一緒に行こうよ」
「はぁ? 行かねえよ。だいたいお前さんは仕事が山盛りだろうが。俺だって暇じゃねえんだ。これでも売れっ子なんでな」
お互い行く行かないと頑強に言い張りあう叔父と甥を見かねて、セラは口を挟んだ。
「そういえばヘクターさんって一日いくらで雇われてくれるの?」
「最低で金貨一枚だが。ビタ一文まからねえぞ」
「まからねぇ……。あ、ユーリとヘクターさんの似た所見つけたかも」
「何?」
「お金にが、細やかね。堅実だわ」
「いま、がめついって言いかけなかった?」
胡乱な目でこちらを見るユリシーズからセラは必死に目を逸らした。二人ともまからないしまけない、お金にとても細やかなところが似ているなと思ったのだ。アルノー達が「がめついだって」と大喜びしている。
「傭兵が給料交渉に応じないでどうすんだ。なぁ」
ヘクターが隣にいるリオンに話を振ると、リオンは「そうだねぇ」とのほほんと笑った。
「お宅んとこはがめついどころじゃないでしょ。大昔に『深淵の猟犬』に大神官暗殺の調査を頼んだら手付だけで月予算がふっとんだって記録を読んだわよ。噂じゃ暗殺を頼めば一括前払いで、おまけに成功可否問わずって。ただのぼったくりじゃない」
シビルの歯に衣着せぬ物言いにリオンはがくりと首を折った。
「それじゃ金に汚い暗殺集団みたいじゃないですか。だってそうでもしないと後から後から依頼がくるから」
「お金だけ受け取って”失敗しちゃった、テヘッ”って言ってもばれないね」
「後ろめたいことを頼んだ方が泣き寝入りってのが笑えるよな。超辺境にある『深淵の里』の資金が潤沢だったはそういうことか。じゃなきゃ特殊鋼なんて開発できないし」
「こらこら、ユーリ様もセラちゃんも人聞き悪いこと言わない。貴重な特殊技術の提供と、迅速かつ丁寧な情報収集をお約束する隠密集団です。義賊じゃないから受ける時は受けてたよ。調査の結果、ホントにこいつは世のためにならんと頭が判断すればね」
「……私達は聞いてはいけないことを聞いてしまってはいない?」
話を黙って聞いていたレギーナが馬を寄せて、美しい顔に微妙な表情を乗せてセラに尋ねた。
「えっ、どうだろう。ねぇ、このお話って内緒?」
振り返ってアキムに尋ねると「別に構いませんよ」と穏やかな答えが帰って来た。
「吹聴しても闇討ちしたり枕元に刃物持って立ったりしないよ」
「すっごい笑顔で、逆に怖いですぅ……」
ハンナが小さな声で呟くと耳ざとくリオンが反応して馬を寄せてきた。
「ハンナは修業が大好きだね。トラウゼンに帰ったら馬場を百周してみようか。俺をおんぶかうさぎ跳びか、好きな方を選ばせてあげるよ?」
「ぎゃあ、どっちもイヤです! おししょーさま見た目よりすんごく重たいんだもん! フーゴさん達でもよろけるのに!」
ギャースカ騒ぐセラ達を眺めながら、アルノーは隣を行くフーゴにのんびり声をかけた。
「まあリオンさんは全身これ筋肉だから重たいよね。格闘術の組は楽しそうに見えるのに大変だ〜」
「大変過ぎて変な脳汁がでてくるからそう見えるだけだ。俺達遊撃部隊は隊長おぶって確実に西方大陸一周はしてるよ。ったくおんぶおばけかっつの。あと三十年はあの笑う鬼教官が居座るのかと思うと事務方に転職したくなるぜ」
「聞こえてますけどー? フーゴは一か月空気椅子で過ごしてみようか。お前の座る椅子、全部俺が破壊しとくから心してかかれよ。やったね、これで今よりもっと足腰が強くなれるぞぉ!」
「ハハハハハ! バカだろ! いてて!」
沈黙していたヘクターが馬上で身を二つに折って爆笑した。ユリシーズも牽引車の上で胸を押えて屈み「わ、笑わせないでくれ、いてて!」と身を震わせている。セラは二人を見て「笑い方似てるね」とエマと微笑みあった。
一連のやり取りを見ていた女神官長も弟の背をどついて「おもしろいね、この子達!」と大笑いしている。殿を進む黒騎士達は「この人が女神官長……?」とずっと目が泳ぎっぱなしだ。恐らく一度もこちらを振り返らない、フォーレンハイト軍の兵達も同じだろう。行きの切迫した状況からかけ離れた現状に戸惑いを隠せなかった。
本陣に戻ると既にクレヴァが到着していた。西方諸侯達も武装を解いてセラ達の帰還を待ちわびていたようだ。ユリシーズは何でもない顔をして牽引車から身軽に飛び降りると、ヘクターと一緒に報告に向かった。
「あなたがクレヴァ・エーラース卿ですね」
「はい。ようこそおいでくださいました、女神官長様」
弟の手を借りて下馬したシビルの元に、出迎えたクレヴァが静かに跪いた。彼にならい、西方諸侯達も跪く。セラもレギーナと共にクレヴァのそばで膝をついた。主君達の様子を見ていた陣にいたすべての人々も慌てて少し離れてから跪いた。この場に立っているのは精霊騎士団だけだ。
「長らく西方大陸を荒廃させた錬金術師は捕縛して精霊殿に移送中です。ウィグリド帝国宰相と彼に従っていた強硬派は、すでに亡き者でしたので母なる精霊の御許へと送りました。禁術で行われた事象は、これですべて片付いたはずです」
「は。女神官長様、精霊殿より賜った厚情、我らは心より感謝いたします」
「エーラース卿、そして西方諸侯達よ。礼には及びません。私が此度こちらに参ったのは、西方大陸の民すべてに謝るためなのですから。再三の救援要請を跳ね、三名の大神官暗殺に拘り長く静観を決め込んでいた。精霊の声も届かぬ穢れ地になるのを、忌まわしき者に蹂躙されていくのを、わかっていながら無視してきた。この世界に生きとし生けるものすべてに、母なる精霊の恵みを配る聖職にありながら。私も南の大神官も、東の巫女王も言い訳できぬ愚行を犯しました。謝って済むことではないと重々承知しております。ですが……どうかお詫びを申し上げることを許してください。本当に取り返しのつかない、申し訳のないことをしてしまいました……」
跪くクレヴァの前に同じように両膝をつき、錫杖を傍らにおいて地にほっそりした白い手をつき、シビルは居並ぶ西方諸侯達に深々と頭を下げた。誰もが艶やかな黒髪が地につこうと真っ白なローブが汚れることも気にしない女神官長の姿に言葉を失った。
セラは精霊殿で行われる神事の時とまったく違う様子のシビルに驚いた。彼女の素のままの言葉を口にしているのか、トゥーリもウルリーカも、護衛の神官兵も少し驚いた顔をしている。
「それは、あなた様の責ではないのでは。それに他大陸の大神官や巫女王の責でも……」
「いいえ。四英雄戦争後、大神官不在になった西方大陸を見守ると決めたのは約三百年前の女神官長達です。我ら当代も同じ責を負っているのですよ。二人とも守護地をどうしても離れられぬ理由があるので、この場にいないことはどうかご容赦ください」
「……畏れ多いことでございます。どうかお顔を上げてください」
クレヴァは静かに立ち上がるとシビルの手を取りそっと立ち上がらせた。
「それから大切なことをお伝えします。火の大神殿にいた守護精霊は眠りについていますが、お仕えしていた火の巫女が新たな大神官として西方大陸のために力を尽くしたいとおっしゃっていました。私が責任をもってその後見につきます。巫女はまだ幼く、たくさんのことを学ばなければならないし、今は人として成長するための大切な時期です。少なくともあと十年は大神官不在の期間が続くと思ってください。それまで精霊殿がご助力いたします」
「かしこまりました。西方大陸も完全に平定されるまで今少しの時間が必要です。大神官様を胸を張ってお迎えするために、すべての民達が亜生物に脅かされることなく、また諸侯同士の勢力争いで虐げられることなく過ごせる地にするとお約束いたします。それが亡き親友達、仲間や友、失われていったすべての者達への手向けとなりましょう」
深々と頭を下げるクレヴァを見て、西方諸侯達一人一人の顔を見て、最後にユリシーズとセラを見て。シビルは花の顔に少しだけ憂いの混じる微笑みを浮かべた。それから静かに瞳を閉じて両手を祈りの形に組んだ。
「……失われた命のもとに魂の安寧が訪れんことを。そして一日も早く西方大陸の民に心安らかな日々が戻るよう、私も心を込めて祈りましょう。すべての者達に、母なる精霊の慈悲とご加護があらんことを」
トゥーリが屈んで地面に置きっぱなしの錫杖を拾い上げた。しゃらん、と涼やかな音がして黙祷していた全員が顔を上げる。祈りに応えたように吹く風が優しかった。




