第53話
「ビッチ」
「……ふぇ?」
「ここから出るなよ」
俺は指をすい、と動かす。すると、ビッチの前に巨大な光の壁が。いや、それだけに留まらず壁は立方体に変化し、それは彼女を守るように包み込む。
「ふぇ、ふぇえ」
回らぬ舌での彼女はなんとか返答した。俺はそれを確認してから視線を前へ。
「……粒であり波でもある」
次いで、空気を振るわせる強烈な振動。それは周囲のものを削り取りながら、俺
を打ち倒そうと向かってくる。しかし。
「……」
俺は片手を挙げるだけで、それを止めた。ぎゃりぎゃりぎゃりと金属同士が擦れ合うような爆音。だが、まるで威力を感じない。先ほどまでルリの攻撃には、全てを諦めてしまうほどの絶望が乗っていたはずなのに。
「……」
体が軽い。視線を這わすと。腕が、脚が、黒く艶を宿した鎧のように変化していて。背中から伸びるのは、三対六枚の白羽。そして体の内側から激流の如く込み上げてくる、燃えるような混沌の力。
「……」
あらゆることが可能だ。俺はそう感じた。今の自分に不可能はなく、どんな願いをも思うがままに叶えられる。嘘じゃない。虚勢でもない。俺には。
「……シュレディンガーの猫」
超新星爆発レベルの爆発が視界を埋め尽くす。けれど、俺にはその間も「これだけの爆発で壊れないなんて、丈夫な城だな」などと考える余裕があり。
「ルリ」
そう、声を発した。すると音波が目の前の破壊をことごとく霧散させ。
「……」
そこには杖をこちらに向けるルリの姿が。だから俺はゆっくりと歩きながら。
「もう止めにしよう」
「……」
「お前がどれだけ頑張ってきたかは分かった。プリンのことは……その……」
「……っ」
一瞬、彼女の無表情が僅かに引きつった。そう、この姿になって理解できたことだが、彼女の体に溜まった疲労は並のものではない。「神」である父親の神器、それを使って彼女がこれまでどれほどの無理を強行したのかは、聞くまでもなく伝わってくる。
故に俺は彼女を気遣い、この戦いを終わらせようと。しかし。
「……機械仕掛けの神」
「なっ!」
俺はルリの発した言葉に面喰らって。何故なら、彼女が口にした呪文は今までのそれらとは訳が違ったから。威力がどうのこうのという話ではない。そもそもそれは、対象への攻撃を目的とするようなものではなく。
反射的に俺は彼女の肩を掴んだ。
「お前! 何を!?」
その表情は。
「……っ!」
いつもの無表情ではない。こちらを、敵意を持って睨む目。食いしばられた歯。加えて、怒りに打ち震える体。
「……っ!」
馬鹿にするな。声が聞こえる。ルリは口をつぐんでいるが、それでも頭の中に声が。
「……っ!」
私を舐めるな。侮るな。見下すな。私を、私を馬鹿にするな。決して反らされぬ瞳。そこからは、そんな激しい感情がぶつかってきて。
「……ルリ」
今なら分かる。ルリがどれだけ悔しかったか。俺はたかがプリンだと思ったが、あれがどれほど彼女にとって大切なものだったのか。その怒りはまるで無尽で、単なる言葉ではもう彼女の心には届かない、響かない。
「……」
だから彼女は叫んでいるのだ。私を馬鹿にするなよ、と。こんなことで簡単に終わらされられる想いなら、端からやっていない、と。
だったら――。
「プリンについて謝るのはあとだ……今はお前を止める!!!!」
だったら、制御しきれなくなったその強大な怒りを俺が受け止めればいい。今の俺ならそれができる。
「うおおおおおお!!!」
俺は城の天井を破壊し、空へと飛び出した。そして続け様、そこを囲う空間に幾重にも障壁を張り巡らせて。
「らああああああ!」
城に空いた巨大な穴からはルリの姿が見えた。また、杖から吐き出される荒々しい力も。
「がああああああ!」
ルリが発動させた、機械仕掛けの神。それは、いわゆる天地創造の杖の真の力と呼べるもの。破壊を超える究極の破壊。この世界の全てを無に帰す最終手順。つまり、リセット。
一度、発動してしまえばそれを止める手段はなく。機械のように淡々と、神のように粛々と、世界から世界たる所以を奪い去って。
「ぐおおおおおお!」
この壁から、ほんの少しでもその力を外へ漏らせば世界は激変する。まるでミルクを入れたコーヒーのように、決して元の姿には戻らない。
「うがあああああ!」
同時に、ビッチの障壁も何重にも強化。だが。
「な……ぐっ!?」
驚くべき速さで壁が杖の力に侵食されていく。壊されているのではない、構成そのものを無に書き換えられている。
「ぐおっ! あっ!」
途方もない力。けれど、俺は止めない。仲間を守るため、ビッチを守るため。しかし。
「……え?」
そのとき俺の目にある光景が映る。
「……っ……っ」
ぜえ、ぜえ。そんな激しい呼吸音。
「……っ……っ」
されど杖から手を離さず、肩を大きく上下させながら。
「……うっ」
ついに、ルリが糸の切れた人形のように床に倒れた。
「な!?」
解放された力のおかげで、何が起きているのかはすぐに分かった。それは過重労働。彼女の身で扱うには大きすぎる力が、体を蝕んで。
「ルリ!!!」
俺はルリに駆け寄ろうと。だが、それは巨大な波に阻まれた。




