第51話
「ぐ……っ」
こんなことなら親父の言うことを聞いておけばよかったかもな。俺は思う。もし、素直に親父の助言を聞いて、例えば自分の力を解放してからここに来れば。だが、そこまで考えて俺はそれが不可能だったことに気付く。
「うう……! うう……っ!」
「……」
――ああ、そうか俺は。
目の前には。涙を流しながら。それでも逃げようとせず。必死で俺を助けようとするビッチの顔が。
――こいつのために俺はそうしなかったんだ。
そう。最後の戦いに臨む前、一度だけ親父の言葉が脳裏をよぎった。だが、同時にビッチの顔も浮かんでしまって。だから、できなくなった。しなくていいと、思った。
「ああ……」
こいつだけは助けたい。
「う……」
俺が例え死ぬことになってもこいつだけは何とか。けれど、そのためには。
「……純潔の乙女っ」
「え? タクヤ……っ?」
ビッチは唐突の俺の発言に戸惑った。当たり前だ。それには何の脈絡もない。しかし。
「どこ……かに、純潔の乙女は……いないか?」
俺はしびれる唇で、うわごとのように呟く。無意味なことは分かっていた。だが、無意味でも、もし。もし奇跡が起きて、彼女を救うことができるならば。
「じゅ、純潔って!? タクヤ、うち難しい言葉分かんないよ!?」
「う……しょ、処女ってこと……だ」
「え!? 処女って!? 分かんない! む、難しいよお!」
「ぐ……」
やはり無理か。いや、そもそもそんな都合よく純潔の乙女などがいるはずはない。無謀な試みだった。俺は苦痛で今にも飛びそうな意識の中で。
「え、エッチをしたことが……ない奴……だ」
俺は最後にそう呟いた。視界が暗く落ちる寸前。確かにそれが俺の発した最後の、最後の言葉になる。
「え!? えっち!? え、あの、大人の人が……男の人と女の人がやる奴だよね……? だ、だったらうち……えっちまだ……やったことない」
かに思われた。
「……は!?」
今何を。急速に引きもどされる意識。ビッチは、ビッチは何と言ったのか。
「エッチをしたことがない!?」
「う、うう。そんな大きい声で、い、言わないでよお」
「だ、だってお前『ヤリマン』で、『ビッチ』で」
「ヤリマン……? うち、それ人からよく言われるけど分かんないよお。どういうこと?」
「!!!!」
俺はそのとき自分の浅はかさを理解する。そう言えば周りから彼女が「ヤリマンビッチ」と呼ばれていたから、俺もそう呼んでいただけで。今まで、実際に「ヤリマン」なのかを彼女本人に確かめたことは一度もない。
「お前! 本当にエッチしたことないのか!?」
「うう……そ、そうだよお。だって、お母さんに大人になってからじゃなきゃだめだって、言われてたから……」
「……っ」
思い返せば確かに。確かに、彼女は作家の同人誌で顔を真っ赤に染めたりして。道中、「えっちいのはだめ」と言ったりしていて。だが、そんなことあり得るだろうか、彼女が本当に「ヤリマン」だとしたら。
「……」
つまりは偏見。おそらくはその外見から、周りにいた人間も彼女を軽い女だと決めつけて、「ヤリマンビッチ」と呼んだ。実際の内面も分からないのに。ただ、それだけのこと。
「分かった。お前、本当にエッチしたことないんだな?」
「だ、だから……もう! そ、そう言ってるよお!」
「よし、それなら俺とキスしよう」
俺はビッチの肩を掴む。そして顔を近付けて。
「え? え!? どうしたの!?」
「いいから、キスだ」
「え!? そ、そんな! だ、だめだよお! だって、うち、初めてで……!」
「安心しろ! 俺も初めてだ!」
それは、ファーストキスは妹のルリと決めていたから。けれどこの唇、ビッチになら。こいつになら捧げられる。何故なら。
「で、でも……こういうのって雰囲気が大事っ……むぐっ」
何故なら俺はこいつを愛しているから。共有した時間の中でいつの間にかこいつは、俺にとってかけがえのない存在に変わっていたから。手放せない何かに変わっていたから。俺の最愛の妹、ルリ。その隣に並ぶほど。
「……」
俺は強引にビッチの唇を奪った。彼女は途中もごもごと何かを言っていたが、それでも決して口を離さず。すると、次第に抵抗する力が途絶え。
「ふぁ……ふゃにゃー……」
ようやく顔を離したとき彼女はそんな声を出して、ぐにゃぐにゃとたこのように地面にへたり込んだ。
「ビッチ!」
「ふ、ふぁ……?」
「愛してるぞ!」
「!!!」
次いで俺の体が光を放ち、途方もない力が溢れてくる。親父の言った通りだ。熱い、燃えている。俺の中の何かを封じていた鎖が今、粉々に砕けた。
ビッチは「ヤリマンビッチ」ではありませんでした。




