第21話
「素晴らしい……」
イチカと相対するこの男を除いてのこと。
「素晴らしいぞ!!!」
「……!?」
「ああ、この世に幼女の涙ほど洗練されたものはあるだろうか!? いや、ない!!! たぎる! たぎるぞおおお!!!」
嫌われ者の精鋭、選ばれし屑、他を圧する自己中心。ロリコンの脳に、彼女の悲痛を思いやるデリカシーなど欠片も存在せず。
「ふはははははは!」
彼はまた高々と笑い始めた。
「……」
そのとき。その様を見て。
「……気持ち悪い」
もはやイチカの涙は止まって。心には悲しみよりも、更に濃い感情。不快感。
「気持ち悪い! 気持ち悪い! 気持ち悪い! 気持ち悪いのら!」
人間には無限の可能性がある。それを開く要素もまた無限。
「……もう、いいのら」
そう、彼女にとって未だ到達したことのない境地、その扉を解放する今日の鍵は。
「……もう全部知らないのら」
身を焦がすほどの。
「お前……」
強い怒り。
「ふはははははは!」
「殺すのら!!!」
ボールが舞った。いや、駆けた。
渾身。それは以前見せた速度を大きく上回り、ロリコンの元へ。
「ふはは! 遊びの再開か? 望む所だ! 俺はお前を堪能するだけ!」
だがそれでも彼は当然のようにボールを避けて。
「……」
「ああ、素晴らしい!」
イチカの背後に回り込む。
そのときだった。
「チェックメイト……なのら」
「ん? 何を……ぐはあっ!」
みしり。ひしゃげる背骨。この日、初めてロリコンが嗚咽を漏らした。
「わはは、こういう戦い方もあるのらね。初めてやってみたけど結構上手くいってよかったのら」
「うぐっ……こ、れは……確かに俺は避け、て」
「簡単なのらよ。お前がボールを避けるのは分かっていたのら。なら」
イチカは目の前の壁から天井を伝い、ぐるりと背後まで視線を巡らせて。
「避けた先にボールが来るように蹴ればいいのら」
そこにはがりがりと何かがコンクリート直線的にを削りとったような跡が。
「ふぐっ……ぐぅ、ふっ」
「わはは、いい気味なのら」
瀕死の虫のように地べたでもがくロリコンを見て彼女は笑う。
彼女に蹴り出されたボールは特殊な回転を伴い、部屋の枠を伝って最終的にロリコンを射抜いた。それが不可思議な背後からの攻撃の答え。
「なのら!」
「うぐっ」
イチカは、ほぼ動かなくなった標的に追い打ちをかける。
以前の彼女ならそんな一か八か、あるいはロリコンが自分の背後に回らず、あるいはそれでも避けられて、ボールが己の身を撃ち抜くかもしれない、そんな危険性のある手段などは決して選ばなかっただろう。
「なのら!」
「ごふっ!」
けれど彼女は今日、そうせざるを得ない好敵手と出会った。それをしてでも倒したいという怒りの感情が彼女を変えた。
「なのら!」
「はぐぅ」
つまり進歩。新たなる可能性をイチカは。また一つ境地への階段を、彼女は。
「これで、終わりなのら!」
「ぐわあああ!」
全身全霊の力を込められたボールがロリコンに衝突する。
すると、彼の体はまるでぼろ雑巾のように吹き飛び。
「わはは、イチカの勝ちなのら」
「う……ふ……」
やがて動かなくなった。
ごろごろとことらへ戻ってくるボール、それをイチカは足で踏み止めながら。
「はぁー、終わったのら。本当に気持ち悪い奴だったのら」
ポケットから無線機を取り出す。
「もしもしー、オリトなのら?」
『ああ、イチカか?』
「そうなのら、こっちは終わったのら」
『そりゃごくろんさん。大丈夫だったか?』
「それが本当に酷かったのら! 今日の奴、とっても気持ちが悪い奴だったのら!」
その声からは全てが終わった安堵感が滲み出ていて。
しかし。
『そいつはいつものことだろうが』
「それはそうだけど違うのら! 今日のは、もう今までよりもすっごく気持ち悪かったのら!」
『あはは、まあそんなに怒るな。給料弾んでもらえるよう上に言っといてやるからよ』
彼女は気付かなければいけなかった。
「……い」
「頼むのら! これはいつも通りじゃ我慢できないのら!」
新たな扉を開ける者は、何も自分一人ではないという事実に。




