第20話
「!?」
しかし肝心の標的の姿が。
ごがん。次いでそんな激しい音と共に、対象を失ったボールが壁を大きくえぐり。
「え!? あ、あいつはどこにいったのら?」
イチカは慌てて消えたロリコンを捜した。
そのとき。
「ふぅ」
「はうんっ!」
彼女の耳に柔らかな吐息がかかる。
だから反射的に振り返った。すると背後に立つ男の姿が見えてきて。
「な、な、な、お前何を!?」
「素晴らしい!」
「……へ?」
「幼女であるということだけでも価値があるというのに、更に感度も良好! このような奇跡があっていいものだろうか!? いや、あり得る! 善悪の判断など必要ない! 実際にあるのだ! 今ここに、俺の目の前に今! 実にすばらしい! 素晴らしすぎる! 血が猛る、猛るぞ!!!」
「……き」
イチカは無意識的に後退りして。
「気色悪いのら!」
ボールを保持しつつ、急激に距離をとった。
だが。
「ああ、素晴らしい!」
「はうっ」
皮膚。いや、彼女の可憐な初毛に触れるか否かの部位。そこに蜘蛛が這うような気味の悪い感覚。
「ひっ……」
イチカの華奢な体を瞬時に間を詰めたロリコンが抱きしめる。否、彼は決して直には手を触れず、彼女を包む薄皮一枚の上をあたかも形を確かめるように撫で動かして。
「ひぃぃぃぃぃ!!!」
それがまた気持ちが悪かった。
彼女は間違いなく触られてはいない。彼の手はただ、体躯のすぐ上を泳いでいるだけ。けれどその動作は直接撫でられるよりも余計に、いつ触れられるかもしれないという強い危機感を増幅させて。
「や、止めろなのら!!!」
ぞわぞわぞわ。背筋が嘶く。
「なのら!!!」
「はっはー、追いかけっこか? 素晴らしい! そういうシチュエーションは大好物だ!」
ロリコンは髪をかき上げて。
「はうんっ!」
「どうした? そんな速度ではすぐに追いつかれてしまうぞ?」
「な、なのら!」
「ああ、いい香りだ! まるで今開いたばかりの初花!」
「ひいっ!」
「宙を舞い踊る髪も美しい! その穢れを知らぬ、初々しさ! もはや芸術的だ!」
「ひゃあっ!」
四方八方に逃げるイチカを、あたかも追尾機能でも付いているかのようなしつこさでロリコンは追っていく。
「もっとだ! もっと発汗しろ! その美しい汗よ! 俺を包んでいるこの空気に! 弾けて混ざれ!」
間違っても彼女の動きが遅いという訳ではない。むしろ常人にはボールを奪うどころか、その立ち振る舞いを目で辿ることすら困難なはずだ。それほどの衝撃的な速度。
けれど。
「ふぎゃっ!」
「体温が上がっている! ああ、感じる! 俺は感じているぞ! 幼女の温もりを!」
それを遥かに上回る強烈なスピードでロリコンはイチカを追い詰めていた。休む隙も与えず、立ち止まる暇すら与えずに。
だから。
「ちょっ!」
「ああ! 素晴らしい!」
だから彼女は。
「い、いい加減!」
「夢のようだ! 奇跡のようだ!」
肺いっぱいに空気を吸い込んで。
「ちょっと!」
「幼女とは神の使わしたもうた天使のことだ!」
人生で一番、声帯を震わせて。
「ちょっと待つのら!!!」
すると。
「ん、どうした? 何故止める? ああ、子どもは飽きやすいからな。そろそろ追いかけっこは終わりにしたいということか。なら、次は何をして遊ぶ? おままごとか? お医者さんごっこか?」
以外にもロリコンの動きが止まった。
その一瞬を見逃さずにイチカは。
「お、お前、おかしいのら! さっきからどうしてボールじゃなくてイチカを追いかけてくるのら!?」
精一杯の抗議の声を上げる。
それは悲鳴にも似て。彼女は心底怯えていたのだ。眼前に立つ理解の及ばない存在に、訳も分からないままに追い回されて。
「どうして……?」
「そ、そうなのら! だって、そんなに速く動けるなら! イチカを捕まえてボールを取ればいいだけなのら! それでお前の勝ちで……それなのにどうしてお前は!?」
「捕まえると言われても、俺はお前には触れられないしな」
そこでロリコンは奇妙なことを言いだした。
「……え?」
対するイチカの頭の上に浮かぶ疑問符。
次いで。
「YES! ロリータ! NOタッチ!」
「……!」
妙な掛け声と共に決めポーズ。その機敏な動きは、無駄に洗練されていて。
「幼女は見て愛でるもの、手を触れるなど愚の骨頂! これぞ紳士のマナーである!」
「……」
意味不明。イチカにはロリコンの言っていることが何一つ分からなかった。
だから。
「お前の言葉は難しいのばっかりなのら。そ、そのさっきから言っている『幼女』って何のことなのら……?」
「はっはー。幼女とは俺の生きる目的だ!」
「分からない、分からないのら! お前の話は全然! 感度とか、発汗とか! ロリータとか、愚の骨頂とか! 難しい言葉ばっかで! もう!」
彼女は頭を抱えてぶんぶんと振る。それはかなりのストレスの膨張を表していて。
「うぅ……うぅ!」
あふれてくる涙。
そう、彼女はまだ子どもだった。例え、身分が極めて異例のスポーツ特待生であったとしても、まだ子ども。子どもであるが故に、知識は依然薄く。彼女が「ロリコン」や「幼女」という言葉の意味を知るのはずっと先のことであって。
「うぇ! うぇっ!」
それはどれほどの恐怖だっただろうか。呪文のような言葉を羅列する見ず知らずの男に追い詰められて、責められて。
「うええええええん!」
ついにイチカは声を上げて泣き始めた。
「い、意味っ……ひっぐ、うえええ……分からっ」
見ているだけで心がしめつけられるような痛ましい声。こぼれ落ちる純粋な涙。その様を目にすれば彼女を心配して心を痛めないものなどいなだろう。
しかしそれは。
YES! ロリータ! NOタッチ!




