第8話
「ビッチ!」
建物の中に入るや否や俺は叫んだ。また、先ほどビッチが座って本を読んでいた場所を見る。
しかし。
「おい、ビッチ! いないのか!?」
そこに彼女の姿はなかった。
「外に出たか……?」
「は!? 何で!?」
「あり得ないことじゃない。私達二人がアリサと会っている間に、彼女が本を読み終わったとすれば。ふと気付くとこの場所で一人になっていて、不安になった彼女はお前を探しにあるいは……外へ」
「そんな! 街にはスーツの連中がいるんだぞ! もし、奴らに見つかったりしたら……っ!」
「おそらく拘束されて、どこかへ連れ去られてしまうだろうな」
作家は冷静に分析する。その落ち着きがさも他人事のようで、酷く苛々した。
「くそっ! 探しに行くぞ!」
「どこへ、だ?」
「そんなもん知るか! 見つかるまで街中を、だ!」
「頭を冷やせ」
「……っ!」
「ここにある本の在庫は十数冊ほどだ。お前がいかに優れた技を持っていたとて、街を捜索するのにそれで足りるのか? たぶん、三分の一も探せずにスーツの連中に捕まるのが関の山だろう。それに未だ彼女が奴らに見つかっていないという保証は一つもない」
「……だったら。だったら、どうすればいいってんだよ!」
「手段はある、かなり危険だがな。いや、それでも元々やらなければならなかったことだ」
「何でもいい! もし選択肢があるんだったら早く俺に教えろ!」
「分かった。それは――」
そのときだった。
「け、喧嘩? タクヤ、友達と喧嘩はだめなんだよ!」
無知な子どものように間延びした毒のない声。
「……は?」
そちらへ視線を動かすと、声を荒げていた俺達を諫めるように両手を突き出すビッチの姿が。以前と服装が変わっている。黒地の服に白いエプロン、加えて頭にはカチューシャを付けていて。
「ビッチ……?」
「だめ! 喧嘩はだめなんだよ! 仲よくして!」
「え……いや……」
「な、仲よく! そ、そうしなきゃうち! うち……うぇっ」
感極まってしまったのか彼女の瞳が濡れ、また、呼吸も絶え絶えになり始め。今にも。こうしている今にも泣きだしてしまいそうな。
だから。
「あ、ちょ、ちょっと待て! 違うんだ! 俺達は喧嘩をしていた訳じゃなくて……!」
「ふぇ? そうなの?」
「ああ! ただちょっと今後のことについて話し合ってただけだ! そうだよな、作家?」
「……そうだ」
抱きたくもない作家の肩を抱きつつ、俺は無理矢理にこにこと笑った。そんな俺に対して作家はまるで気持ち悪いものでも見るように顔を引きつらせていて。
――元々はこいつが「ビッチが外に出たかもしれない」とか言いだしたおかげでこんな状況になったってのに。この野郎、今度ビッチがいない場所でぼこってやる。
このとき俺は密かにそんな決意をした。
「よかったー。タクヤが本当に喧嘩してたら、うちどうしようかと思ったよー」
「し、心配すんなよ。喧嘩なんてしないぜ」
俺はそう言ってひくひくと笑う。
「それよりもお前、その格好はどうしたんだよ?」
「あ、これ? えへへー、似合ってる? メイドさんだよー?」
「俺が同人誌を描く資料として上の階に保管していたものだ」
要領を得ないビッチの代わりに、作家が俺の問いに答えた。俺達が口論している間、彼女は違う階にいたって訳だ。
「なるほどな」
安心なのか、はたまた疲労なのか分からない嘆息。
「ねえねえ、タクヤ似合ってるー?」
「ああ。可愛い、可愛い」
「やったー! タクヤに褒められた!」
俺の投げやりな、ほとんど抑揚のない褒め言葉にビッチは大きく跳び跳ねて喜ぶ。全くこの女は他にどんな言葉をかけられても無邪気に笑うのではなかろうか。
「まあ、ビッチが無事だったのはよかったとして――」
そうして俺は気を取り直して作家の方へと向き直った。
「さっき、お前が言いかけたことは何だ?」




