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小さな情景  作者: 桂まゆ
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「奈美ちゃんが、来てくれたよ」

 智紀さんの案内で、敷居を跨ぐ。と、なんだか違和感があった。

 LEDの電灯が灯された、明るい玄関。こんなお家だったっけ?

 そう思う間に、パタパタとスリッパの音が近づいて来る。

 暖簾を持ち上げて出迎えてくれたのは、母親と同じぐらいの年の女性だった。

「えっと?」

 母は、末娘だった筈。こんな伯母さん居たかな? 頭をめぐらす私に、女性は少しおかしそうに笑う。

「ああ、覚えてない? 私、なっちゃんのお爺ちゃんのお嫁さん」

「え? ああ、幸枝さん?」

 そうだ。祖父の年の若い後妻さんは、そんな名前だった。毎年、ちゃんと年賀状が届いていたので、覚えている。

「そう。その、幸枝さん。遠い所をありがとうね、なっちゃん。来にくかったでしょう?」

 深々と頭を下げられて、恐縮する。

 上品な奥様と言ったところか。母親が言っていたように「どこの馬の骨だか解らない」「遺産目当ての女」には、見えない。

「取りあえず、お上がり下さいな。急な事で、ばたばたしているけれど」

 促され、靴を脱ぐ。

 そこで、気が付いた。

 玄関で、靴を脱ぐ。そんな事は当たり前だけど――この家は、そうではなかった筈。

「土間……」

 よくよく見ると、玄関から台所へと続いていた筈の土間がない。

 玄関を入ってすぐに一段、段差があり、そこから当たり前のように板張りの廊下が続いていた。

「改装、したんだ」

 二階へと上がる階段は、廊下の向こう。記憶より、随分短くなってしまっている。土間を埋めたせいだろう。

 おトイレは、玄関の横。ここはやっぱり靴を履かないと入れないみたいだ。

 高かった天井もかなり低くなっていて、だから電灯が明るいのだと気づく。

 同時に、なんだか気が抜けた。普通のお家になってしまったのだと。あの、怖くて不思議なお家は、どこにもないのだと。

「土間って?」

 そう、私に尋ねたのは智紀さん。

「ほら、昔は、ここは全部土間だったよね? お台所まで、全部。だから階段もお風呂もおトイレも靴を履かないと行けなくて」

 くすんと、笑う声がした。

 幸枝さんが、おかしそうに、口元を押さえている。

 何? 笑う所なのか? ここは。

 むっとした。それが、顔に出ていたのだろう。

「ごめんなさい。でも、この家を改装したのって、なっちゃんのお母さんが高校生ぐらいの時だったよ。なんで、そんな思い違いをしたのかなと思って」

 素直に謝ってもらったのは置くとして。

 何でそんな嘘をつくのだろう。私は、確かに知っている。十年前、ここは確かに土間だった。

「確かに、土間なんか知らないなぁ」

 私が何かを言う前に、そう言い切ったのは智紀さんで。

「もう、智にいちゃんまで。私は、ちゃんと覚えているよ。小さい頃、よく靴を隠されたもん。えーと、誰だっけ。そういう事をするのは、多分颯太かな」

「おいこら、奈美」

 不意に、玄関脇のガラス戸が開いて当の颯太くんが顔を出す。少し、びっくりした。

 そうだった。日本家屋は、部屋と部屋に繋がっていて、正規のルートを通らなくても障子やふすまを開ければ思いの場所に行きつく。

 ちゃんと場所を把握してなければ、迷路みたいな作りだと、小さな頃から思っていた。

「こんばんは、颯太くん。久しぶり」

 同い年の颯太くんは、昔とちっとも変らない、やんちゃな顔をしていた。

「お、おお。久しぶり。じゃなくて、何を人に濡れ衣着せてんだよ。おれ、お前の靴を隠した事なんかないっての」

「そうだったかなぁ。奈美ちゃんが帰る日に、必ず靴を隠していたのは颯太じゃなかったかな」

 智紀さんに言われて、颯太くんは焦ったように詰め寄って、

「智にい! 余計な事覚えてるよなぁ、本当に」

 ああ、こういうの久しぶり。だから、ついつい私も意地悪になる。

「あ、認めたね。颯太」

 ふふんと笑う。意地悪は、女のチャームポイントだと、だからこの笑みもきっと可愛いものなのだと、私は思っている。残念ながら、共感を得た事はないが。

「呼び捨てにするなよ、お前より十か月も年上なんだぞ」

「いつまでやるの、それ。同い年は同い年でしょうが。呼び捨てにされるのが嫌なら、自分から改めなさい」

 ここで、とどめのあっかんべー。

 笑い声に、我に返る。

 幸枝さんが、楽しそうに笑っていた。かなりの、本気笑いだ。

「やっぱり、若い子が居るのは良いね。とりあえず、早くお上がり」



「本当に、急でね」

 と、幸枝さんは告げる。

 線香の番を買って出たのは、運転中にドリンク剤とか飲んだせいで、眠れそうになかったから。幸枝さんは喪主さんなんだから、眠った方が良いと思うのだけど。思ってはいるのだけど、言い出せない雰囲気というものがある。

「これ、何だか解る?」

 と、幸枝さんが取り出したのは、小さな根付け。

 金色の、亀かな? 甲羅の中にあるのは、色とりどりの瓢箪。

「私がね、おじいちゃんにあげたの。信州の元善光寺さんに新婚旅行で行った時に。亀の甲羅に、六色の瓢箪。六の瓢箪で、『無病』。亀だから『長寿』。お年が召した方だから、せめて無病で、長生きされますようにって」

 新婚旅行で善光寺ですか。で、そこで買ったお守りが「無病長寿」とは、なんとも素晴らしい熟年愛。

 としか、言えない。まさか、ここでのろけを聞くとは思わなかった。

「で、亀の添え物に、鈴と、舞妓さんとかが履く、小さなポックリがついてるの」

 そ、それはまさか……。

「無病長寿を祈りながらも、逝く時にはせめてポックリ逝け。すごい。洒落てる。うちの母にも欲しい!」

 そこまで言って、はっとする。

 幸枝さんは、面白そうに私を見ている。

「そう来るか。なるほどね」

「いや、今の事は、母には内密に」

 上品な奥様かと思っていたけど、話してみたらとても気安い。「おばあさん」とはとても呼べない、祖父のお嫁さん。うん。まるで――歳の離れた友達みたいな印象すら、受ける。

「おじいちゃん、亡くなる前にね。このお守りを握りしめて、言ったの。『あの子を連れて来い。やっと帰る所に連れて行ける』って」

「え?」

「『行方不明になってしまった女の子が居る筈だ』って。なっちゃん、心当たりないかな?」

 ふと。

 思い浮かんだ、光景。

 それは、一瞬で消えた。

 いきなり、背後のふすまが開いたから。

「幸枝さん」

「今日は、寝た方が良いですよ。線香の番は、三人娘でやりますから」

 えっと。智にいちゃんの妹の有香さんと颯太の姉の喜美子さんだ。

 本当に、日本家屋は心臓に悪い。部屋と部屋が繋がっているから。それこそ「壁に耳あり障子にメアリー」だ。

「奈美ちゃん、今日は眠らせないからね」

 飲み物やお菓子を運び入れながら、有香さんが言う。

「覚悟しておいて」

 いや、そこは寝ずの線香番ですし。

 そう思いながら、気になった事を口にする。

「そういえば、この仏間の二部屋向こうが玄関ですよね?」

 有香さんと喜美子さんが、頷く。

 やっぱり、私の記憶に間違いはない。この家の間取りは、ちゃんと覚えているのだから。

「で、その玄関からお台所にかけて、土間でしたよね?」

「土間?」

 二人は目を見合わせて首を傾げた。

「なっちゃん、またその話?」

 幸枝さんが、どこか困ったように苦笑する。

「多分、お母さんに聞いた昔話か何かとごっちゃになってるのね。それとも、古い写真でも見せられた?」


 何となく、ぞくりとした。

 思い出に残る祖父の家は、古くて怖い家。土間があって、天井が高くて、そして灯りが乏しい家。

 その思い出を持っているのは、私ひとりなのだろうか?

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