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十四人目の髪の色 異界に転移したら王弟殿下と異形の神に寵愛される最強の能力者になった  作者: あべ舞野


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ⅠーⅠ 空が割れ、執着する同窓生と共に吸い込まれた先は見知らぬ王国 

初夏の街角から、見知らぬ王国へ

執着を隠さない男が牙を剥く

ⅠーⅠ 空が割れ、執着する同窓生と共に吸い込まれた先は見知らぬ王国 


 その日の新宿は暑かった。駅前の高層ビル群は真っ白に輝き、アスファルトの黒が熱波を発する。その間に挟まれたせいばかりではなく、中禅寺(ちゅうぜんじ)(かなで)の顔は真っ赤だった。女性のような名前だが、れっきとした男である。

 日本人離れした白い肌は、日向に出るなり赤くほてる。髪と瞳は東欧出身の祖父母と母から受け継いだ。黒曜石の色だ。こちらもやはり大和民族より更に深みの強い黒だった。白いシャツに薄いグレーのチノパンに茶色のボディバッグを背負っている。シンプルな服装ながらも、幼い頃にはモデルをしていたほど人目を引く容姿だ。

 気温のせいばかりではない。カナデはとても気分を害していた。

 端麗な眉をひそめる。ちらっと振り返ると、行き交う人の中に急ぎ足の明るい髪色が見えた。

(やっぱりアイツか!)

 高校を卒業して別の学校に進んだ奴だ。やっとやっとやっと離れられたと思ったら、通学の乗換駅で待ち伏せしていたのだ。まこうと思い、降りる駅ではないが改札を抜けた。着いて来る。行く手には信号、タイミング悪く赤で足止めだ。思い切って歩道へ飛び出そうとしたものの、威勢の良いクラクションに阻まれた。

「危ないぞ、相変わらずそそっかしいな。待てよ」

 頭上から声が降る。見上げると逆光で顔が黒い。カナデも百七十五センチちょっとの身長だ。決して低い方ではないのだが、ヤツ...小松(こまつ)朗大(ろうた)はさらに頭一つ高い。しかも空手をやっていたそうで、体から発散している圧がすごい。肩まで伸ばした髪は金髪に近い茶色だ。

 カナデは答えない。視線さえ合わせようとしなかった。それでもロウタの手が遠慮なく肩に伸びてくる。

「冷たいよなあ」

 思い切り振り払った。

「卒業式の前に何をしたのか覚えてないとでも? 僕は許せない」

「は? ナニ言ってんの? 俺たちが付き合ってるって皆に知らせただけだ」

「付き合ってないし、皆が見ている前で告白なんかして! 断ったのにキスしようなんて勝手すぎる」

「人聞きの悪い事言うな。証人がいるって大事だろう。もうそんな前の話しはいいんだ。お前は浮気していただろう。三日前に大学生の男と喧嘩して別れたばっかりだよな?」

 一瞬、息が止まった。ロウタとは卒業してからまともに会ってもいない。それなのに付き合い始めたばかりの彼氏がいたと知っている。確かにその彼とは、三日前の夜に口論になった。新宿の地下街だった。きっかけは些細な事だが、二人とも引かなかった。誰もいない通路の隅で言い合いは続き、別れになったのだ。それに後悔はない。交際を続けるのは無理だった。

 しかし付近に人影はあったかかどうか。それなのにロウタは、相手が大学生とまで知っている。

「...尾行してたのか...?」

 それには答えがない。それは肯定だろう。

「お前の事は何でも知っているんだよ。俺しかいないって。ほら、これを見ろ」

 膝を高く上げた。足首を何度か振る。よく見かけるロゴの限定デザインだった。最近発売されたばかりでカナデと色違いだ。

「お揃いが良かったんだけどな、売り切れ。でもいいだろう? カップルっぽくて」

 カナデはオンラインショップで買った。履いているのを見て、急いで注文したのだろう。正直とても気分が悪い。でももう何を言っても無駄な気がした。じろっとロウタを見ただけだ。ふいっとそっぽを向く。

「金輪際、二度と付け回さないで」

「頭が悪いのか。理解が遅いよな。ちゃんと俺の話を聞けば分かるんだよ」

 ロウタの両手の指がカナデの肩に食い込んだ。逃れようと身をよじった瞬間だった。

 どぉぉん...! 

 ロウタの背後で空間が裂けた。噴き出す白い靄の向こうに緑の木々と山脈が見える。飛び交うのは大量の濃い灰色の毛の動物だ。体の細い犬のようだが、蝙蝠のような羽で空を滑空する。そしてその中にひと際大きな影がよぎった。黒い靄に包まれて本体が見えない。大きく揺れたのは尻尾だろうか。

 現実感がない。夢か、いきなりVRの世界に放り込まれた感じだ。呆然と立ちすくむ。

(え...?)

 噴出した時と同じく、靄が急激に裂けめに吸い込まれて戻る。同時に歩道に立つ数人が、靄に絡めとられて宙に浮いた。ロウタに続いてカナデの足もふわっと地面を離れた。閉じつつある裂けめが近づいた。痛みが全身に走る。靄が全身を締め付けているのだ。圧力が全身にかかった。

 獣じみた咆哮が響いた。黒く輝く図形が頭上に現れた。八つの角を持つ星型の多角形だ。その中央に黒い型がある。一方の端が丸く、片方に向かうにつれて丸くたわんで細くなる。勾玉のようだ。

 再び叫びが轟く。怒りだけではない別の感情をわずかに含んでいるようだ。それがむしろカナデに懐かしさを呼び起こす。

 咄嗟に心の中で問いかけた。

(寂しい? 哀しい? 僕はここにいるよ)

 その響きは遠吠えだ。かつて家で飼っていた狼犬サーロス・ウルフホンドが時折こんな声を出した。祖父が海外から連れて来た珍しい犬種である。黒いつやつやした毛並みが美しかった。祖母が名付けたのはノワール。幼いカナデを目下に見ていたらしい。下手にしっぽなど触ろうものなら牙を剥きだしにして怒られた。

 しかし弟扱いもされていたようだ。家族の中では一番一緒に遊んだ。時にはふかふかの毛並みに寄り添い、腹を枕にした。それでも怒らない。それどころか彼は満足げに目を細めたものだ。そしてせっせと髪や頬を舐めてくれた。そんな温もりはもういない。

 カナデの問いかけに対して、答えは大きな叫びだった。圧力が増す。先を行く人々の体がひどく平たくなり、血しぶきが散る。

(あの人達はどうしたんだ? やめて!)

 締め付ける力は更に強くなった。指先さえ動かせず、息が苦しい。それでも必死に届くはずのない彼らに手を伸ばそうとした。

 黒い図形が頭上に近づいた。ふっとムスクに似た薫りが漂う。カナデの意識がもうろうとする。目の前が真っ暗になった。

(この匂い...やっぱりノワールだ。ノワール...会いたかったよ...)

 死ぬのだろうか。心が騒めく。だが恐怖よりも、かつての兄貴分に再会した喜びが勝った。行く手の暗闇を見つめる。行かなくてはならない場所だとしても、ノワールと一緒なら怖くない。

 カナデは体を闇に投げ出す。柔らかい毛並みに手が触れた。それはびくっと震えた。少し下がろうとする。

「待って! 行かないで! 会いたかったんだ!」

 八つの角を内包する黒い円が強く輝く。その向こうに獣がいる。カナデは円に手を伸ばした。腹の奥底で何かがうごめく。背筋を駆け抜け、喉を通り過ぎた。激しく闇が揺れる。確かに指が円に触れた。感覚だけで引き寄せる。つむじ風が脳裏を駆け抜けた。

 暗闇で獣と向かい合った。その背に黒い図形が光る。八つの角を持つ八芒星だ。それを円が囲む。

(これ...何だ?)

カナデの背後にもそれがあった。獣を覆う(かすみ)がうっすらと晴れて行く。カナデが背負う円に向かって流れていくのだ。

 獣が呻いた。闇にも関わらず輪郭が見えてくる。大きな背を向けたようだ。カナデは追いかけた。その前に回り込んで抱きついた。夢中だった。ノワールとはまるで大きさが違うのに、気にならなかった。

「迎えに来てくれたんだね。一緒に行くよ」

 暗闇で温もりを抱きしめた。毛皮にほおずりする。黒い光がカナデを包む。髪に風が触れた。汗ばんだ皮膚を吹き抜ける。先ほどより低い声がした。まるで呼ばれたようだ。

 世界を吹き飛ばす勢いで風が吹いた。光景が歪むほどだ。その暴風は渦を巻き、少し下を落ちていくロウタまで届く。彼はもうすぐ地上に到達しそうだ。

 赤茶色の土がカナデの目前にも近づいた。

 そして彼は意識を手放した。

 


 空気を震わせて咆哮が響く。無数の獣が飛び交う。極端に体が細い犬のようだ。背中に蝙蝠のような羽がある。虚ろな黒っぽい瞳だ。大きく開く口からは幾重にも並ぶ牙が覗く。彼らの数の多さに太陽が隠れて空が昏い。さらに彼らの体から濃い灰色の(もや)が沸きだしている。それが地上に降り注ぐ。木々に触れると枝葉はぐったりとうなだれた。

 獣の群れに一筋の隙間が生まれた。密集する角ばった建物が逆さまに覗く。つむじ風が上空へ向けて吹いた。地上の木々が激しく揺れた。木の葉が散った。土埃と共に裂けめを目掛けて飛ぶ。吸い込まれているのだ。

 地上にも動きがあった。森と獣の間に幾つもの白く輝く光の環が現れた。八つの角を持つ八芒星(オクトグラム)が円陣に囲まれている。そこから眩い光が放たれた。灰色の靄を割って次々と獣に襲い掛かる。皮膚に触れるや否や電流に触れたように身をよじった。すると靄は薄くなる。

 男性の声がする。

「魔法陣を使え! 吸い込まれるな!」

 激しい風に身を潜めている一団が居る。白い八芒星(オクトグラム・ブラン)は彼らの光だ。獣にダメージを多少は与えたのか。だが数は減らない。風も相変わらずだ。

 そこへ長い尾を引く巨大な獣が雲を割って横切った。最初の群れはその姿を避けて道を作る。飛行の後を追って紺碧の色が戻った。ヒビが入ったような空が閉じていく。裂けめを覆うように黒い環が出現する。これも八芒星だ。

 僅かに残った隙間から、吸い込んだ分を戻すかのように突風が吹き下ろした。次々と人が吐き出されて森へ降る。黒い八芒星オクトグラム・ノワールが二つに分かれて消えた。

 大きな獣がひと際高く吠えた。すると小さな獣の群れはくるくると身を丸める。空間に吸い込まれるかの如く消えた。

 そして上空は静かになった。空も元の青さに戻り、そよ風が吹くばかり。ただ十数人の人間がなぎ倒された木々の上に横たわる。

 ラファイエット王国の魔闘士達が立ちすくむ。彼らはほぼ茶色か金色の髪である。彼らは国土の防衛に携わる王立魔闘士団の団員だ。いずれも強い魔力を持つ。国土に侵入する魔獣を相手にするのはよくある事だ。

 しかし空が割れて別の世界が見えたなど初めての体験だ。ましてや異邦人が落下するとは。呆然と見知らぬ男女を見つめるばかりだ。

「黒い髪だ...」

 この世界に、黒髪の人間は存在しなかった。



 一週間が経過した。郊外とはいえ、王都サントルラファイエットで魔獣が出現したのは初の事件だ。だが町の中はいつもの通りだった。ガス灯の下を馬車が走り、蹄が石畳を叩く。市場は夕方の買い出しで賑わう。たまに、まだ高級品である自動車も通った。家々からは夕食の準備の音が漏れて、煙突からは白い煙が上がる。

 ラファイエット王国はコンドアナ大陸の中央にある。高い山ははるかに遠く、国土の大半は平野だ。王都であるサントルラファイエットは大河ナント川に沿って発展した。王城は少し小高い丘から威容を示している。そこを中心に、きれいな碁盤の目のように町が発展していた。

 その一角のレンガ造りの建物が王立病院だ。今まさに二人の男性が入る所だった。森で獣と対峙していた魔闘士のうちの二人だ。魔闘士団の長官ディミトリ・コリニーと副長官シモン・メーストルだ。

 若いディミトリがベテランの副官に確認する。

「次元が裂けたのは妖狗(ようく)が暴走したせいだと?」

「はい。検証中ではありますが、研究班の見解です」

「なぜ奴らは引いたんだ?」

「不明です。吸い込まれた総数は十四。年齢と性別はバラバラです。染めている者もいますが、ほぼ全員が黒い髪です。うち十二名は既に死亡、強烈な力による圧死のようです。生存者は二名」

「黒髪か。この世界の人間ではないな」

 森で見た風景を思い返す。見た事もない形の建物で、なおかつどれも天にそびえる高さに見えた。この国の技術では不可能だろう。

「二人の状況は?」

「報告書の通りです。軽傷のロウタ・コマツは記憶及び事情の聴取も済んでいますが、やはり何も知らないようですね。カナデ・チュウゼンジは意識不明のままです。しかし医師が二人とも気になる点があると」

 助かったのはロウタとカナデだけだった。どちらもとりあえず入院となった。得体の知れない人物だ。一般人から隔離する目的もあった。

 看護師や寝間着姿の患者と時折すれ違う。彼らはディミトリ達の制服に目を留めると、深々と礼をする。魔闘士は特別な力を保持するエリート軍団だからだ。

 ロビーを過ぎて入院施設へ向かう。そこを通り過ぎると緑の鉄の門があった。警備員が控える。特別施設だ。高位貴族以上の身分の者だけ利用できる。例え見舞いであっても警備員に身分証を見せ、さらに受付で入館者台帳に記名が必要だ。

 高い壁に囲まれた緑の庭園が広がる。小さな池やバラ園もある。病棟は赤い屋根でベージュのレンガ造りだ。入院施設というよりは田園のペンションのようだ。

 ここの入口にも警備員がいる。そしてやっと内部だ。柔らかなオフホワイトで統一された装飾はまるでホテルだ。廊下の片側にしかドアはない。しかも間隔が遠い。一つ一つの部屋が広いのだ。奥の部屋の前に椅子がある。そこから白い服の女性が立ち上がった。ロザリー・ダンテスだ。ふっくらしている。栗色の髪と瞳で、どことなく「おかん」という雰囲気だ。片足を引いて貴族に向けた礼コーティシーをした。

「コリニー長官様、メーストル副長官様におかれましてはご健勝のようで何よりでございます」

「ご苦労、ロザリー。堅苦しい挨拶はいい。早速だが面会を」

 ノブに手を掛けようとするディミトリの前にロザリーが立ちはだかった。

「その前に少しお話がございます。あの二人についてなのですが」

「今か?」

「はい。できればすぐにでも」

 ロザリーは一度ドアを見やり、声をひそめた。

「お部屋を分けて頂きたいのです」

 二人は同室だ。監視の人数が少なくて済むのと、ロウタの証言からだ。ディミトリは彼女の提言に首を傾げた。

「二人は恋人同士だと聞いたぞ。お揃いの靴だったし。チュウゼンジは意識がないが、特に問題はないのでは?」

「大ありでございます。例え恋人でもあんな...」

 彼女はさらに声を低くした。

「意識のない相手にする行為じゃありません。リネン交換と清浄は私とセシルで行っておりますが、彼女も意識のない状態であんな真似をされるのは、と申しております」

 副長のシモンは四十代半ばだ。重々しく首を振った。

「一方的に情交を試みているのかな」

「はい。何度も実際にその寸前で阻止しております。遠慮なくお声がけさせていただいております!」

「前から合意の上では?」

「確認ができておりませんよ。私はとにかく若いセシルには、見張らせるのは気の毒でございます。チュウゼンジ様の意識が戻ってお望みならば、また同室に戻せばよろしゅうございます」

 彼女はその話をする為に待っていたようだ。ディミトリはシモンに向き直った。

「シモン、すぐにコマツを別室に移す手続きを進めるように」

「はい」

 彼はすぐに踵を返した。カツカツ...と軍靴のヒールが遠ざかる。

 ロザリーがドアをノックして開けた。男の笑い声が漏れる。天井の高い部屋だ。柱や天井にも漆喰で装飾が施されて、やはりホテルのようだ。病室を示すのは白いシーツのベッドや、壁際の棚やテーブルに乗った看護用品だけだった。壁に受話器がかかっているのは内線用だ。

 ベッドわきの椅子から茶色の髪の女性が立ち上がった。軽く礼をする。もう一人の付き添いセシル・レイだった。ロウタはベッドに座って足をぶらぶらさせていた。ロザリーに手を振る。彼女は営業用スマイルを浮かべた。自分は部屋に入らずにドアを閉める。

 ディミトリは座ったままのロウタに声をかけた。

「私は魔闘士団長官のディミトリ・コリニーだ」

 ロウタはぴょんとベッドから飛び降りた。ディミトリよりも少し目線が下だ。右手をさっと敬礼の形にする。

「お偉いさんですね。もう聞いていると思うけど俺は小松朗大。また事情聴取ですか?」

 金髪の根本は元の色の黒になっている。彼は友達に向けるような笑顔だ。

「髪を染めたいんだけど、できるかなあ?」

「可能だ。手配をさせよう。ところでセシル、ずいぶんと楽しそうだったが?」

「あ、はい。異次元のお話を伺っていました」

 彼女はロウタには気が付かれないほどに、小さくため息をついた。

「そうそう。俺の国では、若い女性はデカい胸ほど喜ばれるんですよ」

 それはロウタの個人的感想だ。横目でセシルを見ながら、にやついている。このような発言を繰り返していたのなら立派なセクハラだ。全く知らない異次元のセンスだと思えば、黙って聞くしかない。セシルが戸惑うのは当然だろう。

 ディミトリは眠ったままのカナデを見下ろした。点滴に繋がれている。表情は少し眉をひそめたままだ。時々まぶたが動く。覚醒が近いようだ。

 再びロウタに目をやる。人好きのする笑顔だ。印象は悪くない。異世界から来てわずか一週間。同胞の死者もいる。しかし心配しているのは自分の髪の色だ。また、彼の全身から揺らめくエネルギーを感じる。この世界には無い波動だ。

(これが二人の命を救った力なのか? 医師が言っていた気になる点はこれか?)

 次元の壁を越えた彼らが会話できるのは、この世界の魔法のおかげだ。ロウタにはすぐに会話ができるように翻訳陣という魔法が使われた。

 殆どの人は魔力と八芒星(オクトグラム)魔法陣を持つ。生まれながらの魔力量には個人差があり、有効な分野(エレメント)も数が違う。魔法陣の外側の環が調和・完全・再生を意味し、星の角はそれぞれのエレメントで構成される。四つは火・風・水・土の自然を示し、残りの四つは東西南北の方角を示す。各要素によって使える魔法が違うし、組み合わせて使うのも可能だ。

 中央に(シーニュ)を持つ者もいる。先端が丸く、端に向かって細くなる。いわゆる勾玉の形だ。陰はオンブル、陽は光でもありリュミエール。人間が持つのは、通常は陽の印(リュミエール)だけだ。

 陰陽の両方を持つ人間は現存しない。文献によると、かつて陰の印(オンブル)を持つ人間なら太古にはいたらしい。だが少なくともラファイエット建国以来、皆無だ。

 陽の印(リュミエール)は公爵以上の上級貴族と王族が持つ。ディミトリの父コリニー公爵は存命なので、まだ爵位はない。しかしこの身分に属する魔闘士だ。八芒星(オクトグラム)魔法陣と陽の印(リュミエール)を持つ。

 魔法の技を磨けば、努力次第で使える魔力が増える。しかしエレメントは生まれつきの資質だ。増やすのは至難の業だった。

 少し沈黙が流れていた。ロウタがそれを破る。

「座っていいかな。それでお偉いさんが直々に面会とは。俺達はVIP扱いですね?」

「まあそうだな。改めて聞くが、君らは本当に妖狗との関わりはないのだな?」

「その単語すらここへ来て初めて聞きましたよ。魔物...でしたっけ」

「その通り。彼らの放つ陰の気(ルキデュイ)はいわば瘴気(しょうき)とでも言おうか。植物を枯らし、土を汚染し、人を病気にする。あまつさえ奴らは家畜のみならず人をも襲って生気を吸う事さえあるのだ」

「そんな怖い世界に来たのか...」

 ディミトリはわずかに眉をひそめた。

「滅多にない事だ。我らが国土を守っている。それはともかく本当に知らないようだな」

「ええ。コイツと」

 と、ベッドのカナデを顎で示す。

「新宿でデートしていただけなんです。いきなり空が割れて吸い込まれました。何回聞かれようと同じ。俺は十九才、大学の商学部一年。カナデは十八才で美術系の専門学校の一年生。同じ高校出身で、恋人同士。男同士ってのはこの国ではどうなんですか?」

 ロウタの言う単語がラファイエット王国では何に対応するのか。翻訳陣はできるだけ近い言葉を選んでくれる。ディミトリは研究班の分析を思い出しながら聞いた。やはり彼は巻き込まれただけで何も知らないようだ。

「我が国の婚姻制度は多夫多妻制度だし、性別も問題ではない」

 お互いに伴侶が複数いる制度だ。

「それはいいな。セシル、俺と結婚しちゃう?」

 セシルは苦笑いで首を振る。

「お戯れを」

「それはとにかく」

 ロウタは表情を引き締めた。

「俺達は帰りたいです」

「あれは妖狗が引き起こした事象だ。我々には再現できない。現時点では君らを元の世界には帰すのは遺憾ながら無理だ」

 ロウタの顔が少し歪んだ。王国において妖狗は災害を巻き起こす獣だ。全くの偶然で次元が裂けたのなら、ディミトリ達にはどうにもできない。

「だが君らも被害者だ。縁があってここに来たのだから、衣食住の面倒は見よう」

「それは助かります」

「今日はこれからの事について面談をする為に来た」

 そこでロザリーが顔を出した。

「コリニー長官様、病院の事務方とメーストル副長官様がいらっしゃいました。少々お時間をよろしいでしょうか」

 ああ、とディミトリは部屋を出た。廊下に二人がいる。眠っているカナデは残してロウタに移動を、という事にするようだ。

「場所は?」

「二階です。少し離れた部屋を用意しました」

「よろしい。では準備を」

 そう言いかけた時、部屋から怒鳴り声が響いた。何かが倒れる音もする。セシルが飛び出した。

「チュウゼンジ様がお目覚めです!」

「それで何で騒ぎになる?」

 四人は急いで病室に入った。音は点滴の器具が倒れたのだ。カナデのベッドにロウタが乗り上げている。

「やっぱり頭が悪いな、お前は!」

 カナデの襟首を掴み、激しく揺する。カナデはロウタの両肩を押し返して抗議しているようだ。まだ翻訳陣が入っていない。何を言っているのか。ロザリーは戸口で心配そうに眺めた。

 ロウタはぱっと手を放した。万歳の恰好をする。

「落ち着かせようとしていただけですよ。知らない場所で不安がって。コイツはいつもこうなんです。ちょっと神経質だしすぐに大騒ぎするんです。だから俺が教えてやらないと」

 カナデは座ったが、息を切らせている。点滴の位置がずれたのだろう。針の刺さった場所から一筋血が垂れた。慌ててセシルが駆け寄った。そっと針を抜く。エプロンのポケットからガーゼを出して当てた。乱れた首元にも手を伸ばすが、カナデは首を振って避けた。ガーゼも自分で抑える。セシルの手をそっとかわす。侵入者をちらっと見たが、視線を落とした。

 ディミトリが歩み寄り、声をかけた。

「コマツ、伝えてくれ。翻訳陣を入れてやる。こちらを見ろ」

「ああ。おいカナデ。喋れるようにしてくれるってよ。そいつの方を向け」

 カナデに対する言葉使いが乱暴だ。ディミトリは眉をひそめた。どうもロウタという人物が理解できない。

 翻訳陣をセットするには、対象者とチャネリングが必須だ。相手の精神活動にも関わる魔法だ。まずは視線を合わせてお互いに意識を集中させるのだが、カナデは顔を上げようとしない。ロウタに言われても動かなかった。ふら、と体が動く。セシルが手を添えて再び横たわらせようとするが、また首を振る。

 はっとした顔になった。何か言いながら手を動かす。右手が線を描いた。セシルは手を打った。

「これ? これですよね?」

 棚から濃い紫の色鉛筆と白い紙を探す。カナデに渡した。彼は軽く頭を下げた。そしてさらさらと描きつける。割れた空と、落ちてくる人々。そして絵をディミトリに示した。人を示して、懸命に何か言う。

 返事をしたのはロウタだった。

「全員くたばったよ」

 そしてカナデから鉛筆を取り上げた。絵に大きく×をつけた。紙を両手で揉むように丸めてゴミ箱に投げた。かさ、と軽い音がする。

「お、ストライク」

 カナデはがっくりと頭を下げた。両手をだらりと下げる。崩れるように横たわった。腕を顔の上に乗せてしまう。セシルが腕にガーゼを当て直した。布団をそっと引き上げる。体の震えが伝わる。唇をしっかり噛み締めていた。セシルは静かにカナデの髪を撫でた。びくっと震えたが、今度は逃げなかった。

 ディミトリが言った。

「チュウゼンジにも話を聞かないとならないな。コマツ、部屋を分けるぞ」

「必要ないでしょう。何回も言っていますよ。恋人なんだから」

「警備の都合上だ。すぐに移動しろ。世話は今まで通りにロザリーが行う。着替えは後で運ばせる」

 上に立つ者だけある。有無を言わせない圧力だ。ロウタは不承不承ながら立ち上がった。

 カナデはずっと同じ姿勢のままだった。



 満天の星と二つの月が出ている。カナデは一人だ。ベッドに座って開け放した窓から明るい空を眺めていた。用意された流動食を半分ほどは何とか飲み込んだが、やはり体調は良くない。肌は青白くて瞳と髪の黒さが際立つ。

 少し涼しい。カナデの住んでいる東京は五月に入ったばかりだった。こちらの草木も緑が濃い。季節はあまり変わらないようだ。

(ラファイエット王国...聞いたこと無いな)

 目覚めた時にロウタが言った。自分たちはそこに吸い込まれたと。だから二人で暮らすんだよ、と。それを断ったらいきなりブチ切れた。あの騒ぎだ。

 病室から町は見えない。しかし内装や人々の容貌はヨーロッパのような雰囲気だ。現代日本よりは古い型ながらも電話があり、電気も灯る。産業革命より少し技術が進んだ時代を思い起こさせる。またカナデは言葉が通じないのに、ロウタは日本語で普通に会話している。一緒に吸い込まれた人達は亡くなってしまったようだ。

 出入り口以外にもドアがある。開けてみると浴室だった。

(病院? ホテル?)

 判然としない。壁の時計を見て首を傾げた。数字が八までだ。

(一日が何時間なんだ?)

 カレンダーとテレビは無かった。またベッドに戻る。

 軽いノックの後、セシルが顔を出した。カナデよりも少し年上のようだ。丸い瞳が可愛らしい。肩掛けカバンをしている。彼女はにこっと笑ってお盆を差し出す。カナデには分からない言葉を言いながら、ベッド用のテーブルをセットした。乗せられたのは湯気の立つカップだ。手でどうぞ、どうぞとすすめてくれる。カップを手に取った。薫りはミルクだろうか。口にするとほっとする甘さだ。

「ありがとう」

 通じなくてもお礼を言う。彼女は自分の胸に手を当てた。

「セシル、セシル。チュウゼンジ##」

 ##が敬称を指すのだろうが、ミスターだろうか。とにかく彼女はセシルらしい。なるべくそれっぽく発音してみる。

「セシル##?」

 彼女はぶんぶん首を振った。

「セシル。セシル!」

 呼び捨てにしろという事か。カナデも自身の名前を言う。

「カナデ」

「カナデ##」

 それからカバンを下ろした。紙の束と数本の筆記具を出した。鉛筆と羽ペンとガラス瓶入りのインクだ。やはり黒はない。濃い青と紫だ。これがこの国の筆記具のスタンダードらしい。カナデに差し出す。紙を要求したのを覚えてくれていたのだ。

「ありがとう」

 頭を下げると、また微笑んだ。春の日差しのようだ。少しほっとする。

「ロウタはどこですか? ロウタ」

 人名は通じたようだ。彼女は上を示した。それから顔をしかめ、腕を組んで首を振る。きょとんとするカナデに、さらに大きく腕で罰を作って見せた。

『アイツ嫌いなの』

 とでも言っているようだ。その直接的な表現に少しおかしくなった。さっそく紙と鉛筆の出番だ。汗をかいて引いている自分を漫画チックに描いた。隣にカナデにキスを迫るロウタだ。二人の間にハートマークを描いて大きく×をつける。

 うんうん、とセシルが頷いた。

 カナデは目を伏せた。そう。恋人ではない。それなのに見知らぬ世界で二人きり。帰れるのだろうか。家族は心配しているだろう。胸に痛みが刺さる。

 セシルがそっとカナデの手に触れた。ひっこめようとしたが、しっかり握られた。彼女は真面目な顔でカナデを見上げる。指にさらに力がこもった。

「*****、カナデ##!」

 言葉は通じなくても、力づけようとしてくれているのだ。それが分かる。

「ありがとう...セシル」

 ばん! ドアがいきなり開いた。ロウタだ。セシルが険しさを隠さず立ち上がった。

「ご用事ですか? ロザリーにお申しつけ下さい」

「どうだったかなあ? いなかったよ」

 世話役兼見張りとしてロザリーが配置されたはずだ。隙を狙って来たようだ。

「カナデ様はお疲れです。お引き取りを」

「ふ~ん、もう名前呼び? 起きてるじゃないか」

 戸を閉めようとするセシルを押しのけた。ベッドのカナデに大股に歩み寄る。

「元気そうだな。何を飲んでる?」

 覗き込んだ。まだ半分以上残っているのにテーブルからなぎ払った。カップは避けようとしたカナデの腕に当たる。中身が胸辺りから腹まで降りかかった。

「あ~こぼれちゃったな」

 立ちすくむセシルに声をかける。

「着替えを取って来いよ。カナデを見ていてやる」

「ロザリーに来てもらいます」

 着替えは浴室に用意してある。だがこの状況なら他の者を呼んだ方が良さそうだ。内線に手を伸ばそうとした。しかしロウタの方が速かった。受話器に届く前にセシルの腕を取る。

「濡れちゃって可哀そうだろう? 早く取って来てやれよ」

 そのまま引きずり、ドアの外に突き出した。ノブが回った。鍵のかかる音がする。

「開けて下さい、コマツ様!」

 答えはない。もう夜だ。いるはずの護衛がいない。ロウタが上手い事を言って追い払ったか。セシルは急いで廊下を駆けだした。

 カナデはベッドから降りた。ロウタが蹴ったのか、スリッパは少し離れた場所でバラバラに転がっている。逃げ場はないか探すが、外へのドアは一つだけだ。

 ロウタはイラストを見ていた。まだベッドに残っていたのだ。急に突撃されて隠すのが間に合わなかった。ふうん、と鼻で笑う。しかしカナデに向けた瞳に炎があった。怒りなのか、それとも歪んだ愛情が燃えているのか。目の前で紙を破く。

「ふざけた真似してくれてんな」

 ベッドや机を素早くドアに押し付けた。これで鍵が開いたとしてもすぐには入れない。

 じりじりと距離が詰まる。カナデは少しずつ壁に追い詰められた。

「そっちこそ。鍵なんかかけても、誰かすぐに戻るよ」

「それがどうした? 恋人同士だと言ってある。途中で開けられても俺は平気だ」

 一歩、また一歩と近づく。ゴミ箱が目に入った。籐で編まれているので軽い。持ち上げてロウタに投げつけた。一瞬ひるむ。

 カナデは窓枠に手をかけた。腰ほどの高さだ。力が入らないが、何とか越えて庭園に出た。

(どこだ? とにかく逃げなくちゃ...)

 どこへ向かえばいいのか。草に足を取られる。目の前に水が現れた。池だ。振り返るとロウタはすぐそこだった。足元で水が跳ねる。

「何度言えば分かる? 俺を怒らせるな」

 両肩を掴まれた。大きく揺さぶられる。ギラギラした瞳が近づく。キスされそうだ。カナデは顔を背けた。顎に向けて肘を繰り出す。

「痛ぇ!」

 表情に凶悪さが加わった。

「手癖も悪いんだな、お前。しっかり躾してやるよ」

 襟首を掴まれた。頬に平手打ちが飛んだ。それから引き倒される。頭を押さえつけられた。池に顔が沈む。息ができない。ごぼ、と空気の泡が上がった。

 掴まれた髪で引き上げられる。そして、また水中へ。それは二、三回と続いた。意識がもうろうとしてくる。腹の奥が熱い。それが全身へ広がる。こらえきれない衝動が背筋を駆け抜けた。

 凄まじい風が吹いた。二人とも煽りをくらって草の上に倒れた。ロウタが跳ね起きる。

「な、何だよ...今の...」

 カナデは激しくせき込んだ。手足が重くて動かない。ロウタが体の上に屈んだ。濡れた寝巻の襟を開く。手が胸をまさぐった。唇が近づく。舌が首筋を這った。

「嫌だ...嫌」

 かすれ声しか出なかった。

    ツヅク! 

    次回Ⅰ-Ⅱ ピンクの内装のお部屋へ。そしてカナデの能力が発現


お読みいただきありがとうございます。

アルファポリスと同時掲載です。


新シリーズ投下です。

もうフリガナが多くて、自分でやっていて軽くめまいが…。

フランス語基準? の為オタク…いやいやオクタではなくオクトにしております。


まとめてみました。(陰の印がダジャレみたいなので、フリガナを考案したのです!)

印:シーニュ


白の八芒星:オクトグラム・ブラン

陽:ヤン

陽の印:リュミエール

陽の気:ルキデュヤン


黒の八芒星:オクトグラム・ノワール

陰:デュイ

陰の印:オンブル

陰の気:ルキデュイ


しばらくは『冥界の太陽』と同時進行で参ります。

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