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異様な報告

 山を下りきったころには、日差しはすっかり傾いていた。


 黒鋼山の影が、山里の屋根をまとめて呑み込んでいる。

 まだ夕方のはずなのに、通りは一足早く薄暗い。


 天音たちは、誰も口を開かないまま、

 まっすぐギルドへ向かった。


 木造二階建ての建物。

 扉を押して中に入ると、いつものざわめきが、

 一瞬だけ、ほんの少しだけ、静かになった。


 カウンター脇の掲示板前にいた冒険者たちが、

 ちらりとこちらを見る。


 敵意じゃない。

 ただ、「山から戻ってきた連中だ」という視線が重なる。


(……さっきまで、あの谷底にいたんだもんな)


 天音は、自分の手のひらを見た。

 黒鋼鬼の体液と土と汗が混じった汚れが、まだ完全には落ちていない。


 胸の奥で、さっきの咆哮と甲殻のきしみが、

 まだ微かに残響していた。


「おかえりなさい」


 カウンターの中から、受付の女性が顔を上げる。


 昨日、初めてここを訪れたときと同じ人だが、

 その表情には、少しだけ安堵の色が浮かんでいた。


「全員、無事ですね……よかった」


「ギリギリでしたけどね」


 アルカナが苦笑する。


「ギルドマスター、いますか?」


「はい。

 皆さんが戻られたら、すぐ話を聞きたいと」


 受付は頷き、奥へ声をかけた。


「マスター、黒鋼山調査組が戻りました!」


「通せ」


 低い声が、奥の部屋から返ってくる。


「では、こちらへ」


 受付に案内され、天音たちはカウンター脇の扉をくぐった。


 


 奥の部屋は、表の喧騒が嘘のように静かだった。


 大きな机。

 壁には地図と、古い依頼書の写し。

 窓から差し込む光は、山の影のせいで薄い。


 その机の向こう側に、山里ギルドのマスターが座っていた。


 年の頃は四十代半ば。

 顔のあちこちに、古い傷がある。

 現役を退いた前衛、という印象だ。


「座れ」


 マスターが顎で向かいの椅子を示す。


 天音、アルカナ、大狼。

 それに、現地ギルドの三人も同席した。


 受付は、部屋の隅に控え、羊皮紙とペンを用意する。


「まずは――」


 マスターは、三人の顔を順に見た。


「よく戻ってきた」


 それだけ言ってから、少しだけ表情を緩める。


「報告を聞く前に言っておく。

 “全員で帰ってきた”って事実そのものは、きちんと評価する」


「……ありがとうございます」


 天音が、背筋を伸ばして答える。


「じゃあ、始めよう」


 マスターは、机の上の羊皮紙を押しやり、代わりに何も書かれていない紙を広げた。


「今回の目的は、前回調査隊が引き返した地点の“先”の確認。

 それから、“黒鋼鬼王の状態”の目視だ」


「はい」


 大剣使いが頷く。


「予定通り、前回と同じ尾根までは順調に上がりました。

 そこまでは、前の報告と大きな違いはありません」


「問題は、その先、か」


「そうです」


 大剣使いは、一度息を吐いてから続けた。


「尾根の向こう側――

 谷になっているところを見下ろした時点で、まず“数がおかしい”と分かりました」


「おかしい、というのは?」


「前回の報告時点では、

 “二十前後の群れが、谷底を動いていた”と伝えてあります」


 術師が口を挟む。


「今回は、谷全体が黒鋼鬼で埋まっていました。

 正確な数は数えきれませんが、少なくとも前回の倍以上。

 場所によっては、黒い塊にしか見えないほど密度が高い」


「……なるほど」


 マスターはペンを走らせる。


「行動の様子は?」


「“暴れている”というより、“掘っている”に近いです」


 弓使いが答える。


「岩壁を鋏で削り、砕けた岩から鉱石を選んで抱え、

 巣の奥へと運んでいく――その動きが、多かった」


「元々、黒鋼鬼は鉱石を食う。

 山をいじること自体は今に始まった話じゃないが……」


「はい。でも、今回は“工事現場”みたいでした」


 弓使いは言葉を選ぶ。


「道を広げる個体、

 砕いた岩をどかす個体、

 鉱石を運ぶ個体――それぞれが、妙に役割分担されている」


「統率が取れている、ということか」


「ええ。

 これまで見てきた黒鋼鬼の群れより、明らかに“まとまっている”印象でした」


 


「黒鋼鬼王は?」


 マスターの問いに、今度は術師が頷いた。


「谷の中ほどの岩の上に、一回り大きな個体が陣取っていました。

 殻の傷の多さと、他の個体との間合いから見て、あれが王で間違いないと思います」


「行動は?」


「ほとんど動きませんでした。

 ただ、谷全体を見下ろして、群れの動きを“見ている”感じです」


「前回の報告では、“咆哮とともに群れが動いた”とあったが」


「今回も、それがありました」


 術師の表情が、わずかに強張る。


「こちらが尾根から谷を見ているとき、

 黒鋼鬼王がこちらの方を見上げました。

 その直後――一度目の咆哮がありました」


「一度目の咆哮のあと、群れはどう動いた?」


「こちらを向きました」


 弓使いが即答する。


「岩を砕いていた個体も、鉱石を運んでいた個体も、

 全員が“谷の出口”――つまり、俺たちのいる方向へ」


 


 マスターの手が、一瞬止まる。


「その時点で撤退を判断してもよかったが……

 群れの出方を見るために、少し様子を見たわけか」


「はい」


 大剣使いが認める。


「ですが、予想よりも遥かに早く、

 “こちら側の斜面”に取り付かれました」


「早い、というのは?」


「登ってくる速度が、今までの黒鋼鬼と比べて明らかに違います」


 弓使いが続ける。


「あの傾斜を、岩に鋏を突き立てながら、

 人間の全力疾走と変わらない速さで登ってくる」


「……以前まで見ていた連中とは、まるで別物だな」


「はい」


 大剣使いは頷き、少し間を置いてから言った。


「一回目の咆哮の後は“こっちを見る”だけでしたが、

 二度目、三度目の咆哮のたびに、確実に脚が速くなっていきました」


「“あの声を合図に、群れ全体の足並みが一段階上がる”感じでした」


 術師も補足する。


「普通の魔物が受ける“強化”とは違う。

 “前に出ろ”“止まるな”って命令だけを、

 魔力で押し込まれているような雰囲気でした」


「その結果が、“群れごと突っ込んでくる”ってわけか」


「はい」


 現地ギルド組の三人の顔には、

 まだあのときの光景の余韻がはっきりと残っていた。


「谷側からだけでなく、

 左右の斜面からも別の列が登ってきました」


 弓使いが指で机の端を叩き、簡単な図を描く。


「谷底からの直線、右斜面、左斜面――

 三方向から挟み込む形です」


「退路は?」


「最後は、かなりギリギリでした」


 大剣使いが苦笑に近い表情を浮かべる。


「後列の三人を先に細道側へ下げつつ、

 前に残った前衛俺三人で、なんとか押し返しましたが……」


 そこで、一瞬言葉を切り、

 少しだけ目を伏せた。


「正直に言えば、“あれ以上は持たなかった”と思います」


 


「……A級の君たちから見ては、どうだ?」


 マスターは、天音たち三人のほうを見た。


「今の話に、付け足しておきたいことがあれば」


「はい」


 最初に口を開いたのは、天音だった。


「今の戦力で、“黒鋼鬼王まで到達する”のは無理だと思います」


 自分の拳を見下ろしながら、それでもはっきりと言う。


「群れの数も、登ってくる速さも、

 “前に出続ける”しつこさも――

 どれを取っても、今まで俺たちが相手にしてきた相手の上です」


「俺も同意見です」


 アルカナが続く。


「黒鋼鬼そのものは、前に山で相手をしたことがあるので、

“硬いけど手が出せない相手ではない”と思ってました」


「でも、今日の群れは、

 “黒鋼鬼の知ってる部分”だけで戦える相手じゃなかった」


 アルカナは、そう付け加える。


「“戦ったことがある相手だから大丈夫”って油断したら、

 今日の俺たちは、ここにはいないと思います」


 


「私は――」


 大狼が、少し言葉を選びながら口を開いた。


「“巫女として感じたこと”を、お伝えします」


「聞こう」


「黒鋼鬼たちが押し寄せてきたとき、

 途中から“何か”にぶつかって、止められていました」


 大狼の言葉に、

 現地ギルドの三人が、微かに肩をすくめる。


「目には見えませんでした。

 紋も、光もありませんでした」


 大狼は続ける。


「でも、黒鋼鬼たちは、

 “そこに壁がある”としか思えない動きで、何度もぶつかっていました」


「……巫女の見立てではどうだ?」


 マスターが、大狼に視線を戻す。


「結界か?」


「“結界のようなもの”だと思います」


 大狼はゆっくりと答えた。


「ただ、私の結界でも、

 大狼神さまの結界でもありません」


「気配は、神社に近いものでした。

 でも、“この山の社”のものとも違う」


 大狼は、言葉を慎重に選ぶ。


「ここから先は、私の感覚の話ですが――

 “こちら側”で、誰かが“守るつもりで”張った結界だと思います」


「……なるほどな」


 マスターは、しばらく黙っていた。


 部屋の中に、ペン先の音だけが続く。


 やがて、ペンを置き、

 三人のA級と三人の現地ギルドマンを順に見渡した。


 


「まとめるぞ」


 短く言って、指を折っていく。


「一つ。

 黒鋼山の黒鋼鬼の数は、前回報告より大幅に増加。

 谷の一帯が群れで埋まるレベル」


「二つ。

 行動には明らかな統率があり、

 “山を掘って巣を広げる作業”が進行中」


「三つ。

 黒鋼鬼王の咆哮により、群れ全体の脚が上がり、

 谷底からだけでなく斜面からの挟み撃ちを仕掛けてくる」


「四つ。

 現地ギルド三名+A級三名の編成では、

 “黒鋼鬼王まで到達して討伐”は現実的ではない。

 正面突破しようとすれば、どこかで押し潰される可能性が高い」


「五つ」


 マスターは、大狼を見た。


「撤退時、未知の“結界らしきもの”の介入があった。

 正体は不明だが、それがなければ全滅していた可能性もある」


 


 そこで、少し間を置き、

 口調をわずかに変える。


「――報告としては、十分だ」


 天音たちの肩が、ほんの少しだけ下がった。


「“自分たちでは手に余る”と判断したうえで、

 こうして戻ってきて、全部話した」


 マスターは言う。


「それは、

 無茶な突撃で死んで、“何も伝わらないまま終わる”より、

 何倍も価値がある」


「……ありがとうございます」


 大剣使いが、深く頭を下げた。


「黒鋼山の案件は、この報告をもって――」


 マスターは、机の端に置いてあった別の書類を引き寄せる。


「危険度を、帳簿上“予測A級”から“予測S級寄り・未査定領域”に引き上げる。

 本部とトウカのギルドに、そのまま送る」


「つまり……」


 アルカナが、少しだけ眉を上げる。


「これはもう、俺たちだけの仕事じゃない、ってことですね」


「そういうことだ」


 マスターはあっさり認めた。


「この山をどうするかは、もう“上”が決める。

 S級を回すかどうかも含めてな」


「お前たちに、これ以上“黒鋼山で死んでこい”なんて言うつもりはない」


 


「ただし」


 マスターは、そこで一つ付け加える。


「“黒鋼山に一度足を踏み入れたA級”として、

 今後、本部から問い合わせが来ることはあるだろう」


「その時は、今日話したことを、そのままもう一度話してやってくれ」


「……わかりました」


 天音が頷く。


「そのときまでに、

 俺たちももう少し、“自分たちを鍛えて”おきます」


「期待している」


 マスターは、わずかに口元を緩めた。


「今日はもう、山の話はここまでだ。

 体を休めろ。

 明日以降の依頼は、しばらく軽めのもので組んでやる」


「そんなことして大丈夫なんですか」


 アルカナが、少しだけ茶化すように言う。


「山里の仕事、溜まってないですか?」


「溜まってるからこそだ」


 マスターは、肩をすくめる。


「“黒鋼山のことだけ考えたまま”他の依頼に行かせるほうが危ない。

 一回、ちゃんと頭を切り替えてからでないとな」


 


 部屋を出るとき、

 受付の女性が、ほっとしたように笑った。


「本当に、お疲れさまでした」


「……まだ、終わってないですけどね」


 天音は苦笑する。


「俺たちの手から離れただけで、山が消えたわけじゃない」


「それでも、“伝える役目”はきちんと果たせたと思います」


 大狼が、柔らかく言う。


「ここから先は、私たちの届かないところで決まっていく」


「だからこそ、今は――」


 アルカナは、拳を握り直した。


「“次に届く場所”を増やしておかないとな」


 そうして三人は、

 黒鋼山の重さを少しだけ背中に残したまま、ギルドを後にした。

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